11 わたしの手に
「ミネー」
「は、はい」
「今の間に何が起きたのか簡潔に説明して欲しい」
「かしこまりました」
自分の背にミネーを隠すように立ちながらダレイオスが問いかけ、ミネーは素直にそれに答える。
走り去った先で何者の気配もしなかったこと。テントの中を確認すると大勢の兵士が一人残らず消失していたこと。魔力感知を張ったが広範囲の魔力を探知するだけで何も引っかからなかったこと。だが、その反応全てが一つの存在を示すものであったこと。それらをほとんど一息で伝える。
「その黒く得体の知れない存在に食われそうになっていたところを、ダレイオス様に助けて頂いたというわけです」
「なるほど、思っていたより危機一髪だったのだな。間に合って何よりだが……他の者達が無事かどうかは望み薄か」
ギュッと拳を握りしめ、ダレイオスは目の前の大穴を睨みつける。後悔の念が心の内にふつふつと沸き始めた。何故こんな大事に気づかなかったのか。自分を責めずにはいられなかった。
だが、それでは先へは進まないということも彼は重々承知していた。ダレイオスにできる事はただ一つ。これ以上被害が及ばないように根源を絶つこと。また、その根源を絶つことで被害者を救出することができる可能性が残っているかもしれない。それに賭けるにしても、とにかくミネーの言うその黒い存在を消し去らねばならなかった。
「だがやるにしてもソレはどこへ消えた?先の一撃で倒したとはとても思えん。……よし」
ダレイオスは先ほどのミネーと同じように、魔力感知を周囲に張り巡らせる。彼女の話が本当なら、敵の居場所はそれで見つけることができるはずだ。自らの身体から迸る魔力に意識を集中させ、目標を隈無く探す。
「見つけた」
そしてその網に獲物はすぐさまかかった。明らかに実体を持っているとは思えない存在だ。ならば間違いなく高度な魔力エネルギーを有した存在である。魔力感知で捉えられないはずがなかった。
「地面をずるずると這いずっているな。横から私に襲いかかろうという魂胆か?残念だが、まるでやられる気がせんな」
鼻を鳴らすダレイオスが両手を左右へ突きだすと魔法陣が展開する。薄い紫色の光がぼんやりと夜の闇を照らす中、それにまるで臆することもなく、彼の両側面から二つの黒い影が飛び出した。悠長に立っている獲物を絡め取ろうと触手が伸びる。
ミネーはあの触手に一度でも捉えられると、恐ろしいほどに身体の自由が奪われてしまうことを身をもって知っていた。
「危ない」という言葉が喉元まで出かかったが、すぐにそれを飲み込む。彼女は理解したのだ。自分の目の前に立つ男が何者であるのかを。
「『デートラヘレ』」
そう唱えると共にダレイオスの魔法陣の輝きが増していく。それを見ていたミネーは光の中へと引き込まれるような感覚を得るが、それに誤りなく黒い触手がその魔法陣へと吸い込まれていった。
これはさすがにマズいと思ったのかは分からないが、触手は一度ダレイオスへの攻撃を諦めて退いていき、ダレイオスもそこで魔法陣を解除する。
「ヘリオスの考案した術はさすがに使い勝手がいいな。今度の飲みに連れて行ってやるか」
「ダレイオス様、今のは……」
「触れた相手の魔力を吸収する術だ。相手が魔力の塊のようなものなら無力化できると考えたのだが、効果覿面だったようだな」
答えつつダレイオスはニヤリと笑う。実体を持たない相手に攻撃する方法はそう多くは無い。ダレイオスもどのような手がとれるかと考えていたのだが、攻撃が通らずとも無力化してしまえば良いのだと気づいたのだ。
ダレイオスの両手に装着しているガントレットは最高の魔力伝導性を持つ金属、アダマントで作られている。それも相まって、ダレイオスの魔術『デートラヘレ』の吸収能力はかなり強化されていた。例えあれだけ巨大な相手であっても、魔力全て吸い尽くすことは可能だろうとダレイオスは予測を立てる。
先の発動での手応えは十分だ。対処は時間の問題だろう。
