幕間:かえってきた男②
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「エミー!」
アゼルは思わず大声を張り上げた。
剣術大会──
石で作られたリングは幾度もの試合を重ねるうちにところどころ削れ、飛び散った粉塵で白く霞んでいる。
その中心で始められたエスメラルダとハインの試合は、文字通り一瞬で終わってしまった。
エスメラルダの鋭利な突きがハインの胸を貫いたかと思えば、ほぼ同時にハインの剣がエスメラルダの腹を穿つ。
一瞬、アゼルの目には両者が互いの急所を刺し貫いたように映った。
どちらかが命を落としてもおかしくない、そんな凄絶な一撃と一撃の交錯。
アゼルの視線の先で、エスメラルダは腹に深々と突き立てられた剣の痛みに耐えかねるようにうめき声をあげ、それでもなお両足でリングを踏みしめて立っていた。
とはいえ、それも長くは持ちこたえられそうにないだろう。
「くっ……」
心中でアゼルは毒づいた。
──ハインは本当に魔に魅入られてしまったのか?
前世の記憶を持つアゼルは、この世界の動向をある程度理解している。
"前の世界" のハインの非情さ、冷酷さもよくよく知っている。
だが──
「いや、まて……。なるほど……」
そう、あるべきものがないのだ。
毒々しくも禍々しい殺気が。
腹を刺し貫いたといっても、冷静になって見てみればはっきりと分かる。
エスメラルダの命にはヒビ一つ入っていないと言う事を。
前の世界で剣聖に大いに扱かれた身のアゼルは、控えめに言っても古今無双の剣の業を持っているといってもいい。
その目からみて、ハインの剣は実に見事だった。
剣の突き出し、速度、角度、位置。
それら全てが人を殺す事からかけ離れていた。
ゆえにアゼルはハインについて確たる判断を下しかねている。
──結果は、エスメラルダの敗北。
ハインに腹を貫かれたまま動きを封じられ、最後の抵抗とばかりに強引な口づけをしたかと思うと、その場で崩れるように気を失った。
アゼルはリングへ駆け寄ろうとするが、すぐにスタッフの制止が入る。
医務係がエスメラルダを担架へ乗せ、急ぎ医務室へ運び去っていく光景を見つめるしかない。
それでもなお、アゼルの目には、エスメラルダの流す血が思いのほか少ないように映った。
──痛みのショックで意識を失っただけ、か。ハイン……以前の世界のお前ならこんな事はとても出来ないし、出来たとしてもやらないだろう
やはりアゼルの知るハインではない。
まあつっけんどんで不愛想な点では同じなのだが。
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「アゼル君」
背後から軽やかな足音が近づいてくる。
続いてほんのりと甘い花の香りがアゼルの鼻をくすぐった。
セレナだ。
"元の世界" ではアゼルの恋人の一人でもある。
ちなみにエスメラルダもその一人だったりする。
アゼルはこの香りをよく知っていた。
匂い袋のものではない。
この香りはセレナの魔力である。
勇者と聖女は言ってしまえば鍵と鍵穴で、結ばれる運命にある。
互いの魔力は互いを惹きつけ合い、聖女が勇者を、勇者が聖女を意識すればするほどに惹きつける力は強くなる。
その強制力は並大抵の精神力では抗う事が出来ない。
彼らが初めて顔を合わせた時、アゼルは勇者ではなかったしセレナもまた聖女として覚醒はしなかった。
"空喰い" オルムンドとの戦いを経て彼らは覚醒に至ったわけだが、ハインの介入によって現在セレナは聖女としての覚醒には至っていない。
アゼルはセレナの事を抱きしめそうになる衝動を抑えたが、もしセレナが聖女として覚醒してアゼルを意識していたなら──抱きしめるだけで終わっていたかどうか怪しいものだ。
「エスメラルダ様の心配……だけじゃなさそうだね。ハイン様が気になるの?」
「ああ……まあ、お互い無事だとは思うんだけどな……」
アゼルがうかない顔で言うと、セレナはなにやらウンウンと唸っている。
そして。
「ん~っ……ハイン様がエスメラルダ様を、えっと、どうにかしようっていうか、大きな怪我を負わせちゃおうって思ってたかもって事でしょう?」
そんなセレナの問いにアゼルは頷いた。
するとセレナは「なんだろう、ハイン様の剣からは嫌な感じがしなかったんだよね。だから、きっと大丈夫じゃないかな」などと言って微笑む。
アゼルは一瞬、言葉を失った。
──聖女の感覚か
"元の世界" ではセレナは神の祝福を受け、癒しの奇跡を行使することができた聖女だった。
悪意や魔の者に対する感覚は鋭い。
聖女として覚醒していない以上、かつての様にとはいかないだろうが、それでも多少の鼻は利くらしい。
「……そう、か。そうだよな」
アゼルがそう言うと、セレナは笑顔を深くして「うん、きっと平気だよ」と頷いた。
しかし、その穏やかな空気も長くは続かなかった。
試合の進行が再開され、周囲が次の対戦カードに意識を移そうとしている中、アゼルは背筋に氷柱を突っ込まれたかのような悪寒に襲われたのだ。
「……なんだ、この感じは」
視線を遠くに向けたまま、アゼルは息を呑む。
胸の奥に冷えた鋭い刃が押し込まれるような、嫌な予感が走った。
「アゼル君どうしたの?」
セレナが不思議そうに顔を覗き込んでくるが、アゼルは答えずにただ帝城があるであろう方角を見つめている。
──これは……魔王の邪気……?
