表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔境を生き抜け猛き赤 -異界道中冒険記-  作者: 瓶詰フクロウ
9/13

008.[灼腕]と[閃光]

怯え、竦む足を無理矢理に動かしその場を飛び退く。瞬間、俺が元いた場所にクマの剛腕が突き刺さり、地面に穴が開いた。目の前で仕留めたはずの獲物が消え、怒りのままに襲い掛かってくるクマ。ヤツの猛攻から、なんとしても生き残らねばならない。


 心臓が高鳴る。汗が噴き出る。一撃、たったの一撃を躱しただけなのに、もう息が上がり始めている。今の一撃だって、先程の戦いの時からずっとヤツの動きを観察していたため、攻撃の初動にいち早く気付けたというだけのことだ。少しでも気を抜けば、あの爪の餌食となることだろう。


「(そうだ、集中……! 角ウサギの時みたく、ヤツの一挙一動を集中して『見』続けて……!)」


 右の大振り、左の振り下ろし、前方への跳び掛かりに、両腕での挟み込み。その全てを紙一重で見切り、皮一枚で躱し切る。自身でも、それだけ動けることに驚きと違和感を隠し切れない。


「(な、なんでこんなに動ける……? それに、体が妙に軽い……まあ、今は好都合だ。これなら、クマの猛攻も躱せる……!)」


しかし、直撃こそ避けたものの、その攻撃で砕かれ弾け飛んだ木の破片などは躱し切れていない。幸い小さな破片だったり、服に当たったりと傷はほとんど無く済んだ。

ヤツの腕に火がまだ点いていたなら、何度か火傷していたであろう。だがクマの腕の炎は、シカの置土産のお陰で消火されていた。ヤツはこちらを侮っているのか、それとも濡れた腕には点けられないのか、再び火を点けたりはしてこない。


「(この隙に、突破口を見つける……!)」


 このクマとの戦い、決着としては、俺が死ぬか、逃げ切るかの二択といったところだろう。俺が生き延びるためには、「逃げ切る」ことにしか目が無い。可能性として、ヤツの興味が他に移る場合や、先程のシカのような新たな乱入者が来る場合が無いとは言えないが、どちらの可能性も他力本願だ。そんなモノに頼るわけにはいかない。ではこのクマを殺す? 無理だ。状況が整っていれば出来るかもしれないが、こちらを獲物として定めて襲ってきている今は不可能と言える。


「(ヤツの意識を、俺から逸らせられるだろうか……)」


 今、左手は角ウサギ、右手はスコップで塞がっている。バックパックの中にはロープや鎌なども仕舞われているが、両手が使えない上、そもそも取り出す隙は無い。周囲には蠢き木苺の成る木がいくつか。そちらに気を取られず俺やシカを狙ったコイツに対して、ウサギのような効果が得られるとは考え難い。


「でも……出来ることは、なんだって試さないとな……!」


 クマから目を離さず、その猛攻から逃げながら木苺へと近付き、右手でスコップを掴んだまま、枝諸共に実を千切り取る。と同時に、クマが猛突進してきた。それに合わせて、クマの進路上に木苺を放り込む。


「グァオ!?」


 不意を突かれたのか、クマの顔に投げた枝がぶつかり一瞬怯んだ。その隙に脇をすり抜け、背後へと逃れることが出来た。しかし、クマは惑うこと無くこちらへ振り返り、さらなる猛攻を繰り出してきた。


「!? ぐあっ!」


  一瞬、ほんの一瞬気が緩んだためか、その一撃は右肩を掠めた。その鋭い爪は学ランを切り裂いたが、幸い生身には届かずに済んだ。しかしその衝撃までは殺し切れず、握っていたスコップを取り落としてしまった。


「……クッ!」


 さらに左腕による追撃。だが、これ以上受けるわけにはいかない。痛みを堪えながら攻撃から逃れ、距離を取る。


「(なんで、迷わず俺のいる方向を……?)」


 浮かぶ疑問、その答えはクマの顔を観察していることで気が付けた。――嗅覚だ。ヤツはしきりに鼻をフンフンと動かしている。それでこちらの位置を把握していたようだ。……つまり、完全にヤツから逃げ切るには、その鼻も潰す必要があるということでも、ある。