「だが、アレが何なんのか分からぬまま退治してしまうのはマズいな。情報を得られればいいのだが」
そうは考える者の、一人で戦いながらそれをこなすのは難しいかもしれない。一度でも捉えられれば終わりの相手である。できれば万全の準備で挑みたい。せめて誰か相手の気を引いてくれる人間がいればいいのだが、先ほど一度やられているミネーにその役を任せるのは少し厳しい。どうしたものかと一瞬悩みかけるが、すぐに解決した。
「呼んだか、ダレイオス!」
その声と共に雲が晴れ、月明かりが降り注ぐ。二人が空を見上げると、一つの影が地上へと月光と共に飛来しようとしていた。
それを新たな獲物と見た黒い触手が再び地面から出現し、その影へと伸びる。が、それに届くよりも先に真っ二つに、四つに、八つに、細切れに切り裂かれていった。とても形を保つことが出来なくなり、触手は霧散して消滅する。黒い霧が天へと昇る中、彼は下りたった。
「お前に呼ばれた気がしてな。丁度良いタイミングだったのではないか?」
「全く呼んでいないが、丁度良くはあったな」
「それは何より!」
愛剣リットゥを豪快に振り回しながら笑うのはアレクサンドロス王だった。虫の知らせと言うのだろうか、何かを感じてすっ飛んできたらしい。これを絆の力と呼べれば美しいのだろうが、ダレイオスは野生の勘か何かだろうと思っていた。
「アレクサンドロス、様ですか?何故このような場所に……」
「あ、うん。ちょっとな。ダレイオスに用があってやって来たのだが、何やら異変を感じてな」
「そうだったのですか」
まさか「お前を更正させるために夜盗のフリをしていた。さっきお前を斬り殺そうとしたのは自分ですよ」などと言えるわけがない。適当に誤魔化したのだが、ミネーは案外すんなりと納得した。畳みかけるような一連の騒動で、思考がそれほどクリアでは無いのかも知れない。どちらにせよ好都合なのでアレクサンドロスは「そうなのだ」と頷き、「自分は今来たばかりですよ」の体で話を進めることにする。
「ダレイオス、こちらの女性が前に話していたミネーという新人か?」
「ああ。先ほど夜盗が現れて襲われていたのだが、そこから逃げた先でお前が切り倒した黒い化け物に襲われていたんだ。お前のところから借りた兵士も内の魔術師達もみんなそいつに飲み込まれてしまったらしい」
「何だと!?で、当然救出の算段はついているんだよな?」
「ああ。それを今から確かめる」
「なるほど、了解だ」
二人だけでサクサクと話を進めると、それ以上何も話さずに二人は戦闘態勢に入る。細かい段取りなど何もしていないが、二人の間ではそれだけで十分だったのだ。
アレクサンドロスは剣を握り、先ほどまでダレイオスがしていたようにミネーを背に隠す。あくまでミネーは守るべき対象というわけだ。その扱いに彼女は険しい表情を見せるが、意外にも大人しくしていた。
そしてダレイオスは近くの高台へと飛び上がり、魔力感知で広く全体を観察する。これまでと変わらず、相手は地面にべったりと広がった状態で潜んでいた。ダレイオスとアレクサンドロスの反撃によって多少は縮んだようだが、まだまだ余力は残っていると見える。
「アレクサンドロス、頼んだぞ!」
「任せろ!」
力の籠もった返答とともに、彼は剣を頭上に大きく掲げた。深く深く息を吐き出す。そして、そのままの力で振り下ろした。
大地を真っ二つにしようとするかのような強烈な一撃。いや、比喩などでなかった。彼の一撃はまさしく大地を二つに分かつように大地を両断したのだ。地面に潜んでいた敵もそれによって二つにたたき切られる。
その並外れた剣技を間近で見て、ミネーは目を丸くする。
「実体が無い相手をどうやって……」
「剣はあくまで媒体。自らの気を剣を通して放つ事こそ、剣の神髄よ。姿形など元より問題では無い」
さも当然で有るかのようにそう口にしてアレクサンドロスが剣を構えると、地面から黒い影がゆっくりと姿を現すところだった。先ほどまでは一つの巨大な姿だったが、今のアレクサンドロスの攻撃によって一回り小さい二つの姿に分裂していた。
