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ニンギョウ戦線 -The Doll Front-  作者: めばるさとし
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第2話 『壊れた人形』  1

 横北警察署捜査一課に男性変死体の発見通報があったのは、二十三時を回った頃。

 この寒い夜にとボヤく当直の谷地やじ警部補(四十六才)ではあったが、その足はもう廊下に踏み出している。それを追って、二人分のコートを小脇に駆けるのは喜田巡査長(三十三才)。

 二人は常にコンビで、なぜか重大犯罪に居合わせることが多い。ために『横北署の相棒』などと異称されたが、それはその活躍よりも保身を忘れた仕事姿勢に理由があった。

 それでも署内において、ごく少数ながら理解者が居る――。

 ノンキャリアからたたき上げた横北警察署長もその一人。


『昔は刑事と言えば、あんなのばかりだったぞ……』


 しかし署長の言葉はノスタルジーの枠内の事で、近頃の若い刑事に二人が手本とされるようなことは、あるはずもなかった。



 二人が現場に到着すると、付近道路の封鎖がやけに手際良い。既にたかっている刑事たちの後ろ姿は、もちろん所轄の者ではなかった。


「おいっ! 入るんじゃないっ!」


 暗がりから若い刑事に一喝されたのは、バリケードテープを越えようとした二人である。


「ああ、あの、僕ら横北署の――」


 警察手帳をかざす谷地に、若い刑事は目もくれない。


「谷地さん。知っててやってるんすよ、あいつ。本庁のヤツっす。俺ら所轄を下に見やがって……」


 喜田は、もう何度もこんな目に遭っているのに、一向に学習しない谷地がもどかしい日もある。逆に言うと、こんな目に遭いながら事件以外わき目をふらない谷地が、いじらしくもあった。


 ――だから従っているのだ。

 そう自分に言い聞かせた喜田巡査長が、発見したのは足元に落ちた一本のマッチ。

 既に擦られて、燃えカス。まるで自分たちのようであると、自虐していると、谷地警部補がそれを拾い上げてハンカチにくるんだ。現場からの遺留物の持ち去りは厳禁だが、二人の立つ場所は被害者の倒れた路地奥どころかその入り口――要するに蚊帳の外――であるため、これが重要な捜査糸口とは普通は考えない。だから喜田も、うさん臭げに谷地をじっと見た。


「いまどきマッチ――だ。鑑識に秘密を守れる男が居る」


 谷地はそれ以上の事を言わなかったし、言えなかった。本庁の刑事が、ただならぬ顔で詰め寄ってきたからである。


「本事件は本庁が受け持つ。所轄は即、退いてくれ」


 さっき谷地を怒鳴った、若い刑事である。


「コロしですな……? わかりました。しかしあの『がいしゃ』いい歳してなんでこんな路地裏になあ? どうせ立ちションやゲロでもしててオヤジ狩りにでも遭ったんだろ――」

「なんだとっ!? 主任がそんなヘマするわけ――」


 谷地のかまかけに、若い刑事は更なる形相で食ってかかったが、ハッと我に返ると舌打ちしながら捜査の列に戻っていった。


「おい、喜田。『がいしゃ』は刑事なかまだ。恐らくなにかの捜査中の――コロし。こりゃ弔い合戦というわけだなあ。しかし公安がやられるとは、敵さんも侮れん――」


 喜田は谷地の捜査勘を信頼している。それは不可思議な事件になればなるほど冴えた。というか谷地が首を突っ込むほど、事件はいつも複雑怪奇となっていくのであるが……。



 谷地は普段、妻の尻に敷かれ、中学の娘は反抗期で口もきいてくれないらしい。たった少しのやり取りから、これだけの解を導き出す男が、家庭ではなぜそうなのだろうかと喜田は考えている。その思考を逸らすように、谷地は言った。


「あの店に寄っていくぞ――」


 谷地の足は、この路地入り口を唯一見通せる店――DVDショップ――へと向いている。

 入り口は狭く、全面目隠しされていて、小さな窓が一つきり。

 もちろん店内は裸の女のパッケージで埋まり、ショーケースにはシンボル的に等身大の愛玩人形が立っている。人気アイドルグループ風の制服に身を包んだその人形に、谷地は声をかけた。


「おまえさんなら、見えただろうな。あの路地に出入りした人間を……」


 人形の立ち位置からは、確かに窓の外の路地裏が見えるだろう。ニンギョウの目線もそう成っている。だがいかんせん、これは人形である。問うても答えず、眼開けど見えず、である。

 ――その時。

 二人は見知らぬ客が、奇妙な話をしてきたのに身が凍った。


「その人形、しゃべるらしいですよ。この界隈じゃ有名な都市伝説はなしで……。いつもじゃないけど、それに声をかけて返事がもらえたやつ、居るらしいです。もっとも、聞けたところで、大した事は言わないらしいんですが……」

「な、なんて言うんだ?」


 谷地が善良そうな客に興奮して詰め寄った。ただ見ている喜田も、こういう話は嫌いじゃない。


「し、知りませんよ――。やってみてはどうです?」


 客は気まぐれに話したのに、長くなりそうな気配を嫌ったのか店を出て行った。


「谷地さん……聞くんですよ……ね?」

「当たり前だ」


 喜田は、いつもこんな役回りは自分だと諦めていたから、早速ショーケースの人形に向けて質問した。ガラス窓がビビり、吐息で曇った。


「お人形さん、お人形さん。窓の外の、あの路地に、入っていった人を見ましたか? 教えてください。お人形さん」


 店内にはほかにも客が居て、カップルも居たものだから、喜田はすぐ笑いのネタになった。大真面目なのは谷地一人である。


「おい、そんな聞き方で答えるはずあるか? もっと真剣に行け! 女を口説くように、だ!」


 谷地の注文に不思議を感じたバイトが、思わず駆け寄る。


「お客さん、やめてくださいよ……。この子、誰にでも話すってわけじゃないですから……。決まってるんですよ。話す相手は――」


 このバイトの言葉は、谷地の炎に油を注いだ。


「居るのか? そんな人物が? 教えてくれないか?」


 言いながら谷地は、胸ポケットの手帳をチラ見せしている。バイトは興奮気に答えた。


「た、たまに来るんです。女の子で、高校生かなあ? この人形と話すだけで帰っていくんですが、非行少女とかじゃなさそうです。週に一度は来ます。そうそう、今夜あたり来るかも?」

「こんな遅くにか?」

「はい。誰かを待ってるみたいで、少しここで話したら行っちゃうんですよ。同い歳くらいの男の子と持ち合わせてるみたいだなあ……」

「そうか――ああ、ありがとう。少し店内見せてもらうよ? まさか裏モノなんて扱ってないだろうねえ?」


 谷地警部補と喜田巡査長は、店内でやがて現れるだろう少女を待つことにした。


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