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泡盛 35%

「何それ?」

 リビングでくつろいでいた瑠璃子は俺の持ちかえった『LURI』を見て嫌そうな顔をした。

「弘和にもらった。飲む?」

「はぁ? チャラ男の酒とか飲まないし!」

 俺はワインのラベルと昨日瑠璃子が空けたボトルを見比べた。

「同じ酒でも味変わるの?」


 俺が声をかけた時には彼女はもう慣れた手つきで床下収納を開け、一升瓶を取り出していた。

「うるさいわね。今日はこっち飲むのよ」

 それはいつか親父が旅行で買ってきた泡盛だった。

「で、今日はどうだったの?」

「それがさ――」

 今日あった出来事を話している間、瑠璃子は泡盛の栓を抜かずに動きを止めて聞いていた。もちろん俺が圭にキスしたくなったなんて言わないが、弘和の家に泊まりに行く仲だと伝えると瑠璃子も驚いていた。呆気にとられたまま、ポンと栓を抜き、泡盛を一升瓶のまま口につけようとしたのを俺は取り上げた。

「姉ちゃん、さすがにそれはやめておこう」

 そしてガラス製のおちょこを二つ出し泡盛をつぐ。くっと飲むと熱くなった後ふわふわと酔いが回った。


「……そっか、そりゃデキてるわね。いいネタありがと」

 その口調に心はこもっていない。彼女は俺が1杯飲む間に3杯は手酌で飲み進めていた。

「姉ちゃんはさ、何でBLにはまったの? そんなにいいかな。男同士の恋愛なんて」

「いいに決まっているじゃない。男と女の関係なんて脆いものよ。男なんて信じられない」

「男を信じられないのに男同士の恋愛が好きってのも不思議だな」

 俺の言葉に瑠璃子は空になったおちょこをテーブルに置いて空を仰いだ。


「男ってさ、みんな私の胸ばかり見るのよ。それって私の魅力は胸だけみたいですごく嫌だったの。元彼だってそう、結局私の胸しか興味がなかったのよ。でも男同士の恋愛はおっぱいもないし、まだまだマイノリティだから障害ばかりでしょ。それなのに一緒にいたいって思っちゃう。つまりそこにあるのは好きって気持ちだけなのよ」

 好きという気持ちだけ。ふいに圭の姿がよぎり胸が切なく締め付けられた。瑠璃子はそんな俺の気持ちに気付くはずもなく、ふっと笑う。

「私もそんな風に愛されたかったのかもしれないわね」

 ヨレヨレのTシャツの下にある巨乳は瑠璃子を長い間悩ませていた。もし瑠璃子の胸が大きくなければ元彼を引きずることもなかったのかもしれない。


「私のことよりあんたはどうなのよ。毎日、弘和と少年の話ばかりしているけど、おっぱい好きのあんたは水着女子に囲まれて、さぞかし楽しい日々を送っているんでしょうね」

「ああ、おっぱいね……おっぱいか……」

 考えてみれば俺はここのところ女子の胸など全く気にしていなかった。気になるのはただ一つ、圭のことだけだ。

「亮太?」

「ああ、最高だよ! 天国だよ!」

「馬鹿ね」

 瑠璃子はため息交じりに笑う。しかしその笑みにはどうしようもない男たちを許すような抱擁力があった。


「馬鹿だけどこれが普通の男だろ」

「そうね。世の中にBLが溢れたら、私に勝ち目なんてなくなっちゃう」

 彼女は俺のおちょこを取り上げてそれをいっきに飲み干す。俺が「え?」と聞き返すと瑠璃子は俺の髪の毛をわしゃわしゃと引っかき回した。

「何でもないわよ。大体ね、やっぱりあんたは普通すぎて面白くないのよ! ねぇマグカップ取って。おちょこじゃ追いつかないわ」

「マグカップで泡盛ってどんだけ強いんだよ。腐女子で酒豪って……俺は姉ちゃんという人間が理解できない」

 俺がドン引きしているのに瑠璃子は懐かしそうに頬杖をついて笑う。

「はは、どっかで聞いたな、その言葉」

 彼女はマグカップで飲むのを諦めたのか、小さなおちょこにトクトクと泡盛を注いだ。



「亮太、こぼれてるぞ」

 圭に言われて手元を見るとサーバーから勢いよく出てくるビールがジョッキから溢れて俺のTシャツを濡らしていた。圭はタオルを差し出してビールジョッキを俺の代わりに客の元へと運んでいく。ほんのりと柔軟剤の香りがする白いタオルは出会った時に圭が首にかけていたものだった。圭の薄い胸板を思い出すと急に顔が熱くなりドキドキと動悸が早くなる。


「おい、大丈夫か?」

 よほど変に思ったのだろう。今日の圭はどこか優しい。

「大丈夫。ちょっと二日酔いなだけだよ」

「夕方まで残るほど飲んだのかよ」

 呆れながら圭は弘和の元へ行く。その後姿に俺の心は切ない悲鳴をあげていた。

『俺は男を好きにはならない。だから圭なんか好きじゃない』

 そう言い聞かせるとそれに抵抗するような違和感がこみ上げる。いや、この感情はただの勘違いに決まっている。それに俺は圭をやらしい目で見ている。ただ好きなだけという純粋な感情じゃない。だからこれは恋じゃない。


