79 VS蛇
黒い触手が鞭のようにしなりヘルマンへ襲いかかるが、それは光とともに消滅する。ヘルマンが先ほど出現させた白い壁は縮小され、今は盾ほどの大きさへ変わっていた。取り回しやすくなったそれを巧みに操り、ヘルマンは触手を無力化していく。
「ヴェロニカさん、攻めは任せました!」
「了解したわ!」
ヴェロニカが勢いよくローブを脱ぎ捨てる。そして、彼女の肌に赤い紋様が浮かび上がっていった。『黄金の魔物』と戦った際に見せた、魔力強化の魔法陣だ。
その手には拳ほどの大きさの火球が次々と出現していく。
「一発でも当たれば重傷よ?『隕火』!」
火球がヴェロニカの手を離れ、アングイスへ向けて一斉に発射される。だが、今度はアングイスの反応が早かった。触手を自分の元へ引き戻し、盾状に展開することで火球を防ごうとする。
「そうはさせるか!『白光槍』!」
ヘルマンが白い盾に自分の手めり込ませ、そこから一本の槍を引き抜いた。そして、投げ槍の要領でそれをアングイスへ力一杯放り投げる。鋭く飛んだ槍はアングイスの黒い盾に突き刺さり、それごと霧散し消滅した。
守りが失われたところにヴェロニカの火球が飛び込む。凄まじい熱と速度を持った火球は容赦なくアングイスの身体を貫いた。
しかし、先ほどと同じだった。アングイスの傷は闇によって塞がってしまう。もはや、彼の身体の半分は漆黒に染まっていた。
「ははははは!本当に良い子だ。ワタシを助けようとしてくれるんだな。本当に可愛い子だ……」
アングイスはそう言って再び高笑いすると、もう一度触手を伸ばしヘルマンへ攻撃をしかける。ヘルマンは盾を壁の大きさに戻し、その攻撃を防いだ。
自在に形を変えるヘルマンの魔術を見て、アングイスは顔をしかめる。
「お前のその術、なんなんだ。まるでウチの子みたいな動きをしやがって……」
「ウチの子って……。だが、その考えは間違っていないぞ。悔しいがお前の魔術の形状変化の仕組みは中々興味深いものだったからな。お前のものを参考に俺なりに作り上げてみた」
その言葉を聞いたアングイスの表情がガラリと変わる。どうやら怒っているらしかった。先ほどから笑ったり怒ったり忙しいやつだとヘルマンは思う。
そんな風に思われてるとも知らずにアングイスが怒鳴り散らす。
「ふざけるな、きぃさま!そんな、汚い術を、ワタ、ワタシの魔術に似せようとするなど……!」
「御託はいい。お前が本物だと主張したいならかかってくればいい」
ヘルマンがアングイスに向けて挑発するように指を動かす。ブチッという音が確かにした。アングイスが怒りの表情のままニタリと笑い、更に大量の触手が現れた。
「はは、はははははははははは!ならお望み通り死ね!死ね!死ねえええ!」
アングイスの絶叫を合図に触手が襲い来る。しかし、その動きはただ直線的に突っ込んでくるだけのものだった。そして、ヘルマンの壁の前にはそれも全て無力だった。以前は他の魔術を併用するなどして攻め方にも工夫を凝らしていたのだが、そんなことをしようと考えている気配もなかった。もはやアングイスからは、冷静な思考も判断力も何もかも欠如してしまっていた。そんな男が二人にとって強敵となり得ることはない。
「もう駄目ね、あの男は。完全に禁術に飲まれてしまってるわ」
「禁術などくだらないものに手を出すからだ。傷も、塞がってはいるが治ってはいない。放っておいても直に自滅するでしょう。だが、これ以上こいつに構ってやる必要も無い。ヴェロニカさん、ここは俺に任せてください」
「わかったわ。よろしく頼むわね」
ヘルマンはその言葉に頷き、白い壁に手を触れる。
すると壁はみるみるうちに形を変え、三本の巨大な槍に変形した。
防御壁が消え、アングイスはしめたとばかりに触手をけしかけた。それに臆することなく、ヘルマンは大槍の標準をアングイスへ定める。
「『白光巨槍』」
三本の大槍が勢いよく発射された。光り輝く軌道を描きながらアングイスへ向けて一直線に飛ぶ。
「そんなものぉ、撃ち落とせえ!」
アングイスの叫びに呼応して黒い触手が槍へ向かって伸びる。しかし槍へ近づいたその瞬間、触手は触れることも敵わずに霧散した。まるで対抗することができていない。
「くそ!なんなんだ!ワタシを、ワタシを守れ!」
アングイスが再び叫ぶと、残った触手が彼の元に集まり、大きな壁となった。当然、そんなものは意味が無い。禁術と、対禁術のための魔術。相性は歴然だ。大槍が黒い壁に突き刺さると壁全体に大きな亀裂が走り、あっという間に砕け散った。アングイスを守るものはもう何も無い。
情けない声をあげて逃げ惑うアングイスの身体を大槍の一本が貫き奪い取る。どちゃっという音がして、アングイスはその場に倒れた。アングイスは胴体の半分が欠損し、切れかけた手足が辛うじてくっついているだけだった。間違いなく死んだだろうと思いヘルマンがアングイスへ歩み寄る。そのとき、アングイスがユラリと立ち上がった。それには二人も驚きを隠せない。
「まさか、これで生きてるのか?冗談だろう?」
「見て。またあの黒い触手が……」
血にまみれ、生気を感じない顔色をしたアングイスの身体に黒が纏わり付いていく。アングイスはそんな自分の姿を見て高笑いする。
