10 脈動
ダレイオスが拳を振り上げ、地面を蹴る。対する顔を隠した襲撃者も地面を蹴ってそれに立ち向かう。鋭い斬撃と重い拳がぶつかり合い、反作用ではじき飛ばされる。地面を後ろに滑り、両者構え直す。
「やるではないか。賊風情が、どこでそのような剣を覚えたのか」
「ふん、貴様も中々だな。身なりが良い割りには死線をくぐってきたと見える」
「この私を知らんのか?やはり賊は賊か」
互いが互いを挑発するような言葉を投げかける。が、これには何の意味も無い。なぜならこれはただの演技であるからだ。
ダレイオスが戦っている男は親友であるアレクサンドロスに他ならない。ミネーでは対処しきれない強者の襲撃からダレイオスが守ることで、彼女に尊敬 の念を抱かせるという短絡的な作戦の実行中であるのだ。
と言っても、二人の戦いは全く演技などでは無かった。ダレイオスは演技でいいと思っているのだが、アレクサンドロスが全く手加減をする気がないのだ。なのでダレイオスも全力で対処するしかなく、そこには誰も横から手を出すことができない激戦が繰り広げられていた。
「ぬあぁっ!」
「せいっ!」
二種の金属が打ち合う甲高い音が当たりに響く。ダレイオスの拳は対する剣で打ち払われ、アレクサンドロスの剣はダレイオスの拳に叩き伏せられる。一撃一撃がぶつかり合う度に強烈な衝撃波が飛び散る。
他の襲撃者たち、というより夜盗に扮したアレクサンドロスの近衛師団らは、襲撃者としての体裁を保つためにミネーへ飛びかかるタイミングを窺っているのだが、白熱する戦いが邪魔で近づくことが難しい。
そして反対側から同じように戦いを見守るのは、この争いの原因であるミネー、その人である。この戦いが有益なものとなるかは、彼女の心の内にかかっているのだ。果たして彼女は、
窮地に現れたダレイオスに対して如何様な感情を抱いているのだろうか。尊敬なり好意なり抱いてくれれば御の字だ。戦いの合間でダレイオスもそれをチラチラと気にしていた。のだが——
「な、なにっ!」
ダレイオスがふと後ろを振り返ったその時、ミネーは逃げるようにその場から走り去ってしまったのだ。いや、危険な状況なのだから逃げるのが当然の判断なのだが、その逃げっぷりは明らかにダレイオスに対する引け目も何もない逃走だった。尊敬の念を抱いている者に対するものではない。
ダレイオスの口があんぐりと開いてしまうが、そこに無情にもアレクサンドロスの剣が飛んでくる。ダレイオスは持ち前の反射神経でそれをガードするが、しっかりと踏ん張ることも出来ず吹き飛ばされてしまう。ダレイオスは地面に転がるが、そこにまさかの追撃が飛んでくる。
「うおぉぉ、ちょっと待ってくれ!」
慌てて転がったダレイオスのすぐ隣の地面に、ジャンプしたアレクサンドロスの下突きが深々と突き刺さった。殺意ムンムンの一撃にダレイオスの苛立ちが募る。
「ミネーがどこかへ行ってしまった!作戦は失敗だ。ここで戦っていても無意味だぞ!」
「でああああぁっ!」
ダレイオスがアレクサンドロスへ向けて必死に呼びかける。が、空しくもその言葉は耳に届かず。既に脳みそが戦闘一色アドレナリン満載の彼に耳を傾けろというのが無理な話であった。
無情な攻撃放ちに放つ親友から何とか逃げ回りつつ、ダレイオスは決意する。次に会ったとき、それが例え公式な場であったとしても一発ぶん殴ってやる、と。
ミネーは一人夜の荒野を駆け抜けていた。その胸には未だ激しい怒りが渦巻いている。
しかし、その矛先は先ほどまでとは別の方向を向いていた。彼女が怒りを抱いているのは、自分自身に対してだ。
「クソ、クソ、クソ!わたしはアレほどまでに弱い存在なのか!他者から救われるなど、屈辱の極みだ!クソ!クソ!」
ミネーは湧き出す感情を乱暴に吐き捨てる。
他者との協力、協調を不要なものとしていた彼女にとって、ダレイオスに救われたことは非常に気に食わない事態であった。
