2 信じがたい夜
男は今日の仕事を終え、寝巻きに着替え眠りにつこうとしていた。
男の名はヘルマン。若くして魔導研究所ムセイオン戦術魔術塔防御魔術第三研究室副室長というそれなりの地位とやたら長い肩書きを得た男だ。だが、それなりに高い地位にいればそれなりの仕事と責任も伴うわけで、今日も定時を軽くすぎた夜中まで仕事をしていた。
ムセイオン内にある自室のベッドに疲れた体を横たえれば、心地よい眠気がやってくる。彼はそれに身を委ね、深い眠りに落ち……なかった。
『ムセイオン内部にて侵入者を捕捉!侵入者は戦術魔術塔の上階へ向かっている模様!直ちに向かうように!繰り返す……』
部屋に設置されている通信用魔法陣から警報音と焦った声の通信が聞こえてきた。
ムセイオンに侵入者だと?そんな馬鹿な。ヘルマンはそう思う。少なくともヘルマンが所属してからはそんな事件はなかった。しかし、事実ならば放っては置けないとベッドから飛び起きる。
現在、ムセイオンに所属している各研究室の室長を務めるような実力のある魔術師たちは、ペルセポリス遺跡調査の報告のためにこの国の首都へ向かっており不在だ。となれば、副室長というそれなりの地位である彼が指示を出さなければならない。何よりさっさと片付けて早く寝たかった。昨日も四時間しか寝ていないのだ。
寝巻きから仕事着である背広に着替え、愛用のメガネをかけた。ぐっと伸びをしてから自室を出て、ばたばたと走り回る部下に状況を聞く。
「おい、侵入者の情報を教えてくれ。なんでもいい」
「は、はい!黒いマントで顔を隠しているので誰かはわからないのですが、凄まじい剣の使い手で警備の冒険者も歯が立たないそうで……」
「まぁ警備には期待していなかったが……。死傷者は出ているのか?」
「いえ、幸いにも全員急所を外れているようで」
「ふむ、そうか」
幸運なことに、どうやら侵入者は人を殺す気はないようだ。
ムセイオンは侵入してから対処するのではなく、そもそも侵入させないようにするタイプのセキュリティを取っている。ゆえに非常事態への対処になれていないのだ。下手をすれば大量の死人が出ていた可能性があった。
しかし、これなら商会から応援が来るまでの時間稼ぎに徹すればなんとかなりそうだ。ヘルマンがそう考えたとき、地下から何かが崩れるような音が聞こえた。巨大な何かが暴れるような。何事かと焦りの色を浮かべるヘルマンに答えを教える通信が響く。
『緊急通信!地下研究室にて捕獲されていた新種の魔物が檻を破り暴れ出した!繰り返……』
ヘルマン含む魔術師たちは皆、愕然とする。
地下に捕獲していた魔物は推定Aランクの強さがあったはずだ。室長クラスの実力者がいない今、食い止められる可能性があるのはヘルマンら副室長クラスの人間だけだ。眠気によるものか精神的なものか頭痛がヘルマンを襲う。
「地下は俺が行く。お前らは応援が来るまで侵入者を足止めしろ!」
「わかりました!起きつけて!」
一声かけて階段を駆け下りる。
一階にたどり着いたところで入口を警備していた二人のCランク冒険者がヘルマンの元へ駆けてきた。
「侵入者ですよね?我々もおともします!」
「いや、俺は地下で起きた問題の対処だ。丁度いい、お前らはこっちについてきてくれ」
「え、は、はい。わかりました!」
ヘルマンはこの冒険者たちには特に期待していなかった。
ムセイオンの外壁が破られることはない。つまり侵入者はこの二人が見張っていた入口から侵入したということになる。サボっていたのか、そもそも能力がなかったのか。どちらにせよ大した戦力にならない。
という風にヘルマンは考えてたが、侵入者はその外壁を破って侵入していた。この冒険者二人に落ち度はない。
ともかく、今は猫の手も借りたかった。ヘルマンは二人を連れて地下への階段を降りる。
地下は異様な静けさがあった。とても魔物が暴れていると思えない。
二人の冒険者はどちらも戦士だったので、魔術師であるヘルマンを前と後ろで挟み、警戒しながら進む。そうしながらもヘルマンはこの事態が起きた原因を考えていた。
魔物はムセイオントップクラスの魔術師によって封印の魔術がかけられていた。それを解くことができるのは術者本人以外にはいない。だが、その本人はペルセポリス調査団についていっているため不在だ。最高峰の魔術師の術を解く方法など他にあるのか。考えても彼に答えは見つからなかった。
ヘルマンが思考を止めたところで連れてきた冒険者の一人が話しかけてくる。
