ワーカーホリック
◆
今日は普通に学院に行って、普通に帰ってきた。
ただそれだけの実に平穏な一日だったと言える。
劣等賞金首共を処理するのはまた来週だ。
優先すべきはまず学業であり、金稼ぎではない。
アステール公爵家の借金は一日でも早く返済しなければならないが、それも短期間でどうこうしなければならない訳ではないのだ。
着実に前へ進めばいい。
母上の完璧な息子であるために、焦りは禁物である。
それにしても、だ。
今回の一件については、やや失敗をしたと言わざるを得ない。
あの嘆きの沼での立ち回りについてだ。
俺は私室に戻ると、すぐにフェリを呼んで意見を聞くことにした。
失敗は放置してはならない。
原因を分析し、次に活かす。それが俺のやり方だ。
「フェリ」
呼べばすぐに来る──実にストレスフリーでよろしい。あの時、多少手間でも四肢を欠損していたフェリを治療してよかった。
俺は気が長い性格だと自負してはいるが、母上以外の者に10秒以上待たされるとぶち殺したくなってしまう。
ということで早速本題を切り出した。
「本来五百枚得られるはずだった金貨が、今回は百枚という結果になってしまった。それについて私見を述べよ」
俺の問いにフェリは即座に跪いた。
その反応速度は流石だが、内容はいただけない。
「申し訳ありません、若様。全ては私の責任でございます」
フェリは深く頭を下げ、淀みなく続けた。
「あの場において、若様が予定外の魔術を行使される前に、私が討伐証明の必要性について改めて強く進言すべきでした。私の配慮が至らなかったばかりに、若様にご迷惑を……」
そして「罰を」などという。
この女は優秀だが、どうにも融通が利かないところがある。
「いや、そうではない」
俺は溜息を吐き、フェリを見下ろす。
「あくまで俺の失態だ」
この際認めてしまうが、あのサヴァトラとかいう男から金貨百枚を受け取れたことは僥倖と言える。
本来ならばゼロでもおかしくなかった。
討伐証明となる部位を回収できなかったのだから、報酬など期待できるはずもなかったのだ。
あの劣等蛙の不愉快さに気を取られ、身の程を教えてやろうなどと考えたのが間違いだった。
そして、あの男に高額な触媒代などと嘯いたのは──
──ただの八つ当たりだ。
自分の不手際への苛立ちを、あの劣オスにぶつけただけのこと。
実に醜悪で器の小さい振る舞いではないか。
母上が知れば、きっと悲しまれるだろう。
俺が自身の失敗を認めると、フェリはなぜか奇妙なものを見る目で俺を見た。
まるで、未知の生物でも観察するかのような、そんな目だ。
なんだその目は。
俺が失敗を認め、反省するのがそんなにおかしいか?
◆◆◆
「反省会」が終わりハインの私室を辞したフェリは、静かに思考を巡らせていた。
フェリはハインがカレルの治療と引き換えに金貨百枚を得たと聞いても特になんとも思わなかった。
また、別に失敗だとも思っていない。
むしろギルド所属の冒険者の恩を買えた事で、単純に金貨五百枚を得るよりも遥かに得をしたとすら考えていた。
だがフェリが気になっていたのは、全く別の点にあった。
フェリが気になったのはカレルを治療する経緯である。
ハインはカレルの魔力の流れを正常化するために、こともあろうに全裸にして治療したという。
フェリが気になるのはそこなのだ。
ハインは何を憚る事なく治療の過程まで事細かくフェリに説明した。
乳首の先に指を当て、魔力を通し、凝りを解きほぐした、と。
まあハインからすればその様に細かく説明する事は、「反省会」をする上で必要な手間なのかもしれない。
情報を正確に共有しなければ、改善策など見出せないだろうから。
しかしフェリは気になるのだ。
──若様ほどの魔術師ならば、別に服の上からでも問題なく治療できたのでは?
その疑問がフェリの心に小さな棘のように刺さっていた。
この辺り、フェリが考えた様にハインなら出来ただろう。
彼の魔力操作能力は神業の域に達しており、衣服程度の障害物など無きに等しい。
ただ、ハインは良くも悪くも完璧主義者なのでそうしたに過ぎない。
僅かなノイズすら許さず、常に理論上の最適解を追求する。
それがハイン・セラ・アステールという男なのだ。
だが、そこはフェリも考えが及ばなかった。
要するにフェリは誤解をしているのだ。
ハインがカレルの裸体を見たかったからではないかと──そう結論付けてしまった。
それに対してもフェリは特に何を思う事はなかった。
ハインは多感な年頃の健全な男子だ。
異性に対して興味を持ち、性欲を抱くこともあるだろうとフェリは考えている。
むしろ、これまでそういった浮いた話が一切なかったことの方が異常だった。
しかし、問題はその相手と彼の立場である。
公爵家嫡男という身分である以上、好き勝手に平民に手を付けるというのはアステール公爵家にとっても余り良くないだろう。
体裁が悪い。
そしてなにより、“大奥様”であるヘルガが良く思わないのではないかという懸念もあった。
まかり間違えば、公爵家に亀裂を生む要因となりかねない。
そう考えたフェリは。
──ならば、私が
フェリの中で一つの決意が固まる。
ハインの欲求不満を解消し、外で問題を起こさないようにする。
──それが従者たる私の務め
自分ならば問題はない、とフェリは考えていた。
秘密は守り通せるし、何より自分はハインの所有物なのだから。
だから──
フェリは再びハインの私室の扉を叩いた。
「若様」
部屋の中から、書物を読んでいたであろうハインが顔を上げる。
「ん? なんだ……って、おい」
ハインは目を見開いた。
なぜか?
フェリがその機敏さを無駄に発揮し、ハインの眼前で全裸になったからである。
一切の躊躇なく、流れるような動作で衣服を脱ぎ捨てる。
まずハインの目に飛び込んできたのは、艶を帯びた褐色の肌だった。
日を浴びて磨かれた黒曜石のようになめらかで、室内の魔導灯の光を鈍く照り返している。
鍛錬によって極限まで削ぎ落された身体には余分な脂肪というものが一切見当たらない。
うっすらと縦に走る腹筋の線、引き締まったくびれから円を描くように広がる腰のライン、そして滑らかな曲線を描いて伸びる脚。
その肢体のすべてが戦闘に特化した機能美の到達点であった。
背中には幾筋か古い傷跡が白い線となって走っているが、それすらもフェリの肉体を彩る装飾のように見える。
だがその研ぎ澄まされた肉体の中で、唯一異質なほどの柔らかさと質量を主張する部位があった。
豊満という言葉では生ぬるいほどの双丘である。
その重みを支える胴体とは不釣り合いなほどに大きく、しかし重力に逆らうようにピンと張ったそれは瑞々しい果実のように若々しい。
文字通り生まれたままの姿となったフェリは表情を変えず、ただ静かにハインを見つめていた。
「どうぞ、お好きなだけご覧ください」
そんなフェリの言葉にハインは──
──少し働かせすぎたかな
と思うのみである。