変貌を遂げた街
道中に聞いた、「旅人なら多少値が張ったとしても旧市街に宿を取るといい」、という農民のアドバイスに従い、私達は旧市街を目指す事にした。
と言っても、旧市街というのは自治都市だった頃の城壁に守られたヴァルパネスの市街の事なので、最初からそこに宿を取るつもりでいた私達にとっては予定通りの事ともいえる。
旧市街とはヴァルパネスのいわゆる中枢部にあたる場所だ。
なので、そこに近づくにつれ行き交う人の数も次第に増えてくる。
以前は、旧市街の城壁の外はただの荒地か、せいぜい小規模な畑くらいしかなかったはずなのだが、今は人の住む住居もたくさん出来ている。
とはいえ、他の街ではいわゆるスラムと呼ばれる様な、ただ木の板を組み合わせただけの粗末な家ばかりで、そこに住む人達の生活レベルは、他の国のスラムの住民と比べても決して高いとは言い難い。
しかも、よく見るとそこに住む住民の大多数には、足に輪が付けられている。
他国のものとは少し形状が違っているようではあるが、彼らが奴隷である事は間違いなさそうだ。
ヴァルパネスは元々奴隷をたくさん抱えている国ではあったが、以前はここまでたくさんの奴隷はいなかったように思う。
察するに、彼等は最近になってどこからか連れてこられた者達だという事なのだろう。
しかも、その奴隷に対する待遇も、他の国と比較しても決して良いとは言い難い。
住まいは総じて汚くて嫌な匂いが充満しているし、あちこちで怒鳴り声も上がっている。
恐らく管理者が奴隷をなじる声なのだろう。
奴隷のものと思われる声はほとんど聞こえてこない。
奴隷を使う事のないエアソルトの民からすると、少し、いや、非常に気分が悪くなる。
アルフェスもケティも同じ事を思っているのか、その表情はあまり芳しいものではない。
「…なんだか気分が悪くなってくるな」
「ほんと。この奴隷達の主と呼ばれる人は、この状況を見て何も思わないのかしら…」
「思わないのだと思うわ。だって何を怒鳴っているのかはわからないけど、露骨に威張り散らしているみたいだし、鞭を振るっている人だってあちこににいるみたいじゃない。奴隷に対して、こんなに露骨にひどい扱いをする国なんて、私は他に見た事ないわ」
私も自然と声が大きくなってしまう。
それを聞いたアルフェスが慌てて私を諌めてくる。
「だ、だからと言って、ここで妙な行動を取るのはやめて…くれよな。我々にはどうする事も出来ないのだから」
「わかってるわ。気に入らないけど静かにしているつもりよ」
国が決めた事に、ただ通りかかっただけの他国の旅人が干渉できる訳がないし、それどころかその国にいる間はその国も規則に従うのが旅人のルールである事くらい私も知っている。
その国の国民では無い事で、旅人個人はある程度自由に振る舞う事が許されてはいるものの、その国の民の事情や、ましてや法律に口を出す事は許されない。
それはある意味当然の事だ。
ふと見ると、ケティが一人周囲を気にしている。
「シェルギ、アルフェス、少し急いで行きませんか。奴隷の一部が私達の事を怪しい眼つきで見ている様です。面倒な事に巻き込まれる前に、ここはとっとと通り過ぎた方がいいみたいです」
言われてみると、確かに奴隷達の目つきが普通ではない。
何か言いたげにしている様にも見えなくないが、近づいたら何をされるかわからないのも確かだ。
ここはとにかく旧市街に入ってしまった方がいいだろう。
あそこならば、少なくともここよりは治安がいいはずだ。
「わかったわ」
私が頷くと、それを確認したアルフェスがすぐにケティに指示を飛ばす。
「ならば…、急ぎましょう。ケティ、先頭を頼む」
「了解。シェルギ、私の後ろについて来てね」
ケティは片手をあげて合図をすると、馬を煽って一気にスピードを上げ、走り出した。
その後ろに私が続く。
この辺りの道はそれほど広くはないので、気を付けないと通行人とぶつかりかねないくらいなのだが、大きな音を立てて近づいてくる馬を見た通行人は、自ら避けてくれているようで、かえって安全に走れている。
そんな感じで少し走ると、巨大な城壁に守られた旧市街にはすぐ着いた。
城壁の内側は、やはり以前とは大きく変わっていた。
と言っても、建物自体が建て変わった訳ではないのだが、何というのか、雰囲気が大きく変わっている。
ひと目見た印象は灰色。街全体がモノトーンで暗く感じるのだ。
城壁の外とは違って汚くも臭くもないのだが、街全体が重い空気に包まれている。
その理由は、城壁の中に入ってもたくさんいる奴隷達の姿にあるようだった。
