お叱り
◆
その日の夜、俺はふと中庭が見たくなった。
ちなみに俺は本来、草花には全く興味がない。
ないのだが──愛している。
気が狂っているのかと思われるかもしれないが、そのままの意味だ。
母上が草花を愛でるお方であるので、俺もそれらを愛そうと決めただけの事である。
愛とは何か。
──それは受け入れる事だ。
しかし、この世には受け入れ難い事もままある。
人の器は小さい。
ならばどうするか。
簡単な話だ。器の方を変えてしまえばよい。
己の精神構造そのものを、意思の力で組み替える。
認識を拡張し、世界の全てを許容するのだ。
無論、容易い事ではない。
劣等には到底出来ぬ事だろう。
だが俺には出来る。
母上の完璧な息子たる俺に、不可能などあってはならないのだから。
とはいえ、俺とて万能ではない。
劣等を好きになれ、と言われれば今の俺でも難しくはある。
路上にぶちまけられた馬だか牛だかの大便に心からの愛を囁くことが出来るか?
難しいだろう。劣等もまた同じである。
だが、草花程度なら真に愛することは可能だ。
あれらは静かで、従順で、そして美しい。
母上の視界に入るものが、少しでも醜悪であってはならない。
手入れは完璧でなければならない。
それにしても、オーマの奴はしっかり手入れをしているのだろうな?
あいつは俺が使役する悪霊であり、この庭の管理を任されている。
サボっていたら殺そうと思って月光が照らす中庭を検分した所──
そこには、全裸の女が居た。
◆
言うまでもなくオーマである。闇がそのまま形を取り、人の似姿となったような存在。
その顔には見覚えがあった。
いつだったか、俺が八つ当たりで叩き落としてやった劣等竜人の雌だ。
あの後、好きにしろとオーマにくれてやったのだったな。
どうやらその姿が気に入ったらしい。
俺はゆっくりとオーマに近づいた。
「オーマ、その雌の姿が気に入ったのか?」
俺が尋ねると、オーマはニタリと笑った。
欲望を迸らせた邪悪な笑顔──タフな笑顔というやつだ。
中々悪くない。
俺の所有物たるもの、それくらいの気概は持っていて然るべきだ。
俺がそんな事を思っていると、オーマは小首をかしげて今度は別の笑顔を浮かべる。
媚びるような笑顔だ。
そして何を考えたのか、その場に這いつくばり、俺の足に舌を這わせようとするではないか。
──なるほど。
飼い犬……怪異犬? が褒めてほしくて媚びてるということか。
新しい姿を手に入れ、浮かれているのだろう。
まあ、庭師としての仕事も完璧だった。
雑草一本なく、害虫の気配もない。ならば、褒美をくれてやる必要がある。
媚びを受けるのもまた主の務めだ。
俺は寛大である。母上の息子だからな。
そう思って好きなようにさせていたら、今度は調子に乗ったらしい。
そのまま両手を地面につき、脚を開く。
そして──
「ワ……か、さマ、こういう、ノ、好、キ?」
たどたどしい言葉。
それはオーマがその雌の記憶を読み取り、俺が好みそうな言葉を選んだ結果だろう。
俺は聞き届けると同時に。
「劣等か貴様ァッ!!!」
と叫んで、オーマの股間部を蹴り上げてやった。
星と星の間に働く"大いなる力"の逆再現。
斥力場を瞬間的に展開し、その爆発的な力を乗せて蹴り飛ばす。
凄まじい衝撃と共に、オーマの体がくの字に折れ曲がり、夜空へと射出される。
果たしてどこまで飛んで行っただろうか。
雲を突き抜けたところまでは目視できたが、それ以上は闇に紛れて見えなくなった。
勿論、騒音は全て遮断してある。
俺の魔力で構築した防音結界は、この程度の衝撃音など微塵も外には漏らさない。
母上はこの時間は眠っているはずだからな。
安眠を妨げるなど、万死に値する不敬だ。
数分後。
落下してきたオーマは死にかけているようだ。だが一応は生きている。
ボロ雑巾のようになったその体は、あちこちが欠け、黒い靄となって霧散しかけていた。
死んでも良いという気持ちで蹴ってやったが、生きているというのはまあ悪くないな。
精進している証だ。
あの程度の蹴りで死ぬようなら、アステール公爵家の庭師は務まらない。
俺がなぜ打擲してやったのか。
それはいうまでもない。卑な振舞いを見せたからだ。
何かしらの褒美を受けたいのならば、それを主張すればよいものを。
「こういうのが好きだろう?」などと、事前にそんな保険をかけてくるような真似をする劣等根性にむかっ腹がたったのだ。
実に浅ましい。それは忠誠ではない。傲慢である。
もしきちんと懇願すれば、情けをくれてやるつもりはないにせよ、踏むくらいはしてやったものを。
馬鹿な奴だ。
ちなみにフェリで知った事なのだが、どうやら女というのは踏まれるのが好きらしい。
いつだったか、フェリが俺に不調を訴えてきたことがあった。
その際、俺はフェリの体を隅々まで検分したわけだが──その過程でフェリは酷く嬌声を上げ、最後には失神してしまった。
俺の魔力による刺激がフェリにとっては耐え難い快感となったらしい。
その時に俺は学んだのだ。
一部の雌というものは踏まれると喜ぶということを。
オーマには性別はないと思っていたが、どうやら雌の一種であるらしい。
ならば踏んでやってもよかった。
俺にとっては面倒なだけだが、下僕の士気を高めるためには必要なことかもしれない。
そういえばエスメラルダは俺の婚約者であり、いずれは夜を共にすることもあるだろう。
あの雌もまた俺と同じものを見ている同志であり、ライバルだ。
母上への忠誠を競い合う相手。
その忠義に報いるためにも、その時はしっかり踏んでやらねば。
それが夫たる者の務めというものだろう。
俺はそんなことを考えながら、死にかけのオーマを見下ろした。
黒い靄が次第に集まり、再び人の形を取り戻していく。
「オーマ」
俺は短く命じた。
「庭の手入れを怠るな。後、次に俺の機嫌を損ねたら今度こそ消滅させてやる」
オーマは無言で頷き、震える足で立ち上がった。
その目には先ほどまでの邪悪さや媚びの色は欠片もない。
あるのはただ、主たる俺への絶対的な恐怖と、そして──
──奇妙な、満足感のようなものだった。
やはり、踏まれるのが好きなのだろうか。
理解しがたいが、まあどうでもいいことだ。
俺は踵を返し、自室へと戻ることにした。
今夜は少し気が立っている。
母上のことを考え、心を鎮めなければ。
えちえちのせいでBANされたらカクヨムで書き進めます