冒険者になろう!⑦
◆
一通りの「褒美」が終わった。
床には汗に塗れたフェリが半裸で横たわっている。
四肢は弛緩しきっており、その表情は恍惚の余韻に浸っているようだった。
「そのままでいいから聞け」
俺は乱れたローブの襟元を正し、冷めた目で見下ろしながら命じた。
「出発は明日だ」
明後日からはまたあの劣等の坩堝、学園がある。
無為な時間を過ごす前に片付けるべきことは片付けておかねばならない。
「ノルン王国は多少距離があるが、俺の魔術ならばそうだな──十四、五分もあれば十分だろう。暫く休んだら旅支度をしておけよ。北方は気温が低い。お前には辛いだろう」
デルフェン種は温暖な気候を好むと聞く。
有能な手駒が十全に機能するよう配慮してやるのは支配者として当然の務めである。
「はい、若様……」
フェリは掠れた声で応えたが、まだ腰に力が入らないようだった。
──ふん
フェリは劣等ではないが、惰弱だな。
あのように軽く踏まれただけで何たるザマか。
いや、それも個性か。
……個性かな?
個性……かもしれないな!
まあいい。
非劣等の嗜好に口を出すほど俺は野暮ではない。
とにかく出発は明日だ。
そう思考を切り替えようとした時、ふと奇妙な感覚を覚えた。
──母上の魔力に揺らぎがあるな
俺は眉をひそめる。
この時間だというのにまさかまだ起きているのか?
ここ最近は随分と忙しそうだ。
アステール公爵家の財政再建、他家との関係修復。
当主代理としての激務が、母上の心身を蝕んでいるのではないか。
無理をしないで欲しいが……。
いや、余計な心配だろうか……。
母上は聡明なお方だ。
ご自身の限界を見誤るようなことはしないだろう。
だが、この胸騒ぎは無視できない。
うむむ、少し様子を見ておきたいところだが……。
この時間に執務室を訪ねるのは母上の負担になるかもしれない。
そうだ、眠れないということにしてちょっと顔をみに行こう。
それがいい。
そうと決まれば行動は早い。
そうして俺は部屋にフェリをおいて、母上の執務室に向かう。
そうして廊下を進んでいると何やら人影があった。
西棟の廊下、その角を曲がったところに一人のメイドが立っていたのだ。
「ご苦労」
俺はそう声をかける。
ええと、たしかリーシェだったか。
フェリが連れてきた新人メイドだ。浅黒い肌の、まだあどけなさの残る女である。
「は、ハイン様……!」
リーシェは驚いたように目を見開き、慌てて頭を下げた。
その動作はまだ洗練されていないが、忠誠心は感じられる。
この時間に屋敷をうろついているという事は──
「刺客か?」
俺は短く問うた。
この屋敷に招かれざる客が訪れるのは日常茶飯事だ。
リーシェは少し言い淀んだ後、小声で答えた。
「は。さきほど先輩──あ、ええとミナがとらえたということで、その、“処理”を見学する事になりまして……」
処理。
なるほど、そういうことか。
刺客というのは他家からの刺客だ。
忌々しい事に先代アステール公爵家当主であるダミアンを恨んで、いまだにこうして刺客を送ってくる者が絶えない。
ダミアンが犯した罪は深いが、それはそれである。
その矛先が母上に向くことは断じて許されない。
母上を狙うなど、どんな理由があっても万死に値すると俺は思うがしかし!
母上自身が報復を固く禁じている為に俺は手出しができない。
依頼主を根絶やしにすれば、このような面倒もなくなるというのに。
いうまでもなく母上は完全無欠なのだが、あえて欠点をあげるとすればお優しすぎるというものがあげられるだろう。
その優しさが、時として母上自身を危険に晒すことにもなりかねない。
だからこそ、生きとし生ける者は皆母上の影となり、日向となり、母上をお護りしなければならないのだ。
「佳きに──」
俺が声を掛けると、リーシェは一瞬ぽかんとした表情を浮かべた。
そして、あわてた様子で小声で「か、かしこまりました」と言った。
──多分分かってないなこいつ
俺の言葉の意味を理解していない。
まあまだまだ新人ということで勘弁してやるか。
フェリの教育が行き届けば、いずれは理解できるようになるだろう。
俺はリーシェに背を向け、再び歩き出す。
……む?
