災難
「どうなんだ。受けるのか受けないのかっ」
目の前の鎧姿の大男が、声を荒げて迫ってくる。
この男の言っている事は、正直私には良くわからない。
しかし、恐ろしい程の目力で、手を伸ばせば届くくらいの距離にまでにじり寄って来られれば、怒っているらしい事くらいは嫌でもわかる。
人を見かけで判断してはいけない、とは思うのだが、レディーに向かって恫喝してくる様な輩がまともな人間であるとは思えない。
正直言って、あまり関わり合いたくないというのが本音なのだが、どういう訳か、もう既に関わり合ってしまっている。
困ったものだ。
もしかしたら私は、もめ事に巻き込まれやすい体質、というヤツなのかもしれない。
考えてみれば、つい先日も似たような経験をしたばかりだ。
その時は通りすがりの黒い髪の旅人に助けてもらって事なきを得たのだが、そうそうそんな都合の良い助けがあるとは思えない。
ここは、自力で何とかするしかないのだろう。
「そんなに怯えるなよ、姉ちゃん。別に今ここで取って喰おうって言う訳じゃねえんだ。頷くだけでいいんだよ」
男が言葉に力を込め、更に近くににじり寄ってくる。
そんなに近寄らないで貰いたい。
私は思わず上げてしまいそうになってしまった手を、拳を固く握る事でグッと堪えた。
私の実家はエアソルトでは最も古い神官の家系とされている。
エアソルトは聖なる湖、トロ湖に浮かぶ唯一の島にある島国で、トロ湖の沿岸の街では湖と共に神聖視されていたりする為、湖の女神を信仰する者達にとっては特別な意味を持つ国でもある。
そのエアソルトを、私は我がままを言って飛び出した。
魔法を使えるようになりたかったからだ。
だが、わざわざ遠路はるばる魔法の国ウルオスまで修行に行ったのにもかかわらず、目的の魔法を覚える前に実家から使いが来て、今はエアソルトへの帰国途上だ。
私が今いるこの場所は、まだ湖から若干距離はあるものの、とはいえ、もうだいぶ湖の近くまで戻って来ている事も間違いない。
なので、此処で起こった出来事がエアソルトにまで届く可能性がある事は頭の中に入れておく必要がある。
つまり、ここで私が騒ぎを起こせば、母上の耳に入ってしまう可能性があるという事だ。
母上が状況を斟酌してくれる保証はない。
反省室行きになるような事は、なるべくならしたくない。
あそこから出してもらう為には、言い訳をたくさんしなくてはならなくなるだろうからだ。
そもそも私は、目の前のこの男を怒らせるような事などした覚えはない。
この場所へは、ただ買い物をする為に通りかかっただけで、目の前の男とは、元々話をしていた訳でもなければ、歩いていてぶつかった訳でもないのだ。
にもかかわらず、何故かこの男は私の事を鬼の形相で睨みつけている。
距離が近い所為もあり物凄い迫力だ。
そんな男の迫力に押されるようにして、私は一歩後ずさった。
その足に何かに当たった感触がある。
振り向くと、そこには目の前の男よりもさらに一回り大きい立派な体躯の男が立っていた。
私の事を遥か高い位置から見下ろしている。
「シェルギ、こっちへ」
一瞬、固まってしまった私の身体を、隣にいたケティが自分の方へと引き寄せる。
ケティは私の友人であり、従者でもある。
なので、主でもある私の身を案じてくれたのだろうが、それくらいではこの状況を脱する事は出来そうもない。
ケティの周りにもたくさんの厳つい男達が集まっていたからだ。
というよりも、たくさんの男達が、いつの間にか私とケティの周りをぐるりと囲んでしまっている。
その輪の内側にいるのは、もはや私とケティの二人だけだ。
輪の外側はいつの間にか全く見る事が出来なくなっている。
この状況は、さすがにちょっと恐ろしい。
なぜこんな事になってしまったのだろうか。
私達が今いるこの場所は、外れとはいえこの国で最も賑わっている商店街の一角で、人の往来も決して少なくない場所だったはずなのだ。
しかし、こんな風に囲まれてしまっては、すぐそこを通りかかった人達も、中で何が起こっているのかは、よくよく注意して見ない限りはわからないに違いない。
しかも、私達の事を囲んでいるのは厳つい体の大男ばかりだ。
普通の人なら近づいて中を覗く様な真似はしない。
現に、この囲みの外側が騒がしくなっている気配はない。
皆見てみぬふりをして通り過ぎているのだろう。
「それ以上、近寄らないで!」
この状況に辛抱できなくなったのか、ケティが大きな声をあげ、右手を腰へと下ろしていく。
剣を抜くつもりなのかもしれないが、ここで剣を抜くのが愚行なのは間違いない。
反省室の事は別にしても、今はこの場にいないアルフェスならともかく、ケティの腕では目の前の男達にかなうとは思えないし、それどころか、逆に相手に大義名分を与えかねない。
私は慌ててケティの手を掴んで、止めさせた。
「おうおう。なんだい、姉ちゃん、やるつもりかい? いいぜいいぜ、そっちがやる気なら、こっちは願ったりかなったりだ。わざわざこっちから申し出る必要がなくなるからな。どうする? やるか?」
