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悪役令息はママがちゅき  作者: 埴輪庭


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幕間:ヘルガの夢

 ◆


 魔帝国アステラという国がある。


 今や人類生存圏の8割を支配する、恐怖と絶望の代名詞だ。


 その頂点に君臨するのは、一人の人間の女──女帝ヘルガ・イラ・アステール。


 そして彼女を支えるのは名だたる猛将、名将たち。


 かつてガイネス帝国の上級貴族であった者も多数存在する。


 例えばサリオン公爵家などだ。


 帝国軍十二星将の一人、エスメラルダ・イラ・サリオンは現サリオン公爵だが、このサリオン公爵家などはかつてはガイネス帝国の十二公家と呼ばれる大家の一家であった。


 しかし真に恐るべきは女帝ヘルガの息子にしてアステラ帝国軍総司令官、ハイン・セラ・アステールである。


 アステラの台頭は、わずか数年前のことに過ぎない。


 かつてこの地にはガイネス帝国と呼ばれる長い歴史と伝統を持つ大国が存在していた。


 しかしその繁栄はある時突如として終わりを告げる。


 ガイネス帝国内で最も強大な権力を持つ公爵家の一つ、アステール公爵家──その若き当主、ハイン・セラ・アステールが突如として反旗を翻したのだ。


 ハインは類稀なる魔術の才能と、圧倒的なカリスマ性を併せ持ったまさにダーク・ヒーロー。


 彼はその圧倒的な力で瞬く間に帝国内の皇帝派勢力を排除し、自らの支持基盤を固めていく。


 そして電光石火のクーデターにより、ガイネス帝国の実権を掌握。


 国名を「アステラ」と改めた。


 だが周囲の予想に反し、ハイン自ら帝位に就くことはなかった。


 驚くべきことに彼は自身の母であるヘルガ・イラ・アステールを女帝の座に据え、自らは一介の将として母の覇道を支える道を選んだのだ。


「母上、これよりアステラは新たな時代を迎えます。私が母上の剣となり盾となり、万難を排してご覧にいれましょう」


 戴冠式の後、ハインはヘルガにそう誓ったという。


 その言葉通りハインはアステラ帝国軍の総司令官として、侵略戦争の最前線に立ち続けた。


 ハインの侵略はまさに破竹の勢いだった。


 抵抗を試みる国々は次々とアステラの軍門に下り、その版図は日に日に拡大していく。


 当然、周辺諸国はこの未曾有の脅威に対し、手をこまねいていたわけではない。


 様々な勢力が結集し、反アステラ合従軍が結成された。


 その中でも特に強力な戦力を誇っていたのが、ユグドラ公国である。


 ユグドラ公国は古くから高い魔導技術を誇る国であり、その軍事力はガイネス帝国にも匹敵すると言われていた。


 公国は総力を挙げてアステラに対抗すべく、精鋭部隊を前線へと派遣する。


 そして運命の日が訪れた。


 広大な平原にアステラ帝国軍と反アステラ連合軍が対峙した。


 その数、実に数十万。


 両軍の兵士たちは互いに睨み合う。


「今日ここで、アステラの魔道に終止符を打つ!」


 反アステラ合従軍の総司令官が、高らかに宣言する。


 その声は戦場に響き渡り、兵士たちの士気を大いに鼓舞した。


 しかしハインは遠くからそれを嘲笑う。


「愚かなり、劣等共。母上の支配に服さぬ愚劣極まる害虫共よ。……いや、母上は虫がお好きだ。なら、そうだな、害、害……害……なんだろう? まあいいか、とにかくこの俺が貴様らに引導を下してやろう!」


 ハインは空高く舞い上がり、合従軍を睥睨する。


 そしてゆっくりと右手を掲げ、指を天へと向けた。


「この世界は強者によって支配されるべきなのだ。弱者は服するか、あるいは淘汰されねばならない。お前達は後者である」


 ハインの言葉に呼応するように、彼の周囲の空間が歪み始める。


 余りに膨大な魔力が物質世界の法則を歪めようとしているのだ! 


