『LURI』 15%
俺の出勤時間は夕方だ。圭はその前から来て昼は海の家として営業している店を手伝ったり、自分も海に入ったりしているらしい。昼過ぎまで寝てだらだら過ごしている俺はいつも出勤時間ぎりぎりに店に着く。
「亮太、おはよう!」
カウンターで仕込みをしている弘和が手を止めて笑顔を向ける。
「おはよ」
もう日は傾いているというのに実際に起きてまだ3時間くらいしかたっていないのだから『おはよう』だ。店の中をきょろきょろと見渡していると俺の目の前に空き瓶が差し出される。
「裏で圭が空き瓶つめてるからこれ持って行ってくれる? 捨て忘れちゃったんだ」
弘和に言われた通り店の裏をのぞくと圭が黙々と空き瓶をケースに入れていた。今日もサイズの大きなTシャツを着ている圭は長い裾で汗をぬぐう。ちらりとのぞくヘソに目を逸らし「よお」と声をかけると、圭は裾を伸ばして、わざとらしく無視をした。つめ終わったケースを持ち上げようと圭の細い腕に筋が入る。傾いたケースはガチャリと重い音を立てた。
「俺がやるよ」
圭からケースを取り上げると彼はむっとした顔をする。
「何だよ。俺にだってこれくらい持てるし」
不機嫌に見上げる瞳に俺が映る。出会った時以来初めてちゃんと目が合った。茶色がかった瞳は吸い込まれそうなほど澄んでいた。
「そんな細い腕しているのに見てられないだろ」
すると圭はぷいとそっぽを向く。
「余計なお世話だよ、変態」
「変態、変態ってなぁ。着替えているお前の胸をジロジロ見て悪かったよ。最初、お前が男って分からなくてさ。でもほら、男だったらおっぱいに興味があるのは仕方がないって分かるだろ?」
はぁとため息をつきながらケースを積み上げ、圭を見ると圭は耳まで真っ赤な顔で俯いていた。
「そんなの分かるわけがないだろ! 興味ないし!」
逃げるようにその場を離れる圭に、呆気に取られて頬をかく。
「何か気に障ること言ったかな」
いてもたってもいられずに圭の後を追うとカウンターに並ぶ影に思わず身を隠した。そこには圭を抱きしめてポンポンと頭を撫でる弘和の姿があった。圭は俺といる時とは別人のように弘和に身を預けている。
『そりゃあ、おっぱいに興味がないわけだな』
二人の姿に胸がちくりと痛みを帯びてきしむ。俺はその痛みの意味がわからないまま、二人を邪魔しないように店の裏へと戻った。
バイトが終わって家に帰ると瑠璃子は今日も飲んだくれていた。
「はぁぁぁぁぁぁあ」
少ない幸せも絞り出してしまうような大きなため息に俺の気分まで萎える。
「何なの? ネタ浮かんだんじゃなかったの?」
ワインのボトル片手に何度も何度もため息をつく。『LURI』、彼女と同じ名前の赤ワインは瑠璃子のお気に入りだ。このワインなら何本でも飲めるらしい。
「せめてグラスについで飲めよ。瓶で飲むとか終わってるぞ」
「グラスにつぎながら、ちまちま飲んでいられますかってのよ! あー!! 夏がいけないのよ。暑さでいちいち余計なこと思い出して筆が全く進まない! BLにならない! もう、飲んで忘れるしかないでしょ!」
「ふうん、要は元彼とのひと夏の恋を引きずってるからBL書けないんだ」
瑠璃子の頬がぴくりと動く。それは昔から図星のサインだ。瑠璃子は恨めしそうに俺を見る。
「私の妄想力が落ちている今、やっぱりあんたとお父さんをモデルにするしかないわ。大学生と初老男の禁断の恋……」
また危険なことをぶつぶつと言い始める瑠璃子からワインのボトルを取り上げる。
「それだけはマジでやめて」
「じゃあ、何かネタよこしなさいよ!」