「弘兄、水1杯ちょうだい」

 弘和が圭にグラスを手渡すと二人の手が触れ合う。嬉しそうな圭の横顔に俺の心には怒りにも似た感情が湧いて出て来た。そんなことを知らない圭はグラスを持って俺のところに来た。

「二日酔いとか情けないな。弘兄が少し休んでてもいいってさ。弘兄に感謝しなよ」

 圭が弘和の名を呼ぶごとにイライラと醜い感情がこみ上げる。


「弘兄、弘兄って本当に圭は弘和が大好きなんだな。なぁ、男に恋するってどんな気持ちなの? おっぱいなくても欲情できんの?」

 言い過ぎた、そう思った時には、圭は顔を真っ赤にして怒りを露わにしていた。グラスを持つ手に力が入り、水をかけられると思った俺は身構えた。

ダンッ!

 グラスとテーブルがぶつかる音が響き、それと共に頭が真っ白になるような痛みが俺に襲い掛かる。圭がグラスをテーブルに置いた次の瞬間には、短パンから伸びる圭の細い足が俺の急所を思い切り蹴り上げていた。

「やっぱりお前なんか大嫌いだ!」

 声の出ない痛みにうずくまると砂浜へと走って行く背中が見えた。呆気に取られている常連客の視線の中、俺はうずくまりながら必死に圭に向かって手を伸ばす。

「圭! ちょっと待って――」

「亮太」

 弘和は落ち着いた声で俺の名を呼ぶ。そして暗い砂浜に座り込む圭を確認すると「少し一人にしてあげよう」と言った。



 店が終わっても圭は戻ってこなかった。すると二人きりの店内で先に話しかけて来たのは弘和だった。

「二人に何があったかは分からないけど仲直りしたいのなら協力するよ」

 俺は弘和に嫉妬をした自分が恥ずかしくて情けなくて泣きたくなった。

「いや、多分圭は俺のこと許してくれないよ。俺はアイツにすごく酷いこと言ったんだ」

「酷いこと? 誰とでもうまくやるお前がめずらしいな。よほどの事情があったんだろう。ちゃんと話せば圭も許してくれるさ」

 弘和は俺にも優しい。同じ男として絶対こいつには敵わない。

「そう簡単に話せることじゃないんだよ。特に圭には」

「そうか」

 弘和はそれ以上何も言わなかった。


「弘和、一つ聞いていいか?」

「何?」

「お前、男同士の恋愛ってどう思っている?」

 突然の俺の質問に彼は戸惑うことも馬鹿にすることもなくじっくりと考え、慎重に言葉を選んだ。

「昔はあり得ないと思ってた。でも好きなら頭で考えて理解できないことも全部受け入れてみせるって今は思っているよ」

 その真剣な眼差しに嘘はない。彼なら圭も幸せになれるだろう。

「それなら安心だ」

「お前、もしかして圭のことが――」

 言いかける弘和を遮るように俺は笑い声をあげる。

「はは! 何言ってんだよ! 俺がおっぱいのない男を好きになるわけないだろ」

 自分に言い聞かせるように言うと浜辺から圭が戻ってきていた。圭は俺と顔を合わせようとしない。俺はまた変な話を圭に聞かれてしまったらしい。

「先に帰るよ。圭、悪かったな」

 ずるいと言われても仕方がない。逃げるように俺はその場を去った。圭の顔を見れなかった俺はその頬に一筋の涙がこぼれたことに気がつかなかった。


 沈んだ気持ちで家に帰るとリビングには灯りがついていた。俺の帰りに気付いた瑠璃子が静かにリビングのドアを開く。

「ずいぶん、ひどい顔してるじゃない」

「姉ちゃんのせいで二日酔いなんだよ」

 俺は本心を悟られないように瑠璃子から目を逸らす。

「ふうん、で、今日は何かあった?」

「別に」

 それでも瑠璃子は俺が話し始めるのを待っていた。


「俺さ、もう姉ちゃんのために二人を観察するのはやめるよ。俺をネタにしたいならネタにしていいから。なんか純粋に想いあっている二人を邪魔するみたいで嫌なんだよ」

 瑠璃子は持っていたおちょこをぐいっと飲み干すと鼻で笑う。

「何それ」

「弘和は好きなら全部受け入れるって言っていたんだ。姉ちゃんの言う通り純愛なんだよ。俺たちが興味本位で話していいものじゃない」

 瑠璃子のグラスを持つ手がピクリと動く。

「そう、そんなこと言っていたの。あんた二日酔いならもう寝なさいよ。私は飲み直すから」

 そう言うと開けていたドアをバタンと閉めた。


 これでいい。これでもう圭を目で追う必要はない。ベッドに飛び込むと固い角が頬に当たった。タオルケットをめくるとそこにあったのはいつか放り投げた瑠璃子の漫画だった。見つめ合う二人は見れば見るほどに圭と弘和に見えてきた。俺の知らないところで二人はこうやって見つめ合っているのかもしれない。そう思うと胸が張り裂けそうだった。

『どうしようもないくらい好きだ』

 俺は漫画の少年に圭の面影を重ね報われない想いに涙を流した。


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