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ご褒美のタルトタタン

作者: ゆちば

読んでほっこりしていただけると嬉しいです。

「申し訳ございません。整理券の配布は終了してしまいまして……」


(あぁ、マジか)


 私はがっくりと肩を落としながら、フルーツタルト専門店を後にした。

 旬のフルーツをふんだんに使った宝石のようなタルトが人気のお店で、私はそこの季節限定新作であるミックスベリーのタルトを食べるため、張り切って開店一時間前に馳せ参じた。

けれどさすがは人気店。

一時間前程度ではライバルたちに競り勝つことはできなくて、私はすでに歩道にまで伸びている行列を恨めしそうに眺めることになってしまったのだ。


(痛恨のミス。何やってんだ、私。せっかく電車を乗り継いで来たっていうのに)


 社会人二年目の私は、自分への「ご褒美」として、休日にカフェに行くことにしている。学生時代からカフェ巡りをすることに憧れていて、働く大人になってようやく夢が実現できるようになったのだ。

 SNSにはカフェで注文した、いわゆる映えるスイーツやドリンクの写真を毎週アップしているのだが、今日の投稿分はどうしたものか。


(ミックスベリーのタルトの代わりになるものかぁ……)


 私は白いため息を吐き出しながら、まだまだ冷える十時台の町をとぼとぼと歩く。


 スマートフォンで代わりになりそうなお洒落なカフェを検索してみるも、この辺りは十一時オープンの店がほとんどらしく、なかなか行く宛が見つからない。

早朝から営業しているファストフード店で時間を潰し、目ぼしいカフェがオープンするまで待機しようか……と、私が地図アプリを開こうとしていると――。


 ふわりとほろ苦いコーヒーの香りを感じ、思わずスマートフォンから顔を上げた。

 その香りを自信のない足取りで追いかけていくと、白い壁にモカブラウンの屋根をした小さな喫茶店が目に入った。スマートフォンの検索では出て来ていなかったが、どうやらブックカフェらしい。


 私はこれまでブックカフェという場所に入ったことがなかったのだが、鼻腔をくすぐるコーヒーの香りに抗えず、静かにお店のドアを開いた。


 カランカランと年季の入った音のドアベルが鳴る。


「開いている席にどうぞ。本もご自由に」


 マスターと呼ぶべきなのか分からないが、落ち着いた雰囲気のスマートな中年男性が、カウンターの向こうから優しい声で迎え入れてくれた。


 店内は準喫茶風のレトロな内装で、アンティーク調の濃いこげ茶色の家具で統一されている。カウンター席は五席。三席あるテーブル席には一人掛けのソファが組み合わされていた。

 お客は私の他に二人。カウンター席に常連と思しき老紳士、テーブル席に大学生風の女性。老紳士は店の壁を囲むようにして設置されている本棚の前に立ち、気になる本を探しているように見えた。一方女性は、静かに文庫本のページをめくり、時折コーヒーをすすっている。


(なるほど。好きな本を読みながらくつろいでいいわけね)


私は蔵書の多さに驚きながらも、カウンターキッチンにいるマスターに【コーヒーとケーキのおまかせセット】、を注文した。入り口にあった黒板に書かれていたので、気になっていたのだ。いつもは限りなく映えるスイーツを求めて注文するのだが、このお店のメニューは、どうやら「おまかせ」しかないらしい。おすすめ品を日替わりで提供してくれるのだろうか。


 私は「なかなか挑戦的だな」と、わくわくした思いを抱きながら、一番奥のソファ席に腰を下ろした。沈み過ぎないいい硬さのソファだ。

私は座り心地を黙って堪能しながら、近くの本棚に視線をやった。


 最近私は、めっきり本を読まなくなっていた。読むとしたら、電子で読める漫画かネットニュース記事。別にブックカフェに来たからといって、無理に本を読む必要はないだろう……と、私は流行りのショルダーバッグからスマートフォンを取り出そうとしたのだが、なんの偶然か――。


(これ……、就活の息抜きで読んでたやつだ)


 私が就活講座の合間や、面接を終えたご褒美に読んでいた小説が、目の前の本棚に並んでいたのだ。

社会人になり、読書から縁遠くなってしまっていたので知らなかったのだが、シリーズは今も続いているらしい。当時、私が最新刊として買って読んだ五巻を超えて、その本棚には八巻までが置かれていた。


