22 危機感
「……なるほどな。正直信じられないような事件だ。俺も憤りを禁じ得ない。喜ぶことができるとすれば、その不安因子を仕留めることができたことくらいか」
槌の小気味良い音が響き渡る青空の下、アレクサンドロスは呟いた。ダレイオスもそれに同意し、味気ない水をすする。
二人が立っているのはアルケメア王国の大王都ペルセポリス、その象徴とも言える荘厳な王宮——の跡地であった。先日のミネーによる襲撃事件によって王宮は大破。国の中枢施設としての機能は完全に停止してしまっていた。元の通りの国政運営を持ち直すため、王宮の再建は急務であった。今も兵士たちを中心に懸命な工事が行われているところだ。
二人は、そんな工事現場のまっただ中で作業の合間の一息を入れつつ、事の詳しい経緯を話していたというわけである。ただ、何故他国の王が再建活動のために労働しているのかは謎である。尤も、“アレクサンドロスがそういう人間だから”という回答で解決できる問題でもあるが。
「それで、何かしらの対策は考えているのか?」
「とにかく以前から考えていた検問の設置が必要だ。もともと治安の悪化は大きな問題だったからな。アレクサンドリアもだろう?」
「そうだな。ウチの街は俺が直々に街に下りて剣を振り回してから多少は大人しくなったが、やはり根本的な解決は必要だろう」
アレクサンドロスの同意を得て、二人はあれやこれやと意見を出し合う。ただ都に検問を置いただけでは、都の人員への負担が増大すると同時に、都からあぶれた悪漢が街道沿いの宿場街へ流れて各地の治安が悪化するのではという懸念があった。それらを上手く解決できるアイデアが思い浮かべば良かったのだが、二人の頭の中では今回の事件がずっと尾を引いていた。
多少の小細工を労するより、大がかりでも最大限に安全な策をとるべきだ。その考えが既に二人の思考の前提となっていた。故に議論の結果——
「兵士の駐屯地となる軍事拠点の建設——それが一番いいだろうな。街道警備の拠点となり、そこを抜ける際には宿場街で発行する許可証が必要……てところか」
「世紀の大悪党なんかでもなければ、兵士が山ほどいる場所を危険を冒して通り抜けよう何て思わないだろうからな。検問の働きとしてはこれ以上無い」
「まあ問題は、一応他国と直結する街道に軍事拠点を作るというところだが……。アルケメア側に文句を言うヤツはいないだろうが、お前の国はそう易々と行かんのではないか?」
「だろうな。まあ、何とかしてやるさ。俺に任せておけ」
アレクサンドロスは自信たっぷりに笑い、水を煽るように飲み干す。おそらく何の根拠も無いのだとダレイオスは察したが、この男はそれでもやると言えばやりとげる男だ。親友を信じて、ダレイオスは言葉を飲み込んだ。
「さて、高度に政治的な問題が解決したところで、休憩はそろそろ仕舞いにしようか。俺たちも——というか、俺たちが先頭に立って働かねばな」
「……いや、お前は働かなくてもいいんだぞ?というかお前が土木作業を先陣切ってし始めると、他の奴らにとっては悪影響な気がするんだが」
「何を馬鹿な。俺ほどの労働力は中々得がたいぞ?さあ、仕事だ」
王というよりもただの日雇い労働者のような言葉を発しながらアレクサンドロスは足取り軽やかに歩いて行った。彼は気づいていない。地位有るものが腹居ている限り、下の者は休むことが出来ないということを。
ましてその地位有る者がアレクサンドロスとなればまさに地獄。力仕事をさせれば凄まじい働きを見せ、無尽蔵の体力でがんがん結果を出していく。下の者達は『王があれだけやっているのだから、下っ端の自分たちはもっとやらねば』という焦燥感に駈られ、まさに馬車馬のように働き続けることとなってしまうのだ。
石材を軽々と運ぶ規格外の男を見て愕然とする兵士たちへ向けて、ダレイオスは静かに手を合わせた。
「戻ったぞ」
それから二月が過ぎて、アレクサンドロスは自国の王宮へと戻ってきた。王が長期間にわたって国を空けるという圧倒的に非常識な事態であるが、当の本人は何食わぬ顔で、少し用を足しにいっていた程度の軽さで帰還した。
しかしそんな言葉をかけられた副官ショウの表情は、何とも柔和なものであった。
「アレクサンドロス様。中々ごゆっくりとしたお戻りでしたな」
「ああ、復興を最後まで見届けてきたからな。市街地は元通り。王宮も基礎はしっかりと立て終えた。後は優秀な魔術師諸君によって元の姿に戻ることだろう。それでもあいつらが失ったものは大きい。忠実な部下に民の信頼——中々元通りとはいかんだろうな」
執務用の机にもたれかかり、アレクサンドロスは溜息をついた。心からアルケメアの行く末を案じている様子だ。王としては非常識極まりない。しかし友としては、まさに鑑であった。
ショウは瞑目して頷き、同意を示す。
「きっと貴方の助力はダレイオス殿にとって大きな支えとなった事でしょうな」
「そうだったらいいがな」
アレクサンドロスは今も懸命に国の再興を目指して動き回っていることだろう。その姿を思ってアレクサンドロスは微笑みを浮かべた。
