003.[水浴び]と[独り言]
彼女から差し出されたタオルをありがたく借り受け、濡れた体を拭い、焚き火の近くに置いておいた学生服を再び着る。さて、これで落ち着いて彼女と話が出来るだろう。まずは彼女の素性を確認しておきたい。
「さて……お互い自己紹介から始めよう。その制服を見る限り、君も敷波高校の生徒だろうけど……」
「あ、あの!……アキラ、くん……だよね?……同じクラス、の」
クラスメイトだった。しかも一方的に知られていた。……中々に気まずい状況である。ここからどう誤魔化そうと、こちらが向こうのことを忘れていた……いや、そもそも覚えていなかった事実を隠しきることは出来ない。正直に話してしまおう。
「すまん。実は、クラスにどんなヤツがいたのか、ほとんど記憶してないんだ……本当に、ごめん」
「……あははっ。……うん、知って、ました。アキラくん、いつも誰とも話してないし……部活動も、やってない……でしょ?」
おっしゃるとおりです……。なんかもう居た堪れない気持ちでいっぱいだ……。
「……うん、じゃあ改めまして。瑞城 緑[ミズシロ ミドリ]、です。よろしくね…って言うのも、変かな?」
「……改めて、朱臣 晃だ。変でもないよ。すまないが、こっちとしては初対面ともそう変わらんし」
握手を交わす。思えばこんな所まで来たのでも無ければ、俺がこんな純朴そうな子に関わることも無かっただろう。
「それにしても、アキラくんがやっぱり普通の人でよかったぁ。……こわい噂話も聞いてたけど、ホントは、あたしが見たまんまの、アキラくんだった」
「……見たまんまって、どういうこと?」
思わず後者について聞き返す。……前者の『こわい噂話』については、これ以上無い位、わかっているから。
「ふふーん、あたし、園芸部なんだー。アキラくん、たまに学校の花壇とか、掃除してくれてる、でしょ? 園芸部に入ってくれないかなー、って思いながら、見てたんだよ?」
――ああ、そうだ。あの人も、花が好きだった。汚れている花壇を見ると、いつも俺を引っ張って、一緒に掃除していた。彼女がいなくなった今でも、癖でたまに掃除してしまう程に――
「……あぁ、うん。趣味なんだ。花壇の、掃除」
「えへへー、気が合う、ね!……でも、こんなとこじゃ、あんま関係、ない、か…な……」
「っ! おい、ミズシロ!?」
急に倒れかかってきた彼女を抱き止め、慌てて呼びかける。すると――
「……お…お腹、空いてたん、でした……」
――そう、告げられた。
◆◆◆◆◆
「美味しい、です!」
モキュモキュと、『蠢き木苺』を頬張るミズシロを横目に、焚き火に枝を焚べる。まあ、こんなこともあろうかと木苺は多めに採取していたのだ。彼女の空腹を埋める助けになったこと自体に他意はない。……他意はないが、そこそこ苦労して集め、危険生物への対抗手段でもある木苺がみるみる消費されていくのは、中々に心臓によろしくない光景だ。だがそれも、彼女の満足そうな笑顔を見ていると、まあいいか、と思えてしまうから不思議なものだ。
まあそれはそれとして、若干の悪戯心が湧いてきた。
「ミズシロ、こっちのトマトっぽいのも悪くないぞ」
「! 本当、ですか!」
そう言って酸味トマトを手渡すと、躊躇いなくかぶりついた。そして――
「!☆?★!!? すっぱい、ですー!」
悶絶していた。まあ、あれだけトマト感満載な見た目からレモンの様な酸味が溢れ出せば、普通は面食らうだろう。俺は悪戯が成功した様子を、ガキのように笑いながら見ていた。すると――
「むぅーっ! ……んぅ、でも、慣れたら、これはこれでアリ、です。……! びっくり、です! トマトの後に木苺を食べると、とっても、甘くて、美味しい、です!」
「何!? それは俺も知らない食べ方だぞ! ちょっと試させろ!」
二種類の木の実しか無い、ささやかな夕餉だったが、俺たちは和気藹々とした、楽しい一時を過ごした。
