ヴァルパネス通過
翌日の朝早く、私達はオズリーンさんの御屋敷を出た。
オズリーンさんは、本当は自身で送りに来たかった様なのだが、ハリスさんを含め何人かの家臣に止められ、結局、一緒に来る事を諦めたようだった。
昨晩の索敵魔法は今はもう何処かへ去ってここにはないが、全体を俯瞰して覗いているもう一つの魔法は依然として街全体を覗き見ている。
オズリーンさんが国境まで客人を送っていくなど、あまり目立った行動を取ると、また詳しく探られる可能性が高くなる、とハリスさんに言われ、諦めたらしい。
とはいえ、私たちだけで行かせるのは不安だという事で、オズリーンさんの部下の三人が私達に同行してくれている。
いずれもいかにも強そうな筋肉質の男達で、確かにこれなら妙な輩に絡まれる事も無さそうだ。
その所為で旅が少々窮屈なものになってしまうのかもしれないが、安全には代えられない。
無事にこの国を抜けられるのなら、そのくらいは大した問題ではないだろう。
昨夜の夕食は、殊の外長い食事となってしまった。
ほとんど食べ終わっていた所に新しい皿を持って来たからという事ももちろんあるのだが、それよりも索敵魔法による盗聴を気にして、ほとんど何もしゃべらなくなってしまった事が原因だ。
しかもそいつは、食事が終わった後もしばらくそこに居座った。
まあ、確かに、その間、碌に会話が無かった訳なので、覗いているものにしてみれば、何の手ごたえも無かっただろうから、やむを得ないといえばそう言えない事も無いのかもしれないが、探られている事が明らかな状態では、ケティやアルフェスとのくだらない会話ですら気持ちが悪くて碌にする事ができず、風呂にも入らず早々に寝床に入るしかなかった。
それでもしばらく気配は消えずに残っていたのだが、私達が寝床に入って少し経った所で、その気配は突然すっと消えて無くなった。
そんな状態だったので、敵は何の収穫も無く帰って行ったはずなのだが、一つだけ気になることもあった。
それは、私の周りをその気配が動き回っていた時の事だ。
その気配をやり過ごそうと、無視を決め込んでいた私の肩に、突然何者かが触れた、ような気がしたのだ。
通常の索敵魔法では、物質の移動までは出来ないし、ましてや瞬間移動でもない限りは人の手がそこにある訳がない。
だから、気のせいだとは思うのだが…。
ともあれ少し気持ちが悪い事も事実なので、それ以降神経を張りつめている。
それは今日も同じだ。
そうする事により、魔法の気配を察知しやすくなるからだ。
何者かがまた探って来たりした時には、いち早く対応する事ができる。
そんな状態を保ったまま、半日ほど馬を進めると、ヴァルパネスの国境へと到達した。
国境と言っても、ここから先はしばらく何もない荒地が続いているだけなので、隣国のトラスデロスまではまだ随分と距離がある。
そこはほとんど生産性のない土地の為、まだどの国の領土にもなっていない。
オズリーンさんの部下たちとは国境まででお別れだ。
実際、ここから先はヴァルパネスの法律の枠外になるので、普通にしていれば大丈夫、のはずだ。
といっても、この先には山賊が潜んでいる可能性もあるので油断する事はできないのだが。
ともあれ、オズリーンさんの部下達の口利きで、国境の検問も何事もなく通過する事ができた為、三人にはそこでお礼を言って別れ、私達は私達だけで次の経由地、トラスデロスへと向かう事にした。
少し行くと、道が小さく畝っている所為で、ヴァルパネスの国境はすぐに見えなくなる。
だが、逆にここまで来れば、もうヴァルパネスの何某のちょっかいが自分達に及ぶ事も無いはずだ。
そう思い、ようやく張りつめていた緊張を解こうかと思ったちょうどそのタイミングで、突然、私の頭の中に例の気持ちの悪い感覚が襲って来た。
此処にはもうオズリーンさんもオズリーンさんの部下達もいない訳なので、その対象はほぼ間違いなく自分達だという事になる。
しかも、オズリーンさんの屈強な部下達がいなくなった所を見計らって襲って来た所を見ても、決して良い方向の話ではなさそうだ。
