劣等蛙抹殺計画④終
◆
金貨百枚──全財産。
それを俺に捧げる、とこの劣オスは言った。
なるほど、殊勝な態度だ。
俺の貴重な魔力をこの劣オスのために消費させてしまった罪は重い。
本来ならば命で贖わせても足りないくらいだ。
だが、即座に己の全てを差し出す判断力。
そして、分際を弁えているようでもある。
もしかしたらコイツはただの劣等ではなく、賢い者なのかもしれない。
将来、母上が治めるこの世界──いや、この星には、こういう忠実な下僕が必要だ。
母上の威光は遍く広がり、やがて全ての劣等が母上に傅くことになる。
その時、劣等共を管理する中間管理職的な存在は必要不可欠だろう。
コイツはその候補たり得るかもしれない。
となれば、だ。
内容にも寄るが、話くらいは聞いてやっても良いかもしれない。
「ほう? 俺に頼み事だと? この俺に? だがまず名乗れ。俺はアストと言う」
劣等ではないのなら名前を尋ねなければなるまい。
「は、はい……俺はサヴァトラと言います……」
「良し。サヴァトラとやら。言ってみろ、俺に何を求める?」
「は、はい! 実は、俺には妹がいるのですが……その、病気で……」
サヴァトラは切々と語り始めた。
妹が重い病にかかっていること。
その治療薬が金貨五百枚もすること。
その金を稼ぐために、無謀にもこの賞金首に手を出したこと。
ふん、くだらん。
劣等の身の上話など反吐が出る。
だが話の要点は理解した。
「つまり、その妹とやらを治してほしい、ということか」
「そ、そうです! お願いします! 先ほどの神業のような魔術……貴方様なら、きっとカレルを!」
俺は少し考えた。
病気、か。
生憎だが俺には病に関する専門知識はない。
俺が学んできたのは、あくまで魔術だ。
破壊と再生、そして世界の理を解き明かすための学問。
劣等の病理など、興味の対象外だった。
だが、この男の言う「“器”のヒビ」という表現は興味深い。
魔術師特有の症状だというのなら、それは魔力に関係しているはずだ。
ならば俺の領分でもある。
「いいだろう。診るだけなら診てやる」
俺はあっさりと承諾した。
「ただし俺の手に負えなさそうなら、諦めてもらう」
「は、はい! ありがとうございます! ありがとうございます!」
サヴァトラは地面に額を擦り付けんばかりに深く頭を下げた。
まあ、妥当な反応だろう。
◆
と、いうことで俺はこの男の常宿へと向かうことになった。
もちろん、飛翔で、だ。
「場所はどこだ」
「て、帝都の安宿街です。ここからだと、馬車で十日ほど……」
「馬鹿か? 誰がそんなものに乗る」
俺は溜息を吐き、サヴァトラの首根っこを掴んだ。
「え? あ、ちょっ──うわあああああッ!?」
眼下に広がる嘆きの沼が、急速に遠ざかっていく。
ちなみにその他の劣等共はこいつの弟たちに任せてきた。
蛙に取り込まれてからさほど時間が経っていなかったということもあり、あの後すぐに起き上がってきたからだ。
全裸で粘液塗れの男たちが抱き合って泣いている光景は醜悪極まりなかったが、まあ好きにさせておく。
フェリにはそいつらの監視と、帝都への誘導を命じておいた。
それにしても、だ。
このサヴァトラという男は、本当にうるさかった。
「うおおおおおッ!? と、飛んでる!? 速い! 速すぎる!」
「静かにしろ。舌を噛み切るぞ」
「は、はい! も、申し訳ありません!」
少し黙ったかと思えば、またすぐに「ひいっ」だの「落ちる!」だのと騒ぎ出す。
空を飛ぶくらいで何をそんなに騒ぐことがあるのか。
途中、何度も落としてやろうか迷ってしまった。
だが、それでは話が進まん。
俺は苛立ちを抑え、数分で帝都の安宿街の一角に降り立った。
サヴァトラは地面に降り立つなり、その場にへたり込んで嘔吐する。
汚い奴め。
「さっさと案内しろ」
俺は吐瀉物を踏まないように注意しながら、宿の中へと入っていく。
サヴァトラが案内する部屋に入る。
狭く、薄暗い部屋。
中央の粗末なベッドに、一人の劣等雌が横たわっていた。
問題の妹、カレルだ。
──ふむ、なるほど
視た瞬間に、大体の状況は把握できた。
確かにこれは放置すれば死ぬだろう。
「カレル! 大丈夫か! 凄い魔術師様を連れてきたぞ!」
サヴァトラが駆け寄る。
カレルと呼ばれた雌は、弱々しく目を開けた。
「お兄……ちゃん……? その方は……?」
俺はベッドサイドに立ち、その雌を見下ろした。
年は俺と同じくらいか、少し下か。
青白い顔をしているが、魔力の質自体は悪くない。
むしろこの年齢にしては上等だ。
だが、その流れが酷く乱れている。
治す──いや、直すとすれば、もう少し視えやすくする必要があるな。
「おい」
俺はサヴァトラに命じた。
「この雌の服をすべて脱がせろ」
「は……? え?」
サヴァトラが間抜けな声を上げる。
「な、何を仰るのですか!? カレルは病人です! それに、まだ年端もいかない娘で……! さすがにそれは……!」
何を勘違いしているのだ、この劣等は。
俺がこんな雌の裸に興味があるとでも思っているのか?