◆◆◆◆◆
「――じゃあミズシロも、その時にあの『黒い裂け目』に入ったのか」
「……うん、といっても、人混みに押されて、偶然、だったんです、けど」
朝の事件、この世界に来た原因であろう『黒い裂け目』について、ミズシロに尋ねる。彼女は友人と二人で登校していて、俺と同じ時間、同じ駅であの地震に遭遇し、友人とはぐれてしまい、そして『黒い裂け目』に落ちたらしい。
こちらの世界に来てからに関しては、俺と同じように森の中で倒れていたことに気づき、行く宛もなく彷徨い歩き、日も暮れてきた頃に偶然焚き火の明かりを見つけ、そして今に至る、ということのようだ。俺がしたような、木の実を採って食ったり、周囲の様子を撮影したりといったこともしていなかったらしい。
なので、ミズシロにも『世界樹』の画像を見せてみる。
「ふわぁ……おっきい、木です、ね」
「ひとまずの目的地がこの木だ。あまりにもデカいから、結構開けた場所からなら普通に見ることも出来る。……この先、野生動物に襲われて、はぐれることがあるかもしれない。その時は、この『世界樹』に向かって進んでいって欲しい。そしたらまたきっと、合流できるから」
「……うん……」
「はぐれたら」という話をしてから、彼女の顔色は少し暗くなった。駅ではぐれてしまったという友人のことについて、考えているのかもしれない。
クシャリ、と彼女の頭に手を置く。
「……大丈夫さ。きっと大丈夫。その子は生きてるさ。……もしかしたら、こっちで再会できるかもしれない。だから、心配すんな」
「…………は、い。その……ありがとう、ございます」
その後も情報交換を続ける。現状確認として、互いの手荷物を見せ合うことにした。
「これは……シャベル?」
「スコップ、です! シャベルはこっち、です」
いやまあ、どちらでもいいのだが。なるほど、どうやら自らを園芸部と名乗った彼女の言葉に偽りは無かったらしく、彼女の背丈に不釣り合いなほど大きなバックパックからは、新品の園芸用具がいくつか出てきた。なんでも、それまで使っていた用具が大分消耗してきていたそうで、まとめて補充するつもりで持ってきていたらしい。シャベルとスコップが一本ずつ、軍手が何組か。先程借りたような白いタオルが数枚に、大振りの鋏が二組。そして……
「……ミズシロサン、これはなんでしょうか?」
「鎌、です。雑草むしりに便利、です!」
「……こちらは?」
「鉈、です。枝払いに便利、です!」
「……なんでそれを森の中で使っていなかった!」
頭を抱える。通り道の邪魔な枝を落としたり、武器にもなり得る丈夫な刃物を二種類も持ちながら、初めて対面した時の彼女は手ぶらだったのだから。
「使ってました、よ? 明かりに近づいてから、失礼かと思って仕舞いました、けど」
「気をつかう所が違う!……ミズシロ、ここはもうこれまでの常識は通じない場所だ。これからは、まず第一に自分の身の安全を考えて欲しい。でないと……元の世界に帰るまで、無事でいられるとも限らない」
「あぅ……わかりまし、た……」
「頼むぞ、危険な生物もこの森には割といるみたいだからな…………ウサギとか」
「……ウサギ、ですか? 危険なんです、か?」
「ああ、角の生えた獰猛なヤツだ。お前くらいなら喰っちまいかねない」
「……あははっ、アキラくんは、冗談も上手なんです、ね」
この後も角ウサギの危険性について熱弁したが、正確に伝えられたかどうか自信は無い。実際に対面した時に体験してもらうしか無いだろう。木苺のストックは余裕を持っておかなくては……。
そういった、俺がこの森に来てから知ったことや注意点を話していると、彼女がなにやら顔を赤らめながら話を振ってきた。
「ところで……アキラ、くん」
「どうした?」
「あの、その、さ、さっきお会いした時、その、み、水浴び、してましたよ、ね?……裸で」
