パートS 目覚めの兆候
「隼人! 隼人! おい、大丈夫か?」
隼人は体が揺さぶられるのを感じながら意識を取り戻した。
腕がじんじんする……。
頬も痛い……。
小さく呻き声をあげながらゆっくりと目を開ける。
マイクが心配そうな眼差しで俺の体を揺さぶっている。
「あ、ああ、大丈夫だ……どうして俺は……」
マイクに支えられながらゆっくりと体を起こす。
その途中でだんだんと記憶が戻ってきた。
「あああ、雪っ! 雪はどこだ?」
「落ち着け隼人、雪は今運ばれるところだ。警察が騒ぎに気づいて来てくれた。雪は病院に運んでもらえるから安心しろ」
辺りには多くの警察官が立っていて周囲を警戒していた。
近くに担架が2つ用意されていて、今まさにその内の1つに雪が乗せられているところだった。
雪のそばにはキャシーが心配そうな顔で付き添っている。
「坂下は? あいつはどうした?」
「あいつは警察が来た時に逃げていったよ。怪我をしていたから逃げ切れるとは思えないけどな」
「そうか―――」
マイクに肩を貸してもらいながら雪のもとへと歩く。
横たわる雪の体の上に白い毛布が掛けられているが、その毛布が所々赤く染まっていた。
「血……雪が怪我をしているのか?」
「………ああ、脇腹を……」
マイクが目を逸らす。
「隼人……マイク……どうしよう……血が止まらないよ……」
キャシーは俺たちが近づくのに気づき、泣きそうな声を上げる。
「だ、大丈夫なんですよね?」
雪を担架に運んだ警察官に尋ねる。
「………出血がひどい。すぐに病院に運ぶ。誰か付き添いを」
警察官が芳しくない表情で答える。
「わ、私が」
キャシーが名乗りを挙げる。
「うっ……」
雪が苦悶の表情を浮かべながら微かに喘ぐ。
警察官2人で担架を持ち上げると、ぼとぼとと血がしたたり落ちる。
「タオルで傷口をずっと押さえているのに血がどんどん溢れてくるの。隼人……どうしよう……?」
キャシーの目から涙がこぼれ落ちる。
俺は意を決して雪に掛けられていた血まみれの毛布をめくった。
そこには裸の雪が、赤く染まっていた。
脇腹には血で真っ赤に染まったタオルがキャシーによって押し当てられており、そこから強烈な血の匂いが広がっている。
深刻な状況であることが否応にも理解できてしまった。
「もっとタオルを! このままだとまずい!」
マイクが警察官に訴えかける。
「これしかないんだ。まだ救急車も到着していない。このまま世界会議用に埋立地内に建てられた病院へ運ぶ。状況が状況だ、すぐに警察車両で運ぼう」
雪が車両に向かって運ばれていく。
このままで大丈夫なのか?
宇宙人によってもたらされた技術によって医療分野は飛躍的に発展した。
病院にさえ着けば、直ちに出血は止められ、輸血と並行しながら高度な再生技術によって傷口はすぐに塞がるだろう。
だが、それは病院まで命が持てばの話だ。
どんなに発達した医療技術であっても人を生き返らせることはできない。
雪が……雪が死ぬ……?。
そんなしたくもない想像が頭をよぎる。
手の震えが止まらない。
いやだ……それはダメだ。
絶斗も供花もいなくなって、祐も離れ離れになって……さらに俺の好きな……俺が幼い頃からずっと一緒で、これからもずっと一緒にいたい雪が、いなくなるなんて絶対にダメだ!!
そんな俺のほとばしる感情に、レインが反応した。
なにも理解できないが、何をするべきかは唐突にわかった。
俺は運ばれていく雪を追いかける。
身体中が痛い。特に坂下のレインに傷つけられた腕は走るたびにズキズキと悲鳴をあげる。
それでも、やらなければならないことがある。
雪のために。
俺のために。
「待って! 待ってくれ! 出血を止めないと!」
「そんなのわかってる! でももうタオルも包帯もないの! 何か代用できそうな物を探す時間をかけるくらいなら、1秒でも早く病院に連れて行ったほうがいいの!」
キャシーが抑えられない悲しみを言葉にぶつけるかの如く叫ぶ。
「俺に任せてくれ!」
ワゴンタイプの車両の後部座席に担架ごと乗せられた雪に寄り添い、俺とキャシーとマイクも乗り込む。
車両はすぐに発進し、病院へと向かう。
俺は車のなかで雪に掛けられた毛布をもう一度剥がす。
2度と見たくもなかった赤く染まった雪。
その真っ赤なタオルにそっと触れる。
あふれる血を吸いきれずぐっしょりしているタオルに顔をしかめる。
このタオルがもっとあればいい。
そう、傷口をすべて覆い出血を和らげるほどの。
タオルが無い? もう他には無い?
