010.三姉妹の決死行/[森人]と[救いの手]
森の中を駆け走る無数の足音が響く。逃げる足音と、追う足音。その差は、徐々に狭まっていた。
「――シェリア、スーラ、急いで! 囲まれる!」
「ベ、ベガ姉、待って……きゃあっ!」
「! シェリー!」
何かから逃げるように森の中を走る三人の少女たち。そんな時、その内の一人が木の根に躓き転んでしまった。その機を逃さず森の中から何者かが飛び出し、転んだ少女へと襲いかかった。
「ギシャァァアアア!」
「い、いやああああ!!」
飛び出してきたのは、小型の恐竜にも見える生物たち。彼らの脚にはナイフのように鋭く大きな爪が備わっている。その凶刃を構え、少女の命を絶たんと飛び掛かってくる恐竜たち。しかし、彼らの刃が少女の身体を引き裂く前に、動いた者がいた。
「シェリア、しゃがんで! 『――茨蔦の防壁』!」
少女の内の一人、長髪の少女が、仲間を守らんと魔法を唱える。すると、茨が壁のように生い茂り、襲撃者の攻撃を阻んだ。その隙に、襲われた少女は恐竜たちの襲撃から無事に逃れることが出来たようだ。
転んだ子と瓜二つの容姿を持つ少女が、怪我が無いかどうか尋ねる。
「シェリー、大丈夫?」
「うん、なんとか、大丈夫。ごめんね、スー。……ベガ姉も、ごめんなさい」
「そこは、ありがとうって言っておく所よ、シェリア。――さ、早く里まで急ぐよ。結界にさえ入れば、もう安全だから……」
しかし、茨の壁による足止めはそう長くは保たなかった。茨を飛び越え、回り込み、次々と壁を越えることの出来た追手が迫ってきている。
「(まさか、トカゲに襲われて探索隊がバラバラになるなんて……! シェリアもスーラも、ずっと走って疲れてきてるし、その上トカゲに里への近道を塞がれて、遠回りさせられてる……! このままじゃ……)」
襲い来る恐竜の追撃に対し魔法で壁を創り出しながら、三人の少女は森を逃げ進む。しかし、その方向は彼女たちの暮らす『里』からどんどん離れゆくものだった。このままでは、彼女たちは帰るべき場所に帰ることは出来ないだろう。
――やがて、三人の内の一人、長い髪を持つリーダー格の少女が立ち止まり、一つの決断を下した。
「――シェリア、スーラ、よく聞いて。……あいつらの群れの中を、突破するよ」
それは危険と隣り合わせの、決死の策であった。
「……ベガ姉様、それって……」
「――スー。ベガ姉はもう、進むって、決めてる。……それ以上は、言っちゃダメ」
「……迷惑かけてごめんね、二人共。絶対、傷一つ付けさせたりしないから。だから……お姉ちゃんを、信じて?」
その言葉には、他の二人……彼女の妹たちも頷かざるを得なかったようだ。
「ベガ姉様が、そう言うなら……でも――」「――うん、あたしたちも、守られるだけの存在じゃ無いんだからね、ベガ姉?」
「――もう、二人共。……無茶だけは、しちゃダメだからね?」
その忠告に、彼女の妹たちは声を揃えて返答した。
「ベガ姉(様)こそ、ね!」
木々の間に隠れ、待ち伏せしていた恐竜たちの前に、少女たちがその姿を晒した。彼女たちの目には、覚悟の色が宿っている。
『我らが始祖たる命の精霊エフィル、我が声に応え給え――彼の者らを縛れ! 絡根の縛鎖!』
突然向かってきた少女たちに対し、恐竜たちは警戒のためか反射的に距離を取った。その隙を突くように魔法が唱えられる。すると、恐竜たちの足下から、彼らを縛り付けるように木の根が生えてきた。
恐竜たちの動きを封じると同時に、彼らの群れを突っ切る作戦のようだ。
「いい、二人共。絶対に後ろを振り返っちゃダメ。前だけ見て、走り続けて。もし、後ろに気配を感じたら――」