中々にブッ込んでくる子である。そのことに関しては触れない、もしくは忘れようと思っていたのだが……
「そ、それで、ですね!……あたしも、水浴びしたい、なって……」
前言撤回。相当にブッ飛んでいる子である。……いや、初対面時に全裸で水浴びしていた身で言えたことではないのだが。
――そして今、俺の背後で彼女が水浴びをしている。なんとか思い止まるよう説得を試みたが、最終的に押し切られてしまった。現在、彼女の衣服は全て泉の端に脱ぎ置かれている。今の俺の役割は、焚き火の番兼、無防備な彼女の護衛といったところだろうか。暗い森の中からは、獣達の物だろうか、草を踏みしめる足音や、遠く唸るような鳴き声が微かに聞こえ続けている。襲い掛かってくる可能性も低くは無いだろう。決して警戒を怠るようなことは――
「……♪」
背後から、彼女の体を洗っている水音と、楽しそうな鼻歌が聞こえる。いかん、意識を持っていかれる訳にはいかない。警戒を、森を警戒しなくては。そう思っていると、彼女から声を掛けられた。
「アキラ、くん……わがまま言って、ごめん、ね?」
「……いや、いいさ。女子に身嗜みを気にするなというのも、まあ酷な話だったろうしな」
「えへへ……あたしね、こっちに来て、最初に会えたのが、アキラくんでよかったぁって、思ってる、よ。……ホントに、ありがと、ね?」
「…………ああ」
素直な感謝の言葉に、思わず顔が熱くなる。思えば、これほど純粋な言葉を掛けられたのはいつ振りだっただろう。あの事件以降、俺の周りからは、親戚を含め誰もが距離を取ったし、俺自身も周囲から距離を取った。心無い言葉をぶつけられても、薄っぺらな同情をされても、欠片も心に響かなくなっていった。
でも、だからこそだろうか、こんな、なんでもない会話や、気持ちのこもった言葉に、心が揺さぶられるのは……
「あ……いけない。アキラくん、新しいタオル、出すの忘れちゃってた、みたい。……取って?」
「ちょっといいこと考えてたのにお前何やらかしてんの!?」
……単に、放っておけないだけかもしれない。
◆◆◆◆◆
日も完全に暮れ、周囲に闇の帳が落ちていた。辺りを照らすはこの小さな焚き火、そして空に広がる星と『月』の光だけである。
「……ホントにいい、の? あたしが先に寝ちゃって……」
「ああ。お前だって、あれだけの荷物を背負って一日中彷徨ってたんだから、疲れてるだろう?それに、俺が寝る前には交代してもらう、つまり深夜からずっと起きてもらうことになるんだ。さっさと寝て、体力回復させておけ」
「……うん。じゃあ、お先に失礼します、ね? ……おやすみ、なさい」
「おう……おやすみ」
やはり一日の疲れが溜まっていたのだろう。彼女は枯れ葉を集めた簡素な寝床に横になると、すぐに寝息を立て始めた。
ふと、空に浮かぶ『月』を見上げる。目を凝らせば、その月の模様はよく見知った『元の世界の月』のそれとは全く異なる物であった。やはり、ここは完全に地球とは異なる『何処か』なのだろう。
……突如発生した朝のあの大地震、それに合わせたかのように現れた『黒い裂け目』。そして、それを抜けた先にあったこの大森林。ここは一体なんなのか。この森に、あの『黒い裂け目』に関わる手掛かりはあるのか。そもそも、元の世界に帰ることは、出来るのだろうか――
「――ゆー、ちゃん……」
彼女が言葉を発する。どうやら、寝言のようだ。ゆーちゃん、とは彼女のはぐれたという友人だろうか。
「……ゆーちゃん……おかーさん……おとーさん…………あいたい、よう……」
……焚き火に薪となる枝を追加する。辺りには、火の爆ぜるパチパチとした音と、森の葉が風に揺られ擦れるザワザワとした音が響き渡っていた。
「……安心しろ。必ず、元の世界に帰してやるから」
誰に言うでもなく独りごちる。その声は森の音に掻き消され、辺りに響くことはなかった。
ただ、彼女はそれから朝に目覚めるまで、それ以上寝言を漏らすことは、無かった。