69 幕開け
アレシャは訓練場へと向かっていた。
その途次、商会の本部に数多くの冒険者が集まっているのが目に入る。戦いの時が迫っている実感が沸き始め、アレシャは心臓をぎゅっと掴まれたような感覚がした。
『大丈夫か?緊張しているようだが』
「確かに緊張してるけど、大丈夫。もう前の私じゃないから!な、ないから」
『ふっ、そうか。前は冒険者の試験を受けるだけでガチガチになっていたというのに、人は変わるもんだな。ふははは!』
ダレイオスが軽く笑い飛ばすが、やはりなおもアレシャの表情は硬い。こんなときは身体を動かすべきだと考えたダレイオスは、訓練場へ向かう足を急がせる。
訓練場では冒険者たちが鍛錬に精を出していた。気合いの入った声がいたるところから上がっている。
しかし部屋に入ってきたアレシャの姿を見た瞬間、それはざわざわと噂話をする声にかわった。何事かと戸惑っていると、冒険者達はそそくさと訓練場に後にしていき、そこにはアレシャ一人が残された。
「え、何これ。これ……何?」
『……お前、何かしたのか?』
「いや、何もしてないって!」
「何もしていないわけがないだろう」
アレシャの背後から声がした。アステリオスの声だ。その後ろから他の仲間達もやってくる。
ただ、アレシャはその何かに心当たりがないようだった。不思議そうに首をかしげると、アステリオスがため息をついた。
「この前クリームヒルデと一緒に特訓をしたとき、ここを半壊させたことを忘れたとは言わせんぞ」
「あっ」
色々と悩んでいたときのことだったので、アレシャは綺麗さっぱり忘れてしまっていた。滝のような汗が流れ落ちる。
今度は仲間たち全員でため息をついた。
「あの日、アレシャちゃんに声をかけるのはさすがに躊躇われたからな。商会にはわたしが代わりに謝っておいた。そして修理を手伝うことを条件になんとか許して貰った」
「でも、その後アレシャちゃん部屋に戻ってきてすぐに眠っちゃったから、私たちが総出で修理にあたったのよ」
「というか、あれからも訓練場を利用していたのに気づかなかったのか……」
アレシャはもう仲間達を直視することができなかった。ただ流れる汗がしょっぱかった。
『お前、糾弾されること多くないか?』
「うぐっ」
「まあ、そんなわけでアレシャちゃんが訓練場を半壊させたっていう噂が結構広まってですね。ここにいては命が幾つあっても足りねえってことで、さっきの冒険者達は退散したんでしょうね。大丈夫!私はそんなアレシャちゃんも好きですから!」
低い呻き越えをあげながら、ついにアレシャは地面に倒れ伏した。
メリッサがすぐさま駆けより、他の三人も呆れながらもアレシャに声をかけていく。
アレシャにとって中々に厳しい状況であるが、その表情からは先ほどの堅さはなくなっていた。
『……確かにそうだな。もう前のお前じゃないようだ』
ダレイオスは嬉しそうに笑った。
汗でびっしょりのアレシャが励ましの言葉でなんとか復活したとき、訓練場にまた別の人物か入ってきた。ランドルフだ。ポケットに手を突っ込みながら五人へ手を振る。
「よう、ここにいたか」
「あれ、どうしたのおじさん」
「ちょいと重要な話があってな。お前ら全員に話だ」
五人はすぐに真面目に話を聞く姿勢になり、ランドルフも真面目な面持ちで話す。
「冒険者もかなりの数が集まった。そこで、おまえらも動いて貰いたい」
「動く、それって戦うってことですか?」
メリッサが尋ねるが、ランドルフは首を横に振った。
「それはオズワルドたちの偵察が終わってからだ。まだ連絡待ちだ」
オズワルドらのペルセポリス偵察隊は、会議のあった日の夜に商会本部を発っていた。クリームヒルデの術を使えば、夜の闇や影に紛れることができるからだそうだ。
しかし、まだ三人からの通信は入っていない。敵の居場所はまだ確定していない状況だ。
ならばどういう意味かとヴェロニカが問うと、ランドルフは一枚のメモを懐から取り出し、ヴェロニカに手渡した。
「お前達五人はこれからそのメモの場所へ向かってくれ。セイフとブケファロスも連れてな」
「ここは……どこですか?」
ヴェロニカは首をかしげ、同じようにメモを見た四人も首をかしげた。
メモに書かれていた場所はヴォルムスから遠く離れた土地のようだが、誰にもなじみのない場所だった。誰もこのメモを頼りにたどり着くことができる自信がない。
そんな困惑を感じとったランドルフが説明を加える。
「わからないのも当然だ。そこには捨てられた屋敷があるだけだからな。場所はセイフが詳しく知っているから心配するな。お前らは今後そこを拠点に行動してくれ」
「理由を聞いても良いですか?」
「簡単な話だ。街のど真ん中にある商会を拠点にはできない。敵が攻め込んでくれば、街の住民に被害が及んでしまうからだ。他の冒険者たちも同様に、郊外の拠点に散って貰うことになっている。ただ、お前らはダレイオスっていう事情があるから他の冒険者からも離れた場所に待機してもらう。それがそこだ」
ランドルフの話に五人は納得する。
商会本部のあるヴォルムスの街は高い軍事力を誇るラインデルク帝国の首都だ。この街には“死人”も攻め込みにくいはずだ。しかし、攻め込まれないというわけでもない。人々の安全を第一に考えれば、ランドルフの判断は妥当だと言えた。
