老雄
◆
城の近くで少し派手にやり過ぎてしまったか?
まあ隠蔽はしたし、問題はないだろう。
それにあれくらいは必要な相手ではあった。
もしかしたら魔王だとか魔神だとか、そういう類の相手だったのかもしれない──なんて事はないか。
何と言っても魔力が臭すぎる。
腐肉のような匂いで、ああいうものを焼き払うにはそれなりに手順が必要だ。
下手に加減をすればどこぞへ匂いが散ってしまうからな。
そうして俺は母上の待つ馬車へ戻った。
「母上、帝城を脅かす不埒者を成敗致しました」
母上は困惑しきりのご様子だった。
俺の言葉を聞きながら、何度か帝城のほうを振り返っては最後にため息をついて俺の頭にそっと手を伸ばす。
「よくやりましたね、ハイン」
俺は内心でほっとする。
褒められて嬉しいのはもちろんだが、母上の表情が和らいだのが何よりも大きい。
フェリも「お見事です、若様」と飽きもせず繰り返すが、これはフェリの決まり文句というか口癖みたいなものだから、あまり特別な感慨はない。
忠誠心が高い事は結構なのだが、フェリは俺が何をしても「お見事です」としか言わないのだ。
この前なんて衣服の乱れを直したら褒めてきたものだから、馬鹿にされているのかと──思わなかった。
これが口先だけで言っているのならば俺も思う所はあるが、心の底から言っているので俺も文句は言えない。
それよりも母上の安堵した様子を見られただけで、今は十分だった。
「ハイン、聞いていい事なのかわからないのだけれど、さっき空で何があったのか詳しく教えてくれると嬉しいわ」
母上がそう言うと、俺は軽く頷いた。
さきほどの戦い──否、あれを戦いと呼ぶべきかどうかは少し迷うが、その顛末を説明する。
ひと通り語り終えると、母上は唇をきゅっと結んで「まさか、旧魔王軍……」と沈んだ声音で呟いた。
旧魔王軍──そういえばそんな連中がいた。
先日の劣等トカゲ共も確かそうだったか。
どうやらまたぞろ帝国へ喧嘩を売りにきているのかもしれない。
残飯の様な嫌な腐臭の漂う魔力だった。
少なくとも劣等トカゲなんぞとは格が違う、取り扱いを間違ってはならない──う~ん、例えていうならば毒虫だろうか。
それにしても劣等は劣等なりに岩の下で蠢く虫けらの様に謙虚に暮らしていれば良いものを──
なるほど、旧魔王軍か。
これまでは視界にも入れていなかったが、自ら駆除されたがっているとあらば致し方あるまい。
「母上、ご安心ください。近日中にその不届き者めらにアステール公爵家の威光を知らしめてご覧に入れます。さあ、この私に命令をしてください。劣等共を滅ぼせ、と!」
俺がそう言うと、母上は困った顔で俺を見て──
「駄目。まずは静養です。胸の傷も完全に癒えてはいないのだから」
と言ったので、俺はハイと頷いた。
◆
「若様、動いてはなりません」
俺がぴくりとするだけでフェリから注意が飛んでくる。
「動いてはいないぞ!」
俺が言うと、フェリは首を振る。
「動こうとなさいました。わたくしには分かるのです」
まあフェリの言う通りだ。
俺は動こうとした。
だがそれの何が悪いのか──とは思わない。
なぜなら──
「大奥様は若様を心配しておられます。若様の胸の傷が完全に癒えるまではお部屋から出してはならないと」
そう、母上から動くなと言われているのだ。
安静にしてろ、と。
帰宅してからもう2日経つが、俺はいまだに部屋から一歩も外に出られない。
怪我なんかもう治っているのに……。
「しかしなフェリ。旧魔王軍とやらがまたちょっかいをかけてきたらどうする? お前はあの蟲を見ていないから簡単に考えているのかもしれないが、俺がそれなりに労力を費やさねばならない害虫を手駒として持っているようだぞ。この国の盆暗貴族があれに対処できるかどうかは疑問だ」
「若様がそうおっしゃるのならばそうなのでしょう」
フェリはそう言って、全裸の俺の肌を蒸した布で拭き取る。
「あんなのがウジャウジャと居ればどうなる? 無辜の帝国臣民がどうなることやら。フェリ! お前は彼らが心配ではないのか? 俺は余り興味がない」
「はい、わたくしも若様と大奥様、ひいてはこのアステール公爵家以外には余り興味はありません」
会話が終わってしまった。
まあしかし、実際その通りである。
俺も帝国の愚民がどうなろうと知った事ではない。
あの時は城に手だしをされたため俺が対応したが、仮に城下町あたりにちょっかいを出されていたら捨て置いたかもしれないな──どうでもいいが!
「若様がこれ以上動く必要はないのではありませんか? そもそもこの国はおかしいのです。本来貴族には義務と権利の双方がありますが、前者をはたしている貴族家が果たして何家あるのか……」
つまりフェリは、国に何かあればアステール公爵家だけじゃなく他の貴族家にも働けと言いたいのだろう。
他にも思う所はあるようだが──その辺はプライバシーの問題という事で深くは聞かない事にする。
とにかくもフェリのいう通りだ。
俺が旧魔王軍とかいう残飯にかかずらう理由はない。
ないんだが──
「しかしなぁ~」
俺はどうしても気になってしまう。
フェリには分からないだろうか?
例えば部屋の中に虫が一匹入り込んだとする。
その虫はちっぽけで浅はかでか弱い。
指でぷちっとやれば死ぬだろう。
足でふみつけたっていい。
だが、その虫がどこかに隠れてしまったとする。
ベッドの下か、家具の裏か……そんな時、どう思う?