尤も、人のプライベートを覗き込もうとする時点で、元々良い話のはずはないのだが。
しかし、警戒を解く前に魔法の気配を察する事が出来た事は幸運だった。
遠距離の索敵魔法は対象を見つけ出すまでに時間が掛るはずなので、対策を打つ事ができるからだ。
術者は私が魔法を感知している事を知らない訳だし、ましてや私が魔法を使える事も知らないはず。
私の魔法は相手を攻撃するためや、相手の攻撃を防御するためにはほとんど役に立たないが、追手から逃げる為には、多少なりとも効果はある。
此処は、ウルオスでの修行の成果を見せる所だろう。
「ケティ、アルフェス、追手が私達の事を探しているみたいなの。どこか隠れる所はない?」
その言葉で、ケティは状況を察したようだった。
「って言う事は、何か感じたのね。…アルフェス!」
そしてすぐにアルフェスに合図する。
それを受けアルフェスもすぐに動いた。
「そこの大きな木の裏などはいかがでしょう?」
即座に隠れる場所を見つけ出す。
そこは、大きな木を中心に複数の木に囲まれた茂みのような場所で、入るのには苦労しそうだが、馬ごと潜んでいる事が出来そうな広さのある場所だった。
そこならば、私が魔法を使うのにはちょうど良い。
「そこでいいわ。二人とも、私の側を離れないよう注意して、急いでそこに隠れましょう」
私の使える魔法は二種類ある。
共に、レベルは大したことはないのだが、それでも自分なりにはそこそこ使える魔法だと思っている。
その結界魔法でこの茂みを護り、敵の索敵魔法をやり過ごしてしまおうと考えたのだ。
全員が何とかその茂みの中に落ち着くと、早速ケティが聞いて来た。
「何が来ているの?」
「昨日と同じやつね。昨日は私、あえて何もしないでいたから、相手はこっちが魔法を使えるとは思っていないはず。だから、しばらく隠れてやり過ごせば、相手はきっと私達がもう行ってしまったと思って諦めてくれると思うわ」
「大丈夫?シェルギの結界魔法ってまだそんなにレベルが高いものじゃないのでしょ。隠れ切れる?」
ケティは私の魔法を知っている。
当然、私の魔法では防ぎきれない強力な魔法がある事も知っている訳で、だからこそ不安に思った様なのだ。
だが、ここは魔法の国ウルオスではない。
ウルオスの国外には、強力な魔法を使える人はほとんどいないはずなのだ。
「これがオズリーンさんのお屋敷に来たヤツと同じなら、多分」
ましてや、今ここに来ているのが昨日見た索敵魔法と同じやつなら、一度見ている分、隠れやすい。
こちらから攻撃する事は出来ないが、隠れきる事ならばできそうだ。
「信じるわ。でも、最悪の場合は私とアルフェスが囮になるから、シェルギは一人でも逃げてね。そうでないと、私もアルフェスも、ううんオズリーンさんだって困るんだから、お願いよ」
ケティはそう言葉を付け足した。
「だめよ。いざという時はウルオスで決めた通り、各々がバラバラにエアソルトを目指すの」
私の為に、などという考え方を私はして欲しくない。
何かあった場合にはバラバラになってでも、各々でエアソルトに帰るというのが、私がこの旅に出るにあたって二人に付けた条件だ。
「そうだったわね。でも、それがわかっていればいいの」
ケティは微妙な笑顔を浮かべ、しかししっかり頷いている。
その様子を横に見つつ、私は私の身体を中心に、藪全体が入るくらいの大きさに結界を張った。
そうこうしている間にも、気配はどんどん近づいて来ている。
だが、探しているという事はまだ見つかっていないという事だ。
「近くを探っているみたい。二人とも静かにしていて」
結界を張ったといっても私の結界は完璧なものではないので、相手に索敵の手掛かりを与えてしまわない様、今は静かにしているに越した事はない。
二人ともそれはわかっている。
私と違って索敵魔法の気配がはっきりわかる訳ではないはずなのだが、私の指示に従って黙って身をひそめてくれている。
結界魔法にも色々な種類があるが、私の魔法は一度発動させてしまえば、後は破られない限りは私が解除するまで、もしくは私の魔力が尽きるまで継続する。
