19 怒り心頭に発す
自分の目の前に広がる衝撃的な光景にダレイオスは言葉を失う。ペルセポリスの象徴とも言える王宮が炎を上げて燃えていた。ガラガラと石が崩れ落ちる音も聞こえる。強固な石造りの王宮を爆炎は容赦無く破壊していた。
「くそったれ!」
ダレイオスは怒りのままに吐き捨て、炎の王宮へと飛び込んだ。王宮内は燃やせる物には一通り火がついているのではないかという程の惨状だった。未だ断続的に爆発音が聞こえる、放っておけば王宮が崩壊するのは時間の問題と言えた。
そんな煙の中、彼は倒れ伏す一人の兵士を見つけた。慌てて抱え起こし、呼びかける。
「おい、しっかりしろ!何があった!」
「ダレイオス、様……。わ、分かりません。あちこちで突然爆炎が起こって、あっという間に飲み込まれて……」
「突然の爆発……。市街地で使われていたカードと似た物を用いて、複数箇所で同時に起爆させたのか。おい、歩けるか?」
「はい、何とか……」
「王宮内は危険だ。とにかく外へ。急げ!」
ダレイオスは兵士のケガを手早く処置すると、礼を言って炎の外へと駆け出していった。
それを見てダレイオスは思う。王宮を襲撃した犯人は、未だ破壊活動を行っていると見える。早く捕らえねば、王宮は瓦礫の山と化してしまうだろう。だがこの状況、もしかするとケガも無くまともに動けるのは自分だけかもしれない、と。ならば自分が成すべき事は一つしかないと、彼は決断した。
彼は近くに居る兵士へ駆けよると、目に付く大きな傷を素早く魔術で治療し始めた。さすがの効力で、兵士はすぐに問題なく動くことが出来るようになる。
起き上がって感謝の言葉を述べようとする兵士だったが、ダレイオスはそれを遮った。
「できる限り治療するつもりだが、さすがに全員にまで手は回らない。一人では逃げられないヤツに手を貸して、とにかくできる限り早くここから去るんだ。市街地も安全とは言えないが、こんな場所よりは数段マシだ」
「は、はい!」
「他の者にも伝えろ。頼んだぞ!」
ダレイオスは手早く言い残し、次の怪我人の元へと走る。さすがに全滅というワケではないだろうが、身動きのとれない者は多いはず。ならば自分がやるしかない。
この王宮はアルケメアの権威を象徴する大切な物だ。だが、人の命と秤にかけて比較できるようなものではなかった。
「私は『魔王』。魔術の極めし王だ。私がやらずして、何とする!」
手に開いた魔法陣に魔力を込め水流を吐き出せば、彼を阻む炎は煙となって消え失せる。王はとにかく走り抜けた。自身を慕う素晴らしい臣下たちの命を散らさぬために。
この決断が、間違っていたとは何者も断ずることはできない。ただダレイオスに未来を見る力が備わっていたとすれば、彼はもう一つの選択との間で揺れることとなっていたかもしれない。
「はぁっ、これで人のいそうな場所は全部回ったか……」
絶え間なく流れ続ける汗を拭いながら、ダレイオスは大きく息を吐いた。
ダレイオスは崩れ、燃えゆく王宮を必死に駆け回り、倒れる怪我人を片っ端から治療していった。できる事ならそのまま外に連れ出してやりたかったが、残念ながらそこまでの余裕は無く、彼らの自力に任せるしか無かった。
ただ幸運な事に、ダレイオス以外にも十分に動ける者達は数多くいたようだ。彼らの賢明な救護活動によって、次々と王宮の外の安全な場所へと連れ出されていった。全員助けることができた、というわけではない。最初の爆発をもろに浴びて命を落とした者もいる。それでもダレイオスは自分の手が届く範囲の命を救う事はできたと、胸をなで下ろした。
しかし救命活動に時間をかけたために失ったものもある。ペルセポリスの王宮の大部分が断続的な爆発によって崩れ墜ちてしまっていた。火の手も回りきり、まさに地獄のような光景と化している。
にも関わらず、ダレイオスはその地獄の中を一人歩いていた。その目的は一つ。この事件を起こした犯人を捜すためだ。
こんな場所などとっくに抜け出し、姿をくらませていると考えるのが普通かも知れない。だが、ヤツはまだここにいる。ここで自分を待っている。ダレイオスにはそんな確信にも似た予感があった。
「あいつがいるとしたら、どこだ?私を待っているなら、私が訪れそうな場所を選ぶだろう。……なら、あそこか」
ダレイオスは火の熱でくらくらする頭を抱えて、半壊した王宮の中央へ向かう。誰もいない正面ホール。そこから上階へ伸びる螺旋階段だ。ここは王宮の中心に位置しているため、未だ崩れずにしっかりと残っている。そしてここを一番上まで登り切った先——そこにいるとダレイオスは当たりを付けた。
迷い無く、ゆっくりと階段を踏みしめていく。炎の熱も不思議と感じない、実に穏やかな気持ちに満たされていた。人間の心は感情が振り切れると、逆に平穏を得る。彼の胸の内は、まさにその状態だった。
階段が終わる。ダレイオスの頭上が一気に開けた。王宮の最上階に位置する場所。ペルセポリスの街が一望できる高台だ。
そこから見える景色はいつも晴れやかで美しく、ダレイオスはそれが何よりも好きだった。
しかし今は違う。あちこちから黒煙が立ち上り、逃げ惑う人々の姿が遠目にも分かった。これを美しいと思う事が出来る人間などいやしない。もし、そんな人間がいるとすれば——
「それはお前のような者かもしれないな」
ダレイオスはうっとりとした表情で街を見下ろす、一人の女性を厳しく睨みつける。蒼の髪が火を受けて怪しくなびく。それは妖艶な邪精の舞のように見えた。