「……ところでどんな問題が起きたか聞いてないんですけど、いったい何があったんですか?」
「ん、言ってなかったな。捕らえていたAランクの魔物が檻から逃げ出したから、それの足止めだな。死ぬなよ」
今から死ぬ可能性があるところに連れて行かれているという事実をさらりと告げられ、冒険者たちは顔色が青色になる。もはや人間には絞り出せない綺麗な青色だ。
「な、ななななんでそんな重要なこと言わないんですか!」
「言えば嫌がるだろ。今は時間も人手も足りないんだ」
「嫌がるだろそりゃもう!まだ彼女もできたことないんだ!死にたくないぃぃぃ!」
悲痛な叫びと共に轟音が響いた。
逆境で秘められし力が覚醒したのか。違う。
騒ぎ声を聞いた魔物が壁をぶち破って現れたのだ。それは、どこまでも黒い鱗を持った大蛇だった。小屋くらいなら丸呑みできるほどの大きさだ。
それを見た三人の顔が硬直するが、すぐさま臨戦態勢をとる。一応はプロとしての意識はあるようだ。ただ腰は退けていた。
ヘルマンはこれまでたいした焦りを見せていなかったが、この相手にはさすがに冷や汗をかきまくっていた。
本来Aランクの魔物は街一つなら滅ぼせるほどの脅威である。エリートであるAランク冒険者を中心にくんだパーティでなければ討伐は難しい。ヘルマンはBランクの冒険者としても登録されているが、それだけだ。戦力はとてもじゃないが足りていない。しかし、今回の目的は応援が来るまででの足止めである。それならば自分にも務まるはずだ。ヘルマンはそう踏んでいた。
彼らと大蛇は互いに睨み合ったまま動かない。空気がピアノ線のように張り詰める。
それを破ったのは一つの足音だった。
大蛇の背後に続く通路の奥から響くそれは、ゆっくりと近づいてくる。
ヘルマンが大蛇から注意をそらさずに通路の暗がりに視線を向ければ、歩いてくるのは一人の少女だった。
澄んだ瑠璃色の瞳に白い髪。頭には瞳と同じ色のカチューシャを、手には明らかにサイズの合っていないガントレットをはめていた。
「ふむふむ。最初はどうかと思ったが、なかなか良い身体だな。それなりに鍛えられているし、魔力も相当な量を持っている。乳はまだまだみたいだがな。ふははは」
少女は一人で喋りながら自分の身体をまさぐり始めた。
野郎どもは意識をそちらに意識を惹かれてしまうが、すぐに大蛇へ引き戻す。
一通り自分の身体をなで回した少女は、ようやく周囲の状況に気づいたようだ。顎に手を当てて、また一人喋り始める。
「こいつはまたデカい蛇だな。そこの三人はこいつと戦う気なのか?お前達では力不足なように私には見えるが。ふむ、そうだな。ここは私に任せてもらおう。気にするな、新しい身体の慣らしついでだ。うん、それがいい」
三人は少女の言っていることが理解できなかった。この少女は一人でこの大蛇を相手するという。理解できない。そもそも、こんなところにいるこの少女の存在が理解できないのだが。
そんな戸惑いなど気にせず少女は拳を握り、構える。少女の敵意を感じたのか、大蛇は意識を少女に向けた。少女がそれに挑発するような視線を送ると、大蛇の眼に確かな殺意が宿る。
ヘルマンがマズいと思ったその時はすでに遅く、大蛇は唸り声をあげて少女へと食らいついた。
「くっ、間に合え!『氷壁!』
ヘルマンの咄嗟の魔術は大蛇の前に厚い氷の壁を生み出す。
が、それもささやかな抵抗でしかない。その氷の壁はあっという間に砕かれてしまった。
大蛇の力は彼の想定を遙かに超えていた。もはやAランクでおさまる魔物ではない。
そして再び、轟音。
何かが砕けるような大きな音だった。
それは大蛇の突進で少女が命を散らした事による音、ではなかった。
大蛇は少女に下あごを蹴り上げられ、天井を突き破り、地上へと吹き飛んでいたのだ。
全くもって信じがたいその光景に、三人の思考は完全に止まる。
「よし、上々だな。おい!後の相手も私がする!さっきので天井が崩れるかもしれんが上手くやってくれ。それでは!」
少女は高く跳躍して天井にあいた穴から外へ飛び出した。
次いでミシリという嫌な音がする。天井が崩れそうだと注意喚起する声に間違いなかった。
我に返ったヘルマンが再び『氷壁』の魔術を放つ。
その直後、瓦礫という瓦礫が男達の上に降り注いだ。
後から駆けつけた冒険者達によって彼らは救出されるのだが、頭を打ったショックで事故直前の記憶があやふやだったらしい。ヘルマンを除いて。
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