第1話 『少年の終わり』 3
「証拠……かい? 痛いところ突くじゃない……しょ~ねん?」
男はどこを切り取っても遊び人の不良中年、信用できるところは何一つない。たとえ何を語っても、誰も信用しないだろう。
だが男は、信用を勝ち取ろうという気が、そもそも無い。それは次の言葉ではっきりする。
「ボかぁねえ、年齢不詳、職業不詳、経歴詐称、住所不定がモットーでね……」
少年は、実は男を信用したかった。妹の生死がかかっているのだ。当然であろう。
なのに男は、まるで真逆へと向かう態度。
そして少年の不信が底をついたとき、それを見極めたように男は言った。
「ああ、ボクの名前を教えてあげる。鬼朽真清。鬼朽ち果て、真実清いと書く――」
二本目の煙草の火が、男のあごをオレンジに照らした。
「きくち……まきよ……」
少年はまだ気づいていない。闇の世界に生きているであろうこの男が、名を明かしたことの恐ろしさを――。無論、偽名かも知れない。そう考える方が、当たり前でもある。
しかし、少年は呆然となって、妹を抱く腕をアマンダにほどかれると、されるがままに手放した。
「うん。それがいい。妹さんは確かに、安全な場所で治療する。じゃあ、今夜はこのへんで――」
男とアマンダは、少年の妹を連れて去ろうとする。
――少年に言葉が無いのも無理はない。
ごく当たり前の毎日だった今日、変なニンギョウを見つけ、それが妹を手放す結果になったのだから。 少年は泣いた。嗚咽した。妹に危機を与えたのは、確かに彼の無力さである。
その泣き声に、男は少しでも何かを感じたのだろうか。少年に対して、離れたところから問いかけた。
「しょうねん? キミの夢はなんだい?」
男の煙草は、もう根元近くまで灰になっている。それが落ちきるまでの時間が、男が少年に与えた、妹との別れの時間かも知れない。
「俺の夢は――美亜が高校に進学して、大学に行って――会社に入って結婚して――子供が生まれて――当たり前に幸せになる事です……」
少年の言い方は懺悔のようでもある。
「ふーん、じゃ、妹さんの夢は?」
男の問いは予想外だった。そして少年には、それを答えることができない。
「ボかぁ、それを知りたいねぇ? それを知りたいが為に、キミに力を貸そうじゃないか。いいだろぅ? トラヴァース・アマンダ?」
「イエス、マスター」
男の煙草の灰が、落ちた。
今度こそ、男は去っていった。少年の愛する妹――美亜――を連れて……。
寒い外灯の下に、少年とニンギョウ――エンゲージ・ノヴァ――のみが残された。
* * *
「マスター? ワタシ、寒いしお腹が空いたヨ」
それは、居なくなったはずの妹の声。だが、少年への励ましには程遠い。
どころか、冷たい道路に膝と両手をついている者に、そんな言葉がどう受け止められるものか、やはり『ニンギョウ』には分からないのであろうか。少年は怒りよりも呆れて、声が出ない。
「ねえ、カレーがあるヨ。早くお家に入ろうヨ?」
ニンギョウがつづけた言葉は、少年の言葉より先に手を出させた。
「ふざけんなっ!」
少年に覆いかぶさるようにしてきたニンギョウに、手加減のない平手が飛ぶ、が、空振り。ニンギョウは不思議そうな顔をしながら、少年にやり返した。
「ふざけてないヨ? ね、早くしないとカレーさめちゃうヨ!」
少年には、もう何が何やら解らない。
もしかしたら、連れていかれたのがニンギョウで、今ここに居るのは本物の妹――美亜――ではないのか。そうとしか思えない顔で、仕草で、ニンギョウは微笑んでいる。
――そう。
ニンギョウはどこからどう見ても、妹そのもの。
少年は興奮の中にあって、このあまりに不自然な事象を深く考えもしていなかった。
捨てられていたニンギョウは、黄色い髪で緑の瞳。背は少年より高かったし、体形は美術の教科書の裸婦像のように起伏がくっきりしていた。
――それなのに。
今、目の前に立つのは、髪も瞳も背もスタイルも、全て妹に変身したニンギョウの姿。
いったい、何をどうすればこうなるのか。
あの怪しげな鬼朽真清に聞こうにも、もうどこにいるのかも分からない。そして目の前のニンギョウに尋ねる気も、少年には無かった。
少年は、この妹の姿をまるっとコピーしたニンギョウを、処分することができないが、受け入れるつもりもない。なのに今、こんな状況になってしまっているのは、妹の治療の引き換えのような気がしているせいだと思ったりした。いや、きっとそうだと少年は自分に言い聞かせている。そうでもしなければ、少年の心はもたないだろう。
やがて家の扉が開き、出てきたのは兄妹の保護者――ミエコおばさん。
家とは言ってもここは酒を飲ませる店で、これでよくやっていけると不思議なほど、客はいつもいない。たまに居ても酔いつぶれていて、金を払っているのかも怪しかった。
「何やってんの? あんたたち。さ、早く入りなさい。自慢のカレーに火、入れといたから――」
少年のいう『おばさん』は、暗がりの所為かもしれないが、妹美亜の変化にまるで気が付いていない。いつもより積極的に美亜の肩を抱くと、暖めてあげるように自分のショールに包み込んだりしている。
少年は心配したが、ここでニンギョウが要らぬことを言う。
「わあ! おばさん、あたかいヨ(暖かい)。だーい好き!」
少年は仕方なく、後に続いて家の中に入るしかなかった。




