第2話 『壊れた人形』 3
谷地と喜田は、あまりの現実離れした光景に声もない。白い少女が居る。少女が人形を踏みつけている。そしてわらっている。
「うふふ」か「あはは」かは、二人にとってどうでも良い。なぜならば、うめいているのだ。痛みに震え、泣いているのだ。
――あの、愛玩人形が、である。
安っぽい肌色だったはずの皮膚はところどころ青あざができ、擦り傷からは赤い血が滲み、それが分かったのは人形が上着をはぎとられているからである。凝固した二人を睨みつけながら、白い少女は更に足を踏みにじる。下腹が深く沈み、人形にはうめく為の呼吸すら許されない。
「や、やめろっ!?」
「ど・お・し・て?」
谷地と喜田は、少女の意外な返答に、つい考え込んでしまった。
(谷地さん? やっぱアレ、人形スかね?)
(人形でも、イカンだろう?)
二人の意思は、この少女を人形から引きはがす事で一致した。が、その前に、人形の蹂躙に飽きたものか、もう少女は行儀よく足をそろえて立っている。それは少女が、二人と話をするための合図でもあった。
「あんたたちからニンギョウの匂いがする。でもマスター(ニンギョウ持ち)って柄じゃないわね。さっきの刑事の仲間?」
少女の饒舌に二人は声もない。あるのは出口のないクエスチョン。
対して、これも親切の内か、少女の説明めいた言葉が続く。
「あたしがあの刑事をころした……。何故って? こいつの主だから。近頃はやたらと壊れたニンギョウが動き回っててさあ、雲隠れも巧妙。でもあたしには通じない。男に媚びるだけのエンゲージごときに翻弄される『エリクサー』様じゃないっての!」
少女は、見た目童話から抜け出たようであるのに、発する言葉は殺伐の極み。
谷地と喜田は、拳銃を携帯してこなかったことを、ひたすら悔やんだ。
――しかし。
「武器じゃニンギョウはころせないよ。それよりあんたたち、警察? 我が《ガバナンス》の圧力が優し過ぎたのかしら? あたし、無駄な殺生は好きじゃないのよね……」
含んだ笑いで少女が一歩、二人に近づく。片方の手にはマッチ箱を持ち、もう片方に一本マッチを持っている。谷地は直感した。
(――あのデカ殺し。落ちていたマッチ? 毒物?)
きっとそうだろう。悪い勘ほどよく当たる。もう少女はマッチを擦ろうと構えている。
(どうすればいい? どうすればっ――喜田っ行けっ!!)
(はいっ!! 谷地さんっ!!)
次の瞬間、喜田は見事に土下座していた――。
「なあに? そ・れ」
「はいっ! えりクサー様っ! 私め、いえ、私ども、一生懸命つとめてまいりますので、どうか、えりクサー様の手下にして下さいっ!!」
「は・あ?」
意表を突かれたのは少女だけではない。谷地もまた、あり得ない展開にあ然呆然――。
「へえ、主持ちのニンギョウは普通だけど、人間を手下にしたニンギョウは聞いたことないわね。ま、いつでもころせるし、面白そうだから使ったげる。じゃ、手始めに……」
白い少女はアゴで指図した。
「どっちか、そのニンギョウの主になって。そうすればあんたらは、一躍ニンギョウ捜査員に格上げされる。その上であたしには欲しい情報がある。一つは警察があたしたちをどこまでつかんでいるか、と言う事。もう一つは――」
「もう一つは!?」
いつの間にか、エリクサーなる少女に引き込まれている谷地と喜田である。
「鬼朽真清という男、そして、つい先ごろ廃棄されたニンギョウの行方――」
「はあ……?」
成人向けのDVDに囲まれて、今ここに刑事二人とニンギョウ二体による不釣り合いなパーティが誕生した。もちろん、谷地と喜田が、エリクサーをニンギョウと知るのは、少し先の話である。
* * *