だが、そこで怒りが向くのはダレイオスではない。ミネーは元より『魔王』である彼の本物の実力には敬意を抱いていた。彼にだけは正しく敬語を用いていたのもそのためだ。だからミネーが責めたのは、完璧な強さを持つダレイオスではなく、未だ完璧には至らない自分自身の弱さであった。何故自分はこうも完璧ではないのか。そう自虐し続け、とにかくあの屈辱の場から逃げ出したい一心で彼女は駆け出したのだ。
しかし、彼女は怒りの合間のふとした一瞬の冷静な目で周囲を見たとき、ある違和感を覚える。足を止めて立ち止まった。
「……妙だ。何故、こんなにも静かなのだ?」
逃げ出したミネーがたどり着いた先は、街道工事の為の野営のテント群である。そこには明日の労働に備えて眠りにつく大勢の人間がいる、はずだった。だがミネーはその場に一切の人の気配を感じることができなかったのだ。
試しに彼女は一番近くにあるテントに踏み入る。そして自分の目を疑った。大勢の兵士が寝ているはずのそこには、一人の人間も存在していなかったのだ。隣のテントにも入る。結果は、同じだった。
「人間の集団消滅だと?何が起きている……?」
鋭い視線を巡らせ、彼女は思案する。あれだけやる気と活気に満ちあふれていた兵士たちが夜中に集団脱走した。その可能性は極めて低いし馬鹿げた考えだ。ならば何者かが兵士達を連れ去ったのだろうか。それもまたふざけた考えだった。屈強な大勢の男たちを抵抗されずに連れ出すなど不可能だ。
であれば、まだあり得る可能性は一つ。
「集団消失を行える魔術、あるいはそれに近しい能力を持った魔物の仕業か。どちらにせよ、普通ではないな」
ミネーは鋭い目つきのまま手に魔法陣を展開し、それを地面に突きつけた。魔力の波紋が周囲に広がり、物にぶつかると同時に反射してミネーの元へと戻ってくる。魔力を使った簡単な感知術だ。テントや岩などの反応は無視して、生物のものと思われるものに意識を集中する。
「四時の方角に人間か。あれはさっきの盗賊と『魔王』様だな。……だが、それ以外に一切の反応が無い。本当に全員消えたのか。いや、それよりも事を起こした者の反応が無い。どこへ消えた……?」
ミネーが立ち上がると、じりじりと後ろへ下がり、テントを背にして立ち止まる。周囲にくまなく注意を送るが、如何せん暗すぎて視界では何も捉えられない。なので彼女は瞑目して魔力感知に切り替える。何らかの方法で隠れていたとしても自分の感知能力なら発見できる自信が彼女にはあった。
そしてそれに相違なく彼女はすぐに強い魔力反応を察知した。しかしそれは明らかに異常なものだった。
「な……!一面に魔力反応が広がっている……!?」
驚愕する彼女の言葉の通り、ミネーが感じた魔力は周囲一帯に塗りたくられたように広がっていた。どう考えても自然に起きるものではない。何者かが攪乱のために魔力を散布した、ミネーはそう考えた。それは至極真っ当な考えである。多くの魔術師はミネーと同じように考えるだろう。
だから、彼女が反応できなかったのも仕方の無い事であった。
ミネーがその邪魔な魔力を取り払おうと、魔法陣を展開する。広がった魔力を吸収してしまえば、探している対象が姿を現すに違いない。彼女はそう考え、面倒な手間をかけさせる相手に舌打ちする。
するとその時。彼女の視界が少し下がった。まるで自分の身長が突然縮んだような感覚を覚える。奇妙な違和感にミネーは自分の足元を見下ろす。
そこにはいつもと同じように身体を支える二本の脚があった。が、その一番下、彼女の足首から下が綺麗さっぱり無くなっていた。いや、正確に言えば足首から下が地面に埋まっていたのだ。泥沼にはまり込んだようにすっぽりと飲み込まれていた。
「クソ、何が起きてる!」
ミネーはとにかく足を引き抜こうと踏ん張るが、石膏で固められてしまったかのようにビクともしない。自分の足が地面と同化してしまったのではないかと錯覚するほどだった。
