パートG アンダーリゾート
行方不明の絶斗を最後に目撃したことから、エルにその身を追われる供花。
絶体絶命のピンチに現れたのは、フロイトと里香という謎の人物だった。
彼らに助けにより、高校を脱出する供花。
平穏な日々から遠ざかり、連れられるままに訪れた場所は、都内から離れた場所にあるクリアビル郡だった。
「クリアビル……こんな場所に来て、どうするの?」
「……黙って、ついてこい」
供花は、コートに身を包む背の高い男「フロイト」と、小柄でフードを深く被る女「里香」に連れられて、郊外にあるクリアビル郡の中を歩いていた。
クリアビルとは、全体が透明で、各階層には野菜や穀物が栽培されている建物をいう。
品種改良とAI管理による全自動化により、人手を使わずに短期間で品質の高い食料を供給できる。
かつての広大な土地と人手を必要とした農業は、今は存在しない。
都市の郊外に立ち並ぶクリアビル群のみで、自給は十二分に満たされ、世界規模の食糧不足など過去の話となっていた。
「この先になにがあるの? ずっとクリアビルが続いているだけよ」
供花は辺りを見回しながら言う。
一定間隔で並ぶクリアビル。
人の手を使わずに運営されているクリアビルは、間近で見ると、無人の廃墟を思わせる光景だった。
「……この先に、フォースウルフのアジトがある」
代わり映えのしない殺風景なビル群。
フロイトは、まるで自分の庭を歩くかのように、迷いのない足取りで奥へと進む。
「フォースウルフ!?」
なんとなく予想はしていたが、やっぱりそうか……。
供花は不安からか、寒くもないのに両腕をさする。
フォースウルフ。
エルフ・ドワーフ・オークの3種族に敵対する反政府組織。
私のフォースウルフへの認識はこの程度で、詳しくは知らない。
エルに狙われるまでは、私はエルフに対して悪い印象なんて持っていなかった。
3種族の宇宙人について歴史の授業で習った内容は、
今から33年前の2050年に、かつては1つしかなかった月が突然4つに増え、その新しく出現した3つの月から3種族の宇宙人が現れたこと。
そして人類との間に友好関係を構築し、発達した技術の数々を人類に提供してくれてたおかげで、めまぐるしい発展を遂げたこと。
目の前に広がるクリアビルも、まさに提供された技術による産物だ。
宇宙人に対する偏見や恐れも潜在的にはあるが、彼らが行った様々な貢献によって人々の生活が向上したことから、今では広く受け入れられている。
私も概ね同じ考えだった―――今日の朝までは。
「ここだ」
フロイトはクリアビルの1つを指差し、そのまま我が物顔で中に入っていく。
そのクリアビルは、規則正しく立ち並ぶ他のクリアビルと比べても、なにも変ったところはない。
私はフロイトの後を追って、早足で中に入る。
中に入ると、キャベツ畑が辺り一面に広がっていた。
クリアビルの1階であるにもかかわらず、まるで雲一つない青空の中にいるような、十分な日光の明るさが保たれていた。
高い天井には、スプリンクラーと思われる配水管が走り、地面には大地が広がっている。
室内に充満している土の香りに思わず顔をしかめるが、けして嫌な匂いではない。
完璧に管理された土の中で栽培されているキャベツは、みずみずしい緑色を大地に敷き詰めていた。
フロイトはキャベツ畑の中に足を踏み入れ、部屋の中央に立ち止まる。
そして右手をかざした。宣誓でもするかのように。
すると、フロイトの体が肥沃な大地に飲み込まれるかのように、沈んでいく。
「えっ、ね、ねえ!」
「同じようにしろ」
大地に下半身が飲み込まれながらも、フロイトは平然と言う。やがて、その姿が地中へと完全に消えた。
「次はアンタの番」
私の後ろにいた里香が、背中を軽く押してきた。
「……なにこれ?」
「安心して。同じようにすればわかるから」
里香はそれだけ言うと、これ以上は説明不要だとそっぽを向く。そして、私の背中をさっきよりも強く押してくる。
仕方なく、私はさっきまでフロイトがいた場所まで歩き、同じようにして右手を挙げる。
すると自分の立っている場所が突然降下し始めた。
エレベーターに乗っている感覚に近い浮遊感がして、体が地面に沈んでいく。
足元は、地下へと降りる仕掛けが施されていた。
この場所だけホログラムの映像でカモフラージュされていた。
地面に飲み込まれるように見えたのは、このためだった。
30秒くらいだろうか。
暗闇の中、長い降下が続き、唐突に止まる。
止まった先は、ただただ真っ暗でなにも見えない。
目の前に人の気配は感じる。おそらくフロイトだろう。
まだ暗闇に目が慣れず、不安が押し寄せる。
なんとなくだが、小さな部屋の中にいるような気がする。
そして僅かにだが―――風が吹いている。
風が吹く方向へ足を進めようとした時、フロイトが声を発した。
「そこで止まれ」
「きゃっ」
静寂をかき消す突然の声に、びっくりして悲鳴を上げる。
「えっと……フロイト?」
「乳デ……そういえば、名前を聞いてなかったな。名前は?」
「……あさひ供花。あさひはひらがなで、あさひ園っていう孤児院出身だから。供花はおともするの供に、野に咲く花の花よ」
孤児院が増えた現在では、孤児院出身者の苗字は、その孤児院の名前が充てられ、ひらがなで表記される。
またその場合は、下の名前で呼ばれるのが一般的だ。
「供花、今からお前を、フォースウルフ関東支部のリーダーに紹介する」
「関東支部……? フォースウルフって全国に支部のあるくらい規模の大きい組織なの?」
「それは追い追いわかる」
「……私は、これからどうなるの?」
どうしてあの場に現れたの?
