822◇『王国宮廷魔術師筆頭』
◇
「……そういえば花奈、そろそろ起きて欲しい」
アリスから起床要請が入ったのは、私への体罰プロトコルが固まり始めてから大体数分といったところ。
朗らかに詳細を固めてたけど、それ当人が寝てる前でやることじゃないからね……?
「本気でやりたいなら、流石に本人の目の前ではやりませんよ」
そういう問題なのかなぁ。出るとこ出たら賠償金とかせしめられそう。
少なくとも王国以外で、って制限はつくけどね。
起床、準備、昼食。
本来ならば色々と時間がかかる行事を華麗かつ早急に済ませる。
朝を吹き飛ばした分、昼以降は頑張らなくちゃ!ということではないけれど、たまには流れるような支度をしてもいいと思う。
その過程でアリスに魔法群は全力で使っておいたほうがいい、と言われたから使っておいたりもしたけど。
そう、支度というのは根本的に何かのための準備に存在するもの。その何かに備える・準備する──そのために消費されていく時間。
結果的には何も進展しない時間、と言ってもいいのかもしれない。
例えば中学で習った数学の定理を自分で証明するあの時間。先人がとっくに証明しているのだから、自分でやったところで数学界への貢献という人類文明の結果的視点で見れば進捗は一切生まれない。
そういった視点で考えると──
「花奈、また自分の世界に入ってる」
──無駄に見えるのかもしれない。
ま、私は無駄とは思わないけどね?と思考に中断を挟む。
アリスが止めてくるってことは、数分くらいは上の空だったかな。
「さて、私の体調も寝たり何だりしたことでほぼ回復したわけだし……何かしなきゃいけないこととかある?」
私のせいでアリスの仕事が圧迫されてるとかだったら、遠慮なく手伝うんだけど。
「多分、今日あたりに──」
「……もう来た。お願い出来る?」
一応は王族がいることになってる部屋に一般人を通すなよ、って話があるのよね。
もうちょっと警備関係とかしっかりして欲しい。
セリアは『少世界』でのんびりする、と言いラスティはしれっと私の装飾品として紛れている。
ネックレスになる必要、あった?
……アリスがわざわざ来るって話してる時点で、ある程度以上ちゃんと対応しなきゃいけない人なのかな?
まあそのアリスの予想よりも来るのがちょっとだけ早かったらしいけど。
……うん?待ってね。アリスの想定がズレた?
だとしたら、そこそこ以上に警戒しなきゃいけないんじゃない?
「すいません、入ってもいいですか?」
聞き覚えのある声。
起きてからそんなに時間の経っていない脳から記憶を引っ張り出し、聞こえてきた声帯と一致する人物を探し出す。
脳内検索エンジン君がコンマ数秒の後、結果を返してくれる。
一致した人物は私の上司。
「はい、シルクエスさん。大丈夫ですよ」
役職名で呼ぶならば、トラウィス王国宮廷魔術師筆頭。
『属性賢者』なんて呼び名があったりもするこの国の魔術師のトップ。
夢か現実かすら怪しいけれど、リルトンにも注意を払うべきと言われた相手。
現状見せている実力なんて何のあてにもならないと言いたげな、あの時の視線を現実のものと受け止める。
──花奈。一応言っておく。
そんなことを考えていると、王国宮廷魔術師筆頭の雇い主様から伝言が入ってくる。
──近衛王のアルカトスを始めとした王国大隊長。
四人いるね。うーん、
近衛騎士のトップであるアルカトスさん。
騎士部隊のトップであるセルトスさん。
宮廷魔術師トップであるシルクエスさん。
混合部隊のトップであるメルケルトさん。
上から第一から第四まである王国軍の大隊長。
トラウィス王国における、本当の意味での戦力。
──全員本気を出されれば、必ず私が負ける相手だから。
アリスの言葉に思考が一瞬停止する。
【理断友】を隠してるアリスならまだしも、今の言い方的にそれを晒しても、って感じのニュアンス。
つまりそれはキューレスエルドラドという必殺魔剣を携え、万能固有魔術と分析頭脳を持っているアリスが勝ち目なく負ける、ということで。
──多分、そういうことだから気を付けたほうがいい。
アリスからの忠告を聞いて脳内のスイッチを切り換える。
魔術や魔法に関しては適当に、そしてなあなあで会話して凌ごうという思考から真面目に脳を動かして対処すべき……しなきゃいけない相手だと認識を変える。
そこまで強いなら今まで本気を出してなかった理由があるの?