だが固められたのなら砕けばいい。自分の足ごと砕いてしまうかもしれないが、少なくともこのまま身動きがとれない状態で何者かの思い通りになるよりはマシだ。そう結論づけたミネーは拳を握ると魔力を込める。
しかし、それすらも思い通りには行かなかった。
彼女が拳を振り下ろそうとした時、その腕が硬直した。ミネーの意志と反して、凍り付いたように動かなくなってしまった。
いや、それだけではない。すでに彼女の全身が一寸たりとも自らの意志で動かすことができなくなってしまっていた。
「…………っぁ……」
もはや声も出せなくなっていたミネーは視線だけを動かして自分の身に起きた異常を突きとめようと藻掻く。そして目にしたのは自分の足元からずるずると伸びる闇色の触手。底抜けの黒が彼女の身体を固く縛り付けていたのだ。間違いなくこれが原因であると確信する。
だが、これだけではない。
ミネーの正面の地面が大きく波打つ。
そしてそこから大きな黒い物体が姿を現した。それは円柱型をしていて、高さは成人男性の三倍ほどはあると思われる。その身の至る処に白く光る斑点がついていた。ミネーはその光の鋭さから、それがその物体の目なのではないだろうかと考える。
ミネーの身体を縛りつけている触手はその物体の身体から伸びていた。この兵士たちの集団消失の下手人もこの存在に違いない。そう考えつつ、彼女は自分の見落としに気づく。
(そうか、わたしが察知した魔力反応はこいつのものだったのか……!)
ミネーは広範囲に魔力が存在している事を、何者かが魔力を散布したからだと考えた。しかし、それは誤りだったのだ。ミネーが察知したのは散りばめた魔力では無く、この謎の物体そのもの。広範囲の地面に溶け込むようにして潜んでいたこの黒い物体の存在を正確に捉えていたわけだ。それにもう少し早く気づいていれば。悔やんでも悔やみきれなかった。
(全く、今日は最低最悪の日だ。立て続けに二度も屈辱を味わうなど!ふざけるなふざけるなふざけるな!)
ミネーの目が血走り、眼前の敵を睨みつける。この存在に自我と呼べるモノが存在するかどうかは定かでは無いが、ミネーにとっては憎くて憎くて仕方が無かった。
しかし全てを封じられた彼女になすすべは無い。行き着く先は、既に姿を消した兵士たちと同じ。この黒い物体に飲み込まれて、終わり。自分の足が既に膝まで無くなっていることを感じながら彼女はそう思う。そしてその実感が彼女の怒りを更に沸き立たせるが、やはりどうにもならなかった。
彼女は自分の終わりを確信した。
しかし、世間で言われる言葉にこのようながある。
「ヒーローは遅れてやってくるモノだ」
そのどこか自分に酔いしれたような言葉は、ミネーの頭上から聞こえてきた。次の瞬間、閃光。限界まで凝縮された光が降り注ぎ、彼女の目の前で激しく爆発した。地面が抉れ、地面が隆起し、後には大きなクレーターだけが残された。ミネーを縛っていた黒い物体も姿を消し、ミネーの拘束もするすると解ける。
突然身体の自由が戻ってきたことでバランスがとれず、ミネーは前のめりに倒れる。
が、何の衝撃もやってこなかった。ミネーの身体は一人の男にフワリと抱き留められたからだ。
「全く、自分で何とかできるんじゃなかったのか?夜盗を始末したと思った矢先にワケの分からんものに巻き込まれやがって……」
「ダレイオス、様……」
ぼんやりとした表情のミネーへ向けてダレイオスは大きくため息をつくと、彼女を近くのテントにもたれかからせるように座らせた。そしてマントを翻して視線を先ほど自分が作ったクレーターへ向ける。
「わたしの一瞬の見立てでは、あれには実体が無いように見えた。まだ終わっていないだろう。お前はそこで見ていろ」
そうしてダレイオスは拳を付き合わせると、自分の身に流れる膨大な魔力の出力を上げる。その激しい力は大気をも振るわせ、ミネーは自分の肌が粟立つのを感じていた。
そして、その『魔王』の後ろ姿を見た彼女の心臓が大きく脈打つ。