相手はアレクサンドロスを獲物と定めたようで、二体揃って彼へ向けて触手を伸ばす。しかしそれも、いとも容易く切り飛ばされてしまった。
「がら空きだぞ!」
触手を全て斬り落としたアレクサンドロスが剣を横に振るう。空間が真一文字に切り裂かれ、相手の身体が半ばから真っ二つになった。ぶるんと上下二つに分かたれる。が、すぐに上下が結合して元の大きさに戻ってしまった。今の攻撃の効果はイマイチであったようだ。
「なるほど、横向きの斬撃は効果無しか」
それを少し離れた場所からダレイオスが見守る。戦闘に参加しないのはサボっているわけではなく、相手の正体を見極めるために安全な場所に構えているだけだ。危なくなれば援護するつもりだが、アレクサンドロスという男に限ってそのような事は有り得なかった。安心して観察に徹する。
「ふむ、大体の動きは把握できたな。どうやら全く実体が無い、というわけでもなさそうだ」
戦いを見てダレイオスはそう判断する。アレクサンドロスが相手を切り裂いた際、相手の身体がぶるんと震えた。それはつまり斬撃の衝撃という物理的影響を受けていることになる。確かな姿形は無いものの、ある程度の物理的干渉を受け付ける。それに当てはまるものとしてすぐに思いつくものと言えば——
「液体、か。ある程度の形があるから、どちらかと言えば半液体状だな。」
そう結論づけた上で、ダレイオスは更にアレクサンドロスと謎の物体との戦闘を観察する。危なげなく立ち回り、隙を逃さず攻撃を差し込んでいた。さすがだと感心しつつ、どこかその戦いに既視感を覚える。これは一体何だっただろうか。ダレイオスは記憶の糸をたぐり寄せていく。
「ん……そうか……そうか!よし、分かったぞ!」
ダレイオスが手を叩いて高台から飛び降りる。そしてアレクサンドロスへ呼びかけた。
「アレク!そいつはスライムだ!」
「スライム!?こいつがか?」
「ああ、間違いない。スライムが変容したものだ。それが分かれば対処法も思いつく。援護してくれ」
「了解だ!」
疑問はあるようだが、アレクサンドロスは親友を信じて頷く。彼は剣を更に強く握ると、連続して振り下ろした。黒いスライムの身体は千切れ飛び、その注意はアレクサンドロスに更に釘付けになる。ダレイオスへ注意を払っている余裕は無い。
そこにダレイオスが魔力を練り上げていく。溢れる光の色は白。
「おそらくあの魔術の失敗作を取り込んだのだろう。出来損ないなら私でも十分に解き放つことができる。さあ、さっさと吐き出せ!」
ダレイオスの手に白い魔法陣が出現し、そこから放たれた光が真っ直ぐにスライムへと向かっていく。アレクサンドロスによって既に十匹を越える数に分裂していたが、その全てを飲み込む強烈な輝きだ。アレクサンドロスがミネーを抱えて距離を取り、直後一帯が日中と違わぬ明るさに満たされる。
その光はしばしの間辺りを埋め尽くし、徐々に収束していった。そしてようやく直視できる光量になったところで、何かが地面に落ちる音がした。それも一つや二つでは無い。足の指を合わせても到底たりない数の何かが地面へと転がっていった。
「こいつらは……。上手くいったようだな。さすがダレイオスだ」
「特に変わったことはしていないがな。まあ何よりだ」
二人が頷きながら見下ろしているのは、固い地面で眠る大勢の人間だった。アレクサンドリアの兵装とアルケメアの印が入ったローブ——テントから消失した者たちである。全員気を失っているようだが、ダレイオスが魔力感知で軽く探ってみても特に身体的にも問題は無いとのことだった。直に目を覚ますだろう。
「ダレイオス様……いったい何をなさったのですか?そもそもアレの正体がスライムだとおっしゃっていましたが、何故お気づきに?」
そこにミネーがおずおずと問いかける。それはアレクサンドスもぜひ知りたいことだった。重ねて彼も問うと、ダレイオスは順に説明して始める。