いやでも四人ともそう、なんてことは考えにくい。
脳内でざっと思考を巡らせるものの、そんな簡単に理由がわかるわけがない。
そうこうしている間に扉は開き、宮廷魔術師筆頭の姿を視認する。
「……とりあえずはお疲れ様。この間よりも大分成長したみたいだね」
「はい、ありがとうございます。第二王女様を始めとした高貴なる方々を守るためには、日々研鑽を積まなくてはいけませんからね」
シルクエスさんに対してどんな口調で話してたっけな、なんてことを考えながらどうせ自分のことだから丁寧語でしょ、と結論付けて話していく。
戦闘用の思考回路ではなく、対外向けの会話用の思考も久しぶりに起動しておく。
「……一応は聞いておく。シルクエス、あなたがここにやってきた理由は?」
いつの間にか杖を持っていたこの場における最上位権力者──アリスが口を開き、シルクエスさんに問いただす。
にしてもこの言い方だとアリスはわかってそうなのよね。
悲しいことに私は全くわかってないんだけど。
「法国に強大なエネスネラが現れた、という旨の情報をメルケルトから連絡を貰いましたので、第二王女様の御身に万が一がないようにと遣わされました」
なるほどね。
まあ妥当な判断。
イシュタムを見たのか、それともアジダハーカを見たのかはわからないけど、あんなのがいる場所に王女を居させるわけにはいかない。
まあ納得ではある。
安心して。そして納得しようとして。
「──それだけじゃないでしょう」
アリスがその納得に氷をそそぐ。
私の背後にいるアリスが絶氷を思わせる声色で告げる。
己が前では虚言は当然、一つ足りとも隠し事は許さないと。
そんな威圧を込めた視線が場を支配する。
「それだけならば、あなたは単身で来ない。もしそうならば宮廷魔術師や宮廷魔術師団員を連れて教育の機会にする筈だから」
高速移動手段が一人分しかなかった、とか色々理由は考えられそうだけど……誰よりも王国の事情を知っているアリスがそう告げるということは、それが正解なのだろう。
「流石は第二王女様ですね。相変わらず私の──私達の目論見など簡単に看破してくれます」
笑っているシルクエスさんと、一切笑みを浮かべていないアリス。
私としてはそもそも何でこんな状況になってるのかの破片も掴めないんだけど。
──花奈、落ち着いて考えて。この人は『AI』戦の時も全力を出していなかった狂人。手を出さなくても私達が何とか出来ると見切って、援助しかしない人だから。
……確かにそうだ。
今のアリスを100%倒せる人があの戦闘で全力を出せば絶対に勝てる、なんてわかりきってることだ。
なのに全力を出さず、私達の命を削るような戦いを見ていたということは。
「そんな第二王女様ですから、少し『夢幻空間』を──部下をお貸し願いますか?」
はぁ。
そんな溜め息がアリスから漏れる。
数秒の沈黙、後の仕方なさげな受諾。
「それでは行きましょうか。ちょっと職務についてお教えしなければ行けないことがありますからね」
「はいわかりました」
──ん、まあそういうことだから。
アリスに言われた訳のわからない台詞を胃で消化しながら、シルクエスさんに付いていく。
「『夢幻空間』は不思議に思いませんでしたか?」
その道中、思い出したかのように問いかけられる。
不思議に思ったこと、と脳内でその言葉を反芻する。
「魔銅事件の際、私達大隊長がああも容易く倒されたことです」
……まあ、それはそう。
当時『追憶の世界』を習得したての私が簡単にいなせるような人達がこの国最上位の戦力だ、っていうのは言われてみれば違和感がある。
私が来るまでにエネステラだって当然何体も何十体も出ているわけで。
ある程度以上戦闘が出来るようになり、エネステラという存在の戦闘能力への理解が深まった今だからこそ、あんな小手先テクニック一つでどうにか出来る存在が王国の軍務全てを担ってるのは不安になる。
守り切れないんじゃない?ってね。
「そう言われれば不思議ですが……」
でも軍のトップが一番強い理由はない、だとか。
軍というのは個人が突出しているよりは群体としての戦闘力が強大な方がいいから、そのトップは指揮能力に長けているだとか。
