10 パワーオブリキュール
ダレイオスは動けないクリームヒルデを背負ってギンジロウとヤスケとともに宿まで戻ってきた。一人待機していたアステリオスはぐったりとしているクリームヒルデを目にすると慌てて駆けよってくるが、疲れているだけだとダレイオスに説明されて落ち着きを取り戻す。そしてダレイオスは彼に今回の作戦の顚末を告げた。
「……なるほどな。かなり厄介な状況になったみたいだな。全てはそのレイヴンという男をどうにかせねばならないということか」
「ああ。あの男は私の目から見てもかなりの実力者だ。正面から相手をすればまあ負けることはないが、クリームヒルデと同じ術を使うのならば一筋縄ではいかないだろう」
『アンブラ』はギンジロウを殺せば目的達成だ。態々ダレイオスと戦う必要はない。ダレイオスは確かに強いが、隠密に長けた実力者が隠れることに徹したとしても倒せるかと言われれば難しいと言わざるを得ない。レイヴンを何とかできるとすれば、それは同じ術を扱うクリームヒルデ以外にはいないだろう。
だが、肝心のクリームヒルデはレイヴンを前にしたときに戦意を喪失してしまった。彼女の辛い過去に関係しているのだろうが、そんな彼女に何とかしろと言うのも酷なことであった。
「となると、俺たちで何とかするしかねえってことか。幸い、相手の口ぶりから察するに今夜中にしかけてくるってことはなさそうだ。明日の夜までに何か手立てを見つけられれば……」
ヤスケはそう呟くが、対抗する手立てはさっぱり思いついていなかった。それは他の三人も同じだ。皆一様に頭を悩ませるが、『アンブラ』は未だ謎の多い組織だ。相手が扱う術に関する情報も何も無い。対抗策を練るのは難しいと言わざるを得なかった。
「くそ、とにかく私がギンジロウの側にずっとついているしかないか。それで守り切れればいいが……」
「……心配いりませんわ。あの男は私が討ち取ります」
突然相談に参加してきた声の方へ四人が視線を向けると、ベッドで眠っていたクリームヒルデがいつの間にか起き上がっていた。顔色は良くないが、言葉ははっきりしている。
『ヒルデ、大丈夫なの?』
「アレシャが大丈夫かと聞いているが」
「ええ、お見苦しいところをお見せしてしまいましたわ。突然のことに少し混乱してしまいました。ですが、もう心配いりませんわ」
クリームヒルデはそう言って小さく笑うが、誰がどう見ても強がっているようにしか思えなかった。さすがに黙っているわけにもいかず、アステリオスが諭すように語りかける。
「ヒルデちゃん。君の気持ちはよく分かるが、はっきり言って大丈夫だとは思えない。君はあの男と再び対峙したときに本当に戦えるか?」
「……勿論ですわ。私以外にはできないのですから」
クリームヒルデはそう答えるが、ギンジロウはやれやれと首を横に振る。
「嬢ちゃん、冒険者は依頼人の要望に応えるのが基本だよな?」
そこで突然ギンジロウがクリームヒルデに問いかけた。少しばかり戸惑いつつも彼女がその通りだと答えると、ギンジロウは満足げに頷きつつ何かを取り出して彼女の前に置いた。たぷんと音を立てるそれは、まごう事なき酒である。
「口の滑りが悪いなら酒の力を借りても構わねえ。嬢ちゃんの腹に抱えてるもん、全部吐き出してくれねえか。さっきからずっと自分の思いを隠そう隠そうとしてるだろう。それじゃ困るんだよ。だから、な?」
ギンジロウは笑みを浮かべて酒瓶をクリームヒルデに差し出すと、彼女は少し躊躇いつつもそれを受け取った。
「……そうですわね。依頼主の要望に応じないわけにはいきませんわ」
「ん?いや、別に酒を飲む必要は無いぞ?」
ヤスケがそう言うが、すでにクリームヒルデは瓶に口をつけ、一気に煽っていた。その豪快な飲みっぷりに四人は目を丸くする。ごきゅごきゅという、酒を飲むときにさせてはいけない音を立てながら瓶の半分を一気に飲み干すと、クリームヒルデは大きく息を吐いた。彼女の白い肌がみるみる朱に染まっていく。
「だ、大丈夫か?まさかそんなに飲むとは思わなくてよ……」
「大丈夫に決まってんだろ?あたしを誰だと思ってんだ」
クリームヒルデの身体から聞き覚えの無い声が発された。いや、声自体には聞き覚えはあるのだが、あまりにも普段の彼女からかけ離れた言葉は別人のものにしか思えなかったのだ。
