1232◇『どういうこと?』と彼女は問うた。
「じゃあ、そろそろ本題に入るけれど──良いかしら?」
アイスブレイクは終わりだと言わんばかりに、ユスティはソファから立ち上がり、パチンと指を鳴らす。
それに呼応するように、何の予兆もなく机や椅子、食べ物が何処かへ仕舞われる。
何度か見ているユスティのこれ。
自在に物を引き出し、仕舞える技術には一切の神素や魔素が関与していない。呪素や、花素も当然のように関与していない。
となると、ユスティが持っている前々期文明由来の科学技術か、それともまだ『観測』が見ていない異常素粒子によるものか。
ユスティなら、どちらでも有り得そうなのが怖いところだけれども……今回の本題はそこじゃない。
「フロリアのことでしょ?」
「そうね。貴女は──フロリアをどうしたいの?私は、『王国第一王女』として、王国第三王女を危険に晒す真似はさせられない。例え、貴女だとしても目的と理由を教えてくれないというのなら……『説得』することになるわ」
ユスティの纏う空気ががらっと入れ替わる。
先程までの和やかなものではなく、一国を背負う王国第一王女としての風格。アリスとは別種の、それでいて劣らない圧迫感。
「それを完全に説明するには、私が話せないことを話す必要があるとしても?」
「貴女のことだから信頼しているわ。意味もなく、或いは悪意を持ってフロリアを傷付けることはしない。それはわかっている──けれど。無謀な賭けをするつもりなら、私が責任を持って止めなくてはいけない。多少荒っぽい方法だとしても」
とりあえず『忘却』が権能であり、そしてそれをユスティは知っている──そこまでは、私でも理解出来ている。
ただ、ユスティが何処まで知っているかはわからない。
加えるなら、対処法を知っているとしたら、どうしたらそれを実行しないのか、とかも。
未来の都合上していない、なのか実力や能力的に出来ない、なのかもわからない。
「善意だけでは世界は廻らないわ。『地獄の道は善意によって舗装されている』なんて格言があるように。だからこそ、私は問い質している。貴女のしようとしていることは、無謀な挑戦なのか、解決可能な課題なのか……それを見定める為に」
「現時点で想定されているデメリットは、フロリアの『忘却』が強化されること。でも、それは私の能力の特性上、強化されても覚えていられる。だから、失敗しても起こる変化というのは──」
「それだけじゃないわ」
ユスティは私の言葉を遮る。
「フロリア本人に起こる変化は、それだけかもしれない。でも、あれを何とかするには『忘却』──“忘却”に出逢う可能性がある。|人類発展を至上命題とする《人類に好意を抱いている》“虚空”とは違い、“忘却”は恐らく人類を見下しているわ。それを刺激して、人類ごと影響を受けるようなことになったら──どうするの?」
権能保持者が強大な力を持つ、というのは常識に等しい。
“神秘”を持ってるセリアや、“観測”を持っている私なんていう弱出力な我々ですらこれなんだから、本家がどんなものかって話。
要は、セノアが全力でやったらどうなんですかって話。
「その時は最悪、私が能力を全力で使って人類には影響を出さないようにするよ」
「単独でセノア・シーリーンに……しかも、人類の都合に合わせてくれないセノア・シーリーンに挑むようなものよ。私の知識の都合上、“忘却”については知っている情報も多いわけじゃないから、明確な対策があるわけでもない。それでも?」
「なら、一つだけ教えて。ユスティの知っている未来に、フロリアの『忘却』問題が解決された世界はある?」
ユスティは毅然とした態度を崩さない。
ある意味で、当然の姿。当然の危機感。
「あるわ。『不可視の王国原理』──私とアリス、リルトン。全員が失敗した世界の一部では、フロリアが即位し、彼女が国家の象徴になるわ」
本当に……何でも知っているというか。
そんな世界まであるのか、と驚かされるほうが先というか。