気にならないだろうか?
探し出してグシャっとやってしまわねば落ち着いて眠れなかったりしないか?
俺がそんな事を考えていると──
「では、若様。我らに掃除をお命じくださいませ。先だって帝国に襲撃をしかけてきている旧魔王軍の本陣は、ネザシア海の向こう、『マリステル大陸』にあるとされております。我々がそこへ急襲を掛け、若様のご懸念をぬぐい取ってごらんにいれましょう」
我らか。
という事は。
「爺も同行すると言う事か? ふむ、フェリ。お前、最初から自分達が出るつもりだったな。話がスムーズすぎる。となれば話は爺に伝わっているのか。糞……面倒くさい奴を巻き込みやがって……」
俺にも苦手な相手はいる。
良い意味で苦手なのは母上だ。
だが悪い意味で苦手なのは──
「坊ちゃま!!! 話は小娘より聞きましたぞ!!! なんと水臭い!!!! なぜ教えてくださらなんだ!!」
そんな叫び声と共に、俺の部屋の扉がぶち破られた。
下手人の名前はグラマン──グラマン・セラ・ロックガルド。
アステール公爵家の家宰だ。
当代先代先々代に渡り、公爵家の一切を取り仕切ってきたご老人である。
フェリの様なデルフェン種ではなく、ガッデムの様な大鬼とのハーフでもない。
勿論オーマの様によくわからん生物? でもないただの人間だ。
なのに200年を超える年月を生きている謎の老人。
母上に政務を教え込んだのもグラマン、フェリやガッデムに公爵邸内外の警備のイロハを教え込んだのもグラマン、俺の幼い頃の家庭教師でもあった。
良くも悪くも、この家で俺にはっきりモノを言えるのは母上のほかにはグラマンくらいだろう。
そんなグラマンが俺は苦手なのだ。
寝室の扉をぶち破られてもその場で不敬だとぶち殺さない程度には。
「帝国の仇、すなわちアステール公爵家の仇也! ましてや坊ちゃまが危険視するほどの強者がいるとあらば、小娘や小僧には任せてられませぬ! ましてや帝国貴族なぞというへっぴり腰の連中にはとてもとても!! とはいえこれまでは坊ちゃまの考えもあるでしょうし、儂が出張るのは差し出がましいと思っておりましたが──坊ちゃまが明確に敵視したとあれば儂も出陣し、功を示すのが忠義というもの!! オーマの小僧めに騎乗すればネザシア海も越えられましょうぞ」
グラマンは俺や母上ではなく、アステール公爵家に対して忠誠を誓っている。
それはそれで良いのだが、とにかく色々やりにくい。
母上もグラマンの事を信用しているし、俺も別に信用していないわけではない。
だがやりにくいのだ。
不快感を伴うやりにくさではないのだが、なぜやりにくいかと聞かれれば俺も返答に困る。
「そ、そうか……まあ、余り無理をしないようにな……だがお前達が全員出て行ってしまえば、家の護りはどうするのだ」
「ご安心めされるな! 出陣するのは儂とオーマのみ! フェリの小娘とガッデムは留守番をさせておきますゆえ!」
フェリを見ると、僅かに頬が膨らんでいる。
──あれは今はじめて知ったツラだな
俺はそう思ったが、もうどうでもよくなってしまったので適当に返事をして、寝床にもぐりこんだ。
グラマンは話しが通じない奴ではないのだが、声もデカいし、なにより暑苦しいのだ。
「フェリ!! 坊ちゃまがお休みになられる! 見よ、なんとも寝苦しそうではないか! うぬの肌で熱気を冷まして差し上げよ!」
要するに添い寝をしろという事だ。
俺の体温は常人より遙かに高く、そのせいで幼少時は寝付けないことも多々あった。
そんな時にはやたらと体温の低いフェリが添い寝をしてくれたものだが──
俺はもうそんな年ではない、と言おうとしてやめた。
グラマンは理屈が通じない頑固爺なので好きにさせておくことにする。
「は、はあ……では、若様。失礼をしまして──」
そう言って隣に横たわるフェリの肌は、やはり冷たくて気持ちがよかった。
◆◆◆
"本来の歴史" に於いて、グラマン・セラ・ロックガルドは剣術大会の後に消息を断っている。
これについて、世間の噂は尽きる事がなかった。
グラマンはアステール公爵家に見切りをつけ、どこか遠い地へ姿を消したともいう。
あるいは公爵家を疎ましく思う別の貴族家が放った刺客によって殺められたという話すらある。
何にせよ決定的な証拠は見当たらず、どこまでが事実かは誰にも分からない。
しかし薄暗い噂の中でもっとも信憑性があると囁かれていたのは、他ならぬハイン・セラ・アステールが自らの手で処断したというものだった。
冒険者時代には「地龍殺し」の異名を取ったグラマンである。
その功を讃えられて一代貴族としてアステール公爵家に仕えるようになったのだが、老いてもなおドラゴンスレイヤーとして名高いこの老人を倒せるほどの刺客など、そうそう存在しないだろうというのが多くの者の考えだ。
だがアステール公爵家に骨の髄まで執心しているこの老人が、そう簡単に自ら家を去るはずもない──ならば主君であるはずのハインに殺されたという説は妙に人々の胸に迫る説得力を持っていた。
また、ハインとグラマンの馬が合わなかったともささやかれている。
ハインのやる事成す事全てがアステール公爵家の家名を下げる事に繋がっており、それが不仲の原因だったとされているが──詳細は定かではない。