不愉快極まりない。
俺がこの世で唯一価値を認める女性は、母上だけだ。
他の雌など、石ころ同然だ。
「馬鹿者が。こいつは魔術師だろう? 魔力が込められている衣服が邪魔でよく視えんと言っているのだ」
魔術師が日常的に着る衣服には、本人の魔力が無意識のうちに浸透する。
普段なら気にも留めない程度のものだが、精密な診断を行う上ではノイズとなる。
「し、しかし! それでも、男の前で肌を晒すなど……!」
サヴァトラはなおも食い下がる。
──面倒な奴だ
俺は溜息を一つ吐く。やはり劣等は劣等だったか。
「なら、いい。俺は帰る」
「えっ!?」
「貴様の妹がどうなろうと、俺の知ったことではない」
そう言って踵を返すと、サヴァトラが慌てて叫んだ。
「ま、待ってください! お願いします! 妹を見捨てないでください!」
「ならば俺の言う通りにしろ」
俺は一歩踏み出し、圧を込める。
部屋の空気が重く、冷たくなった。
「──それとも何か? 妹が死んでもいいのか?」
俺の言葉に、サヴァトラの顔が絶望に歪む。
だが、その時。
「……お兄ちゃん、いいよ」
か細い声が響いた。
劣等雌が、ベッドの上で弱々しく首を振っている。
「私、大丈夫だから。この方が、治してくれるなら……」
「……分かりました。お願いします。カレル、すまない……」
そうして、サヴァトラの手によって劣等雌の衣服が脱がされていく。
晒された肢体は、病のせいか酷く痩せ細っていた。
肋骨が浮き上がり、肌には艶がない。
母上の豊満な肉体とは比べ物にならない、貧相な体だ。
だがそんなことよりも俺の目を引いたのは、その胸元だった。
「なるほど、“器にヒビ”か。言い得て妙だな」
俺は思わず呟いた。
◆◆◆
ハインはカレルの病状を正確に見抜いていた。
魔術師の「器」とは、体内に魔力を循環させ、溜め込むための根源的な容量を示す。
だが、それは単なる容量だけの問題ではない。
ハインが信奉する「粒理論」に基づけば、万物は“粒”の集合体である。
魔力もまた然り。
そして、その魔力の粒子を肉体に適合させ、安定的に運用するための構造体こそが、器の正体だ。
その構造体とは要するに、魂だとかそういう名で呼ばれる事もある。
カレルの場合、この構造体が彼女自身の急激な魔力の成長に耐えきれず、歪みが生じていた。
これが「ヒビ」の正体である。
構造体が歪めば、魔力の流れは乱れる。
スムーズに循環すべき魔力が特定の箇所で滞留し、異常な高密度状態となる。
そしてその高密度の魔力が、彼女自身の肉体を内側から蝕んでいたのだ。
皮肉な話だ。
才能が身を滅ぼすとは、まさにこのことだろう。
通常の医者や治癒師では、この構造体の歪みを根本的に治療することはできない。
だが、ハインにとっては造作もないことだった。
彼は“粒”の配列を操作し、再構築する技術に長けている。
◆
「だがまあ、これを──こうして」
そう言って俺は、この劣等雌の乳首の先に指を当てた。
「あっ……」
劣等雌が息を呑む気配がしたが、無視する。
そのまま胸から魔力を通し、上半身にいきわたらせる。
これはつまり、攪拌だ。
本来、魔力というものは全身に満遍なく満ちているものだが、この雌の場合は胸に凝り固まっている。
これは雌によく見られる症状だ。
女性の体は、子を宿し育むために、特定の部位──特に胸部や下腹部に魔力が集まりやすい構造になっている。
こうなると、その部分だけ魔力の濃度が濃くなり、体に負担をかける。
器が万全な状態ならば問題ないが、劣等雌のように器にヒビが入っている状態では、この魔力の偏在が致命的となる。
俺の魔力でその凝りを解きほぐし、本来あるべき流れに戻してやる。
まるで、冷えて固まった油を熱で溶かすように。
「ん……あっ……」
劣等雌の口から、微かな嬌声が漏れる。
魔力の流れが正常化する過程で、一種の快感が生じることがある。
フェリの体で実験した時に知ったことだ。
まあ、どうでもいいことだが。
俺は淡々と作業を続けた。
同時に、歪んだ構造体──器を、俺の魔力で補強し、再構築する。
俺にとっては、壊れた玩具を直す程度の簡単な作業だ。
数分後。
「よし、終わった」
俺は指を離した。
カレルの顔には赤みが差し、呼吸も安定している。
その胸元から漏れ出ていた異常な魔力も、すっかり鳴りを潜めていた。
「え……? もう、治ったのですか?」
サヴァトラが呆然と呟く。
「ああ。これで問題ない。あとは安静にしていれば、体力も回復するだろう」
俺はそう告げ、部屋を出ようとした。
「あ、あの! お待ちください!」
サヴァトラが慌てて呼び止める。
「こちら、約束の金貨百枚です。確かに、お納めください」
そう言って彼が差し出したのは、古びた革袋だった。
中には、ずっしりとした金貨が詰まっている。
俺は無言でそれを受け取った。
依頼達成だな──とりあえずは。
しかし次からはもう少し使う魔術を考えねばなるまい。
「ありがとうございました! この御恩は、決して忘れません! 俺たちの命は、貴方様のものです!」
サヴァトラは深く頭を下げた。
その横で劣等雌もベッドの上で深々と礼をしている。
結構な事だ。施しに対して礼一つ述べられないものはぶち殺しても良いと母上が言っていた。
……言っていたかな? どうだったかな?
