第三話 『限時戦場 twenty-four hours』 2
「昨晩、エンゲージ・スタイル・ニームのマスターが、殺害されました――」
「ふうん。あの刑事がねぇ」
美しい立ち姿で報告するアマンダの声に対し、鬼朽真清の相槌は、コーヒーを香る鼻息よりも軽い。その軽さが次のニュースを求める意思表示だと、アマンダはもちろん識っている。
「動いたのはヒューミント・スタイル・エリクサーです……。ガバナンス社の秘蔵ニンギョウ。主無しになったニームは、エリクサーにより別の刑事に託されました――」
あの冷静なアマンダが、『秘蔵ニンギョウ』のところに、やたら力を込めている。鬼朽真清は、それが可笑しかったのか「クク」と笑うと彼なりのフォローを入れる。
「アマンダ? エリクサーともあろうニンギョウが、随分安っぽい手を打ったもんだねえ? そうは思わないかい? 狙いはボクだろうに。はて……?」
鬼朽は、少し興奮したアマンダが落ち着つくまで、一応は悩んでみた。が、すぐやめた。
実は彼は、退屈なだけなのである。だからアマンダに向けた目は、次のニュースを急かしていた。
「東京のお兄様からメールが届いています。急ぎ連絡するようにと――」
「ほう? 兄上様から? そろそろボクの悪事が露見したと見える」
鬼朽真清には、随分歳の離れた兄がいた。父は早くに他界していたから、兄は父のようなものだった。 彼が『兄上様』などと呼ぶのは、照れ隠しのようなものであろう。少し嬉しそうにするマスターのために、アマンダは早速、電話を用意した。
ちなみに、アマンダが告げるニュースは時系列が優先している。事の重要度ではない。
それは鬼朽真清からの、数少ない厳命の一つである。
そのうち、何万キロも離れた、親子のような兄弟の会話が始まった。
「もしもし? 真清か!? 今何処にいるっ!? お前には騙された――。お前が絶対大丈夫だって言うから協力したのに……いくら使った!? とにかく横領した金をすぐ返せっ!? 使った分はわしがなんとかする。とにかく、もう隠しきれん――」
言葉には、兄の唾どころか首ごと、何万キロを飛んでくるような勢いがある。
「兄上様。すこやかそうでなにより――。さて『エステル』の具合はいかがですかな?」
「ばっ――今はそれどころじゃ!?」
エステルとは、鬼朽真清が兄に贈ったニンギョウである。素性はもちろんエンゲージ・スタイルの廃棄品。それを横流しする代わりに、兄が役員を務める巨大企業ユミシマの資産を不正操作していた事が、今回の電話の大要件である。
空に居る鬼朽真清以上に、兄は地に足がついていない。さすがに初老の兄をからかうのにも気が引けたか、話はやっとのことで進み始めた。
「ボかぁいま、ヒースローに降りるトコですねぇ。ま、用事が済み次第帰りますから、なんとか誤魔化しといてください。なあに、使ったのはたかが五十億ですよ――。この偽装旅客機『パンゲア』を買いました。いい名前でしょう?」
「ご、ごじゅう……旅客機だと!?」
その返事を最後に、鬼朽真清の兄の声は途絶えた。
電話の不具合ではないし、芝居めいて絶句するような兄でもない。この変局にすかさずアマンダが割って入る。
「たった今、エステルが活動停止しました。原因は外的要因。おそらくは破壊です――。マスターこれは?」
トラヴァース・スタイル・アマンダは、自身の知るニンギョウについて、その安否を確認する能力を持つ。
「ああ、めっかったか。これでもよく持ちこたえた方さ。なあ、エリちゃん?」
鬼朽真清は遠き日本に向けて、初めて楽し気に声を飛ばした。
「……ウフッ。やっと見・つ・け・た! しかもヒースローとはね。全てが好都合。お礼にお金持ちのお兄さんの事は見逃してあげる。でもあなたの逃がしたニンギョウたちは、そうはいかない。全て破壊するわ――。アマンダ? 確認よろしくて?」
声の主は、鬼朽の予想通りエリクサー。あの白いケープの少女ニンギョウである。
「どのくらいと見積もってるのかい?」
鬼朽が尋ねるのは、エリクサーが廃棄ニンギョウ全てを破壊する時間である。
「そうね。あなたが廃棄を請け負ったニンギョウは、これまで二十四体。なら、一体につき一時間頂こうかしら? 潜伏場所については、もうわかってる。その説明は要らないわよね――」
エリクサーはヒューミット・スタイル《情報収集ニンギョウ》の傑作。その本領は超常的な索敵能力にある。
そしてエリクサーはこの時を待っていた。唯一自分に敵しうる鬼朽真清とアマンダの不在こそが、これから起こす破壊行動のカギであったのだ。
「二十四時間後、あなたのかわいいニンギョウは一人もいなくなる。じゃ・あ・ね」
そっけなく、声が途切れた。
無論、引き留める鬼朽でもない。
「さあて。困ったねぇ? ボクはどうしても会わなきゃならない人物が居るから東京へは戻れない。さて……」
思案にふける風の鬼朽だったが、実は思惑は決まっている。アマンダもそれに気づいていた。
「ノヴァ……ですね。それに、マスター綾世貴士。エリクサーの居場所から二人まで、そう離れてはいません。知らせますか……?」
「いんや――必要ない……」
偽装旅客機が着陸態勢に入り、鬼朽真清は座席に座りなおしてベルトを締めた。
「ボクも二十四時間後には、東京に戻っていよう。――大丈夫だよ。キミのお兄ちゃんはきっと生き残る。だって、キミを助けるまで、お兄ちゃんは死ねないからねぇ……」
鬼朽真清は、隣りの席でいまだ目を覚まさない綾世美亜に、静かに語りかけた。