 私は思わず懐かしくなり、小説の一巻を手に取った。本当は続きの六巻が気になったが、内容を覚えていなかったらどうしようという思いが頭をよぎり、まずは始まりの一冊目に手を伸ばしたのである。

 けれど、それは要らぬ心配だった。読み始めると、当時少ないバイト代を軍資金に、とびきり面白い一冊を買って帰ろうと意気込んで書店を訪れた記憶まで蘇り、つい、ひとりでクスリと笑ってしまった。


(懐かしいな。二巻が出るのが待ち遠しくて、一巻を何回も読み返してた)


 私が思い出に浸りながらページをめくっていると、ほどなくしてマスターがコーヒーとケーキを運んできてくれた。


「【モカコーヒーとタルトタタン】です。ごゆっくりどうぞ」


 マスターは私が本に夢中になっている姿を見たからか、「僕も新刊が待ち遠しくて」と、穏やかな笑みを浮かべて去って行った。同士を見つけたみたいで、私もなんだか嬉しくなってしまう。


 そして、お楽しみのカフェタイムだ。

 私はコーヒーの種類には詳しくないが、一口飲んだだけで「美味しい」と無意識に言葉が飛び出てきた。

苦味が少なくて、ブラックコーヒーをあまり飲まない私でも飲みやすい。なんだかフルーティな味がする。深い味わい、とでも言おうか。普段、私が飲んでいるペットボトルに入った甘いコーヒーとはまったく異なる風味だ。


「美味しい……」


 同じ言葉をつい再び口にしてしまう。


 続いて、メインのタルトタタン。

フランスのタタン姉妹がうっかりミスで作ったケーキである、くらいのことは知っていたけれど、実際に食べるのは初めてだった。

とにかくりんごがぎっしりだ。語彙力がなくて恥ずかしいが、キャラメリゼされたりんごがキラキラと光っているように見えてとても綺麗に見える。タルト生地が下に敷かれているのだが、りんご部分9:タルト生地1くらいの割合で、圧倒的にりんごが多い。


(そそる……!)


私はタルトタタンの美味しそうな見た目に圧倒されながら、ごくりと唾を吞み込んだ。

 フォークで食べやすい大きさにカットするのも若干苦労するくらい、たくさんのりんごが重なっている。

私は高ぶる気持ちを抑えてフォークを突き刺し、ひと口分を口に運ぶと、甘酸っぱいりんごとサクサクとしたタルトの組み合わせに、さらに語彙力を失った。


「美味しい……」


 三回目だ。けれど、それしか表現しようがない。

気の利いた形容詞や誉め言葉なんて思いつかない。SNSにアップして、知らない誰かにお勧めするための宣伝ワードやハッシュタグなんて、もってのほかで――。


(あ。そういえば、写真撮ってないや……)


 私はその時になってようやく、いつもは欠かさないカフェでの写真撮影を忘れていたことに気がついた。けれど、「まぁ、いっか」と、特に大きながっかり感も抱かなかった。

 私はソファにうずもれるようにもたれかかり、ほっこりとした温かい息を吐き出す。

 せかせかとお洒落なカフェをリサーチし、キラキラと華やかな写真を「ご褒美」としてSNSに載せることよりも、今この店で過ごした数十分の方が、私にとってはよほど「ご褒美」だ。



***


 その後、私は数時間かけて小説を三巻まで読み進め、ケーキとモカコーヒーのお代わりまでした。

マスターが気を利かせてくれたのか、お代わりのケーキはタルトタタンではなく、シックな味わいのガトーショコラだった。ほろ苦く濃厚なチョコレートの甘さが最高で、私はこれまた何度も「美味しい」を繰り返したのだった。


「また来ます……」

「お待ちしております。来週新刊が出るそうなので、仕入れておきますね」


店を出る時、長居し過ぎて少しばかり気恥ずかしい私に、マスターは優しい笑みを向けてくれた。


次の「ご褒美」まで、また頑張ろう。

そう思える穏やかな休日だった。



読了ありがとうございました!

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― 新着の感想 ―
[一言] おはようございます。 とてもほのぼのしていて、面白かったです。 タルトタタンおいしそうで、お腹すいちゃいました。
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