005.[魂の声]と[命の種]
血に塗れ、折れた枝に胸を貫かれながら俺は、目の前で起こった事を、理解できないでいた。
目の前に降り立つ、天使の様な翼を持った美しい女性。彼女が話している言葉は全く聞き取れなかったが、何を話しているのかは、頭の中へと直接響いてきた。
『――このまま安らかに朽ち果てるか、死よりも辛い苦しみと共に生き続けるか。……どちらがいいかな?』
目の前の女は、俺に選択肢を示した。『死』か、『生』か。『安らぎ』か、『苦しみ』か。――そんなの、どちらを選ぶかなんて、最初から決まりきっている。
「――い、ぎぃ……! ガハッ……」
体を前に倒れこませるようにして、胸を刺し貫いていた枝を抜く。胸に空いた傷跡から血が溢れ出る。
――彼女に、再び会うために。
「――ォ、ゴボッ……いぎ、ぅ……!」
枝を抜いた勢いで、体が地面へ投げ出される。しかし、地に這いつくばりながらも、前へ手を伸ばし続ける。
――彼女を、一人にさせないために。俺は――
『――生きなきゃ、いけないんだ……!』
――――そこで、俺の意識は途絶えた。
◆◆◆◆◆
――『彼女』は感動していた。目の前に倒れる、僅かな命を激しく燃やす『只の人間』に対して。
「――ほほう。異邦人なのに、しかも死にかけながらも『声』を発することが出来るなんて……あは、中々有望そうな子だね。……この子なら、呑み込まれずにいられるかもしれない、かな?」
その時、先程弾き飛ばされた化物が、咆哮と共に彼女へと襲いかかった。
「……グルァアアアアアァァァァ!!」
「――ああ、ごめんねヴルムくん、君の獲物を横取りしてしまって。けど、ごめんね? この子には私も目を付けたんだ。――『下がれ』」
彼女は、その攻撃を先程と同様に風の壁でいなすと、化物へと話し始めた。そして、底冷えするかのような念のこもった言葉を掛けられると、驚いたことに化物はその言葉に従い、その場から離れていった。
「さ、邪魔する者はもういないだろう。君の選んだ通り、死よりも苦しき『生』を、与えようじゃないか」
彼女は、地に伏せ未だ意識の無い彼に手を向けると、不思議な響きの言葉を唱えた。
『――静かな風は傀儡と踊る』
すると、意識の無いはずの彼の体がひとりでに動き出し、彼女の前へと立ち上がった。
「さてと、それじゃ……”アケオミ・アキラ”くん。まずは、頑張って、生き抜いてくれよ?」
いつの間にか、彼女の指先には一粒の種が摘まれていた。そして――
『――我、神樹の代行者の名の下に命ず。次代の欠片よ。彼の者喰らい、御魂を繋げ。――覚醒ろ』
その種を、彼の胸の傷孔へと埋め込んだ。彼の体が、不自然に大きく痙攣する。その直後、再び糸の切れた人形の様に、彼はその場へと崩れ落ちた。
「さあ……君の可能性を見せてくれ」
◆◆◆◆◆
――激痛によって目が覚める。身体中の血管に、溶けた鉛を流し込まれているかのような熱を伴った刺激が、身体中を無尽に苛む。
「――ぐ、あ、があぁぁあああ!!」
「――――」
傍らにあの女が俺を見下ろすように立っている。何か喋っているようだが、全く聞き取れない。痛い、熱い。胸の傷から何かが、身体中に流れているかのように感じる。
『――おっと……こうしないと、君には言葉が通じないんだったね。』
頭に、彼女の話す言葉の意味が自然と染みてくる。気が遠くなるほどの激痛の中であっても、不思議と意識はハッキリとしている。
『その激痛は、これから数日に渡り君を苦しめ続ける。そして、それに屈せば……今度こそ、君の命は失われるだろうね』
「(――ッ!)」
『もし、その苦痛を生き残ったなら……また会うこともあるだろうね。――君たちの言うところの[世界樹]で、待っているよ?』
そう言い残すと、彼女はこの場から飛び去った。それと同時に、身体を奔る痛みは今までのそれとまた別種の物へと変わり出した。
「――ひ、ぎぃあああぁぁぁあああ!!!」
身体中をズタズタに傷つけられるような、物理的な刺激。全身の血管を、血の代わりに有刺鉄線が流れているかのような未知の激痛が襲いかかる。しかしそれでも、気を失うことは出来ない。まるで地獄の責め苦か何かのようだ。
「(――こんな、苦しい、なんて……)」
狂いそうな激痛が意識を侵食し始める。思考がバラバラになる。俺は今本当に生きているのか?ここは地獄なのではないのか? ……死んでしまえば、この苦しみから解放されるのではないか?そもそも――
「(――俺はなんで……生きたいなんて――)」
諦めが意識に滲み始める。これまで必死に生きてきた。もう、いいではないか。
あの時も、姉の最期の言葉に背中を押されたのか、生きるために無我夢中になって、姉と母を殺し愉しんでいた強盗たちを皆殺しにした。本当は、その時にこちらが死んでいてもおかしくなかったのに、殺り切った。それだけでも十分じゃないか。
その後、その事件の始末が付き日常に戻ってきた時、待っていたのは『殺人鬼』の烙印と、心無い罵倒の言葉だった。面白がって『殺人鬼』と揶揄してくる愉快犯。その言葉により、俺を怯え避ける普通の生徒。無闇に一般の生徒を恐がらせるな、とこちらを攻撃してくる正義感に溢れた連中。いつしかその言葉は、俺だけでなく、俺を引き取ってくれた親戚にまで及ぶようになった。親戚たちは笑ってなんでもないと言ってくれたが、その陰で憔悴していたのを俺は知っている。消えてしまいたかった。受け入れてくれた恩を返せないどころか、仇となってしまった自分が許せなかった。でも、姉の言葉を支えに耐え切った。しかし、ここにはもう義理立てするような誰かはいない。
ここに来る原因になった災害だって、こうして生き抜いた。あの時、目の前で多くの人達が死んでいった。その一人に、俺がなっていてもおかしくなかったのに。こちらに来てからも、今の今まで生き抜いた。もう、精も根も尽きた。これ以上、意地を張る理由なんて――
(――アキラ、くん……!――)
ふと、彼女の顔が思い浮かんだ。――ああ、そうか。あいつは今、この世界に、一人きりなんだ……。
「(――なら、早く、追いつかなきゃ、な……そのためにも……)」
――ああ、姉の最期の言葉だけじゃない。今を生きる、彼女の……ミズシロのためにも、生き残らなければ、ならない。この程度の苦痛で屈している場合ではない!
「――ぐっ、ぅがあぁああ!」
再び、痛みの種類が変わる。四肢が千切れ、肉が剥がれ、骨が砕けるかのごとき激痛。脳までもが無造作に破き裂かれるような痛みの中、もう、俺の意志が揺れることは無かった。
「(生きる……! 絶対に、生き延びる! ……アイツを守る、ために!!)」
◆◆◆◆◆
そして、幾度も幾度も、新たな痛みが身体中に奔り、精神を甚振りながら――三度、昼夜が巡っていった。