 さらに厳しい状況が判明しながらも、一向にその攻撃の手は緩まない。むしろ激しさを増している様にも感じる。


「(このままじゃ、ジリ貧……削られて、死ぬだけだ。 ……?)」


 再び、クマの動きに集中する。と同時に、奇妙なモノが薄っすらと見えることに気が付いた。

 微かな(もや)の様な物が、クマの体の周りを漂っている。そしてその靄は、ヤツの攻撃する前にその体の部位に集まっていった。

 右腕に集まれば右腕の振り下ろし。脚に集まれば跳び掛かり、左腕に大量に集まったかと思えば渾身の薙ぎ払い。明らかに、ヤツの攻撃と靄の集中は連動している。


「これなら、さっきより確実に、躱せる……!」


 しかし、そんな時間はすぐさま終わりを迎えた。俺が余裕を持って躱し始めてから間もなく。クマは苛立った様子を見せ始めた。仕切りにこちらに咆哮による威圧を繰り返し、攻撃も周囲の木を巻き込む様な大振りで強大な物へと変化していた。そして苛立ちが頂点に達したのか、遂にはその場に立ち止まった。

クマの周囲を取り巻く靄は燃え上がる炎のように立ち上り、そしてその靄は、クマの両腕へと集まり出した。


『――燃えろ、燃えろ……燃えろぉ!』


 クマの咆哮が、『あの声』が響く。そして、靄の濃くなった部分から再び火が灯ると、瞬く間に本物の大きな炎へと変わり、クマの腕を包み込んだ。


「(しまっ……!)」


 右の大振り。その攻撃自体は当たらなかったものの、腕から飛んだ火の粉が顔に当たり、一瞬目を瞑ってしまった。生まれた致命的な隙。そして、ヤツはそれを見逃さなかった。顔を庇って前に出した右腕に鋭い痛みが走る。

反射的に飛び退きながら右腕の様子を見ればそこには、爪によって付けられた裂傷と、炎の熱によって為された火傷があった。痛い。熱い。だが――


「(浅い(・・)……まだ、動く!)」


 戦意は挫けていない。何か、何か次の一手を。本気となったクマの猛攻を、右腕を庇いながら躱し、逃げながらそう考えていると、自分の右腕の傷から妙な物が出ているのが見えた。


「(これって……あのクマの周りにあったのと同じ……?)」


 靄の様な何か(・・)。それが煙のように傷口から立ち上っている。それによく見れば、その靄自体も、俺の身体中を薄っすら取り囲んでいる。また、傷口から立ち上るのとは別に、少しずつ傷口へ集まっているようにも見える。


「もしかして……」


 腕の傷が痛むのを我慢し、意識を指先に向ける。すると、靄も傷口から指先へと集まり出した。やはり、意識している部分にこの靄は集まるらしい。クマの攻撃の際の動きと同じだ。と、そんな思いつきを試せたのはそこまでだった。


「グルォォォアアア!!」


 咆哮と共に、クマががむしゃら(・・・・・)に腕を振るう。すると、腕から飛び散った火の粉が逃げ場を塞ぐように向かってくる。


「くっ!」


全力でその場から飛び退き火の粉を避ける。先程までいた場所には炎がメラメラと燃え広がっており、当たっていれば自分も火だるまになっていたであろう事が想像された。

 しかし、事態はまだ悪いままだ。背後には大木が立っており、退路は絶たれている。そして、クマの脚へと靄が集まっていくのが見て取れる。跳び掛かりだ。左右へ回避しても、躱し切れる保障は無い。


「なら……前へ、進んでやる!」


 後ろは塞がれ、左右もジリ貧。ならば、一か八かの賭けに出る。後退でなく前進。決死の中にこそ、生への道を切り拓かれる。クマへ向かって正面から突き進んだ。


「グォッ!?」


 クマも一瞬怯んだのか、脚に集まっていた靄が霧散している。俺の左手には、角を突き出すように握られているウサギの死体がある。これで刺せば、無傷でいられるとは思えない。

 クマは咄嗟に腕を前に出し防御の体勢を取ろうとする。それに合わせて俺は、ウサギの死体を放り投げた(・・・・・)