ユスティ、アリス、リルトン全員が失敗するって、そもそも何が起こったのか気になるというか。
「私達全員が失敗し、『忘却』の特性上何も功績が出せないフロリアにも、国民からの非難の声は上がってくる。法国ではイシュタムが天災を発生させ、地方も荒れている環境で──セノア・シーリーンによる《惑星事変》が始まる。此処まで追い詰められることで、フロリアは『忘却』を制御出来るようになるわ」
もちろん代償も大きかったけれど、とユスティは念を押すように言う。
「滅亡寸前の王国と、完全に壊滅状態の他国。制御出来ることが可能になった代償に、フロリアはそれ以外の殆どを喪失したわ。逆に言えば、そのくらい難しいことなのよ」
むしろその状況でも滅亡しない王国のほうが薄気味悪く感じてくるぐらいだよね、本当に。
「今の話を聞いて、それでもフロリアの『忘却』を今すぐ何とかしたいと考える?」
ユスティは真剣な表情で、私を見る。
返答如何によっては、次の瞬間に取る行動を決めるという強い意思が込められた眼差し。
「……流石に無理かな。“忘却”本体の出方次第では、詰みかねない。それこそ、セノアの力でも借りられれば別なんだけれどね」
「セノアはそんな些事に手を貸してくれないから。そういうことなので、フロリアは──」
僅かにユスティの眉が下がる。
残念がるわけでも、疑念を抱いたわけでもない。
ただ、私もよくやる動作。それが表情や行動に露呈させているかは別として。
つまり、不本意を示している。
世界が自分の想定通りにいかない不快感……だと言いすぎだけれど、思った通りに世界が動かない時に、動いてしまう負の感情。私にも馴染み深いもの。
そこまで分析してなるほど、と自分の中で理解して。
分析及び考察結果をユスティに伝えようとして。
「ストップ。ちょっと焦りすぎ、かな」
これは、ユスティだけに向けた言葉ではなく、自分に向けたものでも……ああ、私に向けたものでもある。
「……どういうこと?」
空気を入れ換えた部屋のような反応に、ユスティが怪訝な表情を浮かべる。言葉の真意を探るような目の細め方。
相手の言葉から想定される心情への心配、自分が何か誤謬を犯したのかもしれないという恐怖、そして自らが冷静になるための時間稼ぎ。
それらが複合された、単純ではない『どういうこと?』という問い。
「ユスティ──」
どう言語化しようか、と悩む。
種明かしというか、種明かされというべきか。
この話に関して、ユスティは少しだけ焦りすぎている。
ただ、その理由は思い至らない。そして、どんな結論に導こうとしているのかも。
だから、ユスティが元来持つ丁寧さのようなものが剥がれている、と推測した。
でも、違う。どちらかといえば──まさしく、『剥がれた』が正解な。
「それ、疲れないの?」
何かは名言しない。
それでも、気付かれたことに気付いた王国第一王女は、肩を竦める。多分、こっちは元来のもの。
「知らない人を相手にするなら。それも、偶然気が合うとはいえ──わたしを打倒し得る人と話すのだから。好感度を上げないと、いけないのはわかるでしょう?」
ユスティの言い回しに違和感を抱く。
言っていることは正しいのに、顕在化するのは謎の違和感。
こっちが本来の『ユスティ』の話し方であると感じるということは、それが意味するのはそれ以外が存在するということ。
「そんなことないと思うけれどね。むしろ、これのおかげで私は、ユスティのことがわからなくなった。余計にね」
見るからに動揺している。
だから、アリスやイシュタムのように、純粋な悪意や利用意図があった可能性はない。でも同時に、セリアのように『会話』に全幅の信頼を置いているわけでもない。
複雑で、歪な何かしら。
その端っこを掴んだ気がする。
「……それは謝罪するわ。後学の為に、何処でつっかかりを持つことになったのかを、教えてもらっても?」
「ロールプレイの上手さだね。それに、昔だけれど私もそれをやったことがあるから」




