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悪役令息はママがちゅき  作者: 埴輪庭


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42/133

魔王

 ◆


「痛みますかな?」


「全く」


 癒術師の問いに、俺は否を返した。


「ふうむ、ハイン様は細く見えますが相当鍛錬されているのですね。実の所、私もハイン様とエスメラルダ様の試合を観戦していたのですが、はっきり申しあげて致命傷にしか見えませんでした。天術での身体強化のおかげなのでしょうが、それにしたところでエスメラルダ様も同じ事をしていたわけですし。決着がついた時、観客席からは悲鳴があがっておりましたよ。アステール公爵家とサリオン公爵家の若き嫡子を同時に亡くすなど、これはもう悲劇という範疇をこえておりますからな」


 ここは医務室だ。


 胸を剣でぶっすりやられたので治療に来ている。


 致命傷には程遠いものの、エスメラルダ嬢の剣の切っ先は確かに俺の皮を破り、肉へ食い込んでいた。


 当然痛みもないではなかったが、それは既に隔離してある。


 "痛い" という感覚を感覚ではなく情報として捉えるのだ。


 例えば皮膚に泥がつき、それが擦れて肌が汚れてしまったとする。


 汚れは気になるだろうが、無視してしまえばどうだ? 


 普段通りの生活を送る事に何ら支障はない。


 この心理的なテクニックについては、俺が幼少の頃に読んだとある書物に記されてあった。


 苦痛を外部情報として扱い、精神的な影響を最小限に抑えるための技術は、上位の魔術を行使する上では必須ともいえる。


 なぜならばこのテクニックを知らずして上位の魔術を行使すると、頭に注ぎ込まれる膨大な情報によって最悪廃人となってしまうからだ。


 勿論簡単な技術ではない。


 心身の完全な掌握はそこらの劣等には成し得ない偉業ともいえる。


 例え何が起ころうと俺は動じず、冷静沈着に対処できる自信がある。


 ガイネス帝国、いやこの世界でもっとも冷静な男──それが俺だ。


 ・

 ・

 ・


「ハインッ!!」


 ノックも無しに扉が開かれたかとおもいきや、突然母上が入ってきた。


 しかし様子がおかしい。


「母上ッ!? どうされましたか!?」


 半狂乱、というのは言いすぎ──というわけではあるまい。


 普段の母上が春に香る薫風であるならば、今の母上は荒れ狂う暴風である。


 俺は慌てて立ち上がろうとするが、母上が俺のすぐそばに駆け寄ってきた。


「ハイン! 立ち上がってはいけません! 大怪我を負ったと聞いたわよ! ゆっくり休んでいなさい!」


「は、はい……」


 大怪我というほどではないが、今の母上にはとても逆らえない。


 ──ま、まずいぞ……心配どころか怒らせてしまっているではないか


 俺は内心で酷く狼狽する。


 はあ? 


 苦痛の隔離? 


