チョロママ
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ヘルガが呼び出しの書簡を受け取ったのは、ある雨上がりの昼下がりだった。
執務室には暖かく柔らかな陽光が差し込んでいるが、そんな穏やかな空気だというのにヘルガの表情は鬱々としている。
ヘルガは一通の封筒に目を走らせた。
差出人が問題なのだ。
あろうことか宰相ジギタリスの名があり、内容は「ぜひ一度お会いしたい」というものだった。
「これは……どういう風の吹き回しかしら」
思わず声に出す。
宰相ジギタリスとはこれまであまり良い関係を築いているとは言いがたい。
それが今になって友好の書簡とは、にわかには信じがたい。
というより、人種序列法などという戯けた法令を施行しておきながら友好とはどの面下げて、という思いもある
ヘルガは封筒を指先でトントンと叩き、しばし黙考する。
「陛下のご意向……ではないわね、ここ最近はずっと伏せっているようだし。ジギタリスの独断? どんな魂胆があるのやら」
気は進まない。
全く進まない。
それでも相手は帝国宰相である。
呼び出しを無視するわけにはいかない。
ヘルガは一度深呼吸をして、「仕方ないわね」と呟いて文机の上の鈴を鳴らしてフェリを呼び出した。
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「ということで陰ながら護衛をお願いできるかしら」
「かしこまりました、大奥様」
ヘルガは外出する際、常にフェリを伴っていく。
隠形の業を得意とする彼女は、こう言った場合の護衛にはうってつけだ。
ヘルガはテーブルに置いたままの書簡を見下ろし、手の甲にあごを載せるようにして軽くため息をついた。
「まあいいわ。折角会うのなら、あのふざけた法案について少しでも妥協させなきゃ」
エルデンブルーム伯爵家は既に経済的な被害を受けている。
宰相派の息のかかった商人たちがエルデンブルーム伯爵家との取引を辞めだしているのだ。
そういった事情もあり、ヘルガのジギタリスへの好感度は非常に低い。
◆◆◆
翌日、ヘルガはアステール家の馬車に乗り宰相府へと向かった。
厳粛な雰囲気が漂う回廊を通されて、侍女に案内されるまま謁見室の扉を開ける。
そこにはジギタリス・イラ・サルマンが、美しい笑みを浮かべて待っていた。
「ようこそ、ヘルガ・イラ・アステール公爵代行。お忙しい中ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ。宰相殿からのお呼びであれば伺わないわけにはいきません」
ヘルガは軽く一礼しつつ、その横顔をさりげなく観察する。
ジギタリスはまとう空気こそ柔らかいが、その瞳はやはり油断ならない冷たさを宿していた。
内心警戒の度合を高めるヘルガに、ジギタリスは優雅な仕草で席を勧める。
「今日は少し、お話をと思いまして。率直に申し上げますと、アステール家とは今後もっと良い関係を築きたいのですよ」
それは一見すれば穏やかな申し出だ。
だがヘルガとしては、いまいち真意が読めない。
「なるほど。たしかに、最近はいろいろときな臭い話が出ておりますから……。私としても、争い事は好みません」
言葉を選びつつ探るような口調で返すと、ジギタリスはまたにこりと微笑んだ。
「ええ、ですから人種序列法の件も含め、アステール家のご意見が非常に気になるのです。あなた方は亜人系との折り合いを、とても上手くつけておられるというじゃありませんか。私としては、その秘訣を知りたいと思って」
ヘルガは軽くうなずく。
疑惑が完全に消えたわけではないが、とりあえず話の流れに乗るしかない。
「私たちはなにも特別なことをしているわけではありません。血筋や姿を理由に排除するのではなく、それぞれが持つ力や才能を重んじる。そうしているだけですわ」
「すばらしいお考えです。そういえばあなたのご子息……ハイン殿もそういう考えをお持ちのようですね。学園の生徒の中でも抜きんでた才能をお持ちと耳にしました。また、他者を特別遇することも虐げることもなく、公平な態度を貫いているとか」
ハインの名前が出た瞬間、ヘルガの目がパッと明るくなる。
「あ……ええ、まあ。ハインは昔から偏見というものがなく、周囲の人々に平等に接するのです。表面的には冷たいと思われる事も多いのですが、実の所とても情に溢れる性格でして……そうですね、まあ控えめに言えば自慢の息子といった所でしょうか……いや、帝国一の、いえ、世界一の……」
ヘルガの表情がみるみる柔らかくなる。
「なるほど、ほほえましいわね。よほど才気に満ちた子なのですね。実は宮廷副魔術師長のオイゲンも、ハイン殿の噂を耳にして、一度会ってみたいと言っていたのです」
「オイゲン副魔術師長が……ですか」
ヘルガは一瞬目を見開いた。
オイゲンは帝国の魔術研究を牽引する要職にあり、とても多忙な身だと聞く。
まさかそんな人物から、息子に興味があるなどという話が出てくるとは想像していなかったのだろう。
「ええ。オイゲンは以前、ダミアン殿とも学舎で同窓だったそうですし、きっとその繋がりでご子息にも興味が湧いたのでしょうね。最近は、ハイン殿の成績が抜群にいいと知って“どれだけのものか試してみたい”と申しておりました」
