助け舟
男達の挑発に、私とケティは追い詰められていた。
せめてここにアルフェスがいれば、また状況は違ったのかもしれないが、彼は宿を探しに行ったばかりで、戻って来るにしてもさすがにまだ早すぎる。
私は胸の前で握りしめていたペンダントをもう一度固く握り直した。
このペンダントは、ラドオークで私を助けてくれた一人であるシオリさんからもらった物だ。
何でも、危険な目に遭った時に使うようにと彼女が親から持たされた「防犯ブザー」とかいうものらしいのだが、もう自分は使う事は無いだろうからと、別れ際に話し込んでしまった時に私に譲ってくれたのだ。
もちろん、使い方も聞いてある。
むやみやたらには使わない方がいい、という事だったが、一時的に相手を怯ませるには効果的だという話だった。
ならば、今がその使い時だといっていいだろう。
私は、シオリさんから教わった通り、握りしめていたペンダントの滴型の塊の先についた短い紐を思いっきり下に向かって引き抜いた。
ピルピルピルピルピルピルピルピル
途端に、一定の周期を持つ大音量の不快な音が鳴り始める。
男達は混乱し、各々後ずさりながら左右を見回し、その音源を探し始めた。
誰もそれがこの小さな塊から発せられたものだとは思っていない。
私とケティに対する注意もすっかり疎かになっている。
シオリさんから聞いて大きな音がする事を知っていた私でさえ、一瞬パニックになりかけたくらいなのだから、それくらいの反応は当然の事なのかもしれない。
だが、ここでのんびりしていている訳にはいかない。
この好機を逃したら、もう次の機会はないだろう。
私は左手でケティの手を引くと、そのまま男達の間をすり抜けた。
ケティが何やら言っているのがわかるが、大きな音の所為で聞こえないので、とりあえず無視する事にする。
だが、少しして、その爆音に自分自身が我慢できなくなってきた。
というよりは、男達の輪を脱した所までは良かったのだが、今度は広場中の、いやその先の商店街の人達の注目さえ集めている事に気付き、恥ずかしくなってきたのだ。
ならばネックレスごと捨ててしまえばよい。
そう思いネックレスに手をかけたところで、引き抜いた紐を元の場所に戻せば音が止まると聞いていた事を思い出した。
紐はまだ右手に握ったままだ。
よく見ると紐の端には短い金属の棒が付いている。
これを元の場所に戻すだけでいいのなら比較的簡単にできそうだ。
そう思った私は、持っていた紐をペンダントの塊の小さな穴の中に戻すべく、その場に立ち止まった。
少々細かな作業になってしまう為、走りながらではできそうもないと思ったのだ。
といってもその作業自体は決して難しいものではない。
それが証拠に、その作業はすぐに終了した。
と同時に、綺麗に音がしなくなる。
シオリさんが言っていた通りだ。
「シェルギ、なんなのよ、 それ」
すぐにケティが聞いて来る。
だが、今は詳しく話している暇はない。
「ラドオークで助けてくれた黒い髪の女の子の事覚えてる? あの娘にもらったの。危ない目に遭った時に使ってねってね。そんな事より、早い所ここから逃げましょう。アイツら、すぐに追いついて来るわ」
実際、男達の一部はすでにこちらに向かって動き始めているのが見てとれた。
しかし、距離はまだかなりあるので、急いで逃げれば馬の所までは逃げ切れそうだ。
そこまで行けば、後は一旦この場を立ち去って、アルフェスとは後で合流すればいい。
しかし、そんな思惑をあざ笑うかのように、再び走り始めた私とケティの目の前に、突然、別の男達が現れた。
先程の男達の仲間なのかどうかはわからないが、少なくともすんなり通してはもらえそうもない。
しかし、このまま立ち止まれば先程の二の舞になってしまう。
どうすればいいのかと、考えを巡らせていたその時だった。
「何事だ! 貴様ら、こんな所で何してやがる!」
正面の男達の更に後方から、突然大きな声がした。
威厳のある女性の声だ。
男達はその声の主の存在に気付くと、急に態度を一変させた。
ピシッと背筋を伸ばして左右に別れ、一列に並んでその女性に向かって敬礼する。
その列と列の間を、一頭の立派な馬がゆっくり歩いて来る。
そして、その男達の列の中ほどまで来たところでスッとその歩みを止めた。
並んだ列の中から一人の男が一歩前へと進み出る。
「な、なんでもありません。この者達が道に迷っている様だったので、街を案内してやろうかと…」