 クマの動きが一瞬固まる。自身を傷つけ得る武器(・・)、それが突然投げ捨てられたのだ。その注意は全て、宙のウサギへと注がれている。その隙に、ヤツの懐へと潜り込めた。燃えているヤツの腕の火が熱い。体が焦げるかのようだ。

その熱を感じながら覚悟を決める。固まるヤツの顔面へと手を伸ばす。その左手に、意識を集中する。あの靄が、集まる。

 獣たち(ヤツら)の戦いを見て、ずっと思っていた。ヤツらの操る超常の力。魔法の如きその現象。その力が、魔法が欲しいと。そして今、クマが魔法を使った時と同じ事が、俺にも起こることを知った。俺と獣たちに違いは無い、同じ生き物だ。



 ――獣畜生(けものちくしょう)に出来て、俺に出来ない通りは無い。



「――燃えろ、燃えろ……『燃えろ』!!!」



 クマの顔面を掴むと同時に、左手が火に包まれる。さらに、左手に力を込め続けるとその火の勢いはより激しくなり、奴の顔面と、俺の左腕を諸共に灼き焦がした。ジュウと、俺の手とヤツの顔が灼ける音が響き、ヤツの顔が歪むのが感じ取れる。不思議と、炎の熱さが遠く感じた。


 炎を食らい、クマが暴れ出す。それに巻き込まれ、転がり飛ばされながらも距離を取る。燃えた左手も、地面を転げまわる内に消火されたらしい。火傷こそ残っているが、今は気にしていられない。急いでその場から逃げる体勢を整える。クマの顔面を焼いた。つまり鼻と目を同時に封じたということだ。ヤツから逃げ切るには、この数少ないチャンスを活かすしか――



「――グルォォォアアア!!」



 突如、その混乱を打ち砕くような咆哮がその場を支配し、火傷を負って苦しんでいたはずのクマが攻撃を仕掛けてきた。突然すぎる反撃に対応しきれず、胴に直撃を受け、吹き飛ばされてしまった。


「がはっ……!」


 吹き飛ばされた俺の体は、その勢いのまま背後の木へと叩きつけられた。肺から空気が絞り出され、視界が霞む。歪み、ぼやけた視界に、クマが近付いて来る影が映る。


 ――失敗した。渾身の『魔法』はヤツを無力化するには足りず、むしろ激昂させただけに終わった。このままクマの怒りを受けて、八つ裂きにされながら喰われて死ぬのだろうか。そんな、ここへ辿り着きながらも朽ちていった先人たちと同じ運命をたどるのだろうか――



「(――いや、まだだ……まだ終わって、ない……!)」



 ――そうだ、まだだ。まだ体も動かせる。こんなところで……終わるわけにはいかない。


 左腕は……ダメだ。火傷でもってほとんど動かない。だが右腕は動く。先ほど付けられた傷の痛みもほとんど引いている。まだ、使える。

 さっき使うことが出来たのはクマの使っていたのと同じような『火』を出す魔法。しかし、クマには通じなかった。おそらく、ヤツ自身が火を使う関係上、元々の耐性、火に対する防御機能も持っていたのだろう。そんな相手に火を使ったのは完全に早計だった。

 炎の熱は、俺の腕を焼いただけだった。ならば、そんな熱など必要ない。熱がいらないなら、火の形である意味もない。それならば、それならば――

 思考の果てに、奴に届き得るかもしれない一つの『魔法』に思い至る。火を点けるよりも単純なその魔法。……きっと、きっと使えるだろう。俺が、心からその『言葉』を叫んだならば。


 ――ならば、ヤツへと届くそれ(・・)一つに、全ての力を使い切る……!


