20 魔の鉄槌
ダレイオスの行動は素早かった。
まさに一瞬の間に魔法陣を構築し、氷の礫をミネーへ向けて乱れ打つ。
だが、ミネーの動きも早い。
両手を突き出して障壁を展開。そのことごとくを弾き返した。あらぬ方向へ飛んだ氷弾は石の地面へめり込み、亀裂を生む。
「掠っただけでも大けがですね。容赦ございませんこと」
「当然だ。私は殺す気でいく」
抑揚の無い声で答えるダレイオスの手には、既に次の一手が握られていた。魔術『クララアルマ』によって形成された光の剣だ。それを諸手に握りしめ、二刀による攻めの構えをとる。
「拳闘と違って剣は少し苦手なのだが、生憎とガントレットを持ってきていない。この剣で我慢して貰おう」
「それは幸運と喜べばよろしいので?」
「仕留め損ねる可能性がある分、無駄に苦しむことになるかもな」
「それは残念です」
ダレイオスが地面を蹴る。彼は魔術師でありながら、体術も極めし者。二人の間の地面が消し飛んでしまったと誤認するほどの速度で、ダレイオスは相手との距離を詰める。そしてその速度を乗せた突きがミネーの頭を狙い撃つ。
ミネーは身をよじってそれを避けるが、ダレイオスにはもう一方の剣が残されている。ミネーの逃げた先を狙い、斬り上げた。
「『ウェントス』!」
ミネーが咄嗟に発した言葉に呼応して、彼女の足元から上昇気流が巻き起こった。来ていたローブで風を受け、ミネーは上空へ離脱する。ダレイオスの二刀は共に空を裂くに留まったが、忘れてはならないのは、彼が魔術師であるということだ。
ダレイオスは魔法陣を開かず、空中のミネーを撃ち落とすために次々と炎弾を放った。ミネーはローブを閉じて降下するが、それを狙ってダレイオスは再び駆ける。
が、その目の前にヒラリと一枚の紙片が舞い降りて——
「吹き飛ばないよう、ご注意下さい」
炎を伴って激しく爆発した。ミネーがペルセポリス市街地破壊のため、ごろつき供に配ったカードだ。だが、術者本人が使用したそれは破格の威力を誇り、死近距離でダレイオスもろとも瓦礫へ変えた。ミネーは残った地面へふわりと着地する。
「——っ!!!!」
その瞬間、ミネーの全身を危険信号が駆け巡った。身を投げ出すように転がり込んだと同時、さっきまでいた地面が天まで昇る火柱に包まれた。驚愕の威力。焼け跡からは石が溶ける音が聞こえる。
だが、危険信号は尚もミネーの身体を揺すり続け、彼女はそれに従って突いた両手で更に一回転した。そこに一つの影が落下し、光の剣による斬撃が真一文字の傷跡を生み出す。
恐ろしい事に、それでも危険視業は止まない。ダレイオスはトン、と軽く地面を蹴ってミネーへ飛びかかると、ぐるりと身体を縦に回転させた。その遠心力が剣圧へと置き換わり、再びの斬撃が放たれた。先の一撃よりも更に深く鋭い亀裂が生まれた。
ミネーは膝をついた姿勢でびしょびしょに濡れた額の汗を拭う。
「剣が苦手、とはよくも——」
「何故一息ついている?」
その低い声を耳が捉えるが早いか、ミネーは自身の正面に障壁を築き上げる。できる限り強靱に、頑強に。そして数瞬の後、壮絶な炎の群れが襲いかかった。ミシミシとイヤな音を立てる壁一枚隔てた向こうから、ミネーの身に振動が伝わってくる。そして最後の一発が障壁にめり込むと同時、ミネーの全力が込められた障壁は無残に崩れ墜ちた。
目を見開いたまま硬直するミネー。ゆらゆらと昇り消えていく煙の向こうから、ゆっくりと近づいてくる一つの影が彼女の視界に映る。
何とか逃げ場を見つけなければ。ミネーはそう思って周囲に視線を巡らせる。が、激しい死闘——いや、一方的な猛攻によって王宮の高台の半分以上が既に崩落していた。右を見ても左を見ても、遥か下方の地面直通の大穴しかない。まさに背水の陣。彼に立ち向かうことを選んだ時点で、既に退路は断たれていた。
「私は殺す気だと言ったはずだ。死ぬ気で来ないのか?」
跪くミネーの目の前に影が落ちる。そこに立っていたのは『魔王』。手にしていた光の剣は消え去り、その手には煌々と光を放つ魔法陣が展開していた。照準はミネーの胸を捉えて放さない。彼がその手に魔力を流し込むだけで、ミネーの命は塵と消える。
「っ!ぁあああっ!」
ミネーが両手を振るい、ダレイオスへ向けて炎が弾け飛んだ。狙いも何も無い乱雑な攻撃だが、魔力は確かに込められていた。
にも関わらず炎はダレイオスへ届く直前で、強風に煽られた灯火のように消え失せた。その消失が、ダレイオスが自身の周囲に張った障壁によるものであると気づいた時、ミネーは自分の中から戦意と呼べるものが根こそぎ消滅していくのをはっきりと感じた。
「魔法陣も成しに咄嗟に放った一撃にしては、中々良い炎だった。お前は、優秀で強い。もしかすると、私とヘリオスの次の次くらいの実力はあるのかもしれないな」
「……当然です。わたしは、完璧であるのですから」
「そうか、何とも無様な完璧がいたものだ」