 阿呆か! そんなものは机上の空論だ。


 言い出したのはどこの馬鹿だ。


 泣き出しそうな母上の声を聞いて、俺は一瞬息が詰まった。


「母上……これはただのかすり傷です。治癒術師たちが処置してくれたので、もう痛みもありません。ですから、どうか落ち着いてください」


「かすり傷? 聞けば胸を貫かれたと……」


「大袈裟ですよ。本当になんともありません。そもそも貫かれておりませんから。皮膚が少し傷ついただけです。……ですよね?」


 そう言って俺は癒術師を見る。


「ええ、ハイン様の怪我については何も問題はなく──」


「胸を貫かれて問題がないはずがないでしょう!?」


「いえ、だからハイン様の胸は貫かれてはおらず……」


「お黙りなさい! 試合用の物とはいえ、刃引きされていない剣で胸を刺されたのですよ!? 貫かれていなかったとしても重傷に決まっているでしょう!」


 これはまずい。


 普段温厚な母上が他人を怒鳴りつけるとは。


 しかも漏れ出す魔力が熱を帯びて、室内の温度が明らかに上昇している。


「う!!!」


 俺は大げさに胸を抑えながら声を出した。


「どうやら傷が疼いてきたようです、少し休みたいのですが宜しいでしょうか……? 大会については棄権をしようかと思うのですが……」


「ッ……! そうね……大会は当然棄権して、その後は……その後は……」


 無理をしないことで安心させようと思ったのだが、母上は更に狼狽えてしまった。


 それから母上をなだめすかしたり落ち着かせたりと少し大変だったのだが、結局俺はアステール公爵邸へと帰る事になった。


 まあもとよりそこまで乗り気ではない剣術大会であるので渡りに船と言った所だろうか。


 劣等共にアステールの力を知らしめるにせよ、派手な魔術が使えないとあっては効率が悪い。


 恐らく優勝はあのアゼル・セラ・アルファイドであろうが、アレはアレで少なくとも剣については見どころがあると模擬試合で分かったため、まあ華を持たせてやっても良い。


 俺は劣等共がチャンバラ遊びをしている中、母上との時間を堪能するとしよう──と、そう思っていたのだが。


 ・

 ・

 ・


 帰りの馬車の道中、帝都を覆う厭な空気に気付いた。


 いや、具体的には帝城だ。


 はるか上空に滞留する暗雲から肉が腐ったような香りの魔力が漏れている。


 その魔力は上空から帝城へと少しずつ流れ込んでいる様に見える。


 ほんの僅かな臭気、俺でなければ見逃してしまうだろうな。


 どうやらあの魔力の主は、よほどコソコソするのが得意らしい。


「若様、どうされましたか?」


 母上の世話役として同行していたフェリが声をかけてきた。


 用件は分かっている。


「フェリ、母上を頼む」


 俺はそう言って、母上に向き直った。


「母上、危急です。帝都を覆いつつある厄雲を払って参ります。お叱りは後ほど!」


「ちょっと! ハイン!?」


 母上から叱られるのは凄く嫌だ。


 嫌だが、()()を放っておくと非常に面倒くさい事になる気がする。


 母上の心配そうな声に後ろ髪を引かれるがしかし。


 俺は走行中の馬車を飛び出して、帝城へ向けて飛び立った。


 ◆◆◆


 "本来の歴史" において、ハイン・セラ・アステールが変容の兆しを見せたのは剣術大会の頃だと後世の史料は語っている。


 それまでのハインは悪辣で横暴、そして陰湿という数々の評判こそあったものの、所詮は「性格の悪い屑貴族」という範疇に収まる存在だった。


 ハインは魔術の才に甘んじて努力を怠り、人を見下す態度を隠しもしないが、だからといって特別に狂気を孕んだ振る舞いを見せていたわけではなかった。


 せいぜい多くの平民や下級貴族を理不尽にこき使い、馬鹿にし、その不満を力でねじ伏せてきただけの話だ。


 しかし剣術大会の日を境にしてハインは変貌したと言われている。


 周囲の者たちが異変を明確に感じたのは、彼が禁忌とされる魔術に次々と手を染め始めたときだ。


 いったい何がハインをそうさせたのか。


 ある説によれば、剣術大会での一件が決定的なきっかけだったともいわれる。


 "本来の歴史" ではハインは大会に出場すらしていない。


