濃い面々なのに意外と平和過ぎた高校時代
小学校、中学校は自身の性格に問題があったのもあるが、周囲の環境が中々に荒んでいた状況もあった。一学年下にはヤクザの息子やヤンキーが異常発生していたり、年上の方では不良全盛期の名残の世代でもあった為それはそれは凄まじい物だった。
喧嘩でも流血沙汰は当たり前。自分の場合は相手が多人数、と言うような状況、今でいう袋叩き、イジメとも言えるレベルで、喧嘩も出来ない弱っちい自分は対抗手段を選んでられる状況ではなかった。教室にある椅子で殴り倒す、カバンの柄が千切れるまで顔面に打ち付ける、周囲に武器になるものがなかった場合は相手の目を得意の超強力な握力で握りつぶそうとする。そんなものだから自分との喧嘩は誰かしら必ず負傷していたし、多対一がほぼ毎回だったもので喧嘩に勝てる要素は毎回なかった。中学一年の時の格闘オタクの同級生が心配して、自分にヤンキーの撃退法を色々教わったりしたぐらいだった。その時の過程で格闘技としてはマイナーなジークンドーの技も二つほど覚え、多人数で囲まれた時の対処法のひとつでカミソリの刃を生徒手帳やナイフ、学ランに仕込んだ事もあった。
一転して、高校時代は急激に変化した。
公立の商業高校に行ったわけだが、偏差値はお世辞にも高いとは言えなかった学校ではあるが、意外にも暴力関係がない。普段の身嗜みや節操を欠いている、その程度のもので校内で喧嘩が発生した事はほぼ見た事がなかった。ヤンキー集団ももちろんいたが、中学時代とは全く違って、ただの馬鹿騒ぎが好きな集まり、と言った程度だった。
1年の時の担任の先生。簿記担当で、ある日突然暴露したのが、学生時代は元ヤンだったとの事。生徒からはちゃん付けで慕われていた、今のご時世で見ても砕けたノリの良い先生だったと思う。学生時代かなり荒れていたらしいが、どういうキッカケなのかは不明だったが、一念発起して留年の危機を回避して経済大学に進学して、商業専門の教師になった、との事。たった数年でどれ程の逆境を経験したのか、尊敬する先生のひとりだった。
続いてクラスメイトその1。この学校は当時、男女混合の名前の順で席で配置されていた為、かなりごっちゃごちゃな雰囲気の席配置だったが、自分の前に座っていたのはいかにもオタク然としたヤツだった。ただ、陰キャではない。お笑いのノリといったものをかなり理解していて、ノリだけで見ると陽キャグループに引けを取らないレベルの存在感を持っていた。いうところのツッコミ役。ヤンキーだろうが強面野球部員だろうがボケをかますと容赦なくシバキツッコミを入れるヤツ。しかもオタクにしては珍しく授業を逃けるクセがあって、たまに付き合いで自分もトンズラして、学校の隣の本屋で二人揃って立ち読みするというダイレクトサボりを敢行したのも良い思い出。
その次に他クラスの同級生コンビ。二人揃って中学が一緒だったそうで、こちらもオタク然とした風貌。ただ、見た目が色白と色黒な具合で、いつも二人揃っていたのでヤロー版オセロみたいな雰囲気。こちらのオタク度合は重度。色白君はメジャーなゲームマニアで、色黒君はかなりディープ。今ではかなりメジャーな部類になっている「Fate」シリーズのインディーズバージョンをこの時からプレーしている猛者。卒業後にヤンキー趣味にも目覚めて所有のオデッセイをヤン車に改造するガンプラオタクと化していた。
もうひとりの別の他クラスの同級生。彼はクラスメイトその1と中学の同窓で、重度の天然かつオタクだった。更に発言が最もぶっ飛んでいる。移動手段は片道が10km以上あっても全てにおいて自転車。登校時に持ち歩くカバンの中には全ての教材、教科の数に合わせて揃えたノート全てと総重量15kg。それでいて成績超優秀。ただたまに発言で空気を読めないところがあった。昼飯時に、教室でおもむろにコンビニのおにぎりを取り出して「○○(コンビニフランチャイズの名前)のシーチキンマヨ、いつもドブくさい」と食ってる最中に発言。今すぐに帰りたいと思った瞬間。
校長、どう見てもアウトレイジ。教頭、どう見ても政治家。ただどちらも人間味が溢れる、見た目とはとんでもなくギャップのあった方々。
野球部顧問。当時でも現在でもかなり有名な高校の敏腕監督で、苗字を出すだけでどこなのか一発でわかってしまうので伏せるが、地元の県の甲子園出場常連の強豪校とタメを張って、選手生徒を金でアチコチ取られまくっていたにも関わらず、強力かつ合理的な指導で県内屈指の強豪校にした猛者。部員からは“親父”と呼ばれるなど、雰囲気がアウトレイジだったが、授業風景はかなり緩かった。元来、監督として呼ばれた人物だったから、そうなるのは必然だったと思う。しかし、この監督とどういうわけか、全く野球に関係しない自分と一時期妙な縁があった。自分がビジネスホテルの夜勤アルバイトをしていた時、よく利用してくれていた。毎回顔が真っ赤になっての来店だったので、おそらく接待だったのだろう。社会人になって程なくして、身近な大人に社会での在り方の裏側をただ黙って姿だけで教えてくれたので、本当の意味で“先生”であった。
もちろんこれだけではない。代表格でこれなのだから、当然集まる生徒も相当な人数に加えて全員アクが強い。面々はこうもコッテリしているのに、どういうわけか至って平和な高校生活。ホントに大事件、とでも言うような事態は一度もなかった。
高校生活最後に遭遇した珍人物を挙げると、卒業式の時に来賓席にいた教育委員会のお偉いさん。当時自分のクラスが卒業生席の最前列の為非常に目立つ。その当時無謀にも自分はコンビニの夜勤上がりからの卒業式参列と馬鹿な事をしたもので、当然式典の最中、最前列でウトウトしていた。当然ながら睨みを利かされる。特に気にしていなかったものの、生徒会長が壇上に上がって卒業式答辞を述べた際、生徒会長は相当感極まったのか大号泣しながら答辞を続行していた。そんな中でもらい泣きしやすい自分は本当にもらい泣きしそうになったが、そこで不意に来賓席を見ると、自分を睨みまくっていたお偉いさんが一番とんでもなくもらい泣きしていた。
言葉を交わす事なく人間性が垣間見えた。もう年齢的に考えてお会いする事はないだろうけど、もし再会するような事があれば、卒業式での事謝らせてください。