少女の言葉が途切れる。咆哮と共に、樹上から数匹の恐竜が飛び掛かってきたためだ。
しかし、少女たちは一人として振り返らない。さらに、双子の少女は襲撃に対し魔法を唱え出した。
『光の精霊アニミューリ、我らの声に応えよ――烈光の眩惑!』
二人の手に眩い閃光が生まれ、襲撃者の視界を白く灼き尽くす。目を潰された恐竜たちは、そのまま不格好に墜落していった。
「――瞬間的に動きを止められる魔法を使う、でしょ?」「……大丈夫。私たちなら、出来るから」
「シェリア、スーラ……! ……うん、先を急ぎましょう」
少女たちは森を駆け行く。恐竜たちの襲撃を、時に防ぎ、時に縛り、時に躱しながら。
しかし、それは群れの内を突き進む決死行、襲撃は次第に激しさを増していった。そして、それすらも耐え切った彼女たちを待っていたのは、さらなる脅威であった。
「(――他の個体より一回り大きいトカゲ、この群れの、ヌシ……!)」
恐竜の群れのヌシは、彼女たちを油断なく睨みながら、低く唸り声を上げる。
――先に動いたのは、少女たちだった。
『――絡根の縛鎖!!』
一瞬の隙に、捕縛魔法を放つ。ヌシもこれに反応し飛び退くが、片脚に根が絡みつき、その動きが制限される。
「シェリア! スーラ! 今よ、走って!」
ヌシの動きを封じ生まれたその大きな隙に、リーダー格の少女が逃走を指示する。しかしその時、彼女たちの想定外のことが起こった。
ヌシが大きく口を開き、その牙から液体を噴射した。その攻撃は、双子の少女たちを狙って放たれて――
「――クッ!」
「ベガ姉!?」「ベガ姉様ぁ!」
それを、彼女たちの姉が身を呈して庇った。だが、その毒液を浴びた少女はその場に倒れ伏し、動けなくなってしまった。
「(やられた、麻痺毒……! でも、ヘビでも無い、こんなトカゲが使ってくるなんて……)」
姉の下へ、双子が駆け寄ってくる。しかし、それは状況を悪化させる一手であった。
「ギュアッ、ギュアッ、ギュアッ!」
ヌシがひときわ大きな雄叫びを上げる。その声に呼応するように、群れの恐竜たちがその場に集まり、彼女たちを取り囲む。
「(……ダメ、この子たち、だけでも……無事に……)」
「――い、いやぁ……!」「……ベガ、姉様ぁ……起きて、このままじゃ……!」
彼女たちを取り囲む恐竜の群れから一匹が、その鋭い牙を剥き出しにしながら近づいて来る。
「(――誰か、お願い…………)」
そして今度こそ、彼女たちの命を刈り取るべくその凶刃と共に飛び掛かってきた。彼女たちの声は、深い森の中に虚しく吸い込まれていき――
『――助けて……!』
『――――ああ』
――そして、一人の少年に届いた。
◆◆◆◆◆
悲鳴のあった方向へとひたすらに走り、ようやくその声の主のいる場所へと辿り着いた。しかし、その少女たちは、小型の肉食恐竜のような生物の群れに襲われ、今にも喰われそうな場面であった。
「――セイ、ッハァー!!」
走ってきた勢いのままに群れへと突っ込み、彼女たちへ襲いかかる一匹に飛び蹴りを食らわせる。首へと上手く入ったからか、恐竜は周りを取り囲んでいる群れまで吹き飛ばされていった。
だがそこに、飛び蹴りをかました直後の無防備な体勢を狙い、別の恐竜が牙を剥いて迫り来る。
『――水よ、この手に――"水弾"!』
その襲撃に対し、魔法を唱えて反撃する。
手に圧縮した水球を創り出し、噛み付いてこようとする大口に向けて放つ。水球はそいつに触れた途端一気に破裂し、その恐竜の上顎を吹き飛ばした。
無茶な体勢から魔法を放ったため、受け身もろくに取れないまま地面に落下する。けど、それを痛がっている余裕は無い。
彼女たちの傍らに陣取り、恐竜たちと向かい合う。四方を囲まれているため、死角である後ろからも気が抜けない。