 そもそも得意の魔術を封じられた状態では後に勇者となるアゼルはおろか、エスメラルダをはじめとする他の生徒にも勝機は薄いと悟っていたのだ。


 だからこそ学園から出席を求められても、わざと体調不良を装って出場を取り止めた──そんな噂が帝都のあちこちを駆け巡った。


 この一件はハインのみならずアステール家全体にも大きな痛手となった。


 もともと落ち目だった名門が「嫡子が剣術大会から逃げ出した」という恥ずべき悪評を背負う形となり、帝都の貴族たちはこぞってアステール家を蔑むようになる。


 家名のさらなる失墜は避けられず、十二公家からの除名という話まで出てきた程だ。


 貴族はおろか、平民までもがハインをコケにするようになった切っ掛けが、まさにこの剣術大会での醜態である。


 だがハインは元より "アステール公爵家" にとって最も致命的となったのは、やはり非人道的な魔術儀式を摂り行った事だろう。


 最初の頃は奴隷などそれなりの“対象”を選んでいたという。


 だが時を重ねるにつれてその境界はあやふやになり、ごく普通の市民をも犠牲にしたという黒い噂が絶えなくなった。


 夜な夜な死体を引きずり込んでは怪しげな魔方陣を描き、稀少な部位を切り取って暗黒の儀式を行う──そんな目撃談が囁かれるようになったのだ。


 巷間では、ハインは人の生気を喰らうことで強大な魔力を得ようとしているのだろうなどと言われていた。


 そうして剣術大会から半年を待たずして、アステール公爵家は十二公家を除名される事になる──そう、 "本来の歴史" では。


 ・

 ・

 ・


「帝都がどうなろうと知った事ではない──が」


 帝城の遙か上空で、 "この世界線のハイン" が偉そうに腕を組みつつ暗雲を眺めている。


 いや、雲ではない。


 それは雲のように見えるが、実際の所は何千万何億という数の蟲の群体だ。


「帝城はいずれ母上がお住まいになる。だから、そのような臭い魔力で汚されたくないわけだ。俺の言っている事が分かるか、虫けら」


 自尊と冷徹を内包した声が宙を渡ると、闇の塊のように見えた蟲の群は一斉に振動した。


 億千万もの細かな翅が、叩きつける豪雨にも似た激しさで鳴り渡る。


 ちなみにハインは知る由もないが、この蟲の群体こそ他ならぬ魔王。


 魔王ベルゼイだ。


 かつて先代勇者の手で討たれたはずの魔王は、死を免れるためにわずかな魔力を蠅へと変じて逃げのびた。


 この魔王の強み──それは、その身を肉体として保つ必要がない点にある。


 魂混じりの魔力体という存在となって分体を生み出しては世界各地の様子を窺いつつ、長い年月をかけて少しずつ力を蓄えてきたのである。


 潜伏の期間、各所で旧魔王軍に襲撃を行わせたのは、単純に戦は負の感情を呼び起こしやすいからだ。


 そうして各地に火種を投じつづけ、器となるに相応しい素体を探してきた魔王だが──


 ついにガイネス帝国の皇帝、ヴァルフリードという男を見つけた。


 皇帝がすでに胡乱な状態にあり、まともな政務は侍従に任せきりというのは既に魔王の知る所であった。


 剣術大会の興行に貴族の大半が出払うこの日に、皇帝ヴァルフリートの肉体を乗っ取る──それこそが魔王が立てた計画だ。


 人間を侮らず、真正面からではなく内部から崩す──勇者に敗れた苦い記憶を活かして導き出した策である。


 だが、そこに現れたのがハイン・セラ・アステールであった。


 ハインは人類の為に魔王を斃そうなどと考えない。


 そもそも眼前の蟲が魔王だと言う事をハインは知らない。


 ハインは帝都を守るでも、皇帝を助けるためでもない、母ヘルガの住む予定である帝城にちょっかいを出すなという理由でここへ現れた。


「世界の全てを母上に捧げねばならない。この城はその覇道を歩む上での拠点となる重要な地だ。劣等、悉く "星の火" の前に燃え尽きるべし」



 ──『ラ・バ・ヌーラ・ヴェニト(来たれ、大日輪の法界よ)』



「バ」とはバンとも読む。


 あらゆる厄災を退ける太陽神の加護を意味する。


 ハインが行ったのはまず結界の構築であった。


 それは自身を護るための結界ではない。


 己が大魔術から、世界を護るための結界である。




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