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悪役令息はママがちゅき  作者: 埴輪庭


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57/133

ダルクヘイムは終了しました⓷

 ◆◆◆


 マリステラ大陸の風は特殊だ。


 この風を浴びると、()()()いく。


 生物はもちろん、岩といった無生物までも急速に朽ちる。


 潮風による塩害にも似ているが、その浸食速度は潮風の比ではない。


 魔力に優れた者ならばこの浸食から身を護る事も出来るが、そうでない者にとっては致死の風となりうる。


 その原因を辿れば、魔の海として悪名高いネザシア海から吹き込む風の特殊性にあった。


 ネザシア海の異名── "魔の海" には二つの意味がある。


 一つは恐ろしいだとか邪悪だとかいう意味での "魔" 。


 もう一つは海全体が膨大な魔力を孕んでいるという意味での "魔" 。


 そしてこの魔力がどうにも厄く、あらゆる存在に対して毒にも似た作用を有している。


 とある学者などは海の底に何か邪悪なモノが眠っているのではないかなどと考察する者もいるが、真相は定かではない。


 魔力とは魔力を発するモノの性質によって毒にも薬にも変わるため、その学者はそういう説をぶちあげたのかもしれない。


 そんな風が今、ダルクヘイム要塞に吹きつけている。


 本来ならばここに集う魔族たちから漏れ出す魔力のおかげで、要塞はこの風による崩壊を免れているのだが──


 近く、ダルクヘイム要塞もまたマリステラの塵へと還る事になるだろう。


 なぜならば、とてもとても邪悪な悪役令息が荒らし回ってしまったから。


 ・

 ・

 ・


 城門前の荒地には、無数の肉片と血潮がまだ生温かさを残して散らばっている。


 だがハインにとってはどうでもいい様だ。


「よし、行くぞ。これだけの要塞ならば守将の一人二人はいるだろう」


 悠々と靴音を響かせ、要塞内へ踏み入って行く。


 オーマはハインのすぐ背後にぴたりと寄り添い、ハインから洩れる魔力をかすめ取りながら後に続いた。


 傍目からみれば傲慢な悪役令息めいたボンボンが女をはべらせてる様にも見える。


 要塞内には多くの魔族が詰めており、捨て身の覚悟で襲いかかってくる者も少なくなかった。


 大鉈を振るう獣人や、巨体の鬼種、あるいは扉の影に隠れ毒矢を放つ小鬼など、種類はまちまちだ。


 だがそれらが立ち向かってくるたびに、オーマが()()()しまう。


「好きに喰って構わないが、邸内では余りコロコロ姿を変えるなよ。母上はお前の事をメスのスライムかなにかだと思っているからな。急に大鬼の姿を取ったりしたら母上が驚いてしまう」


『は、アイ』


 オーマから見てヘルガというのはハインほどには惹かれないが、それでも主であるハインが大切にしている存在だという事は認識している。


 万が一害したりすれば消されるだけでは済まない事も。


 ともかくも、作業のような捕食の繰り返しが続き──


 気づけばもう正面から立ち向かってくる兵士は居なくなってしまった。


 それどころか、逃げまどう者が目立つようになってきた。


 だが意外にも、ハインはそういった者を追い詰めるといった事はしない。


 ただそれはハインに情け容赦というものがあったからではないのだが。


 例えば野や山には人に不快感を与える虫の類が沢山いる事は周知の事実だが、自分から野山に足を運んでおいてそれらをしらみつぶしに殺して回るような事をするだろうか? 


 勿論足元で這いまわっていたり、纏わりついてきたりすれば殺してしまう事もあるかもしれないが。


 要するにそういう事である


 ハインはさらに先へと足を進める。


 廊下を曲がり、古びた扉を開けると、そこは大きな食堂のような空間だった。


 長いテーブルと椅子が並び、奥にはかまどの跡がある。


 天井には古びたシャンデリアが吊るされていた。


 広間を見渡す──すると、隅の方にうずくまっていた魔族の女が震えながら顔を上げた。


 女は被っていた頭巾を外し、土下座に近い姿勢でハインを仰ぎ見る。


 血の気を失った頬と潤んだ瞳には、抵抗の意思の欠片も見当たらない。


「お、お助けください! 抵抗するつもりはありません……」


 媚びへつらうような声だ。


 ハインはそれに答えない。


 だが、それならそれでどうでも良いなと踵を返して広間を立ち去ろうとするやいなや、魔族の女は聞かれてもいない事をべらべらとしゃべり始めた。


「わ、私……お、お話したいことが……」


 ◆◆◆


「し、師団長の……ファリス様が……! 数日前の襲撃で重傷を負われて、それで療養室に……」


 ファリス──その名を聞いた瞬間、ハインの脳裏にグラマンの言葉が蘇る。


『要塞には中々骨のある魔族がいましてな。ファリスと名乗っておりました。……まさに死闘! あの時は時間が余りなく、痛み分けという結果で終わってしまいましたが、もし次の機会があるなら死合いたいものですなァ』