勝手に脳内でそんな想像をして補完していたわけで。
「もちろん大隊長になるには指揮能力に長けていなくてはいけない。それはありますね。でも、それと同時に強い者しか頂点には立てないということなのです」
……それは、そう。
さっきから似たような思考しか繰り返していないけれど、シルクエスさんの言っていることは納得出来る。
指揮能力が高く、同時に戦闘能力も高くなくてはいけない……理解出来る。
というか、指揮能力だけで見るなら流石にシルクエスさんよりシガムさん、もといお祖父ちゃんのがいいでしょ。いや色々例外なのかもしれないけどね。
「強者であり、同時に指揮も優れている──と運良く先代に認められて、私はこの立場にいたりするのですよ」
先代。
その言葉が国王としての先代なのか、宮廷魔術師筆頭としての先代なのか。
いやいやそれよりも、だ。
強いのはこの際本当だとしよう。アリスの倒せない、というのが思い出判定みたいなものじゃない──正真正銘強い人だとしよう。
「──『王国第三隊長特権:魔法訓練空間』」
シルクエスさんがそう言の葉を紡ぎ、次の瞬間には風景が変わる。
ラスティの夢縁塚と似ているただただ真っ白なだけの空間。
距離感すらも奪われそうな純白の密室。
「さて、そろそろ疑問も深まってきたことでしょう。何故私達が動かないのか。本気を出さないのか。もしかしたら出せないのか。聡明な『夢幻空間』なら予想もついているかもしれません」
予想は……全くついていない、というわけではない。
語弊を恐れずにバッサリ言っちゃえば人材育成の為だろうな、とは思っている。
指揮能力も戦闘能力も高い、そんな都合の良い人なんてまあそうそう生まれない。
今はたまたま四人揃っているけど、いつそれが崩れるかわからない。
だから自分達が前線に出ないことで危険に晒して育てよう、って思考なんでしょうね。
問題は危険に晒す、というのが危険過ぎること。本当に出なければ滅亡する──なんてレベルじゃないと出てこないこと。
事実、AI戦も魔銅戦もその全力を見せていなかった。
王都に侵略され、滅亡の危機に瀕する程度では出てこない。
「簡単な話ですよ。一つは、後継者を育てて見つけるためです」
シルクエスさんが歩いて行き、少し離れた場所で静止する。
「二つ。絶対存在がいると、心折れてしまう人も多いからですね。なるべく全員に育って、平均水準自体を上げて行きたいと私達は思っているので」
豪勢な装飾のついた杖が瞬時に実戦向きのそれへと変じる。
「──ああ、それで私を後継者にしようか考えてる、ってことですか?」
ちょっとした衝撃とその他諸々が積み上がって崩れかけた敬語を何とか修正する。
「その通りですよ。そろそろ世代交代の時かな、と」
「……力試し。模擬戦、ってところですか?」
「はい。そういうわけなので全力では当然やりません。どちらかのHPが1でも減ったら終了……それでどうですか?」
まあダメじゃない。
私の場合、『死胎鏡譚』とかを使っての不意討ちは出来るけど……逆に言えばそれで出来るのは不意討ちだけだからね。悪用の手段はいくつか思い付いてるけれど、素直にそれを全部開示してあげるほど私は──人類を信用していない。
「はい、大丈夫ですよ」
「それじゃあついでにもう一つ。敬語は要りません。仮とはいえ後継者になってもらうんです。気楽に行きましょう」
その言葉に乗っていいものか、と一瞬考えて──まあいいか、と思考を押し流す。
敬語を崩す、と言っても敬意と警戒は忘れずに。
「なるほど、そういう事ならわかったわ。胸を借りさせて貰うとしますか!『舞踏城』!」
スイッチを完全に切り換える。会話から戦闘へ。
いざという時のための準備を重ねて、クレルモンを構える。
「それでは最初はゆっくり行きましょうか。
────魔法『魔導回路万象目録』開帳」
予想外にも。
或いは、流石宮廷魔術師筆頭だというべきなのか。
詠唱なしで魔法が発動する。
瞬間、爆発的にシルクエスさんを覆っていた魔素の量が増える。
そして発動した次の瞬間。
四方八方から全属性の攻撃が文字通り雨のように降り注ぐ。