「ほう、案内か。貴様ら、まさかあたしの客人に何か粗相をしでかした訳ではあるまいな」
その女性の言葉は、周囲の男達の間に衝撃を走らせるに充分だった。
大の男達が一斉に慌てだす。
「も、申し訳ありません。あ、貴女様の御客人だとはつゆ知らず…」
男がしどろもどろになりながら、さらに言い訳を続けるが、その話はもう私の耳には入って来なかった。
この女性は私達の事を客人と呼んだのだ。
ゆっくりと、馬上の女性を見上げていく。
その女性は、この辺りの男達が身に付けているのとは明らかに違う、装飾の施された立派な鎧を身に纏っていた。
いかにも位の高そうなその鎧を見事に着こなしているその女性は、黄金色に輝く美しい髪を風に靡かせ、厳しい眼つきで男達を見下ろしている。
その目鼻立ちの整った凛々しくも美しい顔には見覚えがあった。
「オズリーンさん…」
その呼びかけに、オズリーンさんは一瞬だけ優しい目でこちらを見て、私とケティに軽く頷きかけると、表情を戻して再び男達を見下ろした。
「あたしが来たからには案内は不要だ。下がれ」
その言葉で男達は一斉に立ち去っていく。
それは、私達の後ろにいた私達を追いかけてきた男達も同じだった。
そんな彼等に、オズリーンさんは更に一言投げかけた。
「最近、この辺りで旅人を相手に我が国の決まりごとを押し付ける愚か者がいると聞いた。お前達がここで何をしていたのかは知らないが、昂って仕方がないというのなら、あたしが相手になってやってもいいぞ。その時は存分に可愛がってやる」
そして、腰に帯びた柄の部分に赤い石の付いた剣に手を添える。
だが、オズリーンさんのその言葉に反応する者は誰一人いなかった。
皆、つい先程までとは別人のように小さくなり、背中を丸めてすごすごと立ち去っていく。
オズリーンさんは、そんな彼等の事を見て、ふん、と小さく唸ってから、ゆったりとした動作で私とケティのすぐ前へと降り立った。
「すまない。最近、兵どもの躾が上手くいっていないみたいでな、あたしの所の兵にはそんな事はさせないのだが、軍の規律をないがしろにする輩が相当数いるのも事実なんだ。……。しかし、あの奇妙な音はどうやって鳴らしていたんだ? まあ、何にせよそのおかげであたしはここに来れたようなものだから、良かったんだけどな」
私は胸のペンダントを掌に載せ、オズリーンさんに向け少し持ち上げて見せた。
「少し前に、ある女性からこれを貰ったのです。音が出るとは聞いていたのですが、あれほどの音が出るとは、私もびっくりしました」
「なるほど。ならばその女性には感謝しなくてはならないな。おかげでここにかけつけることができたのだからな。…しっかし、お前達もお前達だ。この街に来ていたのなら、連絡をくれればいいものを。そうすれば、少なくともこんな事にはならなかったと思うぞ」
「でも、あなたの家が何処になるかなんて知らないし、そもそもあなたが此処にいるかどうかだってわからなかったのですもの」
「入口の衛兵に言って、あたしの事を呼べばよかったんだよ。そうすれば、すぐに迎えをやる事が出来た…」
言いながらオズリーンさんは、私の事を抱き寄せるようにしてハグをした。
オズリーンさんとは、以前、ウルオスへと向かう行きの道中で知り合った。
道に迷っていた所を助けてもらったのがきっかけだったのだが、話をするうちに親しくなり、色々とお世話になったのだ。
当時、自分の身の上については特に隠していなかった私に、エアソルトの神官は一部の権力者が政治的に利用しようとする可能性があるので身分は隠しておいた方がいい、と言って忠告してくれたのも彼女だ。
それ以降、私は家系に関する話については大っぴらにしない様にしている。
なので、オズリーンさんは国外では数少ない私の出自を知る者という事になる。
オズリーンさんは私とハグした後、ケティに対しても同じ様にハグをして、それからもう一度私の前に立った。
「とりあえず、あたしの家に行こうか。この辺りも随分と物騒になってしまったからな。以前のようにその辺で話をしていると、誰に聞かれているかわからない。妙な因縁をつけられるのも不愉快だしな」
妙な因縁というモノがどういうものかはわからないが、オズリーンさんが私達の身を案じてくれている事は間違いない。
私とケティは頷き合い、オズリーンさんについて行く事を決めた。