魔王軍は衰退しました④
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ハインに侍る事で満たされている御蔭で飢えは感じないものの、シャルキという竜種が持つ強い光、命はオーマにとって極上の食べ物である。
そして、食べ物というのは手を加える事で味が良くなる──料理というやつだ。
オーマもこれをやる。
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漆黒の身体から無数の触手のようなものが蠢き出している。
囲には影が渦巻き、足元の大地さえも黒く染め上げていく。
そして触手はまるで意思を持つかのように、うねりながらゆっくりとシャルキへと迫っていた。
「ひっ……!」
常の強気なシャルキはどこにもいない。
震える足を引きずるようにして、地を這いながら逃げようとしているシャルキはまさしく敗残者であった。
しかしその動きは遅く、まるで粘度の高い泥沼を這い進んでいるかの様だ。
事実、シャルキは自身の体を鉛のように重く感じていた。
ハインに地に叩き落とされた際、身を護るために全力で魔力を行使してしまったからだ。
残された体力もほとんどない。
「に、逃げなきゃ……だめ、絶対にだめッ……! アレに捕まったら、絶対に……ッ!」
シャルキの声は細く、かすれていて、弱々しい。
手を突っ張り、少しでも逃れようと地面を掻きむしるが体は遅々として動かない。
オーマの触手はまるで生き物のように動き回り、シャルキの周囲を囲んだ。
逃げ場を完全に閉ざしたのだ。
そして力を使い始めた。
オーマは相手の心に潜む負の感情を増幅させる。
この影響をモロに受けてしまったシャルキは心臓を締め付けられるような思いを覚えていた。
まるで心臓を冷たい手が握りこんでいるかの様に息苦しい。
足が動かない。
逃げたいのに、全身が萎えてしまい、ただの一歩も動かせない。
「いや……いや……いやぁぁっ! だれか、誰か助けて!!」
シャルキは声を振り絞って叫ぶが応えはない。
ただ、彼女の部下であった骸だけがその声を聞いているのみだ。
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オーマはその動揺と絶望を楽しんでいるかのように、触手を少しずつ動かしながらシャルキに近づいていった。
彼女の恐怖が彼の力を増大させるたび、オーマの漆黒の体が光を吸い込むように濃くなり、影が濃密さを増していく。
「ひ、な、なに!? なんなの!? なんなのよ!」
影の触手がシャルキの四肢に巻き付いた。
先端がボコボコと膨らみ、小さな口が形成される。
頭でっかちの黒蛇のようなそれが、シャルキの全身に噛みついて──
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噛みつかれた箇所に痛みはない。
むしろ、じんわりと体の芯から温かくなっていく。
快感すら覚えるその感覚が、かえってシャルキの恐怖を掻き立てた。
だが不意に異変に気付く。
「い、いや……これ、何……!? 私の体……私の……!」
噛みつかれた部分の皮膚の下で、何かが蠢動している。
ぼこり、ぼこり
ぐちゃり、ぐちゃり
これはオーマだ。
オーマがシャルキの中へ注ぎ込まれ、痛みを与えないままに肉と骨を溶かして、置き換わろうとしているのだ。
その事実をシャルキ自身は正確には把握できていない。
出来てはいないが、本能的に察していた。
死よりもおぞましい事があるとするならば、それは恐らく──
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数十分後。
そこにはシャルキが居た。
もぎ取られた筈の手足もちゃんとある。
先ほどまでの、生きながらにして死んでいる風な様子でもない。
むしろ今のシャルキは精気に満ち満ちていた。
だが素振りが妙だ。
このシャルキは先ほどからしきりに表情を変えている。
怒っているような表情を浮かべたかと思えば、いきなり笑顔を浮かべ、次には悲しそうな表情を浮かべたかと思ったら無表情になったりと不気味だ。
そんな風にころころと表情が変えていたシャルキだが、数分後、不意にその場を立ち去った──アステール公爵邸のある方角へ向けて。




