記憶と力
目を開けるとそこは知らない天井だった。
よく聞くフレーズだけどなるほど。
…知らない天井だ。
身体が重たい。
長い間寝ていたのだろうか。
寝過ぎるとむしろ眠くなるらしい。
重たい身体を持ち上げて周囲を確認してみる。
少し暗い気がする。夜だろうか。
光源はランタンのような物だけ。暗いはずだ。
少し古い木造の建物だろうか。
襖に障子。
普段から人が住んでいるにしては物が少なく、収納スペースもいくつかあるだけ。
にしては襖には絵が書いてあるし、オシャレな花瓶に花。
いくつもの装飾が施されている。
旅館とかだろうか。
隣の部屋から話し声が聞こえる。
私を運んで来てくれた人達だろうか…
まぁもし連れてきてくれたのが隣の部屋の人達だとしてもこんな夜中に行くのはどうかとおもう。
それに運んでくれたのは旅館の人で、部屋を一つ貸してくれているだけの可能性もある。
いや、隣の部屋との仕切りが襖だけというのは流石に無いか。
おそらく隣の部屋の人達がここに連れてきてくれたのだろう。
どっちにしろ夜中にお話し中の知り合いの部屋に入っていきなり話に入れるほどコミュニケーション能力に自信はない。
色々考えて私はぼーっとする事に決めた。
寝起きにしてはよく頭が働く。
少しくらい何も考えなくても良いだろう。
あの花瓶きれいだなぁとか、あの襖の絵は何の花だろうとか他愛のない事を考えて襖を眺めていると、その絵の中から人が出てきたのだ。
いや、襖を開けてこちらの部屋に入って来ただけなんだけど。
「目が覚めたんだね!良かったぁ〜」
私の隣に「タッタッタッ」と擬音の聞こえそうな小走りで駆けてくる15歳ほどの少女。
とても可愛らしく愛嬌のある、黒髪ぱっつんのクリクリお目々でキラキラとこちらを見ている。
「お加減いかがですか?」
姉だろうか。妹と同じ大きな黒眼が可愛らしい印象を与える、言葉遣いもあってか少し大人びた感じの女性。
左に流した前髪と妹と同じセミロングともロングとも取れそうな長めの髪。
「目が覚めたばかりで身体は重いですが。特に気分は悪くないです。」
体調を聞かれたので答えたがどこか悪かったのだろうか…
今まで寝ていた事を考えると何かあったのだろうか。
そこでふと最初の疑問を思い出す。
「お二人がここに連れてきて下さったんですか?」
そう、私はこの場所を知らない。
「そうだよ!近くで倒れてたから旅館に連れてきたの!ねぇねぇ!何があったの?君って私と同い年くらいだよね!何歳なの?どこから来たの?服装もそうだけどこのあたりの子じゃないよね?髪の毛の色とか凄く綺麗だし!そうだ!名前!名前はなんていうの?私はユリって言うの!よろしくね!」
これでもかと質問攻め。
「ユリ、一気に色々聞いちゃ駄目だよ。この子も起きたばかりなんだから。」
聞かれたことは四つ。
何があって倒れていたのか。
何歳なのか。
どこから来たのか。
そして、名前。
…
そこまで考えてようやく気が付く。
何も覚えていない事に…
「わか…りません…」
そう答えるので精一杯だった。
「えっ?」
ユリは困惑した表情をしていた。
私も困惑していただろう。
冷静では無かったかもしれない、でも案外落ち着いていた。
「覚えていないのですか?」
姉は落ち着いた声で聞いてきた。
当然の疑問と言えるだろう。
「みたいです…」
何も答えられないのが本音、記憶が無い。
「ご、ごめんね…」
ユリは泣きそうな声で謝っていた。
「大丈夫だよ。」
私はできる限り優しい声で答えた。色々と聞かれたお陰で思い出せたとも言えるわけで、謝ることじゃない。
「今日はもう寝ませんか?」
姉はある意味意外な事を言って、こう続けた。
「今日はもう遅いですから、明日にでも町を回りましょう。何か思い出せるかも知れませんし、薬師の方もおられます。」
ああ、なるほど。一度落ち着いてから町に出掛けようと言う事か。
「わかりました、ありがとうございます。」
案内してくれるなら非常にありがたい。思い出せるかも知れないしね。
記憶喪失。
早々なるものじゃないし、初めての経験。いや、初めてかどうかも分からないけど。
頭に強い衝撃を受けると記憶に障害が起きるとか聞いたことがある。
後は精神的負担が限界を迎えて本能的に忘れるとか…
私はどうして覚えていないのか、どこまで覚えているのか、思い出すべき記憶がなのか。
今は無理に思い出そうとは思わないけど。
無理したところで思い出せ無いわけだけどね。
考えても答えは出ない。なら思考を止めるのが一番いいのかもしれない。
今日は言われた通りに眠ったほうがいいだろう。