俺は足を止めた。
母上の魔力の揺らぎが消えた。
先ほどまでの不安定な波長が、穏やかで規則正しいものに変わっている。
この波長は……お眠りになられたか。
そうか。
それならば良い。
ならば邪魔するわけにはいくまい。
俺は踵を返し、自室へと戻ることにした。
母上の安眠を妨げることは何人たりとも許されないのだ。
たとえそれが俺自身であっても。
◆◆◆
アステール公爵邸、地下。
湿った空気と、微かな血の臭いが漂う石造りの部屋。
そこは表向きはワインセラーとして使われているが、その奥には決して部外者が立ち入ることのできない空間が存在する。
尋問室。
あるいは処理室。
リーシェはその部屋の片隅で息を殺していた。
目の前で繰り広げられている光景は彼女がこれまで生きてきた短い人生の中で、最も凄惨で、そして異様なものだった。
部屋の中央には一人の男が椅子に縛り付けられている。
捕らえられた刺客だ。
そしてその男の前に立っているのはリーシェの指導役である先輩メイド、ミナである。
ミナはいつもと変わらぬ穏やかな表情で、男の頭部に手を当てていた。
その手には銀色に輝く細長い針が何本も握られている。
そしてその針は男の頭蓋に深々と突き刺さっていた。
「あっ、あっ……」
男が、壊れた玩具のように同じ音を繰り返す。
その瞳は虚ろで、焦点が合っていない。
口元からは涎が垂れ、時折体がびくりと痙攣する。
ミナはそんな男の様子を意に介さず、淡々と問いかけた。
「依頼主は? 目的は? 協力者はいるの?」
その声はまるで洗濯物の畳み方を確認するかのように平坦だ。
男は呂律のまわらない口調で、しかし淀みなく答える。
「ま、まるてぃねす……ししゃく……。も、目的はへるがさまの、暗殺……。きょ、協力者はいない……」
ミナは男の答えを聞きながら、時折針の位置を微調整する。
そのたびに男の体が大きく跳ね、くぐもった呻き声が漏れた。
──な、なんなの、これは……
リーシェは内心でドン引きしていた。
いや、ドン引きなどという生易しいものではない。
恐怖と嫌悪感で、胃の中のものが逆流しそうになるのを必死に堪える。
これがアステール公爵家の「処理」なのか。
噂には聞いていた。
この屋敷には闇があり、捕らえられた刺客は決して生きては帰れないと。
だが、これほどまでに非人道的な方法が用いられているとは想像もしていなかった。
ミナ先輩は普段はとても優しくて、仕事も丁寧で、尊敬できる人なのに。
その人が今、目の前でこんな恐ろしいことを平然と行っている。
そのギャップが、リーシェの混乱をさらに深めた。
しばらくして、ミナは男の頭部からゆっくりと針を引き抜いた。
針の先端には微かな血液と、透明な液体が付着している。
ミナはそれを懐から取り出した布で丁寧に拭き取ると、満足そうに頷いた。
「うん、これで必要な情報は全て揃ったわね」
そう言って、彼女はリーシェの方を振り返った。
その顔には先ほどまでの冷徹さは欠片もなく、いつもの穏やかな微笑みが浮かんでいる。
「お待たせ、リーシェ。気分は悪くない?」
「ははい……大丈夫です」
リーシェは震える声で答えるのが精一杯だった。
ミナはそんなリーシェの様子を察してか、少し困ったように眉を下げる。
「最初は誰でもそうよ。でも、すぐに慣れるわ」
──慣れる? こんなことに?
リーシェは信じられない思いでミナを見つめる。
そして、ずっと疑問に思っていたことを口にした。
「あ、あの……この人はこれからどうするのでしょうか」
リーシェの視線の先にはぐったりとして動かなくなった男の姿がある。
もはや自力で呼吸することすらままならない様子だ。
ミナはこともなげに答えた。
「オーマ様に処分してもらうわ」
オーマ。
アステール公爵家の庭師。
だがその正体は人間でも亜人でもない、異形の存在。
リーシェはその名を耳にするだけで、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
「オーマ様が……」
「ええ。オーマ様はこういうのがお好きだから」
ミナはまるで、子供におやつを与えるかのような口調で言う。
その言葉の意味をリーシェは理解したくなかった。
庭園の薔薇が異様に美しい理由──その噂が脳裏をよぎる。
「それにしても、このやり方は本当に効率的よね」
ミナは感心したように呟いた。
「このやり方、というのは?」
リーシェがおずおずと尋ねると、ミナは誇らしげに答えた。
「この情報収集の方法よ。脳の特定の部位に魔力を込めた針を刺し込むの。皆素直になってくれるわ」
そして、彼女は続けた。
「このやり方は若様が考案したの」
──若様が……?
リーシェは目を見張った。
「そして若様から教えてもらった姫様……あ、フェリ様が私たちにも教えてくれたの」
ミナはそう言って、リーシェの肩に優しく手を置いた。
「あなたも見ておきなさいね。いずれはあなたもこれをやることになるのだから」
リーシェはごくりと唾を飲み込み、静かに頷いた。 うまくできるだろうか? という不安は押し殺し──
「はい……わかりました」と、震える声で答えるのだった。