「いや、大丈夫ではないだろう。待ってろ、水を……」
「大丈夫だって言ってんだろ!ったくよ」
「駄目だ、完全に目が据わってるぞ」
ヤスケが非難するような目でギンジロウの方を見ると、彼は申し訳なさそうに頭をかく。こうも思い切り酔っ払われてしまっては、まともに話をするのは難しそうだった。
「よし、お前らそこに座れ。今から語り合うぞ」
「え、話すのか?だ、大丈夫……か?」
「うるせえ!何回も何回も大丈夫大丈夫って聞いてんじゃねえよ!依頼人の要求には応えるもんだろ?いいから、四人ともそこに座れ」
有無を言わさぬ彼女の言葉に従い、彼らは椅子に腰掛ける。心の内を語ってくれるというのは望んでいたことであるのだが、所謂「これじゃない感」というものがダレイオスの中に渦巻いていた。こんな酔っ払いに絡まれるような形で心中を打ち明けられるとは誰が予想しただろうか。クリームヒルデはもう一度瓶を煽ってから話し始める。
「びっくりしたか?これがあたしの本性ってわけじゃないが、昔のあたしはこんな感じだったんだよ。『アンブラ』にとっ捕まって、そこで過ごしていた間のことだ。ランドルフと暮らすようになってからはあいつに『もう少し女らしく』って言われて自然と矯正されていったんだが、酒飲むと昔が出ちまうんだな。自分でも驚きの発見だよ」
『矯正というよりも人格が変わったレベルなんだけど……まあ、いいや。何も言うまい』
アレシャの呟きにダレイオスも同意を返す。クリームヒルデはそれに軽く笑いをこぼすと、また酒を一口飲む。そして一つ息を吐いて四人に正面から向き合い、打って変わって静かに話し始める。
「正直に言うよ。あたしはあの男が、レイヴンが怖い。怖くて仕方がない。あの男はあたしの教育係だった。言ってしまえば、あたしの忘れたい過去、トラウマそのものなんだよ」
「お前の戦闘技術も全てあいつから教え込まれたということか?」
「ああ。それ以外にも色々とだけどな。つまり、望んだ関係ではないが、あいつは私の師匠ってことになる。間違いなく、あたしより強い。……ただでさえあいつの前じゃブルッちまうっていうのに、正面切って戦える気がしねえよ」
クリームヒルデは自嘲するように笑う。その場にいる誰も、彼女の心の傷のほどを知ることはできない。「戦え」なんて無責任な言葉をかけることはできるはずもなかった。だが四人がどう思っているのかをクリームヒルデは察し、そのまま続ける。
「分かってるよ。あたしにレイヴンと戦って欲しいんだろ?あたしがやるしかないってのは分かってるんだよ。だからさっきも言っただろ。あたしがあいつを討ち取る。差し違えてもな」
そして彼女は拳を強く握りしめた。こんな彼女に「わかった、頼んだ」なんて言えるわけがない。しかし、彼女の心の内を知ることはできた。ならば彼女を支えてやることもできるとアレシャは思う。しかし彼女の肉体は彼女の意志と反する言葉を吐く。
「悪いが、お前を戦いに加えるわけにはいかんな。レイヴンと遭遇したときにこの前のように怯えられては足手まといだ。影にでも隠れてじっとしていてくれ」
『ちょ、ちょっとダレイオスさん!そんな言い方……!』
アレシャは抗議の声を上げるが、ダレイオスはそれを無視してクリームヒルデを真っ直ぐに見据えた。クリームヒルデは何か言おうとするが、言い返すことができずに黙り込んでしまう。
「なんだ?言いたいことがあるならはっきり言え」
「……いや、ダレイオスの言う通りだよ。今のあたしはただのお荷物だ。大人しくここで待ってることにするよ」
「違う。私は言いたいことがあるなら言えと言ったんだ。そんな迎合の言葉が聞きたいんじゃない。お前の本音を言え」
ダレイオスはなおも強い語調で話つづける。クリームヒルデはそれに少したじろぐも、口を真一文字に結ぶとキッとダレイオスを睨みつけた。
「……お前の言うことはもっともだよ。だけど、あたしは自分の手であいつを討ち取りたい!『アンブラ』であったことはずっとあたしの後ろをついて回ってきた。どこかでそれを断ち切らなきゃいけないんだよ。そのまたとないチャンスが今巡ってきてるんだ。それがあたしのエゴだって分かってる。けど、指をくわえて見てるなんてできるかよ!」
