ママの茶会
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さっさと劣等島──劣島をブチ割り、適当な魔族を帝城へぶんなげてしまいたい所だが、この休日に急遽予定が出来てしまった。
茶会への参加である。
天上天下、どんな劣等が主催する茶会だろうが俺が出席する義理もなければ義務もないのだが、しかしそれが母上が主宰者とあれば話は別だ。
俺は時間通りに支度を整え、中庭へ向かう準備をしていた。
勿論空を覆う雲といったモノも俺が事前に吹き散らしておいたため、天候に問題はない。
茶会という名目とはいえ、ただのお遊びではないのは明白だ。
帝都ガイネスフリードの貴族たち、特に亜人の血を引く家や、人種序列法の改定に反対している家々が顔を揃えるのだという。
以前から宰相ジギタリスが推し進めている亜人排斥に対して、母上が危機感を募らせた結果でもある。
いや、母上だけではない。
この帝都では亜人系の貴族やそれを擁護する貴族家が少なからずいるし、そういった惰弱劣等共にとってアステール公爵家こそが最後の頼みの綱となっているのだろう。
それが証拠に、茶会への参加希望者は予想を遥かに上回ったらしい。
とはいえ──俺の機嫌は悪い。
弱者が束になったところで──と、そういう思いがちらりと胸をよぎるし、なによりも媚びを売る様に母上に話しかけているクソ共が目ざわりだ。
もちろん母上の顔を潰すような行為はしないが。
母上の望みとあらば、劣等相手にだろうと俺は媚を売って見せる!
そうだ、いくらでも売ってやる。
俺の媚びで溺れて死ね!
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「ご来客が増えてまいりました。受付を急ぎましょう」
グラマンが使用人たちへ声を掛けている。
華やかな衣服をまとった貴族たちが、続々と馬車を降りて参内する様子が見えた。
美麗な服を纏おうが劣等は劣等なのだが。
玄関先では執事や侍女が順次出迎えをし、中庭へと案内する。
アステール邸の中庭はオーマが常に手入れをしているために非常に美しく整っている。
なんでも間諜などといった不届き者の生命力を植物の栄養剤として流用しているらしく、季節を問わぬ色とりどりの花やら草やらが中庭を飾り立てていた。
それらを見てころころと表情を変える者たちを俺は嘲笑──ったりはしない。
オーマがしっかり仕事したことがしっかり評価されているのだ。
奴は俺の魔力が好物だから、今度少し注いでやるか。
ただしほんの少しだ。
以前多めに注いだら、なんと死にかけてしまったからだ。
◆
昼を過ぎ、茶会は概ね成功していると言える。
すでに多くの貴族たちが母上と談笑を交わしていた。
絹やレースの煌びやかな衣装が華やかに揺れ、柔らかな茶菓子の香りが立ち込めている。
膝のあたりまで届く尻尾を持った獣人系の貴族や、尖った耳と長い睫毛を持つエルフェン系の貴族、その他にもガッデム並みに体格が良い者もいる。
他にも純粋な人間種の貴族も多く参加していた。
連中がこの場に来ているのはジギタリスのやり方に疑問を持っているか、あるいはアステール公爵家と縁を深めたいか、そのどちらかだろう。
いや両方かもしれないな。
俺が母上のもとへ近づくと、母上は柔らかく微笑んでくれた。
「ハイン、楽しんでくれている?」
「ええ、もちろん」
即答した。
俺はおべんちゃらや追従といった事は好まないし、母上もそれは同じだ。
上っ面だけの感情は容易く見透かされるものだ。
しかし俺は今この瞬間、この茶会が本当に楽しいと感じている。
なぜなら俺はやろうと思えば自身の感情を完璧に操作できるからである。
人は何故喜ぶのか、怒るのか、哀しむのか。
それはどこから湧き出でてくるのか。
10という数字が1という数字が10個集まった数字であるように、物事は細かくしていくと最終的に根源へと辿り着くものだ。
この辺の事を理解していれば、自身の感情の素が何かも分かる。
何かが分かればそれを弄る事は簡単である──とはいえ、多用すると頭がおかしくなるので余りやりたくはないが。
「ねえハイン。あなたも少しお客さまに声をかけてあげてほしいのだけれど……いいかしら?」
母上の申し出に、俺は「かしこまりました。そういう事であれば、少し回ってみます」と応じる。
「ええ、お願いね」
俺は頷くと、茶会に集う劣等共の群れへと向かっていった。
◆
一人の男性貴族が俺の前でなにやらピーチクパーチクとべしゃっている。
獣人の血は大分濃いようだ。
もふりとした耳と、尻からは尾が生えていた。
やや痩せ型だが、目の奥にある光は鋭い。
「ハイン様……。お初にお目にかかります。私はノア・セラ・リューベックと言います。こう見えて領地はさほど大きくないのですが、一応は子爵位を賜っております」
丁寧すぎず失礼すぎず、程よい距離感で一礼してくる。
俺は軽く頷く。
「アステール公爵家の人間としてご挨拶を頂けるのは有り難いが……。何か私に話でも? 話があるならさっさとしてください」
俺は最大限最大級の礼を以て応えた。
この俺が、俺様が劣等に対してここまで媚びを売る事は天地開闢以来ありえなかった事だ。
ノアと名乗った劣等は、獣耳を伏せるようにしながら苦笑する。
「率直に伺いたいのです。ハイン様が私たちの姿を見て、どうお思いになるのか」
その問いに、俺はわずかに目を細めた。
どう思うも゙クソもないではないか。
毛むくじゃらの耳が生えている、尾が生えている、恐らくは狐かなにかの獣人を祖としているのだろう──それ以上の感想があるのか?