なのでこうなったらもう息をひそめるくらいしかやる事がない。
気配は依然周囲をうろついている。
と言う事は、私の結界魔法はうまく働いているという事だ。
それがわかり安心したのもつかの間、道を挟んだ向こう側が急に慌ただしくなってくる。
少しして、ついさっき私達が歩いていたトラスデロスに続く街道に十人程のヴァルパネスの兵士が突然姿を現した。
という事は、彼等は私達の後を追って街道を来たわけではなく、別のルートを使ってこの場所へ来たものと推測できる。
その中の一人が、何やら独り言のようなものを話しているのがわかる。
遠話だ。
彼等への指示は遠話で行われているということだ。
相手は恐らく索敵魔法をかけた当人か、それに近しい者なのだろう。
魔法で私達のいる場所を特定し、派遣した兵士達に捕まえさせるつもりなのだ。
幸いにして私がいち早くその気配を察して逃げた為、彼らは混乱しているようだった。
「いねえじゃねえか」とか、「早く次の指示を寄越せよ」とか、あげくの果てには、「奴の魔法の精度なんてこんなものさ」などと言う声まで、風に乗って聞こえてくる。
実動隊である彼らが私達の事を血眼になって探していないというのは有難い。
私のレベルの結界では、気配は消す事は出来るものの、人の侵入に関しては、その見た目を誤魔化す程度で、実際に人が入ってくるのを防ぐ事まではとてもできないからだ。
例え偶然でも結界の中に侵入されてしまえば、やり過ごす事は出来ないだろう。
だから、兵達が勝手に索敵魔法のミスだと思ってくれている事は私にとっては僥倖なのだ。
だが、兵達がバカにしている事を察したのか、気配の方は街道の周囲を行き来しながら彷徨っていて、立ち去る気配は感じられない。
恐らく、この辺りで私達の気配が消えた事には気が付いているのだろう。
だから、この場を離れようとしないのだ。
こうなったら長期戦もやむを得ない。
幸い、この茂みには馬達の餌となる草がたくさん生えている為、馬達が暴れ出すような事も無さそうだし、ある程度の長期戦なら可能だろう。
彼等だってこちらばかりを相手にしている訳にはいかないはず。
国内にもたくさんの問題を抱えているはずだからだ。
ところが、遠話による指示にしか碌に従わないそぶりを見せていたその一団の中に、一人だけ熱心に周囲を探し始める者が現れた。
たった一人集団から外れ、街道から死角になっている場所などを見て回っている。
しかも、次第にこちらに近づいて来る。
周囲を探しながら歩いている所を見ると、まだこちらの存在には気が付いていない様子だが、あまり結界に近づかれてしまっては見つかってしまう可能性もある。
いや、仮にこちらの存在に気が付かなかったとしても、知らずに結界の中に踏み込まれたらお終いだ。
そうなったらもう逃げ切れない。
諦めて連行されるより仕方がないだろう。
連れて行かれた先で何をされるかわからないのは不安だが…。
その兵はもう、ここよりも少し小さい隣の茂みにまで近づいて来ている。
彼は順々に茂みに入り、何も潜んでいない事を確かめている。
同様に、この茂みに入って来られれば、それで私の結界は霧散する。
その時点で、万事休すと言う事だ。
兵士が隣の茂みの捜索を終え、こちらに向かって歩き出す。
と、その時、
「やってみます」
ケティが小さく囁いた。
そして、すぐさま魔法を発動させる。
ケティの習得した魔法は風魔法だ。
といっても、戦いに使えるレベルのモノではないはずなのだが、ケティは構わず風を発した。
狙ったのはその兵ではなく、兵の斜め後ろにある、その兵がひとつ前に確かめていた草薮だ。
風は見事に命中し、その風で草薮が小さく揺れた。
ガサ…ガサガサ
その音に気付いた男が振り返る。
男は風を感じていないはずなので、その音を怪しく感じるのは当然だ。
男が向きを変え、藪の方へと戻って行く。
ケティの機転のおかげでとりあえず危機を脱したようだ。
とはいえ、またここへ戻って来ないとも限らない。
男はまだあきらめた訳ではないからだ。