「――間に合った、かな。そっちの倒れてる子は大丈夫? 動ける?」
しかし、想定していた反応は返ってこなかった。彼女たちの話す言葉が、言語がわからないのだ。先程は『助けて』という声が聞こえたが……。
その時、俺を助けてくれたあの女性のことをふと思い出す。そういえば、あの時も最初は彼女が何を言っているのかわからなかった。おそらく。こちらの世界の言葉なのだろう。ならば、彼女たちに言葉を伝えるには……
『――必ず、助けるから。それまで、頑張って』
『魔法』を使う時のように、心からの声を発する。すると、双子のように瓜二つの少女たちが頷いてくれた。伝わった、のだろうか。
死角の方向にいた恐竜が動き、少女の一人に爪を振り上げる。そちらに『水弾』を放ち、その個体を弾き飛ばした。
それを皮切りに、俺たちを囲んでいた群れ全体が動き出す。
「――くっ! 『――風よ、守れ! "風壁"!』」
彼女たちを風の壁で覆い、死角からの攻撃の軽減を試みる。この壁を維持し続ける間、他の魔法はまともには使えそうにない。
「まぁ、それなら魔法を使わないでやるだけだ……っと!」
足下の石を拾い上げ投擲する。その狙いは、眼だ。
「グギャアッ!?」
命中。片目を潰すことに成功した。これはヤツらの視界を削り弱体化させるだけでなく、敵愾心を俺に集める目的もある。壁があるとはいえ、動けない彼女たちを集中して狙われれば、手数の足りないこちらは押し切られてしまうだろう。それを避けるためにも、動ける俺に攻撃してきてもらわねば困る。
そんな折、突然他の個体よりも一回り大きい恐竜が、尻尾を振るい攻撃を仕掛けてきた。それを、しゃがむことでなんとか回避する。しかし、こちらの動きが止まった隙を逃さず、他の恐竜が二匹飛び掛ってきた。それに対し、土を掴み投げつけることで、二匹の視界を一瞬だけ覆う。その隙に首を強く殴り払うことで、飛び掛かりを躱すことが出来た。飛び掛かりを多用してくる小型の個体は体重が軽く、俺の力でも十分に振り払うことが出来る。
その後も多くの攻防を繰り返し、敵愾心を一手に集めることで、少女たちから群れを引き剥がすことに成功した。そんな時、先程から倒れていた少女の一人がようやく起き上がった。どうやら、双子の手当てによって回復したようだ。
しかし、病み上がりではまともに動くことも、ましてや戦闘などとても出来ないだろう。
『――逃げられる?』
彼女たちに問いかける。だが、その返答は意外なものであった。
『――私たちも、戦います。少しだけ、時間をください』
戦う意志があるという、その言葉。強く美しい意志に満ちた声は、疲労した俺を大いに鼓舞してくれた。だが、良い側面ばかりでもない。その声に反応した一部の恐竜が、狙いを俺から彼女たちへと変えてしまった。
彼女たちは、三人の手を合わせながら瞑目している。その周囲からは、溢れんばかりの生命力が漂っている。おそらく、強力な魔法を放とうとしており、そのための時間を欲したのだろう。
「なら、邪魔させる訳にはいかないな……! ――『"閃光"』!」
風の壁への集中を止め、その場で『閃光』を放つ。これで、こちらに狙いを定めていた連中の動きは止めることが出来た。後は、彼女たちの方へと向かっていった数匹の対処だ。
脚に力を集中させ、逃がした数匹を追い駆ける。強化された脚力によって、周囲の木の幹を飛び跳ねるようにして走り、ヤツらの前に回り込む事ができた。
『――風よ、吹き荒れ、吹き飛ばせ! "風壁"!』
先程も使った『風壁』を創り出す。しかし、先程は少女たちを覆い囲うように出したが、今回のそれはまさしく「壁」だ。風で創られているため乗り越えることも出来ず、恐竜たちはその場で立ち往生している。
