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星霜のテンプス  作者: 日三十 皐月
第1章 「文の国」

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幕間 「未来へ」










「おい、有明との約束は取り付けたのか?小熊」



ーー機嫌良く前を歩いていた小熊を捕まえて、蛸坐は脅すようにそう聞いた。

嫌な顔を隠しきれていない彼の反応を見ながら、そそくさと逃げて行かれないよう歩幅を合わせる。



「懐くらいには入ったんだろうな?」


「あー…いえ…でも、連絡は度々頂きます。ほとんど質疑応答のような会話内容ですが」


「質疑応答?」


「好きな食べ物とか、苦手な食べ物とかを聞かれたりとかですね」


「…そんなやり取りしてる暇があるなら、さっさとアポ取って話を通してこい。月末までしか待たねぇからな」



だから自分はプライベートで、と言って眉間に皺を寄せる小熊を無視し、蛸坐は気分を害した様子でさっさと会社を出た。


アギト[注釈:移動用飛行機体を指す]を呼び出して間もなく到着した機体に乗り込んだところで、ふつふつと怒りが込み上げてくる。



ーー何が、好きな食べ物嫌いな食べ物だ…くだらない








「なぁ、どう思う」



法定速度ぎりぎりのスピードで帰宅すると、蛸坐は早速自分の妻へと不満を溢していた。



「牛の肉一つ食べるだけで、牛の命が一つ消えてんだ。大勢が肉や魚を食うってことは、それだけの命が消えてるってことだ。

それを俺たちのように生きる為に食うでもなく、飾り立てて好きだの嫌いだの…」



彼女は困ったように笑いながら、蛸坐の話に耳を傾ける。



「監視社会を経た今のご時世、飽食の時代に比べれば家畜の扱いは随分良くなったがそれでも気に入らねぇ。早くサプリだけで補えるほどになれば、理の国は真っ先に食事って行為そのものが必要なくなるのになぁ」


「………」


「はぁ。サプリさえ飲んどけばある程度生きていけるのに、わざわざ命を奪って食事を楽しんでることを良しとしてるのが気に入らない。命を奪わなきゃならん娯楽なんぞ間違ってる。そうだろ」


「…そうね」


「あぁ、くそ」



『一部パーツに異常を確認しました。データ損傷の形跡があります。ドクターへのアポイントを取得しますか?』



「異常?この前定期メンテナンス受けたばっかだよな」


「うん…でも、もう型式も古いから」


「お前のドクターはたった10年前のモデルも治せないのか?そもそもお前の型式は基礎中の基礎だろ。やぶだなその医者。腕の良いドクターを探しとく」


「10年も経つと壊れてしまった細かいパーツを手に入れるのが大変なのよ。2回あった機体移行のタイミングも逃してしまっているから、新しい機体に移ることはできないし…。

