5 クリームヒルデとアンブラ
その日はアレクサンドリアからの旅の疲れを癒やすためにガザで一泊することにした。アレシャがギンジロウ宅の一室を借りて就寝の準備をする。そうしつつもアレシャはある人物を待ち続けていた。そしてその待ち人がやってくる。部屋のドアがゆっくりと開き、そこから黒髪の少女がひょっこりと顔を出した。
「あ、クリームヒルデちゃん!お帰り!」
「は、はい。ご心配お掛けいたしましたわ」
いそいそと部屋に入ってきたクリームヒルデはすとんとベッドに腰掛け、アレシャにちょいちょいと手招きをした。それに応じてアレシャはクリームヒルデのすぐ横に座った。
「その、聞いていただきたいことがあるのですわ。私の昔の話についてです」
「うん。……聞かせて」
どこか緊張した面持ちのクリームヒルデを安心ができるよう、優しい声音でアレシャは話しかけた。その心遣いを感じたクリームヒルデは小さく笑ってからゆっくりと話し始める。
「もうお気づきだと思いますが、私はかつて『アンブラ』に所属していました。私の使っている術も、そのときに身につけたものですわ」
「やっぱり、そうなんだ」
「……これまで黙っていて申し訳ありません。私は、元々は犯罪者の一味なのですわ」
クリームヒルデはアレシャに深々と頭を下げる。アレシャはその頭をぽんぽんと軽く叩く。
「いいよ、そんなこと。『アンブラ』の話をするときのヒルデちゃん、凄い苦しそうだったし、何か事情があるんでしょ?」
「アレシャさん……ありがとうございます」
クリームヒルデはもう一度頭を下げる。アレシャの言葉で彼女はようやく心を落ち着けることができた。真実を話したことでアレシャに見放されたりしないだろうかとずっと不安だったのだ。詳しい話を聞いてもいいかとアレシャが尋ね、クリームヒルデは「勿論」と了承する。
「私は、商人の子でした。幼い頃の記憶なので余り覚えてはいないのですが、両親は優しい人だったと思います」
「思う……?ご両親は?」
「既に他界しましたわ。『アンブラ』に殺されたのです」
アレシャは絶句してしまう。それはつまり、クリームヒルデが両親の仇とともに行動していたということに他ならない。想像以上に込み入った事情がありそうだ。アレシャは聞きに徹することにし、クリームヒルデは話を続ける。
「私が三歳か四歳のころですわ。『アンブラ』に『私の両親を殺して欲しい』という依頼が持ち込まれたそうです。依頼人が誰かは分かりませんが、大方商売敵というところでしょう。『アンブラ』は情報を漏らさないことを第一に行動します。なので、両親と一緒に私も当然その場で殺されるはずでした。しかし、私はその年頃では珍しく魔術を扱うことができ、『アンブラ』相手に応戦したのです。それが彼らの目に留まりました。『こいつは使える』と」
「それで、ヒルデちゃんはそいつらに連れて行かれた……」
クリームヒルデはアレシャに頷きを返す。
彼女はそれから男たちによって見知らぬ場所へ連れて行かれたのだと言う。外の光の一切を目にすることができない場所。クリームヒルデはそこに監禁され、『アンブラ』の仕事に必要なあらゆる技術を教え込まれたのだ。
「逃げようとは思いませんでしたわ。そんなことをすれば殺されるのは目に見えていましたから。私はとにかく奴らの言いなりになるしかなかったのです。ただ必死に、どんなことでもやりましたわ」
『少女を捕らえて人形扱いか。全くもって胸くそ悪い話だな』
ダレイオスが吐き捨てるようにそう言う。アレシャも彼女の話に険しい表情を見せていた。だが、クリームヒルデは今こうして自由を得ている。彼女がそれを手にする転機が訪れることになったのだ。
「『アンブラ』に捕まって何年か経って私が戦闘の技術をある程度身につけたとき、私は『アンブラ』の仕事に連れ出されるようになりましたわ。脅迫、窃盗、殺人。私自身が手を下すことはありませんでしたが、あらゆる非道な行いの手助けを行うようになったのです。そんな中、ある男を殺して欲しいという依頼が届きました。アレシャさんもよく知る人物ですよ」
「え、それほんと!?だ、誰なの……?」
「ハンター商会会長、『鉄血』のランドルフですわ」
アレシャの口があんぐりと開く。ランドルフからそんな話を聞いたことは一度もなかったからだ。しかし商会長という立場上、そういうことがあってもおかしくないと思い直す。そして今度会ったときはもう少しねぎらってあげようかとも考えた。
ランドルフの暗殺の依頼人は、商会の運営資金を横領していた幹部だったとのことだ。以前商会本部で襲撃事件があったときに“死人”によって殺されてしまった、あの男たちのことだろう。そのときランドルフは新たに商会長となったばかりだったが、前会長と違って真面目に仕事をこなす彼に横領がバレてしまうのを恐れたのだそうだ。『アンブラ』は依頼を遂行するため、いつも通り影に潜みランドルフの元に忍び込んだが、商会長の実力は彼らの想定を上回っていた。