「セレナ、何も感じないか?」
アゼルが真顔で問うと、セレナは一瞬きょとんとしてアゼルの顔を見返す。
そして、暫く二人の視線が絡み合い、ややあってセレナは僅かに頬を赤らめて目を逸らした。
「別に、なにも……」
そんなセレナの様子に、アゼルは常ならばかわいらしいと声の一つもかけているだろうが、この時ばかりはそんな余裕はなかった。
"元の世界" で、アゼルは魔王やその眷属と対峙してきた。
その際に感じた負の波動。
今この瞬間、帝城のほうから放たれているのはまさしくあの気配にほかならない。
──ついに復活を果たしたというのか
突き上げる焦燥感を噛みしめるように、アゼルは唇を結んだ。
「セレナ、ごめん。ちょっと用があるから」
「え、アゼル君? 待って……」
セレナの呼び止める声を振り切るようにアゼルは駆け出し、会場を後にする。
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目指すは帝城だ。
一瞬で人混みをすり抜け、門を突破し、闘技場の敷地外へと躍り出る。
近くにいた警備兵が何事かと振り返るが、その視界からアゼルの姿はすぐに消えてしまった。
アゼルは胸の内で歯がみする。
──もし本当に魔王が復活しているのなら、どうする?
そんな事を思ってから一瞬鼻で笑う。
どうするもこうするもない、今日この場で魔王を討ち果たすのみだ。
──聖剣を使う
かの光を束ねし無形の聖剣を使うとなれば、最悪帝城が崩壊してしまう可能性もあるが、魔王を放置しておくよりは余程マシである。
魔王とはそれほどまでに恐ろしい存在なのだ。
だが次の瞬間、アゼルは驚愕で目を見開いた。
そろそろ帝城だと言うところで、先ほどまで確かに感じていた魔王の邪気が跡形もなく消えたのだ。
「なにっ!?」
──まさか、逃げたか?
アゼルはさらに足を速め、飛ぶようにして帝城へ向かう。
ずいぶん遠くに見えた巨大な城壁が、あっという間に間近に迫ってきた。
これ以上近づけば衛兵の目に留まってしまうだろう。
しかしそれ以上近づく必要はなかった。
上空を見上げる。
何も見えない。
だが、確かに残滓のような微かな魔力の乱れがある。
それは巧妙な隠蔽処理が施されていて、普通の魔術師ならまず気づかないレベルかもしれない。
しかし元の世界で数々の死地を潜り抜けてきた勇者であるアゼルは、高度な隠蔽でも見通す目を持っている
「空で、魔王と誰かが戦った……のか?」
そして魔王は滅ぼされたか、あるいは逃げた。
魔王の力はアゼルがよく知っている。
勇者の力を以てしか斃せない大魔である事をよくよく知っている。
ならば、この現状は何だと言うのか。
「クソッ……わっかんねぇなあ……」
でも、とアゼルは再度、空を仰ぎ見る。
吹き抜ける風が頬をかすめるが、そこにはもう何の気配もない。
──魔王の邪気が完全に消えている
とりあえずはそれで納得するしかない。
このまま城へ乗り込んで、皇帝や侍従らに問いただしたところで、得られるものがあるとは思えない。
下手をすれば不審者として捕えられかねない状況だ。
「焦っても仕方がない」
そう自分に言い聞かせながら、アゼルはその場を後にした。