まあいい。
俺は何も言わず、その場を後にした。
◆◆◆
こうして、ハイン・セラ・アステールは、鉄等級パーティー『銀狼の牙』の四兄妹を救った。
彼にとっては些細な気まぐれであり、金儲けのついでに過ぎなかった。
だがこの行為が、彼らの運命を大きく変えたことは間違いない。
そしてそれは、世界の運命をも捻じ曲げる結果となった。
“本来の歴史”において、彼らは当然のように死んでいた。
彼らは堅実な冒険者として知られていたが、その最期はあまりにも呆気なく、そして無残なものだった。
原因はもちろん、『“攫い舌のボギー・ワン・フロッグ”』である。
妹カレルの治療費を稼ぐため、無謀な挑戦に打って出た三人の兄たち。
彼らは嘆きの沼で、ボギー・ワン・フロッグの餌食となった。
長兄サヴァトラは、弟たちが魔物の一部となり、苦悶の表情を浮かべながら助けを乞う姿を目の当たりにする。
その絶望の中で、彼もまた魔物の舌に捕らえられ、同じ運命を辿った。
彼らの意識は魔物の中で生き永らえ、永劫の苦しみを味わい続けることとなる。
そして、帝都に残された末妹カレル。
彼女は兄たちの帰りを待ち続けたが、彼らが戻ってくることはなかった。
病は進行し、治療薬を買うこともできず、彼女は孤独の中で息を引き取った。
誰にも看取られることなく、安宿の一室で、静かに。
それが、“本来の歴史”における彼らの結末だった。
だが、この世界のハインが、その死の運命を捻じ曲げた。
しかし、それは本質ではない。
ハインが救ったのは、彼ら四人だけではなかった。
実のところ、“本来の歴史”では、さらにもっともっと多くの人間が死んでいた。
『“攫い舌のボギー・ワン・フロッグ”』は、本来、さらに強大な魔物へと成長する運命にあったからだ。
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“本来の歴史”におけるボギー・ワン・フロッグは、まさに悪夢そのものだった。
『銀狼の牙』を皮切りに、彼らを捜索に来た冒険者たちを次々と捕食。
さらには嘆きの沼に生息する他の魔物たちすらも取り込み、そのたびに力を増していった。
体躯は十メトルを超えるまでに巨大化し、その体表には数百にも及ぶ人間の顔が浮かび上がり、絶えず悲鳴と怨嗟の声を上げていたという。
その鳴き声を聞いただけで、並の冒険者は精神を崩壊させた。
事態を重く見た冒険者ギルドは、金等級パーティーを複数投入して討伐を試みる。
だが、それすらもボギー・ワン・フロッグの敵ではなかった。
異常に発達した舌は鋼鉄の鎧をも容易く貫き、強力な酸性の粘液はあらゆるものを溶かし尽くした。
そして何より恐ろしいのは、その再生能力だった。
傷を負っても、体内に取り込んだ獲物の生命力を吸収し、瞬時に回復してしまう。
討伐隊は壊滅し、その中には後に勇者パーティーの一員となるはずだった有力な冒険者も含まれていた。
ボギー・ワン・フロッグはその後も成長を続け、やがて嘆きの沼一帯を支配する存在となる。
その被害は帝都近郊の村々にも及び、物流は滞り、多くの人々が飢えと恐怖に苦しむこととなった。
それは、帝都の歴史に残る大惨事であった。
最終的に、この魔物は覚醒した勇者アゼルによって討伐されることになる。
だが、その戦いは熾烈を極め、アゼル自身も深い傷を負うこととなった。
そして、その戦いに至るまでに失われた命は、数千にも上ったとされている。
ハインはその全ての悲劇を未然に防いだのだ。
まあ彼自身はその事実に気づいていないが。
彼にとっては、不愉快な蛙を始末し、はした金を手に入れただけのこと。
それで終わりだ。
だが、世界は確かに変わった。