「スライムであると気づいたのは単純にアレクの戦いの中から見て取れた特量を当てはめて考えただけだ。粘性のある反液体状の身体を持った生物、スライムしかいないだろう。スライムは魔力が自然に凝固して誕生する魔物だ。私の『デートラヘレ』の魔術で吸収できたのも納得だ」
「だが、何故あのように変質したのだ?」
「おそらく、魔術を吸収したのだろう」
そうダレイオスは言うが、魔術に対してそれほど詳しくないアレクサンドロスは首を傾げる。だがミネーはそれで言わんとすることが分かったようだ。代わってダレイオスへ問いかける。
「なるほど、魔力の塊であるスライムとなら魔術と同化する可能性もありますね。この近辺で何らかの魔術が発動し、それをスライムが吸収した」
「そうだ。おそらく、何らかの理由で魔術が発動後もこの地に残り続け、一体のスライムがそれと徐々に同化していったということなのだろう。魔術の発動に失敗して練り上げられた魔力だけが滞留したというのが私の考えだ」
「では、退治に用いたアレは反魔術ですか」
「その通りだ。既に魔術と同化していた相手を消し飛ばすなら、魔術そのものの発動を無効化してやれば良い。そして魔術が消えれば、その餌食になった人間も帰ってくると踏んだわけだ。……まあ、帰ってくるかどうかについては確証は無かったんだが、上手く行って良かった」
ダレイオスがの説明にミネーは納得して何度も頷く。二人の話をアレクサンドロスは眉間に皺を寄せて聞いていたが、彼もひとまずは理解できたようだ。
しかし、そうなると一つ気になることが浮上する。
「スライムが吸収した魔術とはどんなものなのだ?あのようなどす黒い魔術、少なくとも俺は知らんぞ」
「ああ、それは当然だろう。人間の生命エネルギーを使用して発動する禁術だからな。おそらく『冥界術式』——人間の魂と肉体を冥界へ引きずり込むという代物だ。どこかの大馬鹿者がその実験をこの近くで行っていたのだろう。さっきも言った通り失敗したようだがな。スライムに飲まれた兵士たちが無事に帰ってきたのだがその証拠だ」
「はぁ、そんな物騒なモノがあるとはな……。その大馬鹿者については少し調査をした方がいいかもしれんな」
「ああ、早めに手配することにしよう」
そしてダレイオスとアレクサンドロスは揃って深くため息をついた。また面倒な問題が浮上してきてしまった。人を守る立場である彼らが憂鬱になるのも仕方の無い事である。
ミネーはそんな二人の様子を隣で黙って見つめていた。そしてこの夜にた一連の出来事を振り返る。
(全くもって、最低な夜だった。わたしがどれだけ完璧に遠い人間であるのか思い知らされた。何としても完璧に相応しい強さを手に入れなければならない。……だが、更なる完璧のための新しい道も見つかった)
ミネーの視線がダレイオスへと移る。眠気に耐えきれず大あくびをしていたが、彼女は今夜、彼が『魔王』と呼ばれるその所以を思い知らされた。
他を圧倒する魔力、卓越した魔術、鍛えられた格闘術、冷静な思考・判断力、豊富な知識。これだけの要素を兼ね備えた人間を『魔王』以外の言葉で表現するのは難しいくらいだった。
そしてそれは、ミネーの求める完璧な強さそのものであった。
(わたし自身が完璧とならねばならない。それは揺るがない。しかし完璧な強さを持つ彼をわたしの側に置くことが出来れば、それはわたしを更に素晴らしい人間へと昇華させるはずだ。そう、伴侶だ。彼をわたしの生涯の伴侶へ。彼を、わたしの手に)
ミネーは自分の頬が緩んでいくのを感じる。将来の自分の姿を想像して硬骨とした笑みを浮かべた。
彼女は男に興味など無かった。これまで彼女に言い寄って来た者は皆、欠損だらけの屑ばかりだった。しかし『魔王』はそんなものとは違う。人間種としての一つの完成形であった。ようやく自分に相応しい者が現れたのだ。その事実に彼女は胸の高鳴りが抑えることができなかった。