「そのまま、吹き飛んでけ!」
『風壁』を動かし、恐竜たちを押し流す。そうして、この場にいた恐竜たちを、再び一箇所に集める事ができた。
『――ありがとうございます』
背後から少女の声が聞こえ、次いで、『魔法』が唱えられた。
『我らが始祖たる命の精霊エフィル、我らが声に応え給え――牙剥く者に、慈悲なる微睡みを。 静かな調は永睡を誘う』
歌声が辺りに響き渡る。そして次々と、恐竜たちはその場に倒れていった。しかし、どうやら死んだ訳ではないらしい。
「……魔法で、眠らせているのか」
――歌声を聴いた者を眠らせる魔法。相手を無力化するに当たり、これほど強力な物は多くは無いだろう。
やがて、最後の一匹が眠りだすと、彼女たちの歌声も止まった。と同時に、三人共は疲れ果てた様子でその場に膝を付いて崩れ落ちてしまった。
「! おい、大丈夫か!」
三人が倒れる前に、なんとか抱き留める。と、その容姿を間近で見、目を奪われた。一人は、十代後半にも見える背格好と顔つき、絹のように長い髪を持つ美しい少女。瓜二つの容姿の二人は、まだ小学生ほどにしか見えないほど幼く見えるが、その顔はとても可愛らしく、あどけない。肩口で切り揃えられた髪に触れると、鈴を転がすような心地がした。
その三人の容姿には共通点も多く見られ、彼女たちに血縁関係があることを窺わせた。三人共、芽吹いたばかりの新緑の如き緑髪と、健康的な白い肌、そして、普通の人間とは異なる長い耳が特徴的である。
そんな風にまじまじと見ていると、少女の一人が顔を赤らめながら背けてしまった。
……よく考えなくとも、女の子を抱きしめながらその顔を観察するなど、失礼にも程がある行為である。
反射的に彼女らから離れる。どうやら三人とも、自力で立つことが出来るほどには正気に戻ったようだ。しかしそんな時、彼女らの後ろに何かが動く気配を感じた。
「――危ない!!」
飛び出し、彼女たちを庇う。気配の主は、群れの中でも一際大きかった一匹の恐竜だ。その口を大きく開き、鋭い牙を突き立てんと迫ってくる。――魔法は、間に合わない。
「……ぐぅっ!」
牙が、右腕に突き立つ。毒の類だろうか、熱く、灼けるような痛みが、噛まれた部分から全身へと広がっていくのを感じる。
――そして、それだけだった。その牙は、向こうがどれほど力を入れてもそれ以上刺さらず、また、引き抜くことも出来ないようであった。
『――吹き飛べ……"風弾"!!』
その噛み付いてきた恐竜の首に、風を圧縮した魔法を押し当てると、身体ではなく首と胴体が千切れ飛び、そのままあっけなく絶命してしまった。
「痛てて、全く、最後の悪あがきって所か。けどまぁ、なんにせよ――『あなたたちが、無事でよかった』」
腕に喰い付いたまま残ってしまった頭部を外しながら、彼女たちの方へ振り返る。彼女たちは、再び襲われかけたことが怖かったのか、血の気の引いた面持ちでこちらを見ている。
『――はい。ありがとう、ございました。……身体の調子は、大丈夫ですか?』
『ああ、大丈夫だ。問題は、ない』
『そう、ですか……助けて頂いたこと、本当に、感謝しています』
『そうか。無事で、よかった――実は、あなたたちに、いくつか尋ねたいことがあるんだ』
『尋ねたいこと、ですか。――何を、知りたいのでしょうか……?』
それを聞き返してくる彼女の表情は、少し硬い。警戒されているのかもしれない。だが、それでも質問を続けた。
『――この世界のこと、あなたたちのこと。知っていることを、教えてほしい』
……俺が、俺たちが、この世界から、帰るために。
◆◆◆◆◆
それが、この世界の住人、森人との、出会いの始まりだった。