ふと圭を抱きしめる弘和の姿が浮かび、その隙にワインは再び瑠璃子の手に戻った。
「ネタ……なくはない」
「え?」
瑠璃子はボトルに口をつけるのをやめてパッと顔を輝かせた。
「同じバイトの奴が弘和のこと好きみたいなんだ。和弘もまんざらじゃないぽくて。そいつ見た目は姉ちゃん好みの華奢な少年なんだけど……」
「少年? でも弘和って女たらしでしょ?」
いつの間にか瑠璃子は身を乗り出して話を聞いていた。
「うん、でも遊び人のあいつが客に言い寄られてもなびかないし、昔とはちがうって言いきっていたから。もしかしたら……」
圭と弘和は恋人同士かもしれない――それが言えなかった。考えると何故かざわざわとした重い気持ちになる。瑠璃子もまた酔いの醒めた顔で何か考え込んでいた。
「亮太、モデルになりたくなかったら二人の様子を逐一報告しなさい。わかったわね」
「はいはい」
俺は適当に返事をしたが出来れば仲が良すぎる二人の姿はもう二度と見たくはない、そう思っていた。
それからは毎日圭のことを目で追った。その辺の女より線の細い身体、焼けた肌に浮き出る汗粒、光に透ける色の抜けた髪を耳にかける仕草。圭には水着の女性客たちよりも俺の心を惹きつける魅力があった。BLのモデルになりたくないから仕方がなく観察しているんだと自分へ言い聞かせ、いつも圭の姿を探す。
「何見てんだよ」
圭はそんな俺に時折ふてくされながら言った。
「別に。圭が俺に客のおっぱい見すぎだって言うから、圭のを見て気を紛らわしているんだよ」
それを聞いた圭はうんざり顔で離れていく。俺にはこんな顔ばかりしか見せないが、弘和の前では屈託のない笑顔を浮かべる。そして弘和も他の奴には見せない柔らかい笑みで返していた。
「今日も仲良くやってたよ。いつも通り。同じ瓶でミネラルウォーター飲むし、暇な時はくすぐりあったりしてじゃれあってるし」
弘和と圭のことを瑠璃子に話すたびにその関係の違いを思い知らされる。
「ふうん」
話を聞きながら瑠璃子は『LURI』をジュースのように飲んでいく。だがいくら酒豪とはいえ、日増しに飲む量が増えている気がした。
「ちょっと飲み過ぎじゃない?」
「リアルBL聞くと酒が進むのよ」
そう言いながらも表情は浮かない顔をしていた。
(リアルBLねぇ……)
テーブルを拭きながら仕込み作業をしている弘和を見る。日に焼けたたくましい腕、優しげな目、確かに宏和は男から見てもかっこいい奴だ。でも恋愛対象とは違う。じっと見ていると視線に気付いた宏和が顔を上げて目を細める。そんな仕草一つも女の心を掴むんだろう。
「亮太ってさ、お姉さんいたよな。家も近いんだし弟のバイト先に遊びにこないの?」
「いや、あいつはえげつないぐらい飲むから」
「俺は酒が強い子好きだよ。家が酒屋だからかな。来てくれたらサービスするって言っておいて」
そう言って笑顔を浮かべる。それは腐った瑠璃子を溶かすには太陽よりも威力がありそうだ。
「前に誘ったんだけど家で酒を飲む方が好きなんだってさ」
「そっか……お姉さんが来てくれないのは残念だね」
弘和は寂しそうにシェーカーを布で磨いている。可哀そうに。彼は、姉の瑠璃子が弘和と圭のカップリングをおかずに酒を飲んでいるなんて想像もしていないだろう。
「ちょっとやめてよ」
その時、女性客の大きな声が聞こえた。声の方を見ると男が女の手を掴んでいる。どうも女性客ばかりのこの店に目をつけたナンパ男が店まで入ってきて客をしつこく誘っているらしかった。
「お客さん困ってるからやめなよ」
近くにいた圭が止めに間に入ると男は女の手を乱暴に離し圭を睨みつける。
