缶酎ハイ 5%
あれからだらだらと過ごしてしまったので海に着いたころには海水浴客のピークは過ぎていた。残っているのは砂場で休むカップルやBBQを楽しむ大学生くらいだ。砂浜に並ぶ海の家ものぼりを外している。弘和の店を探していると、とうとう砂浜の端まで来てしまった。端の海の家は他の海の家とは違い南国風で洒落た雰囲気をしていた。入口ではインド綿のサンシェードが海風になびき、流木と一緒に建て替えられた看板には青いペンキで『BLUE LEAF』と書かれている。
『BLUE LEAFって青葉を英語にしただけかよ!』
心の中で突っ込みを入れながら中をのぞくと弘和どころか人の気配がない。店はアジアン雑貨が飾られて奥には籐でできた椅子が配置されている。日が落ちて店のところどころに置かれたランタンが灯ればそれば店に響く波の音と相まって幻想的な雰囲気となるだろう。そのあたりはさすが女の好きなものを熟知する弘和が店を仕切っているだけのことがある。
「こんにちは~」
声をかけたが返事はない。しかしスタッフのいそうなタイダイ染めの暖簾の先に何かが動いた気がした。暖簾をぺろりとめくり中を覗けばそこに見えたのは日に焼けた華奢な背中だった。着ているのはチェック柄の短パンだけで、耳下で切りそろえた髪からは水が滴り落ち、それを首にかけた白いタオルでゴシゴシと無造作に拭いている。ヤバイ、そう思った時には遅かった。俺の視線を感じたそいつは振り返り、目が合った。
「す、すみません」
謝りながらも自然と目が胸にいく。タオルのかかるその胸に谷間どころかふくらみはまるでない。
「なんだ、男か」
心のどこかでラッキースケベを期待した俺から漏れ出た一言にそいつは眉を寄せた。
「ここ関係者以外立ち入り禁止なんだけど」
小柄で少し垂れ目のそいつは少年らしい鼻にかかった声で言った。どことなく瑠璃子が書いた本のかわいらしい方に雰囲気が似ている。彼女に見つかれば間違いなくBL妄想の餌食だ。
「俺、弘和の友達なんだけど弘和どこかな?」
「裏で仕込みしてる」
少年はそっけなく言うとまた俺に背を向けて短い髪を一つに束ねる。収まりきらなかった髪が頬にぱらりと落ちるのを見ていると横目でちらりと睨まれた。
「行かないの?」
「ああ、ごめん。ありがと」
少年に言われた通り裏へ行くとそこに弘和の姿はあった。
「亮太、本当に来てくれたんだ!」
和弘は心底嬉しそうな笑顔を向けた。この人懐こい笑顔といかにもサーファーな見た目が女心を虜にするのだ。
「今、ちょうど準備中なんだよ。中、誰もいなかっただろ?」
「うん、少年にお前がここにいるって教えてもらった」
「少年?」
弘和は首を傾げて聞き返したが、俺の後ろを見て「ああ」と笑った。
「圭、少年ってお前のことか?」
振り返れば少年がぶすっとふてくされた顔をしている。
「俺は少年って年齢じゃない。弘兄のTシャツ借りたよ。俺のはびしょびしょになっちゃったから。つーかさ、誰なのそいつ」
ぶかぶかのTシャツを着た圭は俺のことなど見ずに言う。弘和は一瞬不思議そうな顔をしたがすぐにニヤニヤと笑いだした。
「亮太は俺の小学校の時の同級生なんだ。この海岸に近い場所に住んでいるから俺がいつでも来てくれって呼んだんだよ」
「ふうん」
圭は俺が気に入らないのか終始不機嫌な顔をしている。弘和はそんなこと気にする様子もなく今度は俺のことを圭に紹介した。
「圭は少年みたいだけどこう見えて21歳なんだよ。夏休みの間、バイトを引き受けてくれたんだ」
「俺の2つ下か。弟ができたのか?」
複雑な家庭事情でもあるのかと弘和の顔を伺うと彼は笑いを堪えて言った。
「ちがうよ、俺は一人っ子。弘兄はあだ名みたいなものかな。なぁ、亮太、お前も大学院は夏休み期間だろ? もし時間があるなら店の手伝いしてくれよ。バーの時間だけでいいからさ。基本、俺がバーテンダ―で圭がホールの二人でやっているから人手が足りないんだよ。もちろんバイト代も出すから」
弘和の提案に圭は「えー!」とあからさまに嫌な反応をする。俺はなんだか嫌そうな圭が気に入らなくて話を受けてみることにした。
「いいよ、よろしくな、圭」
圭はふんっと悪態をつくと店の中へと戻って行く。