この男の発言は相変わらず理解不能だが、男の口調が、自分達の優位を確認した為か、少しだけ柔らかくなっている事には気が付いた。
だがそれは優しさから来るものではなく、自分に酔っているだけのようで、その顔に浮かぶ薄ら笑いも気持ち悪い。
なんだか、とてつもなく良くない予感がしてならない。
理由は良くわからないが、このまま黙っているのはまずいという事だけはわかる。
私はその予感に従い、男の提案を拒絶する事にした。
「いいえ、私達はあなた達に何の恨みもありません。ですから、戦うつもりもさらさらありません」
そもそも、絡んできたのはこの男達の方なのだ。
好んで戦わなければならない理由は何もない。
ケティも厳つい男達に囲まれ防衛本能を働かせただけで、決して好戦的な娘という訳ではない。
恐ろしさから剣に頼りたくなってしまっただけだろう。
私の事を守ろうという意識が働いた事も想像できる。
男は私の返事を聞くと、明らかに表情を険しくした。
そして、今度はあからさまに私に怒気を向けてくる。
「そうかい、そうかい。なら、あんたらの気が変わるまでここで待つとしようか。ああ、助けが来るのを待っているのなら諦めた方がいいぜ。この街では、最近はこんな事はもう日常茶飯事なんでな。誰も何とも思っていないどころか、巻き込まれたくねえと思って近寄ってさえ来ねえ。もちろん、それはこの街の保安部隊も同じだ」
言いながら男はまた更ににじり寄って来ようとする。
それに合わせて他の男達も私達との距離を詰めてくる。
女性としては決して小柄な方ではない私でも、厳つい大男に囲まれてしまっては小さくならざるを得ない。
繋いだ手を通して、ケティが小さく震えているのがわかる。
私の手前、気丈にも目の前の男を睨み返しているケティだが、本音ではやはり怖いのだろう。
こんな状況が怖くない訳がない。
だが、ラドオークで似たような経験をした事がある所為だろうか、そんな中にあっても、私の中には冷静に相手を分析している自分がいた。
気が付いたのは、彼等は脅しこそ盛んにかけてはくるものの、こちらの身体には決して触れては来ない、という事だ。
ラドオークでは強引に家の中に引き入れられそうになったので、その違いははっきり分かる。
だからと言って、隙間なく囲まれてしまっている現状では、逃げる事は出来ないし、男女の違いは置いておくにしても、数的に不利な事も間違いないので、まずい状況である事も間違いない。
本音を言えば、今すぐ目の前の男達を押し倒してでもこの場所から逃れたい所なのだが、そんな事をしても彼らを喜ばせるだけのような気がするので、精一杯虚勢を張って動かない事にする。
私が動かないので、ケティも動かない。
すると、その状態に焦れたのか、少しして私の目の前にいる男が私の上から覆いかぶさるようにして、わざわざ頬の傷を見せつけるように、私の目の前ほんの数センチの所まで顔を近づけてきた。
だいぶイラついている事が見て取れる。
「なあ、姉ちゃん。この状態から解放されたいんだろう? だったら俺達の申し出を受ける事だ。なあに肯定すればいいだけだ。「はい」ってな。そうすればすぐに此処から出られるぜ」
相変わらず何を言っているのかわからない上に、理不尽で、何とも返事のしようがないセリフだが、それでも本当にここから抜け出す事が出来るなら「はい」と答えたくもなってくる。
だが、私の中にはまだ冷静な判断力が残っていた。
どう考えても、そう言わせようとしているという事は、言ってはいけないという事だ。
それがわかるので、必死の思いで耐えていると、四方から、さらに畳み掛けるようにあからさまな殺気が投げかけられてくる。
身を守ろうという本能なのか、ケティが再び右手を腰へと持っていく。
それに気付いた男達が、一様に下卑た笑みを浮かべ始める。
あの時のラドオークの男達と同じ猥雑な笑みだ。
ここで剣を抜くのが愚かな事はわかっていても、この殺気に無手で耐えるのには胆力がいる。
剣は握るだけでも、かなり心強く思えるからだ。
その欲求を抑える事は難しい。
そう考えると、私は今度はケティの動きを止められなかった。
ケティの右手が剣の柄に届く。
私は身体の前で両手を固く握りしめた。
男の顔には、今までにない程の露骨ないやらしい笑みが浮かんでいる。
ウサギを追い詰めた狼の様な勝ち誇った笑みだ。
その欲望の対象が私とケティなのだと思うと、恐ろしさと共に怒りも湧いてくる。
こうなったらもう、結果がどうなろうとやるしかないのかもしれない。
どのみち彼等を何とかしなければ、私達はここから逃れる事が出来ないのだ。
握りしめた掌に汗が滲んでくる。
と、私は意図せず何かを握りしめていた事に気が付いた。
握っていたのは、ラドオークでの別れ際に彼女からもらったペンダントだ。
首にかけたそのペンダントを、私は無意識に握っていたようなのだ。
その事に気が付いた私は、一度しっかり目を瞑り、それからゆっくり目を開いた。
そしてその時には私の覚悟は決まっていた。