となれば早速出発の準備をしなければと、アレシャたちはランドルフに挨拶してから訓練場を後にした。
部屋にはセイフとブケファロスが訪ねてきていた。既にランドルフから話は通っていたらしい。ヴェロニカがセイフにランドルフから預かったメモを見せる。
「ここを拠点にしろと言うことだけど、あなたなら場所がわかるってランドルフさんはおっしゃっていたわ。本当?」
「ああ、分かるぞ。前にこのあたりで依頼を受けたときに見たことがある。俺たち二人も同行するということでいいんだよな?」
アレシャが頷き、よろしくの意をこめて手を差し出す。セイフはそれをしっかりと握った。
「まあ、知らない仲ではないだろうし、よろしく頼む。ただ、ブケファロスと共に行動するのは初めてじゃないのか?」
「そういえばそうですね。その小生意気そうな彼のこと私、よく知りません」
メリッサにそう言われブケファロスが睨む。メリッサは可愛い者と目上の者意外には手厳しい発言をとることが多い。それが気に食わなかったようだ。
険悪なムードになる前にアレシャが慌てて間に割って入り、代わりに紹介することにした。
「えっと、ブケファロスさんはいい人だよ。嘘がつけないタイプみたいだから害もないし、強さは折り紙付きだし。なんてったってムセイオンの外壁すら切り崩すくらいだし」
「ん、ムセイオン?」
ヘルマンがその言葉に反応を示す。明らかに失言である。
ブケファロスは何か不穏なものを感じ、急いでアレシャの口を塞ごうとするが、時既に遅し。
「え、いや、別に何もないよ。ムセイオンに侵入したとかないし。ほら、『英雄』の末裔がそんな悪事に手を染めるわけないじゃん!ね?」
慌てて誤魔化そうとしたアレシャの口から情報がぽろぽろとこぼれ落ちた。
そして、パキッという音がした。
それはは空気が凍った音なのか、それともブケファロスが拳をならしたことによる音なのか。
数瞬遅れてアレシャも自分が何を口にしたのかを自覚し、その場に黙って正座した。
「全く、こいつはやらかしてくれるな。お前らも苦労してるんじゃないか?」
「ええ。それはもう。良い子なんだけどね……」
ブケファロスが尋ねる、メリッサは力一杯の肯定を返した。
頭にデカいこぶを作って地面に伏せるアレシャを見下ろしながら、誰もがため息をつく。
「まあ、こいつが色々言ったが、俺は『英雄』の末裔だ。口外はしないでくれると助かる。というかするな」
「それは構わないが、詳しく話してはくれないのか?」
「……それは企業秘密だ。まあ、話す気になったら話すよ」
ヘルマンはそれでも詳しく聞きたくなるが、さすがに自重した。
なんだがグダグダなものになったが、とりあえずの自己紹介は終えたということで拠点の移動についての話題に移る。
セイフによると、メモに書かれた館はラインデルク帝国の山中にあり、転移魔法陣を使ってもそれなりの日数がかかるらしい。
だが、必要なものはランドルフが用意してくれたので今すぐにでも出発できると言うことだ。
ならば事が起こる前に拠点を構えるべきだということで、一行は早速商会を発つことにした。
アレシャはまだ倒れたままなので、ダレイオスと交代し行動を開始する。
まずはランドルフに一声かけようと商会長の執務室に七人が向かおうとしたそのとき、部屋の扉が勢いよく開け放たれた。
「お前ら、準備はできているか!今すぐ出発してくれ!」
飛び込んできたのはランドルフだ。その顔には明らかな焦りの色が浮かんでいる。
「ど、どうしたんですか?」
「詳しい話は後で通信する。とにかく今は館へ向かってくれ。ここにも現れるかもしれない。とりあえず俺についてきてくれ」
いつのまにか状況が大きく動いていたようだ。ここは素直にランドルフに従うしかなかった。ランドルフは早足で廊下を歩き、階段を駆け下りていく。どうやら地下へ向かっているようだった。そして人気の無い通路の突き当たりで立ち止まる。そこの壁の煉瓦を一つどけると鍵穴が現れ、解錠するとそこには一つの薄暗い小部屋があった。物がほとんど無い殺風景な部屋であったが、部屋の中央に描かれたものには全員見覚えがあった。
「これは、転移魔法陣か!国が管理している以外のものの存在は許されていないはずですが……」
「俺の先代か先々代か、まあどいつか忘れたが、かつての商会長がラインデルク帝国から特別に許可を得て設置させたらしい。一部の者しか知らないし使えないものだがな。これで転移していけ」
「了解しました。助かります」
「おう。っとその前に、セイフに預けた荷物の中にローブがあるだろう。それを着ていけ。顔は隠せるはずだ。人目もできる限り避けろ。“死人”にダレイオスの居場所が知られるとマズい」
ランドルフの言葉に頷き、七人はローブを身に纏う。かなり怪しい集団だが仕方がない。全員が魔法陣の上に立ち準備ができたのを確認してからランドルフは魔法陣を起動した。
「目的地についたら、そっちから連絡を入れてくれ。必ず応答する」
「ああ、それじゃ後でな!」
ダレイオスの力強い声と共に一行は転移していった。




