パートR 得た物・失った物
ブレスレットの中にあった赤い液体を口に含む。
なんだが血の味がした。
そのまま飲み込む。
喉をドロっとした液体が通過する。
お酒を飲んだことは無いけど、たぶんワインを飲むとこんな感じなのかな。
胃の中が内側からコーティングされるみたいに広がっていくのが分かる。
すぐに体が火照ってくる。
でもどこまでいっても血の味しかしなかった。
その血の味が……とっても……とっても……美味しく感じる。
だから飲みたいの、血が……血が……たとえ目の前でニヤついている嫌いな男の血でさえも。
飲みたいの。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
弾けた。
なにがって?
私の「レイン」が弾けたの。
目の前の男は、私の髪から手を放して飛び下がる。
そんなことはどうでもいい。
「………なんだ、お前……」
うるさい。
血―――血―――血―――血―――血―――血―――。
勝利を確信し余裕の表情を浮かべていた坂下竜也だったが、状況を理解できないでいた。
上下の下着とタイツのみの姿で無抵抗だった雪と呼ばれていた女を、強引に髪を掴み立ち上がらせていたが、突然女が奇声を上げ、レインが爆発するように弾けたからだ。
女のレインは飛び散り、彼女の周りの地面に飛散している。
そして徐々に雪の元へと集まっていく。
両手で喉を押さえうつむきながら直立している。
その足元にレインが集まり、雪の足からふくらはぎ、太もも、腰へと這い上がっていく。
ビリ、ビリ、ビリィィィィ
タイツが破れる音がする。
雪のレインが体に密着しようとして、それを遮る衣服を強引に破りながら体を這い上がっていく。
全身を覆うレオタードのように、体のラインに沿って薄く広がり、体をコーティングする。
下着も破り捨てられる。
今や彼女自身のレインによって裸にされ、首から足までレインにかたどられていた。
「………なんだ、お前……」
坂下は目を細め警戒する。
雪からの返答はない。
坂下は普段は尊大な態度で自分とエルフ以外を下に見ているが、ことレインについての勉強だけは真摯に行っていた。
坂下の頭の中に「スーツ形態」という言葉が浮かぶ。
これは約30年前から始まったレインの導入及び研究の際に提唱された理論の1つである。
使用者の全身をまるでライダースーツかのようにレインで覆うというものだ。
体を動かす際には、レインの強度を下げ、無理なく動くことができる。
そして相手を攻撃する、または相手から身を守る際にはレインの強度を上げることにより、攻防一体の戦闘形態となるのではないか、と言われていた。
結局は、繊細な強度のコントロール能力を要するため、使いこなすのが難しく、また使用者自身の身体能力に依存する部分が多いため、机上の空論だという評価がなされ流行ることはなかった。
(仮にこの女がスーツ形態をある程度使いこなせるとしても、スーツ形態が脅威となるのは本人の身体能力が高いのが前提だ。武術を極めた者とかでもない限り取るに足らないだろう。この女がそうだとも思えないしな)
坂下はそう結論付けて雪との距離を3m程に保ち、横一線のブレードを放った。
接近戦さえ避ければ問題ないと考えながら。
バシッ
坂下のブレードが雪に直撃し、雪が後ろに吹き飛ばされる。
雪はガードもせず、受身も取らずに仰向けに倒れる。
無抵抗に見えたが、ブレードが当たる瞬間雪の体を覆うレインの強度が高まったのを、坂下は見逃さなかった。
そのためダメージは無いはずだと。
でなければ雪の体は切断されていたことだろう。
「おい、折角やる気になったんだろ? 少しは抵抗してみたらどうだ?」
坂下は雪を煽りながら近づく。
仰向けに倒れる雪まで2mという所まで近づくと、今度は上から下に刃物を振り下ろすかのようにブレードを放つ。
ガッ、ギーン
先ほどよりも威力を高めて放った坂下のブレードは、上半身のみを起き上がらせて両腕を頭の上でクロスさせた雪に防がれていた。
「なっ」
突然の動きに、坂下の思考が一瞬止まる。
さっきまで全く動かなかった雪が、まるで野生の狼のような俊敏な動きを見せたのだ。
上体を起き上がらせた速度は到底人間のものとは思えなかった。
坂下は反射的に1歩後ろへ飛び退く。
しかしその動作を遥かに上回る速度で雪が坂下に飛びついた。