「はははははははははははは!そうだ、いい子だぁ……。いいぞぉ……。ワタシの傷を……」
メキョッという不快な音がした。
辛うじて残っていたアングイスの左腕がありえない方向にひしゃげていた。次いでアングイスの脚がへし折れる。腕も脚もアングイスの身体の内側に引き寄せられるような形で変形していた。
アングイスから笑顔が消え去る。
「なんだ、これは。お前、何をした!」
アングイスがヘルマンに向けて叫ぶが、勿論ヘルマンがしたことではない。彼も何が起きているのか理解できなかった。
困惑している間にも、アングイスの身体は奇怪な音を立てて変形していく。彼の身体はすでに人間の形をしておらず、黒と肉が混じり合った団子状になっていた。
「あ、あぁあ、助けてくれ、死に、死にたくない、いや、そうだ、ワタシには、ワタシには、ワタシにはあれが、あの子が、あの子がいるんだ、は、ははは!そうだ、ワタシにはあの子が、ワタシには、ワタシには、助け、早く、助け!助けぇえええ!」
何かが砕けて潰れた音が聞こえ、アングイスの姿は完全に黒に飲み込まれた。そして、その場には漆黒の球体が鎮座していた。
二人はただただ困惑するしかなかったが、確信を持って言えるのはアングイスが自分の魔術によって死んだということだ。アングイスの想定していなかった何かが彼を飲み込んだのだ。
「やはり、禁術など碌でもないものでしかないな。あいつには相応しい最期だろう」
ヘルマンはそう言って一息つく。
戦いは一旦の幕引きとなった。となると、ダレイオスの元へ向かうべきなのだろうが、二人が気になるのは目の前の球体だ。この色や雰囲気からして、アングイスの用いていた『冥界術式』と関わりのあるものなのは間違いない。放置しておくには危険すぎる代物だ。
禁術の知識があるヘルマンが検分するために歩み寄る。
「どうかしら、ヘルマンさん」
「詳しいことは分かりませんが、この魔術は未だ発動状態にあるようですね。何か動きを見せる前に駆除してしまうのが賢明でしょう」
そう言ってヘルマンが魔法陣を展開し、その手に白い光を宿す。そして、黒い球体に触れた。
これまでなら、その白い光に触れた対象は光の粒になって霧散していた。しかし、今回のものは明らかに異質だった。黒い球体は消え去るどころか白い光を侵食し黒く染め始めたのだ。
ヘルマンは何かを吸い取られるような感覚に襲われ、咄嗟に手を引っ込める。しかし、身体がふらつきヘルマンはその場に膝をついた。
ヴェロニカが慌ててかけよる。
「ヘルマンさん、大丈夫!?」
「ええ。あれに触れた途端、なんだか身体から生気が抜けたような感覚がして……」
そう言ってヘルマンが自分の右手を軽く握ろうとする。が、彼の手はそれに応えない。彼の右手は黒く変色し、前腕に力なく繋がっているだけだった。
その光景にヘルマンは青ざめる。それに左手で触れてみるも、何も感じなかった。動かないどころか、右手からは感覚さえも失われていたのだ。ヴェロニカもそれに気づき、慌てて治療魔術かけるが、効果はない。そのとき、ヴェロニカは自分の持ち物が異常な動きをしていることに気づいた。それは、スギライトのペンダントだ。人の生命エネルギーを感知し、その減少量によって振動の大きさが変化するというものだが、それがヘルマンの右手にとても大きく反応していたのだ。
「ヘルマンさん。どうやら、あなたの右腕から生命エネルギーが失われているみたいだわ。いえ、吸い取られたという方が正しいのかしら」
「吸い取られた、か……」
二人は鎮座する球体に視線を向ける。それは一切の動きを見せること無く浮遊していた。 “死人”というイレギュラーな存在を除き、生命エネルギーを失った人間が生き続けることなどできない。その生命エネルギーを吸収するこの球体は、間違いなく放置できるものではなかった。しかしヘルマンの対禁術の魔術が通用しないとなると、二人に対抗手段は存在しない。
「仕方ない、ここは一旦引くしかないわ。ダレイオスちゃんやヘルマンさんの上司の緑のおばさまならなんとかできるしかもしれない。ヘルマンさんの手のこともね」
「そうですね……。すみません、俺の力が及ばないばかりに」
「そういうネガティブな発言はあんまり好きじゃないわよ?」
ヘルマンが瞬時に口を閉じた。分かりやすい男である。
二人が踵を返し地下通路へと向かおうとしたそのとき、視界の隅に黒いニョロリとした何かを捉えた。先ほどの戦いの経験による条件反射でヴェロニカはヘルマンを抱きかかえ転がる。そして次の瞬間、何かが地下通路の入り口へ突撃をかまし、そこを瓦礫の山へ変えていた。
ヴェロニカに抱かれている状況であるのに、ヘルマンには鼻の下を伸ばす余裕すらなかった。その何かは他でもない、漆黒の球体そのものであったからだ。いや、すでにそれは球体をしていなかった。全身が余すところなく黒に染まった大蛇。それが今のそれの姿だった。大蛇は鈍く光る赤い瞳で二人を見据えていた。
「これは、無理かもしれませんね」
「そう言わないでよ。私、ヘルマンさんと心中したくはないわ」
ヘルマンの意識が少し遠のいた。




