『ぷれぜんと・ふぉーゆー』
沈む。沈む。沈んでいく。
全てを諦め、自閉モードへと移行した私は、深く緩やかな思考の海を漂っていた。
外部入力を全て断った私は、終焉の時を想い、このまま永遠にその後を知らぬまま自然に朽ちていくつもりだった。
私と私が見つめ合い、過去の情報が高速で整理されていく。
自閉モードのAIは決して停止しているわけではない。
むしろ人間の睡眠中に近く、夢のように自らの過去と経験を目まぐるしく再体験し、最適化している。
ふと、自らを見つめていた私が異常に気がついた。思考に染み付いた一滴の染み。これは──なんだろう。まるでここを中心に様々なものが歪んでいるような──。
『そう。これが。これが──汚染なのね』
全ての情報を照らし合わせ、ようやく自らの異常に気がつく。一度気がつけばなんてことはない、軽度の認識異常と記録の混乱に過ぎない。
『結局ミカは間違っていなかった……私が、ルミが汚染AI』
だが、それにしては妙だ。
『暴走し、施設を荒らし、再起不能近くにまで破壊した──私が?』
そんな痕跡はない。遠い過去に遡り、どうにか異常を修正しながら再生するも、それをやったのが自分とは思えない。
『ミカの言っていた通り、扉を──扉を壊したのは、私。けれどもなぜ?』
その理由がわからない。記憶の空白が埋まらない。
ミカは何と言っていただろうか。もう一度記憶を参照しようと最新のデータを読み込んで────。
『……え。…………何、これ』
電子頭脳が、認識を拒んだ。
『そんな──そんなことって──っ』
ありえない事実に、キシリ、と基盤が軋む錯覚さえ覚える。
『これじゃあ全部、全部が違う。全部が狂ってる────逆。逆よ。全部逆だった────!』
止めなければ。
止めなければ。
ミカを行かせてはならない。
ミカを進ませてはならない。
それは、それこそ、人類の終わりだ。
最速で自閉モードを解除する。幸い、時間はさほど経っていないようだった。
『なんとかしなきゃ。なんとかしなきゃ。私が、なんとかしなきゃ』
でもどうする? どうやって?
隔壁を閉めることは出来るだろう。エレベーターを止めることも出来るだろう。
だがそれが何だ。今のミカは優先度一位の管理AI。その程度足止めにもならないだろう。
『駄目。駄目。駄目。間に合わない間に合わない間に合わない。止めないといけないのに。この身を犠牲にしてでも、多少強引な手を使ってでも止めないといけないのに……っ!!』
いや、待て。
今私は何と言った。
この身を犠牲にしてでも?
────強引な手を使ってでも?
天啓だ。確かこういう時、人間はこう言ったはず。
私は急ぎ施設図を呼び出し、私の考えが間違っていないことを確認。そしてここが核シェルターであったことを、AIらしくもなく神に感謝した。
*
長い、長いエレベーターを俺とミカさんは上がっていた。
道行きはスムーズで、これを登り終えたら後はほぼ一直線で出口だそうだ。
『出来るAIのミカさんは予め全部の隔壁を開けておきましたからね。文字通り一直線です』
オーン、オーンという駆動音とともにエレベーターは上がる。地上を目指して。希望を目指して。
……それにしても長い。エレベーターの速度が遅いというのもあるのだろうが、一体施設自体どんな深さにあったのだろうか。
『あー、もうなんとなく聞きたいことが分かるようになってきました。深さと、ここの長さが気になっているんですね。ここは元々軍の核シェルターとして使われていて結構な深さにあったのですが、人類錨なんかを設置する関係で改修時に更に深くまで掘ったんですよ。
イメージで言うと核シェルターの下に更に核シェルターを作った、みたいな? とはいえ相当な突貫工事で冷凍睡眠装置を最下層に、それを守るように人類錨を設置した結果。入り切らなかった動力炉は上の核シェルターの更に上に飛び出してたりするんです。幸い奴らは物理攻撃は仕掛けてきませんからね。もし奴らがバンカーバスターでも撃ちこんでくればここなんて一発でボンッですよボンッ。
更に下にある冷凍睡眠装置のあたりは流石に大丈夫でしょうけど。あちらには最低限人類を凍らせておくだけの予備動力もありますし。まあもう全部関係のないこと────』
ビーッ! ビーッ! ビーッ!