「谷地さん、ほんとにいいんですか? こんな事になっちゃって……」
「土下座したのはお前だろうに――」
横北警察署に戻った二人は、殺風景な当直室で何度目かの責任のなすり合い中。
傍らには、保護した少女が申し訳なさそうに座っている。例の元凶、二人にとっての死神ともいえる少女――エリクサー――は居ない。エリクサーは二人に忠告ともつかぬ不気味な言葉を、いくつか残して去っていった。
その一つが『ソレ(ニンギョウ)との契約は夜が明けるまでにして。』
谷地も喜田もエリクサーを追う事ができなかった。確かなのは、自分らがエリクサーの下僕と成り果て、あろうことか警察内でスパイとして、やっていかなければならないと言う事。
「谷地さん、なんで言いなりになっちゃったんスか? あの女の子、殺人犯っスよ?」
「お前が言うな! あと、まだ(殺人の)証拠もない。被疑者ですらない――」
谷地の表情はやたらと疲れていた。きっと心は葛藤にまみれているに違いない。
「……それ(殺害証拠)を探る? ダブルスパイってやつスか?」
「いや、今はただ、人道に従うまでだ――。喜田、この娘と契約しろ。お前は独身だ――」
DVDショップから保護してきた少女は、元は店に展示されていた人形である。人形が動いたり、意思を持つはずがない。でもエリクサーは、去り際にこうも言った。
『――ソレは朝になったら人形に戻る。そうなったら二度と、吹き返すことはない。別にあたしはそれで構わないけど。』
この見た目可憐な少女が、動かなくなるという。あの店で見た、哀しい愛玩人形に戻るという。
信じようと信じまいと……程度の事だが、そういう事もあるのかもしれない。そして、そう成った時、それは谷地と喜田の所為である。二人のために、少女は二度と生を取り戻すことは無い。二人でなくとも、それに耐えれる者はいないはずだ。
「人の道……。そうスよね。おれ、この娘と契約します」
「む――」
主とニンギョウの契約に、特にこれといった決め事はない。今回の場合は、喜田の意思が娘に伝わるという形で、契約が成った。喜田は、唐突に彼女らしき者ができたことに少々浮かれ、しかし恥じてもいる。
「喜田よ……。素直に喜べ。どのみちその娘には行くあてもないんだ。お前が守ってやれ。俺ももちろん協力は惜しまんつもりだ――」
「谷地さん……」
なにやら感動の場面に、娘もいつも間にかすり寄っている。そういえば、二人して本当に、この娘の事をなにも知らなかった。
「そういや、名前、なんて言うんだ?」
喜田は彼女いない歴十ウン年。もう若い娘にどんな顔をして接すればいいかも忘れている。だから変な顔をして笑っているが、見るものが見れば好感は持てた。娘も、そのようだった。
「ニーム……です。エンゲージ・スタイル・ニーム……」
「へえ、面白い名前だな。ああ、すまん。悪い意味じゃない――」
喜田の弁解を、娘はむしろ申し訳なさそうにしている。
そんな態度が、喜田には好ましく思えた。無論、谷地もそうである。反抗期の娘に、見習わせたいと思った。
「あの……実はボク……」
娘――ニーム――はもじもじして実に可愛らしい。自分を『ボク』と呼ぶあたりも似合っていた。すでに二人にとって、ニームはアイドル的存在に格上げされている。
「実は……」
ニームは栗色の前髪を指で抑え、目を隠した。頬は桃色に染まっている。
「実は、どうした?」
二人は心底、暖かく聴いた。それが伝わるほど、ニームは声が出なくなるようだった。でも、ニームは決心したように、言った。
「ボク――男なのです。ごめんなさいっっ」
エンゲージ・スタイル・ニームは、壊れたニンギョウのうちの一体。
製造は『ガバナンス社』。不具合の詳細は不明。廃棄請負者はあの鬼朽真清である。