 右手の指先に意識を集中する。俺にも、魔法が使えた。ヤツの使った魔法と同じような『火』を出すイメージのままに、心から『燃えろ』と叫んだ時、それはそのまま形を成した。死へと立ち向かい、抗った、その時々の心からの『思い』の様に――


『(――死を、思え――)』


 左手から火が生まれた時、あの時集まっていた靄だけじゃなく、自分の中の命までもが燃え出しているような感覚があった。きっとこの『魔法』は、俺の、使う者の『命』を削り、その力を現しているのだろう。――上等だ。命も懸けずに、得られる生などありはしない。


『(――命を、燃やせ――)』


 指先に力を、全精力を集中する。――血の最後の一滴を燃やし尽くしてでも、生き残ってやる。


 クマが、すぐそこにまで近付いてきている。そしてその燃える腕を振り上げ、俺へと止めの一撃を与えようとしていた。……先ほど一度正面から食らってその威力はわかっている。目を瞑り、自身に訪れんとする『死』について考える。もう一度受ければ、今度こそ俺の命は潰えることだろう。


 だが、それでいい。それだからいい。


『(――目の前に迫る死を思え。今にも尽きんとするこの命を燃やせ。そうしてこそ、生への道が拓かれる……!)』


 そして、叫ぶ。己の命を懸けたその魔法を、呼び起こすためのその言葉を。



『――光れ……眩く、迸れ! "閃光(センコウ)"!!!』



 瞬間、辺りは真っ白な光に包まれた。その魔法の光は獣だけでなく、目を瞑っていた俺の視界すらも灼き尽くしたようだ。苦しそうな獣の咆哮が聞こえる。それを頼りに、這々の体でその場から動く。ヤツは鼻が効く。今は視界を奪われ苦しんでいるからいいが、その痛みが薄れれば、また俺を殺しに来るだろう。


 視界が回復してきた。目を瞑って耐えていたからか、ヤツよりもダメージが薄かったようだ。見れば、ヤツはまだ苦しみながらその場で悶え苦しんでいる。

 周囲に落としてしまったスコップやウサギの死体を拾いながら考える。 ……今の俺に、コイツに止めを刺すことは出来ないだろう。視界を灼いたとは言え、未だにその巨体は暴れ続けている。この状態で近付けば、巻き込まれてさらなる重傷を負う恐れがある。

 それに、こちらも満身創痍だ。左腕は現状使い物にならず、体力も限界まで絞り切った。致命傷になるだけの攻撃など、とてもじゃないが繰り出せそうに無い。


 しかし、かと言ってこのまま逃げ切るのも無理だ。こんな体力で逃げ出しても、ヤツの視界が回復するか、そうでなくても健在の嗅覚でもって追跡されれば、そう遠くない内に捕捉されかねない。だから――


「――だから、こいつを使わせてもらうとしようか」


 そうして、バックパックから取り出したのは――


「――たんと、食らえ!」


 『惑乱桃』。周囲を覆い尽くすほどの甘ったるい香りを放つその果実を、それを仕舞っていた袋ごとクマの顔面へとぶち撒けた。


「……グルァ?!!」


 辺りに、あの甘ったるい臭気が放たれる。これなら、ヤツの視界が回復しても俺を追跡するのは困難だろう。特に、周囲にこれほどの臭気を撒き散らしているその源、複数の惑乱桃がぶつけられた鼻が正常な嗅覚を取り戻すのがいつになるか、俺には想像も付かない。



 そのキツい臭いに混乱したのか、クマはふらふらと周囲の木に頭をぶつけながらその場から移動し始めた。そして俺も、それとは逆方向へと、ゆっくりと移動を始めた。

 この世界を生き抜くための力、『魔法』。俺がそれを知った野生同士の激突、そしてクマとの死闘。そこから俺は、生き残ることが出来た。その力の一端を、手にしながら。




◆◆◆◆◆




 この世界を見渡せるほどの巨木から伸びる枝の上、その女は立っていた。まるで自分がこの世界の支配者だと言わんばかりに。


「――ほほう、完全に独力で『魔法』を会得しちゃったんだ。異邦人なのに頑張るねえ。……それだけ、『種』との相性がよかったのかな?」


 彼女はその木の上から、ある方角を見つめ続けている。眼下に広がるのは、緑一色に染まった果てなき大森林だけ。


「『彼』は大当たりだったみたいだねぇ。少し、規則をはみ出して干渉した甲斐があったというものだ。この分なら――」


 彼女の目が、遠く彼方を、世界の果てへ思いを馳せるような眼差しに変わる。



「――いつか、私を倒しに来てくれそうだね」



 ――その言葉を風に残し、彼女はその場から音も無く消え去っていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