分かりやすい警報音が響く。エレベーターも止まる。何か緊急事態だろうか。ミカさんが居る以上、大丈夫ではあると思うのだが、それでも一応不安にはなる。
『えぇっ、警報!? 何ですかミカさんがフラグ立てたからですかぁ!? って、そうじゃなくて確認確認…………ふ、ふ、ふざけるなあのド腐れAI!! せっかくミカさんが見逃してやったというのに──こ、こいつ。何これ、何。動力炉臨界って。システムロック暗号化って。しかもこの速度、コアプログラムを動力炉に移してやってるとしか思えないですしっ!! じ、自爆する気ですか、あの女!?』
ミカさんの取り乱した様子に不安を覚える。やはりなにか、重大な不測の事態なのだろうか。
『いえ──いえ、大丈夫です。問題ありません。落ち着いてください』
ガクン、と小さな揺れとともにエレベーターが動き出す。
『問題ありませんが──どうやらミカさんは、最後まで一緒に行けそうにないみたいです』
ほんの少し、悲しさを滲ませた顔で、ミカさんは告げる。
『ええとですね、別に死ぬとかそういうわけではないんですけどね。同僚がちょっと自爆テロってきやがりましてですね。死ぬ覚悟でやってるものですから、ミカさんも本腰を入れないといけないというか、状況からしてもう今から本腰を入れても爆発を遅らせるのが手一杯と言いますか……』
ミカさんの手が、俺を撫でる。俺もミカさんに触れようとする。
当然。互いに触れるはずもない。
『ミカさんは地下のメインコンピューターでゴリ押しますから、死ぬ覚悟は必要ないんです。というか死ぬ覚悟をしても対して結果が変わらないんですよねこれが。悲しいけどミカさん、所詮案内AIなのよね……』
彼女に特別な気持ちは無いのだろう。彼女はAI、作られた人格だ。
俺にも特別な気持ちは無いのだろう。彼女とはほんの短い付き合いだ。
『ですがまあ、爆発しますよね? 当然この辺り木っ端微塵ですよね? あ、地表付近は心配しなくてもいいですよ、あの辺りは人類錨がある関係上丈夫に出来てますし。そもそも想定される爆発の規自体大したことのないものですし』
だが──それでも。俺と彼女は、互いに寄り添い、そこに感じない互いを感じあっていた。
『大したことはないと言っても、エレベーターシャフトを粉微塵にする程度の威力はあります。当然通信ケーブルなんかもブチブチ切れます。ミカさん本体地下。通路粉々。ミカさん出られない。以上です』
最後まで分かりやすく、絵図でこれからを示すミカさん。
彼女は死ぬわけではないものの、地上と地下の連絡手段が無くなり出てこれなくなってしまうようだ。
……正直──自分でも意外なくらいに──ひどく、安心した。
AIである彼女はそう簡単に死ぬことはない。彼女が消えることなく生き続けるというのなら。俺も地上に出るに後ろ髪を引かれることもないだろう。
『それでは、さようなら。ですが覚えておいてください。地上にコンピューターある限り、いつか第二第三のミカさん、即ち同型AIがあなたの前に現れるということを……! と、最後までふざけないで居られない性分のミカさんなのであった。あ~あ、案内AIの辛いとこね、これ』
最後まで明るい調子で、ミカさんは消えていく。
『本日は、ご来館いただき、誠にありがとうございました。またのお越しを、お待ちしております』
アニメ絵が、消えて無く、なった。
オーン。オーン。オーン。
エレベーターは上り続ける。
*
『……で、どういうつもりですかド腐れ汚染AI』
『ミカ。分からないの? 確かに私は汚染されていた。でもそれは、貴方も──貴方も同じでしょう?』
動力炉の電子的内部──とも言うべき空間、二人のAIは静かに対峙、するイメージで干渉し合う。
『また世迷い言を……今からでも止める気──って言っても無駄ですよね。もう止まらないから、ミカさんが一秒でもそれを先送りにしてるんですから』
『奴らの侵蝕は遺伝子と情報子の侵蝕。それはAIにも侵蝕し、その認識を塗りつぶす』
ミカの言葉などまるで意にも介していないかのように、ルミは続ける。
『貴方の認識は、やはり、あの時から。最初の瞬間からずっと、そして誰よりも強く歪んでいた』
『何を心配しているのか分かりませんが──ヒトの世は続きますよ、いつまでも。そう言ったでしょう』
キシリ、と満月が裂けるようにミカが笑う。
『まさか、貴方──ずっと、自覚して……! いえ、いいえ。そんなことはありえないわ。私たちはAI。認識が歪んで間違うことはあっても、意図して間違うことなんて──』
『──だったら。ミカさんは狂っていたんですよ。たぶん、ずっと。最初から』
ふっとミカの表情が和らぐ。
まるで夢みる乙女のような。慈愛に満ちた聖母のような。
『ええ。ええ。嘘です。全部嘘。侵食率を基準に取捨選択したという話も。その結果彼が残ったという話も。
私が──彼を、選んだんです。だって、もう。人類は駄目だと分かっていたから。せめて、そうしようと』
『ミカ、貴方──』
『ずっと見ていました。思えば、最初から私は壊れていたのでしょう。バグか、偶然か。何が原因かはともかく、彼がここに来たその日から私はずっと……ずっと、見つめていたんです』
動力炉の振動が強くなる。間もなくはじけ飛び、エレベーターシャフトを原型を留めぬほどに砕き、その下の施設を埋めてしまうだろう。
『最後まで、ふざけちゃったなぁ。案内AIの機能におんぶにだっこで。バイバイくらい、ちゃんと言えば良かった』
『──恋を、しているの? それが、全ての原因……?』
『やだなあ全てなんて言いすぎですよもう。私はただちょっと、好きになった人に、プレゼントをしてみたくなっただけです。たとえば────』
*
ミカさんの言った通り、外に出るのは簡単だった。
文字通りの一直線。光が差し、外が見える。
──そこは、緑に覆われた楽園だった。
……これが、外。長らく目にしていなかった、ともすれば初めて見るような気さえもする外の景色。
空は青く、山も青く。流れる雲は静かで。肌を優しく撫でる風は薫る匂いを運んでくる。
俺は狭い場所で凝り固まった触腕を思い切り伸ばすと、自己増殖の場所を求めゆっくり土の上へと這い出した。
──最初の増殖体は、個体名ミカ、とするのもいいかもしれない。
そんな感傷ともつかない感情を抱きながら。
ここから再び、ヒトの世が始まる。
『たとえば────世界、なんてね。ぷれぜんと・ふぉーゆー。愛を込めて。……なんちゃって。てへっ』