「だがお前は戦えないだろう?」
「ああ、そうだよ。自分の憎い相手を目にしただけで竦みあがっちまうような情けないやつさ、あたしは。だがそれでもやらなきゃいけないんだ!」
「それで、どうする?お前じゃレイヴンに勝てないんだろう?」
「それは……。でも、さっき戦意喪失しちまったのは突然の遭遇だったからだ。もうあたしの気持ちは固まった。あんな無様は二度と晒さない。勝てる勝てないなんか関係なく、あたしはやる!」
「……五十点だな」
ダレイオスがいきなりそう呟いた。意味が分からず、誰もがぽかんと口を開けているが、ダレイオスはいつの間にか立ち上がっていたクリームヒルデにピッと指を突きつけた。
「今度こそお前の腹の内は分かった。お前の覚悟の程も理解できた。その熱い気持ちは素晴らしいものだ。だが、さっきからお前は“勝つ”と一度も口にしていない。だから、五十点だ」
ピシャリとそう告げてからダレイオスはクリームヒルデの酒瓶を奪い取ると、グビッと勢いよく煽った。そして瓶を机に机に叩きつけるように置き、立ち上がる。
「やるなら勝て!負けるならお前はここで留守番だ!お前は勝てるのか、どうなんだ!」
「え、えっと、ひ、引き分けは……」
「引き分け?引き分け……も留守番だ!勝つ以外認めん!どうなんだ!」
そしてダレイオスは酒を更に煽る。この異様な状況をギンジロウ以下三人は黙って見守るしかなかった。ヤスケの「なんだこれ」という呟きが彼らの心境を如実に表していた。
ダレイオスに指を鋭く突きつけられたクリームヒルデは少し考えてから指を突きつけ返す。
「なら、勝ってやるよ!あたしの力であのおっさんを叩きつぶしてやる!」
「七十五点!お前一人で勝てるなどと思うな!私も、アレシャも、アステリオスも、そこの鍛冶屋親子も、お前が助けを求めれば喜んで力を貸してやる!ガザで言っただろう、『持てる力を尽くす』と!」
ダレイオスは「どうなんだ」とクリームヒルデに問う。クリームヒルデはその問いに少しだけ考える素振りを見せると、ダレイオスの持つ酒を奪い返して、また大きく煽った。ついに空になった酒瓶が割れるのではないかという力でテーブルに叩きつけられる。そして彼女は四人を見渡すと、深々と頭を下げた。
「ごめん。自分から協力を頼んだのに、自分勝手に進もうとしてた。あいつの姿を見て何か見失ってた。あたしは、肝心なところで戦いを放棄してしまうような弱いやつだ。けど、あいつ、レイヴンだけは何としても討ち取りたい。だから、あたしはあの男に勝たなきゃいけない。そのためにみんなの力を貸してくれ」
ダレイオスはその言葉にようやく満足して頷く。黙って成り行きを見守っていたギンジロウたちも「ようやくか」と苦笑した。顔を上げたクリームヒルデもつられて苦笑してしまう。しかし、クリームヒルデの心は不思議と清々しいものだった。
ずっと自分の過去を押し隠していた彼女にとって、心の内を全部吐き出したのは初めての経験だった。自分のことを受け入れてくれたアレシャたちにも心のどこかで線引きをしていたのかもしれない。これで彼女のトラウマが払拭されたわけではない。しかし、自分の心を支えてくれる人たちの存在は、きっと彼女を立ち上がらせてくれるだろう。
「さて、存分に騒いだところで寝るか。明日以降、やつらがどう仕掛けてくるか分かりゃしねえからな」
「騒いだのは親父の酒が原因なわけだが……」
ヤスケが呆れた表情を浮かべたそのとき、ガタンという大きな音がした。ヤスケとアステリオスは咄嗟に構えるが、その音の主は地面に倒れ伏した二人の少女だった。すーすーと安らかな寝息を立てている。酩酊からの泥酔コンボだ。起こしてやるのも可愛そうだということで二人をベッドに寝かせ、ヤスケとアステリオスの二人が交代で不寝番をすることとなった。
今夜の作戦は失敗だった。ギンジロウたちにはもう後が無い。しかしギンジロウには、この冒険者たちなら自分の身を守り通してくれるという不思議な安心感があった。仲間のために仲間を怒鳴れる人間は本当に強い人間だ、というのは彼の持論である。
街の名前を間違えていたので、バルバロス→ガザに修正しました。情けない……。