案の定、音のした当たりの草薮を他の場所より念入りに調べ終えた男は、そこに何もない事がわかると、再び私達のいる数本の木に囲まれた茂みの方を振り向いた。
今度こそ明らかにこちらの茂みに狙いを定めている。
私の魔法では人の侵入までは防げないので、もうどうしようもない。
その時だった。
街道上にたむろしていた兵士達の中から、この部隊の隊長と思しき者の怒鳴り声が聞こえてきた。
「おいお前、何をやっていやがるんだ。早く戻って来い、引き上げるぞ!」
「ラデア様はこの辺りで急に気配が消えたと言っているのでしょう? もう少し探した方がいいですよ!」
怒鳴られた兵士の方も、ただ黙って従ってはいない。
自分なりの意見を言い返している所を見ると、それなりに地位のある者なのかもしれない。
「バカ野郎! もうそんな事をやっている暇は無くなったんだよ。旧市街で連鎖的に乱闘騒ぎが起きているんだとよ。早い所鎮めなければ大公殿下の逆鱗に触れるかもしれねえ」
「ラデア様は?」
「もうそっちの対応に戻ったってよ。全く、後方で指示しているだけの奴はこういう時もいち早く戻れるから有利だよな。って、だから、俺達も早く戻らないといけないんだよ。いいから早いところ戻って来い! 置いて行くぞ!」
そんな風に言われれば、それ以上は男もさすがに言い返せない。
「わかりました。すぐに戻ります」
男はそう言うと、探索する事をスパッと諦め、急いで街道上の兵士達の塊の方へと戻って行った。
そして、彼等と合流すると、あっという間にヴァルパネスの国境方向へと走り去った。
そういえば、索敵魔法の気配もいつの間にか綺麗に無くなっている。
男の接近に気を取られるあまり、その事に気が付かずにいた様だ。
ともあれ、何が起こったのかはわからないが、助かったのは確かなようだった。
あの感じだと戻って来る余裕はなさそうなので、もう大丈夫だと思っていいのだろう。
念の為少し様子を見てから結界を解き、三人でゆっくり街道の上へと戻った所で、ようやく胸をなでおろした。
ケティが気の抜けた声で言ってくる。
「もうだめかと思いました」
「確かに、危なかったわね。乱闘騒ぎを起こしてくれた人に感謝しなくちゃかも」
「まあ、自業自得ですよ。あの街はあれだけ荒れているのですから」
アルフェスが背伸びをしてヴァルパネスの国境の方向を探りながら、独り言のように言う。
アルフェスはまだ警戒を解いていないらしい。
「でも、ケティの魔法には助けられたわよね。あれで時間を稼がなければ、見つかっていたもの。あんな事、良くあの場で思いついたわね」
「私の魔法では、あれが精一杯。でも、上手くいったようだから良かったわ。けど、私達が助かったのはシェルギの結界魔法のおかげでしょ。久々に使ったのを見たけど、ちゃんと効果があったじゃない? ウルオスの修行は成果があったという事ね」
「もう少しレベルが上がっていれば、もっと楽が出来たのだろうけどね。びくびくする事も無かっただろうし」
「でもまあ、それは言ってもきりがないんじゃない? このレベルでも魔法が使えるようになっただけで大したものだと思うけど」
そんな話をしている二人の間に、アルフェスが割り込んでくる。
「二人とも、話なら移動しながらでいいだろう。ここに留まっているのは良くない」
確かにそれはアルフェスの言う通りだ。
偶然でも、今見つかってしまったら、今までの行動が全て無意味になる。
オズリーンさんにも迷惑をかける事になるし、私達の身も危なくなる。
「そうだった。早い所、トラスデロスの領内に入ってしまいましょう」
「確かに、せっかく助かったのに、ぐずぐずしていてつかまったりしたら、バカだものね」
私達は最後にもう一度ヴァルパネスの街の方を見て、誰も来ない事を確認すると、振り返ってトラスデロスに向かって歩き出した。
そしてその二日後、私達は無事にトラスデロスの街に到着する。
あの時ヴァルパネスの隊長さんが言っていた乱闘騒ぎが、オズリーンさんが手を回して起こさせたものだと知ったのは、ずっと後の事だった。