 ──『スピリトゥス・テルラエ(大地の精霊よ)』


 ──『スピリトゥス・イグニス(炎の精霊よ)』


 ──『スピリトゥス・アクワエ(水の精霊よ)』


 ──『スピリトゥス・ウェンティ(風の精霊よ)』


 ──『デウス・ステルラルム・マグヌス(大いなる星神よ)』


 ──『ダ・マニブス・イン・ディスクリミネイト! (万理を砕く槌となれ)』


 ハインが拳を握り締め、合従軍に向かって突きつけて叫んだ。


「死ねィ! 劣等共! 『星圏破空アナイ・ア・レイション』」


 次の瞬間、ぐわんと空間が揺さぶられ──


 合従軍はまさに地獄へと叩き落とされた。


 ◆


 "それ" は作用点から半径69キロル圏内を真空地帯に陥れるという広域殲滅魔術だ。


 真空地帯に飲み込まれた兵士たちは一瞬何が起こったのか理解できず、呆然と立ち尽くす。


 しかしすぐにその身に起こっている異変に気づいた。


 呼吸ができない。


 肺が空気を求めて激しく痛む。


 全身の血液が沸騰し、血管が破裂する。


 眼球が飛び出し、耳からは血が流れ出る。


 兵士も将も、男も女も、いや、魔術圏内の生物全てがなす術もなく、その場で苦悶の表情を浮かべながら次々と倒れていった。


 皮膚が乾燥し、裂け、体内の水分が急速に失われ。


 内臓は機能を停止し、体は内側から崩壊していく。


 真空地帯の境界付近では急激な気圧差によって、凄まじい突風が発生していた。


 その突風は木々を根こそぎ吹き飛ばし、兵士たちを宙に舞い上がらせる。


 そして真空地帯に引きずり込まれた者は、例外なく無残な死を遂げた。


 数分の後、ハインの魔術が解除される。


 かつて数十万の軍勢がひしめいていた平原は今や、生命の気配を一切感じさせない死の世界へと変貌していた。


 ユグドラ公国の精鋭たちも一兵たりとも生き残ってはいない。


 反アステラ連合軍は、戦意を完全に喪失した。


 そしてこの戦いを境に、魔帝国アステラの侵略は世界征服の最終段階へと移行していくのだった。


 ・

 ・

 ・


「母上! 劣等共を殲滅してきました!」


 息子であるハインが嬉々として報告してくると、ヘルガは「嗚呼……」と項垂れてしまった。


 殲滅してなんて言ってないのに、というのがヘルガの偽らざる思いである。


 ヘルガとしてはもう少し人死にが少ない方法を選んで欲しかったのだ。


 死は取返しがつかない大事であり、それは不可逆的な喪失。


 ゆえに反発も大きい。


 友を、家族を、恋人を殺された者は、殺した者を強く憎むだろう。


 憎悪は諸刃の刃だが、同時に大きな力も生み出す。


 その力がハインの身の破滅に繋がらないとどうして言えるだろうか? 


