最終話 『ニンギョウ戦線』
戦いが終わり、樹海が再び静寂の中に沈みこむと、貴士たちは闇の奥から発する異様な気配を察知した。
殺気ではない。貴士はそれに、どこか懐かしい暖かさすら感じている。
そのような気配を匂わすものは、そうはいない。貴士はもう、それが誰なのか、おおよその見当をつけている。
ただし、その者がここに在る事は、あってはならない事でもあった。
貴士は思い切って、口を開く。
「どうしてあんたが此処に……?」
「いちゃあ、いけなかったかねえ。しょ~うねん?」
その声は確かに、あの男のものだった。ロンドンに居るはずの、美亜を守っているはずの、鬼朽真清――。それが、なぜここに在るのか。貴士は荒ぶる。
「そんなことを言ってるんじゃない!? 美亜はどうした――。お前は美亜を守るって約束だ!」
「ああ、もちろんだとも。しょうねん?」
鬼朽が約束を違えない事を、全面的に信じる事でしか前に進めなかった貴士なのだから、その混乱は当然であろう。貴士は思う。やはり世界は、きれいごとでは廻っていないのだろうかと。
このとき、雨宮陶子とエリクサーは、この鬼朽真清が幻像であることに気付いていた。貴士も、薄々はそう思いはじめている。しかし、だからどうだというのか。
いま此処に、鬼朽真清が現れた事は、貴士にとって不安を煽るばかりである。
その緊張を解きほぐすかのように、鬼朽真清は言うのだった。
「まあ、そう怖い顔しないでおくれよ? なあに、ボクがここに来たのは、ちょっとした興奮と、確認のためさ――」
「興奮と、確認?」
「ああ、そうさ。ボかぁねえ、キミがあのトロイアを倒すとは、思ってなかった。よくぞそこまで強くなった。興奮したよ……。素晴らしい」
これは褒められる事なのかと、貴士は思った。わかっているのは、その結果、もう普通の生活には戻れないだろうという事。もちろん、それは今更でもある。
そして、鬼朽の言葉は続いた。
「ともあれ、キミとノヴァ……エリクサーや雨宮陶子、それに南米GSSの隊長まで引っ張り出して、ミルやエステル、ニームも居る。ああ、教授に我が兄上、それにあの刑事二人もいたっけ……。今やキミたちは、一大勢力となったようだ――」
「一大……勢力……? いったい何の……?」
鬼朽は、なんの話をしているのだろうか。その口元は実に楽しそうで、今くわえた煙草は、それを隠すためのものだろう。そして、鬼朽は答えた。
「そうだねえ、いったいなんと言おうか? この人類の存亡をかけた、戦いを――。ニンギョウ戦線ってのはどうだい? イカしてるだろう――」
「ニンギョウ……戦線?」
貴士の怪訝そうな顔つきを見て、鬼朽真清は「ククッ」と、笑った。
「ああ――。事のあらましは、キミももう知ってるだろう。敵は、あのガバナンス。きっとこの先も、刺客は送り込まれてくるだろうさ。しかし、しょうねん? キミたちなら戦える。ボかぁ約束通り、美亜を守ろう。そしてキミも、ニンギョウを逃し続けてくれないかい? 一人でも多く、キミとノヴァがそうなったように、なればいいねえ……。ククッ、そう考えると、キミはちょっとした愛のキューピッドだねえ、しょ~うねん?」
それが、鬼朽真清の言う『確認ごと』なのかと、貴士は理解した。
確かに、この先はもう知れている。ガバナンスのやっている事は、ヒトのためではないだろう。ニンギョウを新人類として、ヒトを廃滅するのがガバナンスの未来である。
「じゃ、そういうわけで。ボかぁ帰るよ――」
あっけない言葉と共に、鬼朽の幻像はゆらゆらと揺れ、消えそうになる。貴士はそれを慌てて追いかけた。
「待ってくれ!? 鬼朽っ!?」
「うん? なんだい?」
振り返った鬼朽真清に、しかし貴士は、詰まって声が出ない。変わって声を出したのは、ノヴァだった。
「鬼朽さん、待ってください。お願いがあるんです。美亜から、新しいニンギョウを生みだす事を、止めてくれませんか? あなたの本当の考えが、ワタシにもわかりません。きっと、そうしなければならない訳があるんでしょう? でも、美亜も貴士も望んでいないのに、そうするのは悪い事です――」
振り返ってみれば、美亜を奪った後の、カムフラージュがノヴァの役目であった。
他者の姿を模す能力ゆえに、鬼朽がそう仕組んだのである。
鬼朽の誤算はただ一つ。
――貴士が、ノヴァを選んだことであった。
「ふん――。美亜の遺伝子は、人類の希望だからねぇ……。つまり、それは聞けない相談だ。けれど、それだけじゃあ、無いだろう? エンゲージ・スタイル・ノヴァ。自分の気持を、解放ってみてはどうだい……?」
するとノヴァが、輝いた。なにか周りをそわそわさせるような、朗らかな風が吹く。
「はいっ! ワタシ――貴士の赤ちゃんをうみますっ! だめかナ? 貴士?」
「ば――ばかいえ……」
ノヴァの宣言は、そのまま新しい時代の幕開けでもある。それを真っ先に受け入れたのは、鬼朽だった。
「ふうん、なるほどねえ……。緩やかな進化を望む……というわけか? さしずめキミたちはアダムとイヴ――。でも、それじゃあキミたち二人だけじゃ、到底追いつかない。キミはもっともっと頑張って、ニンギョウを逃し続けなきゃ、いけないねえ?」
鬼朽の言葉はもちろん、美亜の解放を前提としている。ならば、貴士の答えは一つしか無い。
「それで美亜が助かるのなら……やります!」
その言葉を、その場の全員が後押しする。
そして鬼朽真清は、美亜の解放の即答に、言い訳めかした言葉を添えた。
「いやぁ、なあに。ボクのやる事より、キミたちのやろうとしている事が、面白そうだからねえ……。じゃあ、ボクも加わるとするか。そのニンギョウ戦線に――。ああ、それと、『しょうねん』はもう、やめようか。――貴士」
そのまま鬼朽の姿は消える。
貴士は、忘れていた希望をその残像に見た。
そして、自分が少年を終わらせたのかを確認するように、ノヴァをじっと見つめるのだった。
おわり
読んで頂いた皆さま、本当にありがとうございました。
次回作もぜひ、ごひいきに!