「ぐあああああああ」
坂下の首筋に痛みが走る。
雪が坂下の首筋に噛み付いたのだ。
予想だにしなかった事態に驚く坂下。
坂下の悲鳴が響き渡る最中、小さくもはっきりと雪が坂下の血液を嚥下する音が聞こえる。
うぐっ、はぁ、はぁ、ごくり、うっ……んぐっ。
まるで生まれたての赤ん坊がはじめて母親の乳を吸うが如く、慣れないながらも一生懸命に吸うのだ。
「お、お前……なんなんだ……」
首筋の痛みは一瞬だけ。
その後は血が吸われているのにもかかわらず、心地よさが坂下の全身を駆け巡る。
その不気味な心地良さが、逆に恐怖を引き起こす。
坂下は雪の首を両手で絞め、首筋から引き離そうとする。
「ぐっ……」
とたんに全身が強烈な痛みを覚える。
苦痛から気を失いそうになるが、坂下はレインのコントロールを懸命に保つ。
ゆっくりと坂下自身の足元までレインを動かすと、弾けるような突発さをもって雪にランスを打ち込む。
ガンッ
金属と金属がぶつかり合う甲高い音をたてて、雪が後ろへ吹き飛ばされる。
雪の全身を覆うレインが硬度を増し、坂下のランスを防いだのだ。
しかしその衝撃は殺せなかったので、雪と坂下の距離は一旦離れた。
「殺す……お前は絶対殺す……」
首筋に手を当てながら坂下は雪を睨みつける。
「ぁ……ぁぁ……血……血ぃ……」
雪は焦点の定まらない目で坂下を見つめる。
その目線は首筋から流れる血を見ていた。
「あああああああああああああああああああ」
雪は奇声を発しながら坂下に向かって飛び掛る
「くっ」
坂下は雪に向かって全力のブレードを放つ。
ガンッ
雪が坂下のブレードをまともに食らって弾かれる。
インパクトの瞬間、雪を包み込むレインの強度が増した。
ダメージは無さそうだったが、衝撃は押し殺せずにまたも距離が開く。
ブレードの衝撃により吹き飛ばされた雪は、四つん這いの姿勢で着地する。
その姿勢と眼つきはさながら野生の狼が獲物を追い詰めるかのようだ。
しかし、状況は一変する。
「ぅぅ……」
今にも飛び掛りそうな雪だったが、突然力が入らなくなったのか、その場で崩れ落ちる。
雪の体を纏うレインもその形を失い、倒れる雪を中心に大きな水溜りへを変わっていった。
「―――死ね!」
坂下はその瞬間を逃さなかった。
隙だらけの雪に向かってランスを放つ。
「させるかあああ」
マイクが叫ぶと同時に金属音が響き、その直後雪の脇腹から血しぶきが噴出す。
動かない雪への坂下のランスは、マイクのレインが横からぶつかる事で軌道が逸れ、雪の脇腹をかすめたのだ。
直撃こそ避けたが、雪の体から血が噴出し地面を赤く染める。
雪は気を失っているのか反応が無い。
マイクはレインのコントロールを取り戻し、雪を背にして坂下に対峙する。
坂下は後ろに気配を感じて振り向くと、そこにはキャシーがレインを足元に待機させていた。
少し離れた所には隼人が倒れているが、まだ意識は無いようでピクリとも動かなかった。
「ちっ、邪魔するんじゃねぇ」
首筋に手を当てながら坂下は言う。
未だ首から血が流れ続け、早く手当てをしなければ気を失いそうだ。
しかし、マイクとキャシーも満身創痍な様子で、荒く息を吐きながら立っているのもやっとの状態だった。
「………」
「………」
「………」
互いに言葉は無く、つかの間の静寂が訪れる。
だが、これはあくまでもつかの間でしかない。
いずれ誰かが動き始めれば、それが最後のぶつかり合いになるだろう。
そしてその後、立っていた者が勝利を収めるだろう。
そんな嵐の前の静けさともいえる膠着状況は、予想外の形で終焉を迎える。
「全員手を上げて膝をつきなさい! これから先、レインを操作した場合、敵対行動とみなす!」
遠くから数人の警察官が、声を張り上げながら近づいてくる。
駆け寄ってくる警察官は既に起動展開を済ませており、各々の足元をレインが併走しながら距離を詰める。
「ちっ、命拾いしたな。だが、お前たちの顔は覚えたぞ」
坂下はそう言うと、警察官とは逆の方向へ走り去っていく。
「こらっ、待ちなさい!」
逃げる坂下を一部の警察官が追っていく。
残りはマイクとキャシーを取り囲むと、再度レインの解除を指示した。
その指示に従いレインを解除したマイクとキャシーは、緊張の糸が切れたかのようにその場にへたり込むのだった。