「あ? なんだよチビ」
圭も負けじと睨み返す。それはいつも俺に向けるみたいな視線だった。
「その目、気に入らねぇな」
今にも掴みかかりそうな男の前に俺と和弘が動いたが一足早かったのは俺の方だった。俺は圭に背を向けて盾になるように立つと「まぁまぁ」と男をなだめる。
「お兄さん落ち着いてよ。きれいなお姉さんとお酒飲みたいのは分かるけどさ。警察沙汰になったりしたら面白くないでしょ。お兄さんみたいな強い男が好きな女の子もいると思うんだけどさ。今日はそういう日じゃなかったってだけでさ」
俺はそんなことを言いながらまるでその男と友達みたいなノリで話し続けながら自然に店の外へと出る。
「俺もナンパ上手くいかないタイプだからさ。すっげー分かるけどさ。ほらここのバーテンダーイケメンでしょ? 俺は毎日引き立て役に徹しているわけよ。場合によっちゃ変態扱いだしさ、上手くいかないことだらけよ――」
酔っぱらっていた男もうんうんと俺の言葉に相槌を打つ。仕舞には「お前、可哀そうな奴だな。頑張れよ」と手を振って男は去って行った。
店の中へ戻ると弘和が圭の肩をさすっている。握りしめた圭の拳は小刻みに震えていた。
「ありがとな、亮太。喧嘩に持ち込まないのはさすがだよ」
俺に気づいた弘和が笑顔を向ける。
「同類だから分かりあえるんだよ」
自嘲気味に言うと常連客も笑う。いつしか俺は店でそういうキャラになっていた。圭と弘和も仕事に戻り、店はいつもの和やかな雰囲気を取り戻す。圭は俺を見ようとしなかった。でも圭が無事だったんだからそれでいい。弘和と話す圭の横顔は笑っている。俺はいつも通りの圭にほっと胸をなでおろした。
「亮太」
閉店後、帰り支度をする俺の背中に声をかけて来たのは圭だった。
「何? めずらしいね、圭から声かけてくれるなんて」
振り返ると圭は仏頂面で腕を組んでいる。
「べつに……たいしたことじゃないけど」
小さな声で、ぼそぼそとしゃべる圭の声を聞き取ろうと俺は食い入るように圭を見る。圭は顔を赤らめて大声を出した。
「そんなに見んなよ! 変態!」
「お前、ホントにひどいな」
泣きそうな気持ちになる俺に圭は言いにくそうに口を開いた。
「……俺はお前のこと変態だと思っているけどナンパ男と同類だとは思ってない」
「え?」
小さな声に聞き返すと圭は俺を睨みつける。
「さっきはありがとうって言ってんだよ!」
それが礼を言う態度か? そんな疑問とは裏腹に俺の心はときめいている。なんだこの気持ちは……。ドキンドキンと心臓の音が耳の奥から鳴り響く。頬を染めて下を向く圭の薄桃色の唇に目が奪われる。
『ヤバイ。圭にキスしたい』
俺の手が圭の頬に向けて動き出したその時、弘和の声が聞こえた。
「おーい圭、帰るぞー! 今日もうちに泊まるよな?」
圭は顔を上げ「うん」と返事をする。走り去る圭の後姿を見ながら俺の手は元の位置に戻っていた。
「あれ、亮太まだ帰ってなかったのか? あ、ちょうどいいや。これ持って帰ってよ。酔っぱらいを追い払ってくれたお礼。お姉さんと飲んで」
弘和は店に置いてあるワインのボトルを俺に差し出す。見覚えのあるワインボトル、そのラベルには『LURI』と印刷されていた。
「じゃあまた明日もよろしくな」
ひらひらと手を振り、弘和と圭は並んで帰って行く。これから圭は弘和の家に泊まるのだ。俺が圭にしようとしたことを弘和はするのかもしれない。自分でも理解できない気持ちを打ち砕くように自分の頬をパチンと叩く。
「男同士だぞ。冷静になれよ」
俺は『LURI』を持って、一人、とぼとぼと家へと帰った。