「つまり、そのファリスという魔族がいま要塞のどこかで伏せっている……それを教えたいと?」


 女はこくこくと首を縦に振り、必死の表情になる。


「そ、そうです! あの方は、本当ならば再起不能と言われてましたが、魔族の回復術で何とか生き長らえて……。たぶん、まだお体が動かないはず……。で、ですから……」


「だから何だ?」


 ハインが冷淡に言い放つと、女の表情に焦りの色が濃くなる。


「わ、わたし、あなた様に協力いたします! ほら、こんな小さな情報だけじゃありません、他の師団長の動向や、いろいろ……お教えできます! ですから、命だけは……」


 そこまで言った瞬間、女の声が途切れた。


 ハインが女に向けて掌を向けている。


 そしてゆっくりと握られるのに合わせ、女の体が内側へ内側へと潰されていく。


 まるで見えない鎧板に全身をじわじわ押し潰されているかのように、女の四肢は内側へ折れ曲がり、目から涙がこぼれ落ちた。


「な、なぜ……っ……?」


 声にならぬ悲鳴が、血混じりの吐息となって吐き出される。


 ハインはまるで当たり前の理を説くように、淡々と言葉を紡いだ。


「なぜ……とは? お前の中では仲間とは裏切っても良いものなのだろう? お前は有用な情報を俺に教えてくれた。だからお前は俺の仲間だ──しかしお前が仲間になると今度は裏切りが怖くなる。だから俺が先に裏切ってお前を処分している」


 女の口がわずかに開き、何かを訴えようとするが結局叶わず──そのまま肉塊と化した。


 ◆◆◆


「折角だから顔を見ておくか。行くぞ、オーマ」


 二人は荒れ果てた食堂を後にし、要塞の奥へさらに踏み込んでいく。


 途中、襲いかかってくる魔族はもうほとんど見当たらない。


 流石に百、二百と "喰われて" しまえば当然と言えるだろうか。


 廊下の隅には逃げ遅れた雑兵がうずくまっているが、ハインもオーマもそれを全く視界に入れようとしない。


「グラマンは氷竜だとか言っていたな。 劣等トカゲの魔力など鼻が曲がるが──"匂い" は向こうから漂ってくる」


 階段を下りて別の回廊へ出て、歩を進めていく。


 通路の奥には小さな部屋があった。


 中に足を踏み入れると、そこには寝台がおいてあり、その上には一人の女が眠っていた。


「……これがファリスか」


 銀青の髪、右目には分厚い包帯がぐるりと巻かれていた。


 頬には生々しい傷跡、体のあちこちに巻きつけられた包帯は赤黒い浸出液で汚れている。


 これが先の襲撃の生き残り、師団長ファリスなのだろう。


 一目で重傷だとわかるが、命に別状は無さそうだ。


 オーマはファリスを一瞥し、嬉々とした笑みを浮かべて手を伸ばしたが、ハインが軽く首を振って制止した。


「やめろ。こいつはグラマンのお気に入りだそうだ。手を出せば奴の機嫌が悪くなるかもしれない。そうなるとやれ礼儀がどうだとか五月蠅くなるんだ。そうなってしまったグラマンはもう誰にも止められない。母上も "グラマンのいう事をよく聞きなさいね" などと言い出すんだぞ」


 オーマはしゅんとした顔をするが、ハインの指示を無視するわけにはいかない。


 握りかけた腕を引き戻し、物欲しそうにファリスを見るだけに留まる。


 ファリスは相変わらず浅い呼吸のままで、外の喧騒にも微動だにしていない。


 ハインはそれを一度見やると、くるりと踵を返して部屋を後にする。


「いい加減切り上げるか……余り時間をかけて母上を心配させたくない」


 そんな軽口を叩きながら要塞の入り口付近まで戻る。


「よし、帰るぞ」


 ハインがそう言うとオーマはどろりととろけ、歪な竜の形へと変じていった。


「もう少し戦果が欲しかったが、仕方あるまい──」


 そう独り言のように呟きかけたとき、突然空が震えた。


 まるで雷鳴のように轟く咆哮が、大陸の上空を包み込む。


「……?」


 ハインは視線を上げる。


 深い曇り空に巨大な姿が見えた。


 その姿形は、まさに竜。


 漆黒の鱗を身にまとい、尾は鉤爪のような棘で覆われている。


 同じ黒竜という形容をしても、オーマとは明らかに違う。


「おお、これはこれは……」


 ハインは少し嬉しそうな様子を見せた──が。


「はぁ?」


 次の瞬間には抱いた期待があっさりと裏切られてしまった。


 雄々しき姿の黒竜だが──くるりくるりと要塞上空を旋回した後、あろうことか西の空へと逃げ去ってしまったのだ。


 ハインは一瞬どうしようかと迷ったが、「まあ、劣等だしな……」と若干失望したような様子で逃げ去っていく黒竜を見遣るのだった。

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