「まあ、そんな……。試すだなんて、あの子にはまだ早い気がしますが……でも……」
ヘルガは困ったような顔を見せつつも、口元には笑みが浮かんでいる。
そんな様子を眺めるジギタリスは、内心で「わかりやすいわね」と呟く。
最初に会ったときは警戒心が強かったヘルガが、今ではすっかり気を許しているように見える。
「ところで、どうでしょう。もしご都合が合えば、近いうちにハイン殿をこちらへお招きしたいと考えております。オイゲンもぜひ直接会ってみたいと言っておりますし」
「……そうですね……。ハインが嫌がらなければ、私としては光栄なお話です」
ヘルガは少し考え込むようにして目を伏せるが、これはもう決まったようなものだ。
──これは思ったよりすんなりいけそうね
ジギタリスはここで引き際を測り、にこりと愛想を示す。
「まあ、きょうはそのご相談も含めてお呼びしたのですけれど、無理にとは申しません。くれぐれもご子息の意思を尊重してくださいませ」
「ええ、ありがとうございます。一応帰ってからハインに話をしてみますね」
もうヘルガの声色には警戒心の欠片もない。
──息子の話題を出すだけでここまで態度を変えるなんて、随分とちょろいわね……
ジギタリスは内心で勝ち誇ったように思うが、表情には出さず品よく微笑んだままだ。
そこからはしばらく、当たり障りのない会話が続く。
帝都の社交界の話題や、ささやかな流行の菓子などをめぐって、ヘルガの笑い声が何度か上がった。
そして辞去の時が来ると、ヘルガは深々と頭を下げる。
「本日はお招きいただき、ありがとうございました。ハインの件も含め、またあらためてご連絡させていただきますわ」
「はい、そうしていただければこちらも助かります。どうぞお気をつけてお帰りくださいね」
ヘルガが部屋を出ると、ジギタリスは途端に表情を引き締め、気だるそうに息を吐いた。
◆◆◆
「ほう、それはまた手応えがありそうですね」
執務室へ呼び出されたオイゲンは、そう言うなり満足そうな笑みを浮かべる。
「私もここまで手ごたえがあるとは思わなかったわ。とにかくオイゲン、あなたにはあの女のガキの注意をしっかりと引いてもらう必要がある」
ジギタリスが言うと、オイゲンは杖を軽く揺らしながら肩をすくめる。
「所詮は子供です。この私が魔術の神髄の、ほんの一片でも見せてやれば途端に尻尾を振るでしょう。才気ある者ならば魔術を極めんとする渇望も相応に大きいはず。なんだったら子弟契約を結んでも宜しい」
ジギタリスは整頓された机の上に手を置き、オイゲンを見据える。
「あまり露骨に取り込みを狙っていると思われると面倒よ。そこは気を付けてね」
「お任せください。わたしはダミアン殿とも同窓でしたし、そこを巧みに話題にすれば自然と心を開かせられます。なにしろ、子どもなど所詮は甘い言葉と未知の知識に弱いものですからね」
オイゲンは自信たっぷりに胸を張る。
ジギタリスはその態度にやや鼻白む部分もあるが、それでもこの男の実力と口先の巧みさは頼りになる。
「ええ、期待しているわ。アステール公爵家が少しでも動きにくい状況、情勢をつくっておきたいの。その隙に周囲から潰して力を削いでいく。そして最終的にはこの帝国から消えて貰う」
そう言って、ジギタリスは椅子にもたれかかる。
するとオイゲンの視線がとある箇所へ熱を以て注がれた。
要するに乳である。
今のジギタリスの体勢は、二つの大きな膨らみが強調される形となっているが、ジギタリスはそれを知っていてその態勢を取っているのだ。
オイゲンへのささやかな褒美のつもりであった。
「しっかり仕事すればこの先も楽しめるかもしれないわ」
ジギタリスがいうと、オイゲンは気色の悪い笑みを浮かべながら胸に手を当て、一礼をして去っていった。
◆◆◆
帰路の馬車内で。
「勝手に約束しちゃったけれどハインは怒ったりしないかしら?」
ヘルガの言葉にフェリは「若様は怒らないでしょう」と答える。
「だといいのだけれど。それにしてもオイゲン副魔術師長もハインの魔術の才能には注目していたのね。でもまあよく考えてみれば当然ね。学園での成績も断トツの一番だし」
その言葉を聞いたフェリはふと疑問に思った。
──大奥様は若様がどれほどの魔術師であるかをご存じなのだろうか
と。
「大奥様、若様の魔術の才ですが親のひいき目なしにどの程度のものだとお考えになっているのですか?」
これは聞きようによっては無礼な質問だ。
しかしヘルガはフェリの率直な部分を好んでおり、これを咎める事はなかった。
「そうね、実の所よくわかっていないのよ。凄い事は分かるけれど──」
凄い魔術師と一言で言っても、その凄さには種類がある。
大雑把にわければ研究と実践の二種類だ。
ヘルガはハインの事を前者の意味で凄いと考えていた。
勿論後者に関しても並大抵の才能ではない事は理解しているのだが、その凄さが実績のある大人の魔術師と比べてどうなのかという事になるとどうにもイメージが出来ない。
まあハインもヘルガの前で殊更に力を誇示する事が無かったので、これはある程度は仕方がないと言えなくもないのだが。