まさか毛並みを褒めろとかそういう事を求められているのではあるまいな。
「私が誰かを見る時、相手がどのような姿をしているかではなく、どのような事が出来るかを見ます」
それが俺の本音であり、昔から変わらない方針だ。
これは単純な能力の大小を意味しない。
分かりやすくいえば、努力をしているかどうか──これが俺の基本的な基準だ。
努力とは何か。
それはやらなければならないことをやる事ではない。
やらなくても良い、しかしやれば自身の実となる事に全力で取り組める者かどうかが劣等か否かを分ける。
例えばアゼルという知恵が足りない男は、あの年にしてあの剣の業を身に着けた。
それは普通に生きていては見につかないものだと俺には分かる。
恐らく毎日が拷問のような日々を送った経験があるのだろう。
そこまでしても自身を高めたいと思う熱情は見事──だから奴は劣等ではない。
エスメラルダは……まあ、母上の素晴らしさを理解しているようなので劣等ではない事にしておこう。
「……なるほど。いや、ありがとうございます」
狐劣等は俺の短い返答を聞いた後、ふっと表情を緩めた。
獣人系は耳や尻尾で感情が露わになる事が多いが、まさに耳が小刻みに動いている。
「あの、正直に言えば……私の様に獣耳を持っている者は、同じ亜人系の中でも立場が弱い場合が多いのです。特に帝都ではよく嘲笑や蔑視に遭いましてね。ですから、自分がどのような姿かを気にせずにはいられない。そんな癖のようなものが染みついているのです」
そう言いながら、ノアは耳をぴんと立ててみせる。
耳元には立派な飾りがついており、それがほんの少し揺れている。
「私は自身を卑下する事はしません。なぜならば、私を慕う者たちへの侮辱となるからです。この世界には幾つも醜い行為が存在しますが、自分に同情することほど醜い事はそうはありません」
「そう、ですね……」
狐劣等はなにやら感じ入っている様子で、目元を袖で擦っていた。
「ヘルガ様が主催してくださったこの会に、私もなんとしても参加したかったのです。人種序列法がこれ以上進めば、私のような血の者は真っ先に厄介払いされるでしょう。ですがアステール公爵家が亜人系を堂々と認めてくださるなら、私たちにも生きる道が拓けるかもしれない。……そう思っております」
「そうですか。では母上に感謝し、今後ともアステール公爵家に助力をしてください」
「ええ、勿論。我々は一丸となって、この難局を乗り越えていけると信じております。ハイン様……もし私どもリューベック家がアステール家のお役に立てるなら、全力を尽くします。どうか覚えていてください」
ノアはそう言ってから、「では失礼いたします」と一礼して、テーブルのほうへ向かった。
俺は獣耳の男──名前はなんだったか──の後ろ姿を見ながら、溜息をついて果実水を飲み干した。
劣等と話す事の余りのくだらなさに、自分を騙す事に一瞬限界がきて精神的に疲労してしまったようだ。
◆◆◆
"本来の歴史" ではアステール公爵家は亜人系から蛇蝎の如く嫌われていた。
理由は主にデルフェン種の貴種であるフェンリィを滅茶苦茶に凌辱した上に、四肢をぶった切って殺害したからである(『劣等と一緒』参照)。
しかしこの世界のハインは、元からぶった切られていたフェンリィ──フェリの四肢を元に戻し、彼女に真っ当な人生を取り戻してやった。
更に昨今高まる亜人系貴族からの評価も高まり、 "本来の歴史" のアステール公爵家とは比べようもない。
ただ "本来の歴史" のハインもこの世界のハインと同じく、やや行き過ぎた能力至上主義者である事は間違いない。
ならば何が違うのか?
それはやはり、愛を知っているかどうかであろう。
生まれたばかりのハインを殺せと迫ったダミアンに対して、死を覚悟して身を呈して庇おうとしたヘルガだが(『ママは悪役令息が好き』参照)、本来彼女はそんな事をする必要はなかった。
ダミアンからは変わらず道具としてだが必要とされていたのだから、上級貴族としての暮らしを続けることも出来るだろう。
それにヘルガ自身もハインを恐ろしいと思っていたではないか。
だのに彼女はハインをかばった──それも命を懸けて。
それが愛でなければ何なのだという話になる。
結局のところ、愛なのだ。
愛がハインを変えたのだ。
最も、その愛を以てしてもハインの悪党気質は完全には浄化されなかった様ではあるが。