 しかし──


 旧魔王軍という恐ろしい者たちにもっとも多く、長く立ち向かってきたハインを危険視し、排除しようとしたのは帝国ではないのか。


 その帝国を排する事のどこが悪い。


 そして、その正当な行為を勝手に危険視してきたのは "世界" だ。ならば世界も排して何が悪い。


 そんな思いがヘルガの中にはある。


 ヘルガは平和を愛する女だが、平和と息子であるならば後者に天秤が傾く。


 ハインが母であるヘルガを愛しているのと同じくらいに、ヘルガもまたハインを愛してるのである。


 そんな愛する者を排除しようとする者たちならば、逆に排除されたところで自業自得と言えないだろうか。


 だから。


「……よくやりましたね、ハイン。今夜は私の部屋へいらっしゃい。随分疲れたでしょう、たまには一緒に眠りましょう」


 と、ハインの虐殺を責めることはしなかった。


 そう考えているヘルガだが、しばしば()()ならない道もあったのではないかと思う事もある。


 ──結局私が悪いのでしょうね


 ヘルガは内心で深くため息をつく。


 ◆◆◆


 ハインが帝国に反旗を翻すことになった遠因は他でもない、自分自身の弱さにあったとヘルガは考えている。


 それはあながち間違いではなかった。


 ヘルガは当時の事を思い出す。


 往時、ハインが日々その存在感を増していく一方、それを疎ましく思う貴族家も増えてきていた。


 簡単に言えばある次期を境に刺客が増えたのだ。


 当時の皇帝は日に日に言動に精彩を欠き、言動に不審な点が多く見られるようになり、もはやアステール公爵家の後ろ盾とは言えない状態というのもよくなかった。


 アステール公爵家は領地を持たない、いわゆる法衣貴族である。


 そのため家そのものにはさしたる力はない。


 そういった事情もあり、そしてヘルガの "力" が単純に弱かったからアステール公爵家は舐められ、刺客など送り込まれるハメになっていた。


 とはいえそのほとんどはハインや、彼の腹心の部下たちが秘密裡に処理していたのだが。


 だがしかし、執拗に続く嫌がらせ、そして日に日に増す脅迫にハインの我慢の限界がきた。


「母上、もう我慢なりません。このような卑劣な真似を許しておくわけにはいきません」


 ハインはヘルガにそう直訴した。


「この国は母上を、僕を殺そうとしています。皇帝はもはや我々の庇護者であることを放棄しました。でなければこうも連日、暗殺者が送り込まれるような事にはなっていません!」


 ハインの言葉に、ヘルガは返す言葉がない。


 自分自身が危険に晒されていることよりも、息子であるハインがそのような状況に置かれていることの方がヘルガには耐え難かった。


 そしてハインの決意は固く、もはや誰にも止めることはできなかった。


 それからクーデターに至るまではあっという間だった。


 そうして帝国の実権を握ったアステール公爵家だが、事はそこで終わらない。


 周辺諸国がこの混乱に乗じて、帝国の領土を奪おうと画策したのだ。


 彼らはハインのクーデターを、介入の好機と捉えた。


 まあ結果はお察しで、ハインは容赦なく周辺諸国が差し向けた軍勢を殲滅したのだ。


「外征も必要です。内乱に乗じ、あまつさえ母上を害そうとした不埒者共に報いを受けさせねばなりません。そしてこの世界にはびこる全ての悪を駆逐するのです」


 ハインはそう言ってヘルガに微笑んだものだ。


 そうやって魔帝国アステラは世界を敵に回すこととなった。


 ──私が、もっと強ければ、こんなことにはならなかったのに……


 ヘルガは、後悔の念に苛まれていた。


 しかし、どれだけ悔やんでも過去を変えることはできない。


 ──せめて、この子だけは……


 ヘルガはそう願い──


 ◆◆◆


 はっと目を覚ました。


「い、今のはゆ、夢……?」


 ヘルガは全身にぐっしょりと汗をかいている。


 恐ろしい悪夢であった。


 その時は疲れているせいだと自分に言い聞かせたものの。


 ヘルガは連日、同じような悪夢に苛まれた。


 夢の中のハインは、いつも血に塗れている。


 何千何万もの命を奪い、しかもそれは全て他ならぬヘルガのためなのだ。


 ──これは、何かの啓示なのではないかしら……? 


 ヘルガはそう考えるようになった。


 そしてある夜、いつものように悪夢から目覚めたヘルガはついに決意する。


 ──このままではいけない。私が、ハインを、アステール家を、守らなければ……! 


 ──弱みをつくってはならないわ


 まずヘルガはそう考える。


 弱みとは他でもない、ハインへの愛情だ。


 ハインを愛しすぎる事は果たしてどうなのか。


 ガイネス帝国は原始的な力の信奉者であり、親子の情にすがることを惰弱と見做す風潮がある。


 その様な弱みが世間に露見したならば、アステール公爵家が軽視されることにもなりかねない。


 ──ハインには親離れを、私自身は子離れをしなければ……


 口で言うほど簡単なことではない。


 何しろハインはヘルガにとって何よりも大切な存在なのだ。


 そのハインと距離を置くなど、考えただけでも胸が張り裂けそうだった。


 ──でもそれだけでは足りないわ。私自身が貴族としてもっと強くならなければ……


 その方策の一つが、当代きっての魔術師ハバキリとの面会だった。


 ──力を得なければ。家を、ハインを守れるだけの力を


 ヘルガはそう誓う。


 ──ハインは、夢でも、夢じゃなくても、いつも私を護ってくれていた。子どもに護られっぱなしじゃ、格好悪いですもの


 一時、ハインを悩ませたヘルガの変節はこのような次第であった。


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