ヴァルパネスの奴隷は元々数が多かった事も事実なのだが、少なくとも今ほど覇気がない事は無かった。
今は皆、明らかに疲弊しているように見える。
何があったのかはわからないが、この三年の間に何かが起こったという事だろう。
そうでなければ、街全体がこんなに変わる訳がない。
とはいえ、城壁の外に比べれば、内側はまだだいぶましな事も確かな様だった。
奴隷をなじる声なども、全く聞こえないと言う訳では無いものの、城壁の外に比べれば圧倒的に少なくなっている。
身なりも質素ではあるが、それなりに整っている者も多く見受けられるようになっている。
市街の中心部へ向かうにしたがってその傾向はさらに顕著になっているようだった。
私はホッと胸をなでおろした。
「この様子なら、宿のある辺りの治安は大丈夫そうね」
「確かに。見かける奴隷の数も随分減ったみたいだし、この辺りはだいぶマシなのかも」
ケティの表情にもいくらか余裕が戻ってきている。
私の記憶が正しければ、この少し先に商店街があるはずなのだが、そこでなら簡単な買い物くらいは出来そうだ。
旅はまだまだ続くので、補給は出来る時にしておきたい。
しかし、アルフェスはまだ少し心配そうにしている。
「とはいえ、この辺りの治安も日が暮れるとどうなるかはわかりませんから、必要な物はまだ日のあるうちに揃えてしまった方がいいでしょう。朝は店が開いているとも限りませんし…」
「でもさ、アルフェス。宿を確保する方が先なんじゃないの? この辺りに宿を取れなかったら大変よ。もっと治安が悪そうな所に泊まらざるを得なくなるもの」
「ならば、宿は私が確保しておきますから、ケティはシェルギと一緒にこの辺りで食料や消耗品を買い集めておいてくれませんか。宿が取れ次第、私もすぐに戻ってきますから」
確かに、夜はなるべく出歩きたくないという事を考えれば、アルフェスの言うように二手に分かれて時間を短縮するというのも一つの方法だといえるだろう。
ケティが私の顔を窺っている。
「そうね。その方が良いかも。暗くなったら余計に物騒になりそうだものね」
私の言葉を聞き、ケティは大きく頷いた。
「なら、私とシェルギはこの辺りで買い出しをする事にするから、宿の方はアルフェスにお願いするわね」
「わかった。絶対に安全な寝床を見つけて戻ってくるから、待っていてくれ」
アルフェスはそう言い残し、馬に乗ったまま、商店街の入口の手前を折れ、その先へと消えていった。
さて、こちらものんびりしている訳にはいかない。
私とケティは、商店街の入口に設けられた馬留めに馬を繋ぎ、商店街の中へと歩を進めた。
この商店街は、特別賑わっているという訳でもないのだが、それでも人の往来はそこそこある。
中には奴隷もいるようだが、ここでは殴られたり鞭打たれたりしている者はいない。
とはいえ、彼らに生気がない事は変わらないようだった。
ただ足元の地面だけを見て、主に従い、主の荷物を運んでいる。
すれ違いざまにそんな彼らの様子を見ながら足早に先へ進むと、その先は小さな広場になっていた。
「前に此処へ来た時は、この広場の先の大きな店で買い物をした覚えがあるわ。食べ物も雑貨も品揃えは豊富だったから、あそこへ行けば買い物は一か所ですむと思うんだけど、ケティはどう思う?」
「それがいいと思うわ。あそこなら値段も悪くなかったし、あちこち回らなくても済むからね。…って言っても、今もそうかどうかはわからないけど」
「少しくらい値段が高くなっていたとしてもしょうがないでしょ。他を探して回っている余裕もなさそうだし…」
「そうね。なら、とっととそこへ行って買い物を終らせてしまいましょう」
その店だけで買い物を済ます事が出来れば、アルフェスが宿を探すのよりも早く済む事は間違いない。
後は馬の所へ戻って、アルフェスが戻って来るのを待っていればいい。
そこで動かないで待っていれば、危険な事はないはずだ。
そんな風に考えていた私は、その直後、その考えが甘かった事を思い知らされる事となる。
何処からともなく現れた大男に行方を遮られてしまったからだ。
その男を避けるべく右にずれるとその男も右にずれる。
左に行っても同様だ。
「すみません、通りますので退いてください」
私は、その男の事を何とか振り切ろうとしてみたのだが、その度に先回りされて、埒が明かない。
やむなく私が動きを止めると、男は口角を上げてにやりと笑った。
「なあ姉ちゃん。俺と一戦交えないか? そうすればここを退いてやってもいいぜ」
こうして、私とケティは、この男とこの男の仲間達に絡まれたのだった。




