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ニンギョウ戦線 -The Doll Front-  作者: めばるさとし
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第三話 『限時戦場 twenty-four hours』 8

 壊れたニンギョウの廃滅執行者ヒューミント・スタイル・エリクサーの追跡を逃れるため、貴士とノヴァ、そして意識のないエステルは古い下水道に潜んでいる。

 そこは現在は使われていないとはいえ、悪臭と湿気は不快を極めた。それに暗闇。到底、こんなところに長く身を置く事は、できるはずがない。エステルが、一刻も早い輸血を待つ身でもある。


 ――早く、なんとかしなければ。

 命がけで逃がしてくれた、鬼朽是清に報うためにも、早急に次の手を打たねばならない。

 しかし、貴士には策が無い。いうなら、今逃げ潜むことが、唯一の策である。

 とにかく二十四時間。ここでじっとしていれば、あのエリクサーの魔の手から、隠れる事ができるかもしれない。

 是清は、確かに言った。

 二十四時間だけ、耐え忍べと――。

 そうすれば、事態がどう好転するのかはわからなかったが、それを信じるよりほか、ないではないか。

堂々巡りの思考の中、しかし時間は遅々として進まない。

 そんな中、ノヴァが口を開いたのは、貴士が無意識に深いため息を漏らした時であった。


「貴士……? なんか変なにおいがするヨ」


 ノヴァの嗅覚は、貴士よりも冷静であった。貴士はこの言葉で、自身が聞き知っていた下水道事故の事例を思い出す。


「腐った卵の匂い……硫化水素? 俺は感じないから、もう感覚が麻痺してるのか?」


 そういえば貴士は、吐き気と頭痛を覚え始めてもいる。下水道にこもってから、時刻はやがて一時間を経過していた。この吐き気の原因が、硫化水素ならば、その気体は空気よりも重い。

 だが、足元に滞留した硫化水素は、貴士たちが動くだけ放散するのだ。ともあれ、貴士とノヴァは運よく、立ったままの姿勢でいた。逆に言えば、これから座ったり、身を低くすることは命とりである。濃度によっては、ひと吸いで死に至る硫化水素ガス。

 貴士は、その事実をノヴァに伝えると、暗闇の中でエステルをおぶったままの二十四時間に心が折れそうにもなった。


 ――その時。


「きゃっ!? 貴士っ!? ワタシの服の中に、なにか落ちてきたヨ!?」


 同時に貴士の頭にも、何かがふってきた。もぞもぞと動くそれは、ムカデのようだった。


「ノヴァ、じっとしてろ。多分ムカデだ。刺されるぞ!? 服を脱げっ――」

「いやだ、怖いっ!!」


 ニンギョウとは言え、ノヴァは女子である。


「じゃ、手で払え!! そっとやれば、刺されることは無い――」

「できないヨ、怖いっ!! とって!?」


 女子が不快害虫を触るなど、なかなか無理な話である。貴士はエステルをおぶった手を片手にして、ノヴァの方に伸ばした。


「ノヴァ? 手、入れるぞ? そこまで俺の手を誘導してくれ――」

「わ、わかたヨ――」


 この時のノヴァの声と、握った手の向きで、ムカデが入ったのは体の前側と、貴士はさとった。暗闇とはいえ、女子の胸元に手を忍ばせるのは、はばかられたが、もたもたしていたらノヴァが刺される。導くのはノヴァの手である。その分、罪の意識は薄らいだが、異様に貴士を興奮させもした。


「あ――」


 ノヴァが、不意の声を上げる。貴士は、自分がなにか特別な部分を触ったのではと、気をもんだが――。


「ムカデ、落ちたヨ! スカートの下に!」


 なんのことはない。ノヴァはジャンパースカートだから、その構造上ムカデがストンと落ちるのは、自然な事である。二人は、なんとなく笑い合った。暗闇で身を寄せ合い、服に手を入れた姿勢は、いまだ保たれている。体が密着しないのは、ノヴァの持った何か固いものの為である。それは、ノヴァが貴士に届けるはずだった弁当箱。

 おかげで我に戻れた貴士は、さっきのムカデが足元にいないかと、地面を踏みつけてみる。


「だめっ!! かわいそうだヨ……ワタシたちが来なかったら、落ちてもこなかったんだから――」


 ノヴァが口をはさんだ。


「お前、優しいんだな……」

「そおなの? ワタシ、やさしい? もっと教えて、ワタシのこと――」


 貴士の自然な一言に、ノヴァが奇妙な反応を見せる。それは気を紛らすには格好の会話になりそうだったから、貴士はいきおい続けた。


「明るいよな。声も高くて、よく笑う方かな。余計な事言わないし、大事な事は教えてくれる――」

「ふーん、ワタシいい人みたいだネ? じゃあ、貴士はワタシのこと好き?」

「え――?」


 突然に放りこまれた、パスに見せかけたシュートのようなノヴァの質問に、貴士は当惑した。

 妹をコピーした謎のニンギョウ、ノヴァ。

 妹の顔で、声で、迫るノヴァの問いに、貴士は暗闇を利した見せかけの冷静でかえす。


「好きっていうか……えと、なんだ? まあ、いいだろ?」

「ヨくない。ぜったいヨくない――」


 それからしばらく、二人は黙り込んだ。そして次の質問が、ノヴァから貴士へ浴びせられる。


「じゃあ……ネ、貴士は美亜が好き?」

「ああ。好きに決まってる――」


 今度の質問は、自然に、簡単に、答えが出た。兄が妹を好きなのは当然のことだし、それでノヴァを傷つける事には、ならない。だが質問は、更に斜め上へと昇っていく。


「どお好きなのかナ? 好きにもいろいろあるヨ?」

「どおって……」


 ノヴァの声は、好奇心をこえて焦りのような色を帯びている。

 貴士は、一体ノヴァの真意がどこにあるのか、まるで見当もつかないでいた。


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