「ランドルフ様には死角からの攻撃も通用せず、襲撃者のことごとくを叩き伏せたのです。その鬼神のような強さに『アンブラ』はすぐさま逃げに徹しましたわ。しかし経験の浅い私は逃走に失敗し、ランドルフ様に捕まってしまいました。そのとき私は死を覚悟しましたが、ランドルフ様はそんなことをなさる方ではありませんでした」
「うん……そうだね。ランドルフおじさんは多分ヒルデちゃんを助けてくれたんじゃない?」
その問いかけに、クリームヒルデは嬉しそうに微笑みを返した。この出会いこそ、自分の運命を変えることになったのだと彼女は話す。
「そのときの私は相当ひどい顔をしていたそうですわ。『女の子がそんな顔をするもんじゃない』とランドルフさんはおっしゃり、それから私を本物の娘のように育ててくださったのです。本当に感謝してもしきれませんわ。せめてもの恩返しができないかと思い、私は冒険者になったのです。まさかAランクになれるとは思っていませんでしたが」
『なるほどな。納得できた、が……』
「うん。こんな言葉でいいのかは分からないけど、本当に大変だったんだね。……ごめんね、辛いことを思い出させて」
「いえ、構いませんわ。いつかアレシャさんには聞いて貰いたかったことですし」
クリームヒルデは努めて気丈に振る舞うが、彼女の拳は強く握られていた。その身体は僅かに震えている。アレシャはクリームヒルデの身体を温めるようにそっと抱きしめた。そして、『アンブラ』の連中への怒りが己の内に募っていくのを感じる。気づかぬ内にアレシャも歯をきつく食いしばっていた。
「ダレイオスさん、もしかするとヒルデちゃんの他にも同じような目に遭っている人がいるかもしれないよね」
『ああ。寧ろ公に知られていない組織である以上、そうやって構成員を増やしているのかもしれんな』
「……ほんと、ふざけた連中だよ」
アレシャが不快さを隠すことなく呟き、クリームヒルデもそれに頷きを返した。少しずつ落ち着きを取り戻してきた彼女はもう大丈夫だとアレシャに伝え、再びアレシャに向き直る。
「アレシャさん。私は今回の一件の中で『アンブラ』の尻尾を掴もうと考えています。私が離反してから初めての、やつらへ近づく機会なのです。しかし、私一人の力では限界があります。だから……」
「わかってるよ。勿論、わたしも協力する。ね、ダレイオスさん」
『当然だ。そんな外道の存在を知りつつ放っておくことは私にはできない。持てる力を尽くさせて貰おう』
ダレイオスも賛同しているとアレシャがクリームヒルデに伝えると、クリームヒルデは三たび頭を下げ、絞り出すように「ありがとう」と口にした。俯いた彼女の瞳から滴る涙がベッドを濡らす。心優しいクリームヒルデにとって、犯罪者の一味として多くの不幸を生み出したことは深い傷跡となっていた。自分は悪人だ、許されてはいけないのだという自覚が彼女を縛り付けていた。ランドルフはクリームヒルデにいつも「お前に罪は無い」と言い聞かせていたが、彼女はどうしてもそう思うことができなかった。だから彼女は自分の過去を誰にも話したことは無かった。
しかし、初めて過去を告白した相手である少女は当然のように自分を受け入れ、協力を約束してくれた。このときクリームヒルデは初めて「自分は許されても良いのかもしれない」と思うことができたのだ。そんな喜びが、つい涙として漏れ出してしまう。突然泣き出してしまった自分に慌てふためく目の前の少女だけは絶対に信じ抜こう、とクリームヒルデは誓った。
「申し訳ありません、もう大丈夫ですわ」
「え、え、大丈夫?わ、わたしのせいなの?」
「ふふ、そうかもしれませんわね」
「ええ!?」
驚きつつ、なおも慌てふためきつつ、ぺこぺこと謝るアレシャに姿にクリームヒルデはつい噴き出してしまう。冗談だと告げるとアレシャはほっとした様子で笑顔を見せた。クリームヒルデはそれからアレシャに何か言おうとするが、少し躊躇いがあるようでもじもじとし始める。アレシャもそれに気づき、小さく首をかしげた。
「どうしたの?何かあるなら何でも聞くけど」
「はい、えっと、その……アレシャ、って呼び捨てにしても構いませんか?」
「っぉ!」
上目遣いで恥ずかしそうに呟いたクリームヒルデに、そっちの気がないアレシャもグラリときてしまう。頬を軽くはたいて気を取り直し、アレシャは大きく頷いた。
「勿論!それじゃあ、私もヒルデ、って呼ぶね。これからもよろしく!」
「はい!」
クリームヒルデはようやく晴れやかな笑顔を見せることができた。
街の名前を間違えていたので、バルバロス→ガザに修正しました。情けない……。