そして軽く咳払いすると、真面目な表情でショウへと向き直った。
「だが今回のアルケメアの事件、俺たちも重く受け止める必要があるだろう。俺やお前は力があるが、それを制御することができている。だが力ある者でも力に飲まれ、道を誤ることがある。今回の事件はそれを示したのだ」
「確かにそうですな。強い心を持つ者で無ければ、手綱を握ることは難しい。さて、私にはその“力に飲まれる者”というのに少しばかり心当たりがございますな」
「おそらく俺が言いたい事も同じだ」
二人の鋭い視線が交差する。
彼らが頭に思い浮かべていたのは、彼らの治める王都アレクサンドリアにそびえ立つ巨大な塔——王立魔導研究所ムセイオンであった。
しかし王立とは名ばかり。すでに国から半独立した組織となりつつある彼らは、まさにその“力”を得るための研究に力を注いでいるらしいのだ。
『精神生命体』——詳細は不明であるが、魔力によって形作られる莫大な力を有する存在であるらしい。彼らはそれを王であるアレクサンドロスに隠しながら、生成実験を繰り返してきていた。そしてアレクサンドロスもまた、それを危険視して密かに妨害を行っていた。
そんな行政との関係が不安定な現状にあるムセイオン。今回の件を受けて、どうしても危うさを感じてしまう
「前にも話したが、やはりムセイオンは放置しておくわけにはいかない。街道の安定化で手一杯だったが、今こそ手を入れる時では無いか?」
「異存ございませぬ。どのような手を打つかはともかく、ひとまずムセイオンを訪れてみるべきかと」
「だな」
そうと決まれば、善は急げである。アレクサンドロスは下ろしたばかりの荷物から愛剣リットゥだけを背負い、立ち上がった。振り返ることも無く部屋の戸に手をかけ、相棒へ呼びかける。
「行くぞ。付いてこい」
「お断りいたします」
「えっ」
思わず振り返ってしまった。意外でもって想定外の言葉に動揺を隠しきれなかった王様は、目をしばたたかせて忠臣を見つめる。
「もう、もう、もう一回言ってくれ」
「お断りいたします」
「聞き間違いでは無かったか……」
まさかの裏切りに、ガクリと項垂れるアレクサンドロス。そしてこれほどにハッキリ拒否するというのはどういうワケなのか問いただす。
「今さきほどムセイオンを訪れるべきと言ったのはお前では無いか」
「ええ。ですが今すぐではなく、明日にいたしましょう」
「ムセイオンはここから一時もかからん。躊躇することはないであろう!」
「何を仰いますか。今日はこれからすべき事がございますでしょうに」
とんだ困った野郎だと言うような笑みでショウが笑う。それを見たアレクサンドロスの背筋を悪寒が駆け抜けた。詳しく問うのが恐ろしくなってしまったが、それでも勇気を出して彼は理由を尋ねてみた。
「一体、どんな予定が入っているのだ?」
「はい。アレクサンドロス様はこの二月、国を空けておられました。この私にほぼ何も語らず。積み重なる職務を者ともせず。いやはや、さすが剛胆であらせられますなぁ」
「…………」
アレクサンドロスの口がピタリと真一文字に閉じた。多分これが開くことは少なくとも数時間はない。彼はそう予感した。背負った愛剣を下ろすと、ショウの前に膝を突いて正座する。
それを見てショウは満足げに頷くと、ゆっくりと口を開いた。
「最近のアレクサンドロスさまの行動は目に余る、というのは高官たちの口癖、いや最早流行語とまで言えるものでしてな。しかし残念ながらここ最近はご本人がおられなかった。ではその言葉の刃先はどちらへ向くのでしょうな?アレクサンドロス様はどうお考えですかな?」
「それは、おそらく、俺の腹心であるお前に……」
「その通りでございます。さすがはアレクサンドロス様、お察しが良い。彼らは私にそれはもうネチネチと言葉を投げ続けられましてね。それこそ顔を合わせる度に。何か私の変化にお気づきになられませんか?」
「い、いや……」
「そうでしたか。実は精神的な疲労から体重がかなり減りましてな。いや何、お気づきになられないと言うことは、私の苦労もまだまだそれほどでは無かったという事ですな。お恥ずかしい限りでございます」
「いや、そういうつもりでは……」
「ああ、そうでしたか。それはとんだ失礼を。アレクサンドロス様が残した仕事を片付け、嫌みを浴びせ続けられ、『王はどこへ消えたのかという』という問いを何とか誤魔化し続けた私でも、まだ働き足りないと仰るのかと思い、少々ひやりといたしました。ははは」
「………………」
「さて、本日はこれからムセイオンへ向かうという話でしたな。もしアレクサンドロス様が『行く』と仰れば、臣下である私はそれに付き従うのですが……如何いたしましょうか?」
「…………明日に、しようか」
「分かっていただけて、感悦至極でございます」
ショウは今日一番の満面の笑みを浮かべ、アレクサンドロスは今月一番の絶望にうちひしがれた。そして、身体を縛られた状態でぬるま湯に沈められるような、ショウのお言葉がアレクサンドロスの身をドロドロに溶かしていったのだった。