ダレイオスの辛辣な物言いには、彼の静かな怒りが詰め込まれていた。
彼は何よりも大切に思ってきた民の命を奪われた。
彼は何にも勝る美しさを持つ都を破壊された。
彼は自分を王として頼ってくれた民の信頼を裏切ることとなってしまった。
彼は自分に付き従い、尽力してくれた部下の命を失った。
全て、目の前の女のくだらない妄想によって。
ダレイオスの目に宿るのは、もはや怒りを越えて憎しみに近いものに変容していた。
ミネーは虚勢で微笑んでみるが、ダレイオスの尋常でない殺気にさらされ、みるみる内に青ざめていく。
しかし、その青があろう事か、次第に紅潮し始める。瞳は潤み、吐息が漏れ、呼吸が荒くなる。今まさに死を迎えようとしている人間の様子として、明らかに異常であった。
「ダレイオス様……。ああ、本当に素晴らしい……。わたしの人生の中で、貴方様ほどの人間にお会いすることが出来たことを心から誇りに思います。貴方様は紛れもなく、完璧な御仁でございます」
ミネーは祈るように両手を組みあわせる。しかしそれは天への祈りではなく、己に迫る死に対する慈悲を請うているわけでもない。
彼女はただひたすら、目の前の『魔王』へ信心を捧げていた。自身の求める理想像、それを体現したダレイオスが彼女はとても尊い存在に思えたのだ。
しかしそんな思いを受けたダレイオス自身は、ただただ不快なだけであった。
目を伏せて軽く一息吐くと、意識を自身の右手へ集中させる。
「あまりにもくだらん茶番だ。もう、これで終わりにする」
ダレイオスの手の魔法陣の光が増す。色は眩い青。バリバリと帯電し、周囲の空気に弾けていく。
ミネーに抵抗などという概念は既に存在していなかった。雷の青光を聖光と仰ぐように、じっと固まって祈り続けていた。
ならば、遠慮は無用か。ダレイオスは最後にそう思うと、右手の魔法陣へ魔力を一気に注ぎ込んだ。
それは神の気まぐれであったのか何なのか。彼女の祈りが天へと届いたのか。 まさか。彼女は天になど祈っていなかった。自分の俗的な信仰のままに祈っていただけだ。
だからそれは本当に、ただの偶然でしかなかった。
ガラン、と何かが崩れ墜ちる音がした。そんな音は先ほどから断続的に続いている。何せ王宮は既にボロボロなのだ。崩れ墜ちるところなど幾らでもある。当然だ。そう、すでに王宮の至る処が、いつ崩れ墜ちてもおかしくないような状態であった。
そして、それは二人がいる高台も同じ。その瞬間も何も不思議な事は無く、ただ自然の摂理の通りに瓦礫が崩れ墜ちただけだった。
だがそれが、よりにもよってミネーが跪く地面であったのは、ただただ不運としか言いようがなかった。
「な、に!?」
ダレイオスが驚きの声を上げた時、すでにミネーはゆっくりと奈落の底へ落ち始めており、次いでダレイオスの渾身の雷が放たれる。
だがミネーの胸へ向けて正確に狙いを定めていたために、一筋の光線は耳をつんざく轟音とともに空を貫くだけだった。ミネーには掠りもしていなかった。
「くそったれ!」
ダレイオスは苛立ちを隠そうともせず、地面を蹴り、ミネーの落ちた穴へと飛び込む。
高台は王宮の最上階。自由落下に任せても、地上へたどり着くまで多少の時間がかかる。ミネーは先ほど見事の風魔術を使ってみせた。落下の衝撃を和らげることなど造作も無いはずだ。
このままでは逃げられるかもしれない——ダレイオスは空を落ちていく瓦礫を足場にミネーを追いかけて下へ下へと跳んでいく。
そしてその姿を捉えた。
「ミネー!!!!」
「ダレイオス様……。それほど情熱的にわたしを追いかけて来てくださるなんて……感激で言葉もございません」
既に地面はすぐそこまで迫っている。頭から真っ逆さまに落下しているミネーはこのままでは間違いなく死ぬ。ミネーは先ほどまで死を覚悟している様子だったが、それで攻め手を緩める理由にはならない。ダレイオスは確実に仕留めるため、自分の周囲に巨大な氷塊を幾つも生成した。
「逃がさん、これで、終わりだ!」
ミネーへ向けて、氷塊が殺到する。圧倒的な質量。ミネーはその迫力に気圧されたのか、一切動こうとしなかった。人間一人など、あっという間に潰せる。ダレイオスは確信する。
そして結果も、それに相違なかった。石の地面を砕く音が響き渡り、ダレイオスの視界に映る地面一体に氷塊が深々とめり込んだ。彼はその上にフワリと着地すると、手に炎を生みだし、氷塊を溶かしていった。
周囲にミネーが逃げていった様子は無い。だが、この氷塊の下敷きになったと確認できなければ安心できなかった。
そしてすぐに氷塊は水となり、消滅する。ダレイオスはその下から現れた大穴へ素早く視線を巡らせる。
答えは、すぐに出た。
「…………終わったか」
そして彼はそう呟くと、バサリとマントを翻す。尚も崩れ墜ち続ける瓦礫の間を歩き、無残な姿の王宮を後にした。
そこに残されたのは、ダレイオスが開けた大穴と、その中央で真っ赤に染まって倒れ伏す彼女の姿だけだった。