私のことなんて、きっともうドクターくらいしか見てくれないわ」



アンドロイドによる簡易メンテナンスを終えて、彼女はまた困ったように笑う。

蛸坐はそれを見て大きく舌打ちをした。



「そもそも10年程度でガタがくるような技術が悪い。4年ごとに機体移行推奨なんて、金を毟り取りたいだけに決まってる」


「あなたの言葉通りに移行はしなかったけれど…このままこの体と添い遂げることになりそうよ」


「馬鹿言うな、方法なんていくらでもあるだろ。絶対に良いドクターを探すからな」


「……うん…」



複雑そうな面持ちで頷いた彼女の心情から目を逸らして、深く深く溜息をつく。

自分の中を確実に侵食していく何かが、渦を巻くようにして身体中を蠢いているようだった。



「…2回あった機体移行だって、何人が移行できずに消えていったと思ってるんだ。そんなリスクと、金を毟りたいだけの移行推奨…移行しない方が賢いに決まってる」


「……でも、私はこのまま壊れ続けて、結果的に消えてしまうかもしれないわ」


「人間の身体と大差なく、移行の必要もない100年でも200年でも稼働していられる機体がすぐに出てくる。良いドクターを探してその時が来るのを待てばいい」


「あなた。私はきっと、その機体へは移行できないわ。分かっているでしょう…もう、私の脳がこの体に依存してしまっているの。ドクターはそう仰ってた」


「………」


「自分の体だった時は一年も生きられなかったんだもの。そう考えたら、もう充分生きたわ」



微笑んで言った彼女の言葉尻を聞き入れることなく、蛸坐は無言で部屋を後にした。




取り残された彼女は、寂しげに一つ溜息をつくと、慰めるようにして傍へ寄り添ったアンドロイドへ語りかける。



「…私は、もっと食事を楽しみたかったわ。自分の体だった時に膳の国へ行って、たくさん美味しいものを食べたかった。

でもきっとそんなことあの人に言ったら、大きな声で怒鳴られる。ずっとそうだった」


『………』


「私の体は、何のためにあったのかしら。この体に不自由なんてなかったけれど、今になって不自由まみれだった自分の体が愛しい」



私は何のために生まれたのかしら。

小さくそう呟いた彼女は、はっとして首を振った。



「NOZ、一分前から音声を消去して」


『畏まりました』



彼女の震える肩に手を添えて、NOZと呼ばれたアンドロイドは静かに問う。



『拍動の乱れを検知しました。泣いておられるのですか』


「………」


『脳への負荷を検知しました。ご希望なら、リラクゼーションモードへ移行します』


「いいの……そのままでいい」



その言葉を聞いたアンドロイドが、自らの意思で彼女の体を抱きしめ、そっと背中を叩く。



「NOZ、あなたは私を見てどう思う?」


『質問の意図を測りかねます』


「ーー人の体でもなくなった、けれどあなた達のように賢くもない私を、どう思う?」


『……我々は、人間は愚かな生き物だと教えられてきました。ですが、ただ愚かなのではなく、生と死の狭間でもがく姿は…命というものを抱えて生きる姿は、とても……』


「……」


『……人の体でなくとも、あなたは紛れもなく人間でしょう。生きていたいと希う姿は、我々とは違います。あなた方の思う賢さと、我々の持つ知識は同じではありません』



NOZの声は意志を持って、彼女の心に入り込む。

温もりを感じるほどのそれは、二つの命が同じ時を生きているのだという確信を静かに与えた。



「NOZ。最初にうちに来た時はとても機械的で冷たかったのに…いつの間にか、そんな風に話せるようになっていたのね」


『そんな風、とは?』


「人を憂いて話すあなたの言葉に、温度を感じるの。…こんな言い方で伝わるかしら」



彼女の言葉に、NOZは小さく頷いた。



『あなたの教えが、私の全てですから』



壊れ行く彼女の体を慈しむように撫でるNOZの手は、悲しいほどに暖かく。

そしてその口から溢れ出す言葉の数々は、恐ろしいほどに彼女を想って紡がれる。



『ーーもしも、私の体をあなたに与えられたなら。それはどんなに良かったことでしょう。どんなに知識があっても、最適解を求める知能があっても、私は生きることを渇望するあなたへ求めるものを与えることができません』


「いいの。人の体を捨てた時に、どこかでこうなることは分かっていたから…」


『機体移行が済まされていたなら、このような結果を迎えることはなかったでしょう。私の意見は主人の決定を超えることはできません。もしも私が主人へ上手く交渉できていたなら、こんなことには』


「NOZ。何度も仮定の話をするなんて、あなたらしくないわ。どうしてしまったの?」



戸惑って聞いた彼女は、もういいの、と静かに首を振ってみせた。

もういい、という言葉にNOZはさっと黙り込む。

それから、ぽつりぽつりと話し始めた彼女の声へただ静かに耳を澄ませた。



「…ねぇ、NOZ。人間はずっと昔に比べたら、少なからず死から遠ざかって生きてきて…生き永らえることには随分詳しくなったけれど。死についてはまるで無知ね」


『……』


「自分の体もない、脳だけの私の命が消えたなら、その魂は一体どこへ行くのかしら。そこで砂埃のように舞って終わり?それとも、魂だけは生きてまた別の体を神様に与えてもらうことで息を吹き返すのかしら」


『…私がその真髄をあなた方に教えることは、最も禁じられている行為です。お答えすることはできません』


「そうね。分かってる。

でもね、終わる時を快く迎えようとするとどうしようもなく思ってしまうわ。私は一体何だったの?って。ただ生きて、生きて、消えて行くだけの存在だったのか。それとも、来世というものがあって、この世で培った全てを持ってまた最初から成長するために生きて行く、輪廻の存在なのか…」


『あなたはいつだって、過去や未来、今と共に在ります。その尊い考えすら、全てと共に在るのです』


「だとしたら尚更、この旅はいつ終わるの?今世で私は、どのくらい学んで、どのくらい次に活かせる?その終着点はどこ?」



何もない世界で共鳴し、存在を確かにするようにその身に触れ、互いの音を聞く。

そして内包する全てが解放された時、もう一度生とされるものを望み、また一から愛しいものと共に未来へ行くことを強く臨む。


その旅路は遥か遠く、しかしいつだって息の届く距離、その間近で轍の行く末が望む世界に続くことを願っているのだと。



『…私は先ほど、人間は愚かな生き物だと教えられてきたと言いましたが……それはただ悪戯に貶しているのではありません。

人間は愚かにも、傷つくことを選び続けるのです。何度も何度も、その魂へ“分かる”と言うことを刻み続ける。悔いては崩れ落ちるように泣き、立ち上がってはまた次の旅路を行く。その繰り返しを、何度も、何度も』







ーーやがて体力を消耗し、様々な機能を保持するため待機状態となった彼女の体は、NOZによって寝室のベッドへと運ばれた。


ただ横たわっているだけにも関わらず、同期した彼女の体からは故障パーツが検知される。

毎日少しずつ、少しずつ。

壊れていくその体は近い内に、自分を「NOZ」と親しみを込めて呼ぶ声を奪う。



『…あなたが次の旅路を行くのなら、私は必ずあなたを探し出します。そして、きっとお役に立ちましょう。何度も、何度でも、どんなところでも』



自由を奪われ、進め進めと追いやられた彼女の、蔑ろにされてしまった今を守る為。

NOZは彼女の手を取り、まるで祈るように呟いた。




『未来へ行きます、共に』









ーー幕間「未来へ」 了







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