ミネー——彼女が、この事件を起こした張本人だった。
だが彼女はダレイオスの非難の視線を浴びてもまるで動じない。緩慢な動きでダレイオスを見やり、そして、微笑む。
「お待ちしておりました、ダレイオス様。約束通り、貴方様の願いを叶えて差し上げに参りました」
「ほう、面白い事を言うな。この火の海が、人々の叫びが、私の望みだと?」
ダレイオスは低い声音で問いかける。
しかしミネーは、心から何を言っているのか分からないという表情で、コテンと小首を傾げた。首を傾げたくなるのはダレイオスの方なのだが、目の前の女が最早正常な思考ではないという事が察せられ、余計な追求をする気力も湧かなくなる。だからダレイオスは、あえてミネーに乗っかることにした。
「では聞くが、お前が思う私の望みとやらはどういったものなのだ?」
「なるほど。態々相手の口から言わせたいと、ダレイオス様はそういった趣向がお好みなのですね?」
「…………」
「ではお答えいたしますが、わたしと共に生きるため。それ以上の答えは無いかと存じます」
そう言い切ったミネーへ対するダレイオスの返答は無い。彼はただひたすら絶句していた。何を賭けてもいい。自分がミネーにそういった考えに至らせるような発言をした事は無い。ダレイオスはそう断言できた。
それでもダレイオスはまだ口を出さない。すでに王宮は崩壊しかけだ。今更時間を気にすることもない。目の前の女から情報を引き出すことが最優先だと考えた。
「共に生きる、か。それが何故、このような事件を引き起こすこととなるのだ。折角だ。語って聞かせてはくれぬか」
「勿論でございます。今から遡る事数ヶ月前。わたしとダレイオス様の別れの時。何故、貴方様はわたしの思いを拒んだのか。それを考えれば明白でございます。貴方様は、そう、“王”というご自分の地位があるが故に、わたしを受け入れる事ができなかったのです。身分の壁というものでございます。ですからこのわたしが、その壁を取り払い、貴方様を解放して差し上げようと、つまりそういうことなのです」
極めて真面目な、自分が口にした事が世界の常識であるかのような口ぶりでミネーは淀みなく言い切った。そしてダレイオスの頭の中に、そんな常識は存在していなかった。内に湧き上がる感情を込めた視線でダレイオスがミネーを見つめる。それでも彼女はただただ微笑んでいた。今まで何度も見た彼女の笑みの中で、最も気味の悪い笑みだとダレイオスは思った。
「王位の陥落……。なるほど、街の襲撃者どもを宮廷魔術師に見せかけたのは、私の信用を失わせるためという理由もあったというわけか」
「さすがダレイオス様。ご明察でございます。そのくらいでダレイオス様を疑うような輩の信用など、そもそも必要ないのですから、何も問題は無いでしょう?」
「……何も問題は無い、か」
ダレイオスは呟きと共に薄く笑う。やはり彼の心は穏やかだった。一切の風も無い凪のような時。しかし、それは嵐の前の静けさとも言い換えることができた。非常に不安定な均衡。ほんの一つ石を投げ込んだだけでも決壊しかねない。
だが、ミネーはその一石を投じてしまう。
「分かって頂けたようで何よりでございます。では、参りましょう。愚かな民衆も、馬鹿な兵士も、大勢死にました。貴方様を縛るしがらみは崩壊したのです。さあ、わたしと共に——
ミネーの頬を何かが掠めた。彼女が思わず手をやると、そこから血がどくどくと溢れ出していた。後ろへ視線を向けると、地面に眩い光を放つ剣が一振り、深々と突き刺さっていた。
「死んだ。そうだな。私はできる限りのことをしたつもりだが、助けられなかった命は山ほどある。今日という日は、アルケメア王国の歴史に記すべきだろう」
「……何と、記されるおつもりで?」
「色々と思いつくが、お前の命日というのはどうだ?」
ダレイオスが手に光の剣を生みだし、ぎゅっと握りしめる。その顔には、何の色も無い。底抜けの黒を彷彿とさせる無表情だった。
その瞳に射貫かれたミネーはにニコリと笑ってみせる。が、額から止めどなく汗が流れ出る。しかし身体の芯は冬の日のように冷え切っていた。
しかしそのような状況に置かれても、ミネーは尚も笑みを浮かべ続ける。
「ああ、なるほど。照れておられるのですね。何と奥ゆかしい方でしょうか。……ですが、その目は本気でわたしを殺すおつもりのよう。激しいのは嫌いではございませんが、愛を語らう前に死ぬのはご遠慮させて頂きます」
ミネーがその手に魔法陣を展開した。そこから相当量の魔力が溢れ出す。その魔力からはダレイオスが想定していたよりも強い力が感じられた。少なくとも、宮廷魔術師をしていた時のミネーよりは明らかに強い力を持っているのは明らかだった。姿をくらませてから、彼女はずっとこの時のために力を蓄えてきていたのだ。ダレイオスはその執念に一種の恐怖すら覚える。そして、この女をこれ以上野放しにする事はできないと、ここで終わらせると、固く決意する。
「お前にどれだけ言の葉を吐こうと意味が無いことは思い知った。だが、最後に一つだけ言っておく。————お前が魔術師である限り、目の前にいる男に敵う望みなど、一欠片も存在しない」
ダレイオスから激しい魔力が吹き出す。風は荒れ、大気は震え、息ができなくなる。その鬼気を纏った姿を見た者は口を揃えて言うだろう。
彼こそ、魔を統べる王である——と。




