露払い
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「若様、既にお気づきかもしれませんが……森の様子が妙です。木々はもちろん、雑草の一本に至るまで生気が衰えている様です」
私は若様の少し後ろを歩みながら、周囲の異変を報告した。
若様は私の言葉にことさら驚かれたご様子もなく、ただ前を見据えたまま「ふむ」と小さく頷く。
「当然だな。あの“塔”が相当な生命力を周囲から吸い上げていたからな。雑な業ゆえ猶更だろう」
「は……しかし」
「分かっている。あの規模の集力装置にしては広範に影響を及ぼし過ぎていると言いたいのだろう?」
私は頷いた。
「まああの手の玩具を作る目的を考えると、そうだな……よほど飢えているらしい。後先考えず最大出力で力を集めている──品がないにもほどがあるな。この森の木々もいずれは枯れ果てよう。放置すれば不毛の大地と化すだろうな。まあ、俺の知ったことではないが」
若様は続けて言った。
「北西の塔へ飛んで行ってもいいが──」
若様は何かを考えている様子だ。
周囲の枯れかけた木々へと目を向けている。
「アンデッドというものを少し知っておきたいな。書物だけでは得られぬ知見もある」
若様の知的好奇心は常に旺盛でいらっしゃる。
ただ、なぜわざわざ──
「アンデッドが“夜の雫”を生産する鍵になるというのなら、その仕組みを理解すればあるいは自らの手で作り出す事もできよう。余り汚くないのを研究材料として捕らえるという手もあるな」
若様はご立派だ。
母君への贈り物をお求めになるという第一の目的がありながらも、ただ目的を達するだけではなくご自身の成長へ繋げようとしている。
たとえそれが邪悪なアンデッドや死に満ちた森であっても、若様の探求心の前には等しく貴重な研究対象となるのだろう。
いや、この世界のあらゆるモノは若様の所有物といってもいいかもしれない。
もちろんこの私の心も体も、魂も。
そうして私たちは生気を失った森の中を進んでいった。
若様は時折立ち止まり、枯死した植物の構造を仔細に観察されたり、変質した土壌を指先で確かめられたり、あるいは大気中に漂う微かな魔力の残滓に意識を集中されたりしている。
その真剣なご様子はまるで高名な錬金術師か、あるいは禁断の知識を探求する賢者のようだ。
「フェリ、この土の色を見ろ。通常の腐葉土とは明らかに異なる。生命活動が停止し、負の魔力によって変質した結果であろう。このような環境下で、アンデッドはより効率的に活動エネルギーを得ているやもしれんな」
「また、あのキノコのようなもの。あれは高濃度の魔力が凝固した一種の結晶体に近い。なかなか興味深い」
若様はどこか楽しそうだ。
楽しそうな若様を見るのは私にとっても幸せな事で、この時間がもっと長く続けばいいのにと思ってしまった。
その様にしてしばらく歩みを進めた──その時だった。
前方の茂みが大きく揺れ、低い呻き声と共に、複数の影が姿を現した。
「……アンデッド、か」
黒ずんだ腐肉を纏ったゾンビの群れ。
そしてその先頭に立つのは、禍々しい黒色の全身鎧を纏った騎士の姿。
手には錆びついた長剣を握り、首のない胴体からは不気味な黒い瘴気が立ち上っている。
デュラハン。
アンデッドの中でも上位に位置する、厄介な存在だ。
それが一体ならず、三体もいる。
そしてその後ろには、おびただしい数の骸骨兵やゾンビが控えていた。
私は即座に若様の前に進み出て、腰の短剣に手をかける。
「若様、ここはわたくしが」
いかなアンデッドの群れといえど、若様のお手を煩わせるわけにはいかない。
かつての私ならばともかく、今の私であるならばこの程度の敵であれば退けるのに造作もない。
しかし、若様は私を制して言う。
「いや、まて。フェリがやるとなると、どうしても連中に近づかざるを得ないだろう? 俺が始末してもいいが、それではお前の面子が立つまい」
そう言うと若様はアンデッドの群れへ向かって、まるで路傍の小石でも払いのけるかのように、軽く右手を振るわれた。
特別な魔術の詠唱も、力の解放を思わせる気配もない。
ただ本当に、小蠅でも追い払うかのようなさりげない仕草。
その瞬間。
音にならないほどの微かな風が吹き抜けた。
次の瞬間、私たちの眼前にいたデュラハンを含む全てのアンデッドたちが、まるで糸の切れた人形のように一斉にその場に崩れ落ちた。
「アンデッドというものは基本的に外部からの魔力供給、あるいは何らかの疑似生命力によって稼働している。その力を自身の魔力で上書きしてしまえば──こうなる」
斃れ伏していたアンデッドたちが、再びゆっくりと動き始めた。
ぎしぎし、と骨の軋む音。
腐肉の引きずられる音。
しかし、先ほどのような敵意や殺気は感じられない。
それどころかアンデッドたちは一体、また一体と、若様の御前におもむろに膝をつき、頭を垂れるかのような姿勢を取った。
まるで、絶対的な主君に謁見する臣下のように。
若様はその光景を当然のこととして受け止められ、ただ一言、お命じになった。
「佳きに」
すると跪いていたデュラハンたちがやおら立ち上がり、無言のまま、しかし統率の取れた動きで、森の四方八方へと散っていく。
私は呆然としながらも、若様にお尋ねせずにはいられなかった。
「若様……今のアンデッドたちは……?」
「露払いをさせる。連中の始末は連中自身にやらせれば良い。フェリが手を出す必要はない──臭くなるからな」
「く、臭く?」
「ああ。お前は常に俺のそばにいる。それが仕事だからだ。それについてとやかくは言わない。だが、臭いのは嫌だ。俺は鼻が良いのだ。お前の肌に連中の腐汁がはねたらどうする。大気中に漂う連中の匂いなどは、俺たちが垂れ流す魔力で弾けるだろう。現に今、俺の体とお前の体は臭くない。あらゆるものは粒により成る──だから粒と粒がぶつかり合い、匂いがつかないからな。しかし液体が直接付着してしまえば別だ」
私は愕然とした。
全く気付かなかった。
若様のお側にいるのは私の生きがいである。
それを脅かされるというのはあってはならないことだ。
危ない所だった……
「よし、どうせ俺たちの魔力に惹かれて劣等腐肉共が寄ってくるはずだ。この要領で“露払い”を量産するとしよう」
若様はそう言って──実際にそうした。