なら―――――作ればいい。
タオルが無いのなら―――――作ればいい。
俺のレインは自分でも気づかないうちに起動展開を済ませていた。
それが勝手に、雪の体へと這い寄っていく。
雪の脇腹へと到達したレインは、次第にその形を変えていく。
そして、脇腹へとあてがわれていた元々のタオルと瓜二つの形状へと変化する。
「え、どういうこと……?」
タオルを押さえていたキャシーが困惑しながら手を離す。
隼人のレインは、今やタオルと完全に同一な物となっていた。
それが、雪の傷口を少しだけ強く押さえるようにして包みこんでいく。
ほんの僅かに、だが確実に、雪の出血が和らいだ。
隼人のレインで作ったタオルが、次第に血を吸い、赤く染まっていく。
「は? ……ありえない……」
マイクが呆然とする。
本人も意識せずに漏れた独り言だった。
「着いたよ。さあ、急いで!」
助手席に座っていた警察官が声をかけてくる。
キャシーが窓の外を見ると、大きな病院の入口に車が止まっていた。
医師と看護婦らしき人たちが駆け寄ってくる。
「近い! こんな場所に病院があったんだ~」
キャシーは喜びの声を上げる。
さっきまでいた交差点から1kmくらいの所に病院があったのだ。
キャシーは雪の様子を見る。
息が荒く、隼人がレインで作り上げたタオルも今や真っ赤になっていたが、それでも生きている。
現在の医療なら例え瀕死の状況であったとしても、病院に到着するまで生きているのなら、まず助かるというのが常識だ。
やった~、助かる!
「よかったね~、隼人」
キャシーは隼人の肩に手を置いて笑顔を向ける。
「………」
隼人は自身のレインに集中しているのか、反応がない。
周りの状況が全く見えなくなるほどの集中力。
ワゴンの扉が開き、集まった医師たちがすぐさま雪を病院用の担架に移して運ぼうとする。
隼人もようやく周囲の状況を把握し、レインを解除して医師たちに任せた。
「助かる……よな?」
「あったり前でしょ~。さ、私たちも行こう! 隼人の腕の怪我も見てもらわなきゃ」
「ああ……」
安堵のため息をつく隼人。
キャシーも目に涙を浮かべて微笑む。
「君たちも治療を受けなさい。その後、事情を聞かせてくれるかな?」
警察官の問いかけに頷く隼人とキャシー。
雪が運ばれて行くのを見届けながら、警察官と共に病院に入っていく。
そんななか、マイクは呆然とした表情のまま固まって動かなかった。
「なんだ……あれは……」
虚ろな視線を隼人に向けながら、マイクの頭の中は1つの疑問で一杯だった。
(どうして隼人のレインはタオルになった……? タオルのような形状にすることはできる。強度を調整すれば質感だって似せることはできる)
マイクはゆっくりとした足取りで隼人たちを追いかける。
(でも、あれはタオルそのものだったぞ……。色や見た目も……まさにそのものだった。そんなことできるのか? レインは移動することも形状や強度を変化させることもできる。でもタオルそのものになるなんて聞いたこともない。いや、誰にもできない、ありえない、隼人以外には……)
マイクは自然と冷や汗をかいていた。
キャシーは気づいていない。雪が助かった喜びで冷静ではないのだろう。
警察官や医師たちも、隼人がレインを操作したところは見ていなかった。
隼人本人もこの異常を理解していないのだろう。
レインの常識を根底から覆すような事態に、誰もが気がついていない。
マイクを除いて。
(なによりもおかしいのが、レインで模したタオルが血を吸ってにじんだ。どうやったらああなる? レインは流体金属だぞ! 血を吸って赤く染まるなんてありえない。あれじゃあ、まるで……まるで、タオルそのものじゃないか!?)
マイクの頭に1つの単語が浮かぶ。
その言葉を誰にも聞こえない小さな声量で呟いた。
「特異体……」