フォースウルフが私を助けた理由は?
疑問が止め処なく溢れる。
「……それも追い追いわかる」
「はぐらかさないで! 信用したいけど……でも……」
昨日までただの学生だった私には、現在の自分が置かれた状況に実感が持てない。
この狭く閉ざされた暗闇のように、行く当てもわからず、不安で胸が押し潰されそうになる。
そんな私に対して、フロイトは少しだけ優しげな口調で言う。
「……悪いようにはしない。約束する」
ぶっきらぼうで、そっけない台詞だけど、なぜか……なぜか、ほんの少しだけ、心が落ち着いた。
「……フォースウルフのリーダーに会えばいいのね? そうしたら全部説明してくれる?」
「それはリーダー次第だ」
「……わかった。連れてって」
そう言うと、フロイトが動く気配がして、私から離れていく。
目がだんだんと暗闇に慣れてきた。
ここは小さな部屋で、正面に大きな扉がある。そこから風が吹いていた。
フロイトは扉の前に立つと、私に問いかける。
「供花、ここを超えればもう戻れない。今までの日常は空虚な夢物語にすぎない―――――真実と向き合う覚悟はあるか?」
その言葉に、私は息を飲む。
血塗れの絶斗。祐の異変。エルへの不審。
自分の身に起きたこととは未だに思えない。
ドラマか映画を見ているような感覚。
または、現実味のない夢の中にいる感覚。
そんな暗闇の中で、私は水中から顔を出すために、手足をバタバタさせながら必死にもがいている。
苦しくて、不安で、夢なら早く醒めてほしい。
―――――それでも忘れられない『重み』がある。
私の右太ももに巻きついている、絶斗のレイン。
絶斗のレインを、スカートの上から触る。
今は待機状態の、冷たい流体金属の塊でしかない。
でも、その重みが、その感触が、私は「ひとりじゃない」と、絶斗が言ってくれているような気がする。
だから、勇気が湧いてくる。
「私は―――絶斗が生きているって信じてる。絶斗を助けたい。救いたい。それにエルが……宇宙人が関係しているなら、目的を知りたい。なにをして、なにをこれからしようとしているのかを知りたい」
「……たとえ、真実がなんであっても……か?」
「ええ、構わない。覚悟は出来てる。フロイト、フォースウルフのリーダーに会わせて!!」
後ろで人が降りてくる気配がする。おそらく里香だ。
「……いいだろう。供花、この世界の真実と向き合え」
フロイトがそう言うと、扉がゆっくりと開いていく。
扉の向こうは光だ。
暗闇を照らす光が、だんだんと大きくなっていく。
私はその光に包まれる。眩しくて目を瞑る。
やがて、瞳を開けると―――――そこには、街が広がっていた。
クリアビルの地下深く。巨大な街が存在した。
「ようこそアンダーリゾートへ」
後ろで里香がぼそりと呟く。
後に世界を揺るがす存在となる あさひ供花。
その新たな人生が今日、ここで始まろうとしていた。
《登場人物紹介》
フロイト
男性、195cm、90kg
レインランク:不明
フォースウルフに所属する謎の人物
フォースウルフ内でも彼を知る者は少ない