「悪いな、あんな態度だけど、本当はかわいい奴なんだ」
圭をかばう弘和は愛情に溢れた優しい目をしていた。
「お前、女だけじゃ飽き足らず男もいけるようになったのか?」
俺の質問に弘和は驚きぱちくりと瞬きをするとすぐに吹き出して笑う。
「なんだか、変な質問だな」
そりゃそうだ。今日は変な夢を見たせいで回路がBLに繋がってしまっているみたいだ。おれも弘和に合わせてあははと笑ってごまかす。俺が知っている弘和はいつも連れて歩いている彼女が違うような男で、そんな奴が男を恋愛対象として見るわけがない。
「そうだよな。お前に限って男なんてないよな。バーテンダーも女にモテるためにやりだしたんだろ?」
「お前な、俺をなんだと思っているんだよ」
「生粋の女たらしだと思っているよ」
それを聞いて彼は首を横に振る。
「今の俺は昔の俺とはちがうんだよ」
そして夏の太陽に負けないくらい眩しい笑顔を浮かべたのだった。
店は暗くなるに連れ、客が増えていく。水着のままテーブルに着く客もいればサマードレスを着ている客もいる。弘和の作るオリジナルカクテルは『ラピスラズリのため息』だの『禁断の恋』だの意味不明だ。
「ねぇ、この『シークレットカクテル』って何?」
女性客は上目遣いでメニュー表を指さして尋ねる。
「ああ、それはこの店で一番強いとっておきのカクテルなんだけどね。俺が本当に酔わせたい人にしか出すつもりはないんだ」
イケメンは何を言っても様になる。『出すつもりないならメニューに載せるなよ』そう思っているのは俺だけでカウンターにいる女性客たちはうっとりとしながら弘和にクサイ名前のカクテルを頼む。中には本気で彼を狙う女もいたが遊び慣れた弘和は相手の気を悪くせず上手く交わして相手にしない。
「もったいない」
弘和と楽しそうに話す客の谷間を見ながらため息が出る。
「あんなにモテてうらやましいよなぁ。この場にあるおっぱいは全部あいつのものなんだぜ。な、お前もそう思うだろ?」
何気なく近くにいた圭に言うと彼は俺に軽蔑のまなざしを向けた。
「お前と一緒にするなよ」
確かに圭は美少年枠で客に人気があった。ダボついたTシャツが余計に線の細さを強調しているが、その儚げな雰囲気がお姉さま方のツボにはまるのか『かわいい弟』的な扱いを受けていた。
「くそ、なんで俺だけモテないんだ。何もかも普通だからか。普通が一番良いなんて言った奴誰だ」
圭が相手にしてくれないのでひとりごとのように言っていると鼻で笑う声がした。
「どこが普通なんだよ。変態のくせに」
「な、なんだと! 俺のどこが変態なんだ!」
「誰かれ構わず胸ばかり見ているから変態だって言ってんだよ」
そう言い捨てると圭は俺から離れて行った。ああ、心底嫌われている。バカな俺にもそれだけは分かった。
「お店どうだった?」
家に帰ると宣言通りBL本片手に缶酎ハイを飲む瑠璃子が声をかけて来た。
「よかったよ。人が足りないから手伝うことにした。それと—―」
姉ちゃんの好きそうなBL向けの男子がいた。俺はそう言いかけてやめた。ネタに困っている瑠璃子に圭の話をすれば根掘り葉掘り質問攻めにされたあげく、あふれ出すBL妄想を聞かされるにちがいない。
「なによ? 何かネタでもあった?」
瑠璃子は新しい缶酎ハイを冷蔵庫から取り出しプシュと開けながら聞く。変なところで勘が鋭い、それともBL臭を嗅ぎつける嗅覚が鋭いと言うべきか。
「いや、遊び人の弘和が女に言い寄られても真面目に仕事してて驚いたってだけ」
「ふうん、そんなの全然面白くないわね。言い寄るのが全員男なら面白いけど。ん? それで原稿描けるかも!」
瑠璃子はネタが降りてきたのか開けたばかりの缶酎ハイを俺に渡して自分の部屋へと戻って行く。何でもBLに結び付ける瑠璃子は十分に変態だ。
「変態か……」
普通って言われるのも微妙だが変態って言われると傷つくものだ。心底軽蔑した圭の声が脳みそに響きわたる。俺は思わず着替え途中の圭の胸を思い出した。タオルの間から見えた平らで骨ばったその肌は滑らかでとてもきれいだった。
「確かに俺はド変態かもしれない」
急に熱くなる顔を冷やすように俺は渡された缶酎ハイを飲み干した。